goo blog サービス終了のお知らせ 

犬の眼

『日記』卑しさから清浄なることまで

カラオケボックス考

2009-07-31 20:40:12 | 客商売



ずいぶん前にも書いたけれど、僕はカラオケボックスが嫌いだ。
20代初め頃は、毎日のように行き倒していたから、歌うのが嫌いなわけではない。
嫌いなのはカラオケボックスだ。

たしかに、カラオケボックスというのはうまいことを考えた、という感じのシステムではある。
スナックなどの飲み屋で、まったく知らない人の前で、しかも酒のついでに歌うのが煩わしいとき、そして、純粋に歌を歌いたいときに便利なことこのうえない。
でも、現在のカラオケボックスは、そんなせっかくの長所を損なう代物でしかない。

まず、雰囲気が良くない。
汚いし、インテリアは流行おくれのブティックホテルみたいな趣味で安っぽい。
タバコの煙や臭いが嫌いな僕にとって、禁煙室が増えてきたとはいっても、まだまだ数は少なく、しかもロビーなどの共用スペースで喫煙できる店も多い。
部屋が禁煙室であっても、タバコが原因ではないべつのおかしな臭いがする。
たいていの店が、いわゆるフーゾク店のようないかがわしくて陰湿な、不潔な雰囲気がある。
(なんか、そもそも“カラオケ”という言葉自体がいかがわしい感じ)

かつて青少年の犯罪や不純異性行為などの温床になっていたからということで、現在、個室の扉はたいてい外から見えるように透明のガラスに替えられているそうなのだ。これが困る。
気が散る。通りがかりの人に覗かれるんじゃないかと落ち着かない。

そして、従業員の質が悪い。
安い賃金で雇われた若い連中がほとんどだからだと思う。年少のうえに、カラオケボックスの仕事を前向きに、好き好んでやる人などあまりいないと思うから、そんな場所にいる人たちの多くは、機嫌が悪いかやる気がなく、態度も悪い。
カラオケボックスが汚いのは(掃除がいきとどいていない)、そういう質の悪い従業員を使う弊害でもある。

ワンオーダー制という悪習(必要ならなぜ最初から利用料に加算しないのか?)のせいで、必ず何か注文しないといけないので、そんな不愉快な店員が、歌の途中に入ってくるのも困る。

でも、最大の難点は、音響の問題だろう。
部屋が完全防音ではないから、よその音が聞こえてきたり、ほかの客や店員に自分の歌がつつぬけになる不快感もある。
しかしそれよりなにより、いちばん肝心の“カラオケの音”が悪い。
僕は音響についてはまったくシロウトだけど、使われているスピーカーはかなり酷いと感じる。設置する位置も悪い。
カラオケボックスの部屋は、狭くて、何ら音響対策も施されていないと思われるし、音は絶対的に悪い。
マイクの音も良くない。それに、モニターもないだろうから自分の歌声が聞きとれない場合が多くて、それは歌を歌う環境としては致命的だという気がする。プロだってモニターで自分の声を確かめながら歌うと聞く。シロウトならなおさら必要だと思う。

気になることはほかにもある。
カラオケ音源そのものの品質だ。
記憶は定かではないが、昔はもっとオリジナルの再現性が高かったように思うのだが(思い違いかな…?)、いまの曲は時間に追われたかのように雑に打ちこまれた安っぽいコンピュータ音ばかりだ。
各カラオケ機器メーカーは、曲数や付帯機能(採点機能など)にばかり力を入れて、核となる部分をないがしろにしているのか…?

それから、僕がゲンナリするのはカラオケ演奏中の映像である。
安っぽいアダルトビデオに出てくるような雰囲気の人たちが、くだらないシチュエーションで稚拙な演技をするのを見せられるのは、不快なのを通りこして怒りがわいてくる。
(昔、徳永英明が有名になる以前に出演したことがあるらしいけど…)
カラオケが普及した大きな要因のひとつは、歌詞を覚えなくても、歌詞カードがなくても歌えるようにしたことだと思う。
それなのに、歌詞を追おうと画面を見たらそんな映像が目に飛びこんでくる…。
やっぱり歌詞を覚えないといけないのか!?
やはり歌手本人が登場する映像を使うか、歌の内容にちなんだ風景などを流したほうが良いと思う。

そうそう、現在の配信型のカラオケ機は、歌を入力していない時にコマーシャルなどを流していてうるさい。
趣味に合わない最新の曲とか歌手とかの宣伝を聞かされたり見せられたりするのはキツイ。
しかもそれを止めておくことはできないのだ…。

ただ、
分かってはいるんだが…、
これらの要望を叶えるようなカラオケボックスを作ろうとしたら、ものすごい利用料金を取られるようになるのだろう。
先日行った店は、平日フリータイムで600円プラスワンオーダー。ほかの日に行ったべつの店は、30分10円プラスワンオーダー。
(安くなったなあ…。昔はカラオケボックスでもスナックみたいに一曲ごとに200円くらい入れていたような記憶がある。もちろん部屋代はべつ。…違ったっけ? でも、今よりそうとう高かったのは確か)
5時間歌っても1000円とかからない。
そんな料金ではとうていコストが回収できないと思う。
僕はお金がないので、高くなっては歌を歌いに行けなくなる。
それは困るなあ…。

どっかいいとこ知りませんか?
(クレジットカード使えるところで)

イクラちゃんのランボルギーニ

2008-10-01 13:03:07 | 客商売
以前から僕は、時々このブログでもテレビCMというものに苦言を呈している。
(『苦言を呈する』という表現は、自分で使っていいんだろうか?)
だいたい、テレビCMに限らず、近年の広告は、その広告すべき商品なりサービスなりと、まったく繋がらない内容のものが多い。
おもしろがって見ているCMでも、思い出そうとすると「あれ、なんのCMだったっけ?」ということが、あまりにも多すぎるのだ。

昔、薬師丸ひろ子が出ていたリンスインシャンプーのCMが思い出される。
薬師丸ひろ子のモノマネをやる人がいまでもたまに使うセリフ「ちゃん、リン、シャン」(ちゃんとリンスしてくれるシャンプー)が生まれたCMだ。
そのセリフは流行語にもなって、みんなに知られたけれど、やっぱり視聴者は何のコマーシャルなのか覚えていなかった。セリフだけがひとり歩きしたかたちだ。
でも、その企業がエラかったのは、それにちゃんと気づき、コマーシャルを作り直したところだ。
ふたたび薬師丸ひろ子が出演し、「ちゃん、リン、シャンはソフトインワン」と言ったのである。
まるで原稿用紙の余白に書き足したかような、処置的なCMだけれど(それとも、別ヴァージョンとして撮ってあったのかな?)、それが功を奏したとも言える。

でも、いまはそんなレベルでもない。
商品名なんか気にもしていない様子だ。

最近、とくに気になったのは、国民的漫画、サザエさん一家をモチーフにした、グリコの『OTONA GLICO(オトナグリコ)』だ。
あのCMを最初に見て、商品名、企業名が頭に入った人がどれだけいるんだろうか?
インパクトが強いだけに逆にそれらが飛んでしまうんじゃないか。
僕はかろうじて、チョコレートのコマーシャルだということだけは把握した。でも、企業名は全然分からなかった。

25年後のサザエさん一家という設定(長谷川町子美術館がよく許可したなぁ…)もさることながら、
なぜ、イクラちゃんの車はランボルギーニなのか?
タラちゃんの髪型はいったい?(坊ちゃん刈りの反動?)
浅野忠信のカツオはありなのか?(僕自身は最初はありだと思った)
そういうショックが連続している。

CMを見たあとウェブサイトを開いてみたが、キャッチコピーが
「あ、大人になってる。OTONA GLICO」
とある。
まだ商品は食べてないが、おそらく大人向けのテイストになっているんだろう。
そこから発想して、何十年たっても大人にならないサザエさん一家をモチーフにしようと考えたのは理にかなっている(コピーとCMと、どちらが先なのかはわからないけど)。
アイデアはいい。さすがプロ、僕には思いつかない。
でも、そのアイデアだけに溺れてしまってるかもしれない。

それに、個人的にひっかかったのは、最後のシーンで法事が始まっているところだ。
サザエさんの漫画はあまり読んでいないけど、少なくともアニメのなかで、仏壇を見た記憶はない。
(磯野家はたしか分家の一代目だから仏壇はないはず…)
だからつまり、その法事で供養されるのは、波平やフネなんだろうと連想される(制作側の設定はどうであろうと)。
なんとも寂しいコマーシャルではないか!
メディアを選べば、たしかにおもしろい映像作品なのかもしれない。
でも、テレビCMでやるには、趣味が悪すぎる。
「あの頑固だけど素晴らしい日本のお父さん、波平さんは死んだのか…」
「ものわかりのいい良妻賢母、フネさんも?」
そういう、茶の間に影を落とすような連想をさせるんじゃない、と強く思う。
(原作者の長谷川町子も故人だし、個人的には、アニメで長年カツオの声をやっていた高橋和枝やノリスケ役の村越伊知郎の死にまでも思いがおよぶ)
あの最後の場面は必要なんだろうか?
死というものを、まだ現実としてとらえられないような若い世代なら、もしかして笑って見られるのかもしれないが、現実につぎつぎに親や友達を失っていく世代にとってはそうはいかないだろう。

広告、ビジネスである前に、その相手は(視聴者は)一般の不特定多数の生身の人間である。しかもたいていは家庭というプライベートな空間でそれを受け取る。
最低限のマナー、礼儀をもって接してもらいたいものだ。

企業、CMプランナー、ともにレベルが低いのである。
考え方がずれているのである。
表面的な、おもしろさだけで気を引いているだけだ。
(もっとも、僕にとってはおもしろくもない場合が多いけど)
あるいは、CMプランナーの創作意欲だけを満足させるため(さらには賞狙いだったり、個人的な実益だったり)だけに広告を作ってるんじゃないか。

見ていると、テレビにはまず、テレビ番組があって、その次に、コマーシャル枠に不定期放送の映像作品があって、その両方を企業がスポンサードしているように思える。
現在、CMはコマーシャルでなくて、クリエイターの映像作品だ。

よく、多くの著名な出演者を使ったり、大がかりなシリーズCMを打ったりするが、それも映像作品であって、本来の“広告”としての本質がないがしろにされているんじゃないか。
例えば、資生堂のTUBAKI(シャンプー、コンディショナーなど)なんて、なんであんな大量の女優を出演させないといけないのかまったくわからない。
(TUBAKIは、最初の赤いやつが出た当時、使ってみた良かったのだけど、白が出たあと、赤はすごく品質を下げられたように感じた。販売価格も下がった。
話はそれるけれど、だいたい、CMで『おいしくなった』とか『さらに品質アップ』とかいう商品は、逆にコスト削減して味や品質が変わった―つまり、まずくなったり品質が下がったりしているんじゃないかと、僕は思う)
資生堂やサントリーは、レベルの高いCMや広告を作る企業だったのに…。

シリーズCMといえば、ソフトバンクだ。
『白戸家の人々』というシリーズだそうだ。
僕も、あの犬はいい、と思う。
「おやじ、ガンモ!」
などという時の口の動きとか、うまく編集されているし、声優もいい(北大路欣也だそうだけど、本当?)。
「予想外です」で有名になったダンテ・カーヴァーもけっこう好きだ。
彼は、結婚の申し込みをして断られるCMの演技が、意外なくらいうまいので驚いた。
とくに、屋台で酔って泣き崩れているという、いかにも日本的な場面にしっくり溶けこんでいるので(泣きかたを含めて)、
「あら、この人ほんとは日本育ちなのかしら?」
などと思うほどだ(そうなのか?)。

でも、なんで携帯電話のCMで、
『学校教師をやってる犬をオヤジに持ち、お兄ちゃんだけが黒人の一家の、ちょっとおかしな日常』
を、シリーズにしてまで描きつづけないといけないんだろう?
携帯電話と何の関係があるんだ?
もちろん、バックグラウンドにはコンセプトがちゃんとあるんだろうし、セリフのなかにサービスの説明をもり込んではいるけど、携帯電話にそんなに興味のない人間にとっては、笑ってやり過ごすだけのCMだ。
笑ってもらえればよいのか?
気を引けばよいのか?
このCMが高感度ナンバーワンらしい。
でも、僕はソフトバンクが大嫌いだ。
(というか、通信系の業界全部がうさん臭くて嫌いなんだけど)

カーディーラー雑感

2006-05-06 00:42:23 | 客商売
車関連の話題が続く…。

以前から感じていたのだけど、車のディーラーについてまず思うのは、ショップとして”アカ抜けてない”ってことかな。
新車、中古車、国産、輸入車問わず、そして、そのメーカーのブランドイメージなんか関係なく、どこの車屋さんも洗練されていない。
テレビコマーシャルの、さわやか、楽しい、清潔、上質、高級、なんてのは、ありゃ虚像だ。
車そのものは別として、お店はやっぱり、車の販売をしている人の本質的な部分が滲み出しちゃってるんだろう。だいたい、その本性は、峠を攻めたり、夜の街をカッ飛ばしたり、なかには暴走族まがいの青春を送ったような感じの人も多いんじゃないかな。ちなみに、僕が洋服屋だった頃の販売員は、かつてヤンキーだったような人が多かったよ。そんな連中がシラーッと高級ブランドなんか売っているのだ。
偏見と言えばそれはそうなのかもしれないし、そういうのを人間的に劣っているなんて言いたいわけじゃないけれど、やっぱりそんな人たちに、イメージ的な上質感なぞは伝えられないわけだ。そもそもスタイルが違うのだから。
例えば僕なんかスピード出すのは苦手だし、機械はチンプンカンプンなのに、そんな話しかできない営業マンもいる。こっちが運転は苦手だって言ってるのに、「リアを滑らさせて走ると楽しいですよ~」なんてことを勝手にしゃべりまくったりする…。僕にはそんなことできないっつうの。一般的に、車を走る楽しみに使う人って、割合としてはそんな多くないと思うよ。
それから、営業なのにきったない服を着ていたり、爪が伸び放題だったり、歯に青のりをつけていたり、始終ボリボリ体をかきながら話してるようなやつもいる。
車はただ単に工業製品ではなくて、ライフスタイルに関わってくるという性格も強く持っているものだから、そんな連中に僕の”ライフ”に関わってほしくない。
だから、ショップ全体がどことなくよどんだ空気感があって、田舎臭くて、(日差しは当たっているにもかかわらず)明るさがない。

これは自動車業界全体にあてはまる。ディーラーだけじゃなくて、カー用品店とか修理工場もそうだし、カー用品を作るメーカーそのもののセンスがアカ抜けてない。だから、僕が自動車に関しては極端にノーマル、純正品志向で、社外品をつけるのを毛嫌いするのは、気に入る市販品がないからということも理由のひとつにある。
そもそもが自動車メーカーだってひと皮むけば、似たようなもの(だと思う)。TOYOTAや日産なんか、広告代理店の助けを借りて、きれいにブランドイメージの化粧を施してるけど、おそらく、本質的にはそんなたいそうなものでもないと思うよ。もっと下位のメーカーなんか、貧相な感じを隠しきれてもいない。

ひとつには、販売を別会社に任せてるってこともその現れだと思う。100%子会社ならまだしも、完全に資本がべつの会社に代理店として売らせている場合もあるわけだ。しかも、表向きは本体の大看板をしょわせてるから、お客は、TOYOTAだったり、日産だと思い込んで買いに行くことになる。
実はそんなところからも、いろいろと歪みが生じるんじゃないかな。
僕は、気分的に、モノを買うのはなるべく直営店、最低でも正規販売店じゃなきゃ気持ちが悪いタチだ。
まあ確かにそういう別会社だって正規販売店なんだけど、なんかダマされてるような心持ちなんだよね。その会社の名前じゃなくて、完全にメーカーの看板揚げてるわけだから…。
パリに行った時に、香水を買うのに免税店じゃなくて、わざわざシャネルの本店に行ったようなほどの(ちょっとおかしな?)人間(それは僕)にとっては、釈然としないことだ。
たいていは地元の会社が、地元の人間を雇ってることが多いので、視野が狭いし、向上心がない。地元のお客に甘えてる。言葉は悪いけど、”田舎商売”になっちゃってる。
それに、同じメーカー、同じ車種の新車を買うってのに販売会社によって支払い方法やローンの金利が異なっていたり、営業時間や休みが違ったりする。そうそう、今回ゴールデンウィーク中に休む店が多いのを知って、正直ビックリこいてる。客商売に携わったことがある人間としては、信じられないね。これが個人店ならまだしも、大手メーカーがそうなんだから、神経を疑っちゃうよ。かつては日曜日が休みだったらしいね。そんなの、頭がどうかしちゃってるよなあ…。
とにかく、ただでさえ車選びはいろいろと面倒なのに、そういう販売会社の違いで、さらに比較したり確認する事項が増えて困るのだ(とくにTOYOTAはひどいなあ、ネッツだの何だのと販売店がいろいろあって…)。

また、もっとひどいのは、商品知識の乏しい販売員が多いことだね。
確かに、多岐にわたって膨大な知識が必要で、しかも常に流動しているから、その大変さは理解できるけど、質問しても答えられなかったり、しょっちゅう間違ったことを説明される。そのへんは気をつけなきゃいけない。お客はネットやカタログを熟読して、確認しとかなくちゃまずい。とくに国産車はグレードの構成が複雑でとても分かりにくいから、販売員も客にとっても難しいのだ。でもだからこそ、きちんと説明してもらわないと、購入の際に失敗するおそれがある。

さらに困ってるのは、ショップに行ったら、実質的に、こちらに販売員を選ぶ権限がないってこと。
最初に店に入った時に空いてる人がついてしまう。
「この人イヤだなあ」と思っても、よっぽどの理由がない限り、「この人気に入らないから、チェンジね」なんてことはできない。僕だって人間だから、そこまでの冷徹さはないし、僕自身が居心地が悪くなっちゃう。でも、やっぱりそんなイヤな人からは買いたくないから、その店が家から近くて便利でも、同じメーカーのよその店を探さなくちゃいけいハメになる。
年齢がいってるからって質がいいとは絶対言えないけど(すごい態度のでかいオヤジとかいるよな)、最近はとくに若いヤツが全然ダメだね。なんかやる気がないっていうか、ボーッとしてるというか…。お客に対してまったくと言っていいほど、敬意や誠意、熱意が感じられない。笑顔のひとつも見せない。自分の部屋にいるのと感覚的に変わらないような感じなんだよ。何で客商売やってるのかな…? ニューヨークに行って感じたことだけど、そんなところはアメリカナイズされてきてるってことなのかねえ? 向こうでは、客との関係は対等だ、って態度だったから…。そりゃ確かに、人間としては対等かもしれないけれど、商売ってそんなもんじゃないだろ? アメリカ的な思考に毒されるんじゃなくて、日本的な良さを大事にしてほしいなあ。まあ、そういう考え方の違いが今の若い世代との齟齬になっているのかもしれないね。

逆に、自分にあたった販売員はすごく気に入ったのだけど、店全体、あるいは他の販売員が気に入らなかった場合…。これも困る。その人から買いたいのに、しかしこんな店に利益をあたえるのはシャクだって感じなのだ。
大金を払って買うのだし、車っていうのは、ショップとその場だけのつきあいじゃない。点検とか修理とか車検とか、これから長期にわたっておつきあいするわけだから、気持ちのよい相手であってほしいのだ。

そんなこんなで、車を買うのもタイヘンだよ(って僕だけかなあ…)。
…僕は、多くを期待し過ぎなんだろうかね?
そして、嫌な客?

ところで、個人的には最近の車って、規格が大きくなりすぎて好きじゃないな。
つまりデカすぎるってこと。3ナンバーサイズが多くなったね。
シビックが3ナンバーだと知って驚いたよ。僕なんかいまだに70年代の”豆タン”みたいなイメージをひきずっているから、やたらラグジュアリーになっていたのでビックリした。
3ナンバーだとかなんだとかいう、税金をとってやろうって規格は、とても嫌だな。
車が大きくなったというのは、安全性に配慮してという面もあるのだろうけど、変に車体の厚みが増したり、ダッシュボードが広くなって運転席からフロントガラスが遠くなったり、窓が小さくなったり、かえって危険だと思う。車両感覚がつかみづらくて…。
パッシブセーフティも大事だけど、未然に事故を防ぐアクティブセーフティの観点からすれば、良いことだとは思えない。僕なんか車両感覚をつかむのがとても苦手だから、今の車じゃぶつけそうで怖いな。

販売員という人々

2006-04-29 01:18:43 | 客商売
このブログでも書いてきたように、僕は小売店の販売員に対して評価が辛い。
あまりにもひどい場合、直接指摘し、さらに相手の反応(そして、僕のムシの居どころ)しだいでは、怒鳴りつけることさえある。
もっとも、近頃では、あまりにも程度が低いので、怒鳴ったところでヌカに釘、のれんに腕押し…、ほとんど通じないし、それどころか自分の気持ちや権利ばかり主張し、自分の無礼を棚に上げて、お客であるこちらの怒りをそっちのけに逆ギレする輩も多い。
だからほとんどあきらめの境地にきている。残念だが、まともな販売員に出会うことはめったにない。

でも本当のところを明かすと、僕は本来は、販売員に厳しい一方で、弱い面も持っているのだ。
つまり、そこそこきちんとした接客を受けると、では買おうかという気持ちになりやすいのである。
これは、意気に感ずる、というのも多少はあるが、実際は小心者ゆえに断りにくいということなのだ。
せっかく時間をかけて接客してくれたのに、買わなかったら気分を害するのではないか、とか、僕自身気分よく接客を受けたから、買えばその気分が損なわれないだろう、とか、貧乏人に見られないように、という見栄みたいなものもあるし、本来の買い物の意味を超えて、精神的、心理的な要素が大きくなってしまっている。
こういった状況は、お金に余裕があるならいいが、たいていの場合、問題をはらんでいる。経済的に困窮していて、おまけにかなり重度の買い物依存症らしい僕には、たいへん良ろしくない状況なのだ。
よほど気を締めてかからないと、ホイホイ買ってしまって、とんでもないことになる。

だからもしかして、逆に考えれば、ろくな販売員がいないというのは僕にとって好都合なのかもしれない。
気分を壊して物を買うのをやめるので、浪費しなくてすむ。

ここのところ、ある高額な物を買うかどうか迷っていて、しかもなかなか良い販売員にあたって”しまった”ものだから、今にも買いそうな心持ちだったのだけれど、そんなところに都合良く(?)、長い接客に業を煮やした店長がその販売員に急かすようなことを言ったらしいのである。今まで適度に抑えた接客態度だったその人が、急に「買ってほしい」とばかりの”お願いモード”になり下がってしまった。
なんともみっともなくて、腹立たしさもあり、シラケてしまった…。
そのため、買いたい欲求にブレーキがかけられた。お金のない僕にとっては好都合でもあるけれど、買い物を楽しんでいる僕にとっては、気分が悪い。

僕は物を買うとき、店側に”お願い”されるのが大嫌いである。
客は、店や販売員のために買い物をするんではない。
お客にとって、売り上げとかなんとか、そういう店の都合など関係ないのである。
もちろん、僕だって売る側に立ったことがあるので、先方の都合や気持ちも分からなくはないが、それをお客に見せてはダメなのだ。
ましてや、数年のローンを組まなくてはいけない買い物であったので、「なんで君らのために僕がローンを背負わなきゃいけない!?」という感じである。
まあ、店長が余計なことを言うまでは、その販売員が良かったので、ついつい買おうという方向へ向いていきそうになっていたから、そのたびに「気分がいいからって、販売員のためにローンを背負うのか?」と自問して、気持ちが走りすぎないよう抑えていたのだけれども…。

ところで、”店長”というのは、どこの店もこんな感じのマヌケである。
近視眼に、売り上げ、ノルマのことばかり考え、客の気持ちを考えることや、長期的な展望がない。
人物的にも、イケイケの単純バカか、ボーッとした田舎オヤジかのどちらかだ。
先の店の店長も、僕の前には挨拶にも現れずにおいて、表面だけ見てそんなことをせっついてきてる。客を人間だと思っていない証拠だ。無礼きわまりない。
そして、せっかく良い接客をしている販売員の足を引っ張る。
そんな上司に苦労させられている部下の、なんと多いことか。
また、販売員も、そんな裏事情を僕に漏らしてしまったというのはミスである。店長にケツを突っつかれたからといって、販売員としての誇りと尊厳を失ってはいけない。
もちろん、お客への礼を失するのはもってのほかである。
近頃珍しく質の良い販売員だと思って喜んでいたのに、またしても残念な結果だった。

(買う前に、一度気持ちを冷却する時間ができたことは良かった)

人と交渉して物を売るというのは、そもそも高度で複雑な仕事である。
それなのに、販売員になるために、なんら訓練を受けていない。
社会的に軽視される傾向の職種で、就職の間口も広いほうだろう。賃金も良いほうではなく、将来の展望が見えず、年齢を重ねるごとに不安感が増す。
そんな状況が、質の悪い販売員を生み出しているのではないか。
そしてまた、そういった販売員を甘やかしている消費者にも、責任の一端はある。

このカテゴリーを新設しよう…

2005-10-27 21:26:52 | 客商売
今、体調が芳しくないので、文章も荒くなっていると思います。
ご勘弁ください。

僕はこのブログで、よくお店や店員のことを批判するけど、実際、もうほとほとうんざりなんです。
僕は、横柄でもなく無理難題を言うわけでもなく、ふつうにただ単なる客として店に行っているつもりなんですが、なぜだか気分を害して帰ることが多い…。
その気になれば、その話題だけでブログが埋まるかもしれないくらい…。
買い物なり、何らかのサービスを受けるために、時間を作って、わざわざ車や電車を使って足を運んで、楽しみにして出かけるのに、なんでそんな仕打ちを受けなければいけないんでしょうか…?
そのうえ、結果として提供されるべき商品とかサービスを受けることができずに終わってしまう…。

僕は店や店員に過大に期待しすぎているんでしょうか?

いやあ…、そんなこともないと思うんですけど…。
僕が怒るのって、たいていは人間としての観点で失礼だと感じることである場合が多いから…。
例えば言葉づかいとか、よそ見しながら応対するとか、挨拶がないとか…。
初対面なのに、友達や自分の息子に話しているかのごとく応対するオバさんなんかもいる…。
それが温かみがあればまだいいんだけど、ただ無神経な場合が多い…。
そんな最低限の、あたり前のことが出来ていないというのは、僕に対する侮辱です。
侮辱されたら怒って当然でしょう?

で、僕はカーッとなっちゃう…。
ところが、僕は言葉は荒くなるんだけど、顔が幼くて押し出しが弱いし、声も小さいから、ぜんぜんナメられてしまうんです。
客観的に見ても、おそらく僕が正しいことを言っているはずなのに、しかも僕が一生懸命怒っているのに、なんだかこっちが馬鹿にされているような感じになる…。そうすると僕はますます頭に血がのぼります。
なんで僕が嫌な目にあって、しかも悪いところを指摘してあげて、あげくの果てには迷惑がられなきゃいけないんでしょうかね…。
それでラチがあかなくて、どうしようもなくて結局あきらめて帰ることになります。
以前はできるだけ闘ったけど、時間と労力を消耗するだけで、ほとんど勝てることはありませんでした。仮に勝っても、気分が晴れるほどの結果を得ることはないです。
そもそも、店や店員に反省の気持ちがないから…。と、いうよりも、僕が何を怒っているのか理解できなくらい、意識的なレベルが低いからです。
よく耳にしますが、『クレームをくれる客はお得意様になる可能性を秘めている』などと、クレーム処理マニュアルに書いてたりしますよね。僕に言わせれば、もうその時点で失格です。だって、きちんと謝る前に利益に結びつけてますもの。自分のミスなら、利益にならなくてもしっかり謝罪して、ケジメをつけるのがあたり前じゃないですかね。「お得意様になるかもしれないから謝ろう」なんてのは勘違いも甚だしい。

僕は経験したことがないですが、寿司屋とかラーメン屋で、”頑固オヤジ”などと呼ばれる店主が、客の食べ方にいちいち口出しするという店があるそうですね。
横柄ではなく、控えめに親切に「こうするとおいしいですよ」とアドバイスしてくれるんなら話は分かりますが、噂によると「そんな食べ方するんなら、帰ってくれ!」とまで言うらしいですね。
食べ物はとくに、気分によって味が左右するものです。
そんな言い方で怒鳴られたら、いくらうまいものだってマズくなっちゃいますよ。

そんなアホな商売をやってる経営者や店主は、どうか店の表に書いていてほしいですね。
『ウチは気に入らない客には売りません』とか、
『あんまり挨拶はできません』とか、
『ウチにはアホな店員しかいません』とか、
『素人の客は来なくていいです』とか、
『店員同士でおしゃべりしてる時は邪魔しないでください』とか
『ウチは道楽でやってるから、買ってもらっても”ありがとう”とは言いません』とかね…。
そういうのが好きな客だけを相手に商売してください。そうじゃないと、ほんとに困るんです。
勘弁してほしいんです。僕は腹立たしさに泣きたくなります。
「そんな店は二度と行かなきゃいいだけじゃん」と言われるかもしれませんが、その時の労力と時間、経費、そして壊された気分は、それこそもう二度と元には戻らないのです。
それから、「そんな店はいずれつぶれるよ」という気やすめもよく聞きますが、なかなかどうして、業種によってはテキトーなことやってても、逆に儲かってたりするんですよね。
そんな世の中が悔しいじゃありませんか…!

自分勝手な商売をするのは自由ですが、人に迷惑がかからないようにしてほしいです。
善良な客が間違って入店しないように、ぜひともその点くらいは気をつかってください。
それができないんなら、客商売なんかやめなさい。向いてないから。
他のことで稼いでください。
そんな連中を喰わすために僕が嫌な思いをするなんて、どう考えても理不尽ですからね。
そういえば昔、渋谷の円山町あたりで『暴力団関係の店』というふうなプレートを貼った店を見かけたような記憶があります。今日書いた論点から申しますと、その店はなかなかすばらしいと思います。堅気の商売人も見習いなさい。

顔見てガッカリ

2005-10-26 20:07:31 | 客商売
今、体が、長時間椅子に腰かけていられない状態なので、ブログが滞っています。
と、言っても、大病をしているというわけではありませんので、ご心配なく…。

僕が最近気に入って、ちょくちょく訪れていたウェブに、先日管理人の顔写真が載ってた。
それを見てショックを受けた。
以前から、文章のはしばしに高飛車な匂いを感じてはいた。それに、そのウェブはネット販売をやっているのだけど、かなりハゲしいぼったくりなので、ちょっと距離を置いたほうがいいかな、とは思っていた。
でも、ブログ全体の雰囲気は悪くないし、ほかではなかなか扱っていないテーマや商品なので、完全には縁を切りかねていた。
しかしそんなおり、その人の顔を見て、「ああ、なるほどな…」と合点が行く思いがした。

今の時代、ネット上でぼったくろうとしても、簡単に”合いみつ(合い見積もり)”を取れるから、そんなことなかなか出来るもんじゃないと思う。
でもそのウェブは、ある商品を東急ハンズの値段の2倍以上の価格をつけてシラーッと売っているんだから、こりゃあ、意図的に、というよりは、きっと”天然”なんだろうな、と感じていた。
そんな感じが、その人の顔に出ている…。

ほんと、ガッカリだ。
はっきり言って、その人はどうしても好きになれないタイプ。
顔だけじゃなくて、そのポーズとか表情など、詳しくは書かないけど、僕にとっての嫌な感じがビンビン伝わってくるのだ(顔や体の造形的なことを言っているのではないので誤解なさらないように)。
商売じゃなかったら、また見方も違ってくるかもしれないけど…。
あ、そうそう。そのウェブショップが扱っている商品について、メールで問い合わせたんだけど、「忙しいから、お待ちください」などと言っといてそれからずっと回答がない。そのくせ、しょうもないウェブの更新はしっかりやってるんだよね…。
そんなことやる暇があったら素早く回答してよこせば、もしかしたら僕が買うかもしれないだろう? それなのに商売っ気がないと言うか…、いや、それは客商売としての常識が欠けてるってことだと思う。そんなところにも、”天然”な感じがビンビンなのだ。
ほんとはそんな人からは買いたくない。でも、そのウェブショップに、ほかでは買えないものがあるんだよなあ…。

世の中には多いですよね。
「あんたが顔を出さなきゃもっとイメージが良かろうものを」
というような会社。
僕がまっ先に思いつくのはAPAホテルの社長だなあ…。

『いらっしゃいませ』

2005-10-14 03:00:18 | 客商売
注意)またまた店員批判です。

僕はよく店員を批判しているけども、それは僕が店員の立場を経験したことがあるからということもあろう。
自分が店員だったから甘くなるのではなく、店員だったからこそ辛い評価になるのである。
僕はかつて、自分自身の評価に耐えかねて店員を辞めた。
僕が思い描く店員像からは遠くかけ離れていたから、お客様に迷惑になると思ったのだ。
辞めた理由はほかにもあるけれど、それもひとつの大きな要因である。

ところで、以前から不愉快に感じているのは、入っていっても「いらっしゃいませ」の挨拶もない店だ。ルンルン気分で買い物に来ているのに、出ばなをくじかれて気分が悪い。
(なかにはジロリと睨むようなやつもいる…)
これがけっこう多い。
入店した時に限らず、店内で初めて出会う店員は客に対して挨拶をするべきだと思うのに、やはりそれをしない。
僕はこれが不思議でならない。
店は客に来てもらおうと、そして商品を買ってもらおうと入り口をオープンにしているわけだろう?
そこから客が入ってきたら、挨拶をするのがあたりまえじゃないだろうか?
プライベートでだって、招いた客が入ってきたら挨拶をするはずだ。
それなのに、ましてや商売だというのに、無言というのは無礼すぎる。

確かに店員の立場からすると、「人の敷地に入ってきといて、客だって挨拶がない」という理屈も成り立つかもしれない。それも一理ある。
しかし大勢として、商取引では客のほうが立場が上だとする慣習があるのだ。

仮に商売じゃないとしても、「人が入ってきたら反応する」という自然な行為がなされないというのは、これは面倒くさがっているか、意図的に無視していると受け取るしかない。
だから余計に腹が立つのである。
客に慣れきって、なおざりにしているのなら許せない。だから気に障るのだ。

なかには、「お客さんに自由に見てもらいたい」とか「真剣に品物を見ているのに声をかけると気をちらしてしまうんじゃないか」とか思っている店員もいるかもしれないが、その状況に合わせた挨拶の仕方というものがあるはずだ。また、「こっちが挨拶したって客は無視するじゃないか」という不満も含めて、客というのは見てないようでいて背中で店員のことを見ているものである。それを心に留めておいてもらいたい。同じ客が、いい接客にはいい客になるし、悪い接客には悪い客になる。

ずっと若い頃は、店に入って挨拶がなかったら、嫌味に「いらっしゃいましたあ!」と大声で言ったりしたこともあった。
最近ではあんまり不思議だから、たまに直接尋ねたりしている。「なんで客が来たのに挨拶しないの?」と、ストレートに訊くのである。
正味、咎めて言ってる場合もあるし、ほんとになぜなのか訊きたくて言う時もある。
一度など、「レジに商品を持ってきた時に挨拶をする」と答えたやつがいた。
そいつも突然で深く考えてはなかったろうが、それだと「金払う人だけが客だ」という理屈になってしまう。僕のように、「この店、挨拶もないから気分が悪い。買うのやめた!」って人間もいるというのに…。

しかし、挨拶をしたらいいのか、というと、そうも言えない。
やはり、その中身にもよる。
僕が違和感を持っているのが、「ご利用ください」という掛け声。
販売員の間では、定番の決まり文句のように広く使われている言葉だ。
「利用」とはなにか、というところから引っ掛かる。
例えばエキサイトの辞典によると、
(1)物の機能・利点を生かして用いること。また、単に用いること。
(2)自分の利益になるようにうまく使うこと。手段・方便として用いること。
とある。
つまり、単にその場で物を購入することに対して、「利用」という言葉はあてはまらないはずなのだ。
仮に小売店を「利用」するとすれば、キャンペーンとかセール期間を「利用」するという意味でない限り、それはその店を気に入り、長期的に何度も訪れる状態を指している。
しかも、「利用」というのは、その店の利点を認めることだから、客の側の視点で判断されるべきことである。それを店側が呼びかけるというのは、不遜というかおこがましいというか…、まったくもって妙な話なのだ。
いや、これが2、3人が使っている言葉なら、こんなふうにこまごま言ったりはしない。
高級ブランド店からスーパーの鮮魚コーナーのオジさんまで、とても多くの販売員が、便利に、あたり前のように使っているから気になってしまうのだ。

しかし、最近もっともひどいと思うのは、私語の氾濫だ。
今の連中が始末が悪いのは、「私語が良くないもの」という認識がないということだ。
なんで私語が良くないかというと、店は客のためのスペースだからである。これは単純明快なことだ。
以前は、私語するやつは、総合的に質の悪い店員だった。ところが最近では、私語以外の部分ではきちんと仕事をこなす者が意外に多い。これは明らかに意識的な問題であり、育った環境や教育など、根本的な部分を元凶としているので、なかなかに難しい。
折に触れ書いていることだけども、そういった店員を教育し直す経営者や上司の存在も、劇的に薄れてきた。

今日書いたようなことが気に入らない、できない人は、店員をすべきではない(個人的にはそう思う)。
嫌な客が多いというのは、僕も経験上うんざりするほどよく知っている。でも、だからといって客を嫌うような人は店員に向いていない。正直言って(客はもちろん店の経営者、まじめにやってる同僚の)迷惑になるから、その仕事は辞めたほうがいい。
店員は本来、高度な職業である。それなのに社会的地位は低く、賃金も安い。この点では、経営者の責任もあるのではないか。待遇が悪いからこそ、質の悪い店員が集まるのだ。

将来ますます店員の質は下がっていくだろう。
買い物に行って、いつも気分を壊して帰ってくるのはうんざりである。
ろくでもない店員に接客されるくらいなら、いっそ全部自動販売機かロボットのほうがマシだ。

よろこんで!

2005-08-03 22:09:56 | 客商売
居酒屋なんかで、注文した時に「よろこんで!」と応える店があるでしょ?
最近、そのフレーズが流行ってる、って感じだ。
むっつりしてるよりは、それはマシだけど、僕はあんまり好きじゃない。
だって、そもそも「よろこんで承りますよ」というのは、例えば一般的には受け付けないサービスを行う場合とか、こっちが無理を言っている時に返ってくる言葉のはずじゃありませんか?

『ふだんの半分の納期でお願いできない?』
『分かりました』
『悪いね』
『いいえ、よろこんでやらせていただきます』

こういう会話のなかで使われるものじゃないの?
いや、それだってかなり同等の関係じゃないと言えないかもね。

僕ら、居酒屋で無理言ってますか?

『生ビールと枝豆、それから揚げだし豆腐』
『はい、よろこんで』

あたり前のことじゃねえか。
あなたがたの日常業務でしょう?
上等なことしてるわけじゃないよ。
なんか恩着せがましくて嫌だな。
一見へりくだっているように聞こえるけど、とても不遜な響きを持ってる。
単純に、ありがとうございます、でいいんじゃないの?
「よろこんで」って、感謝の言葉じゃない。
中途半端であいまいだ。

それに、短絡的にほかの居酒屋との差別化を計ろうって経営者の気持ちだけが浮かびあがって、ぜんぜんホスピタリティなんか感じられやしないんだよ。
薄っぺらい経営戦略ですよ。
しかも、ふだんそんな言葉なんか言いつけてない若造が使うから、よけい不自然。

ミステリーショッパー!

2005-06-16 16:17:55 | 客商売
今日(というか、たった今)、テレビでミステリーショッパーなる職業があることを知った。
外食産業やリフレクソロジーサロンなど、接客を業務とする企業(たいていはチェーン展開している大手)が、自社の店舗で適切なサービスが行われているかどうかを調べたい場合に、このミステリーショッパー(覆面調査員)に依頼するのだ。

何十にもわたる項目が対象となる。
例えばレストランならメニューの見やすさだとか、掃除がいきとどいているかとか、汚れた灰皿を替えてくれるか、商品説明はしてくれるかなど、あたり前だけど日常の業務に埋没して気づきにくい部分も含まれている。
内部のスーパーバイザーやマネージャーが行うのとは違い、現場のスタッフには何も知らされず、客を装って覆面調査員として潜入調査するので、より正確な状況が把握できる。
番組でとりあげられていた調査会社は代表以下(かなり若そう)、調査員30名を抱え、外部のモニターにも調査を依頼している。
得てして身内びいきになったり、感情に流されがちだったり、現場スタッフ同様に盲目的な内部調査に比べ、さすがに客観的で要点を抑えた、プロとして確立された仕事をしている。

僕はこれを見て思わずヒザを打った。
これこそ僕にぴったりの仕事なんじゃないか、そう思ったのである。
個人としてレストランなどに行く時、数限りなく目にとまり、気に障り、うんざりさせられるその店の短所、欠点…。
そういう天賦の才能(?)に加えて、接客業や広告、デザインの仕事で培われた視点をもってすれば、けっこう優秀な調査員になれるんではないか…!
僕はいつもこの性格でイヤな目にあってきた。結果、店員を怒鳴ったり、その上司にクレームつけたりと、気分を害することばかりだった。一緒にいる妻にも迷惑をかけてきた。楽しい時間が台無しになった。
でも、そんな面が役に立ちそうな仕事があるとは。
たぶんこの会社の代表も、そんな人物だったのだろう。
僕と違ってすごいのは、それをビジネスに結びつけたということだ。マイナスに捉えて暗くなってるばかりでなく、発想を変えると道が開けるものなのだ。…まあ、そこがむずかしいところなんだけど。
僕を雇ってくれないかな…?

ただ、楽しい仕事とは言えないだろう。店舗スタッフにはスパイのように思われて心証が悪いだろうし(この代表はその点もうまくフォローしていた)、腹の立つ従業員を大勢目の当たりにしないといけない。
僕がやるとしたらしょっちゅうカッカしていないといけなくなるだろう。代表はそれでもそれなりの収入があるのだろうが、雇われだとたいした給料はもらえまい。
でも、そこの代表の言葉から察するに、この人は消費者の立場からクライアントに提言したいと考えているようだ。先ほども書いたように、おそらく自分が利用する側でイヤな思いをした経験があり、しかしそれを改善する術がない。だから彼はコンサルティングに形を変えて企業に改革を促しているに違いない。

しかしながら、その会社の調査結果をもとに実際に改革を行うのは当の企業であり、そのへんの頼りなさも垣間見える。
そうした調査を外部に依頼する、という発想は前向きの姿勢と言えるが、果たしてそれを生かすことができるかどうか?
人の意識というのはなかなか変えることは出来ないし、経営者となるとプライドや年齢的な部分でもなおのこと難しい。
番組に登場したクライアントを見ても、「ああ、このスーパーバイザーや店長の下では、どんなことをしたっていい店は作れないだろうな」って感じの人もいた。まず経営者が人事での見極めができるかどうか、これが根本にある課題だ。
アルバイトを含め、現場にいい人材を確保するのも大変だ。最近は、そもそも人間として基本的なことが身についていない人が多いから。
調査がムダにならなきゃいいんだけど…。

あ、それから、番組中で「ホテルのようなサービス」という比喩があったが、ホテルが必ずしもいいサービスが出来るとは限らない。ひどいホテルもたくさんあるから。

※参考記事

 皿が汚い
 ディズニーは僕を苛立たせない。(巨大な写真が出てくるのでビックリしないでね)

あの事件…。

2005-05-02 15:40:38 | 客商売
尼崎の脱線事故…。
ああいうのはこれからどんどん起こると思うよ、悲しいけれど…。

利益至上主義、というか、儲けることしかその方法を知らない経営者と、ぼうっとして使命感も常識も精神力もない従業員。こんな人たちが運営しているんだから、結果は見えてる。
僕は以前は、些細なことでだけど、店や企業にクレームをつけることが結構あった。『クレーマー』じゃないよ。出来ればクレームなんかに時間を取られたくない。でも、許せない場合があるんだよ。そんな時、きちんと謝れるやつなんかひとりもいやしない。クレームつけたあとで、気持ちよく帰ったためしがない。だれも仕事に責任を持っていないんだ。ただ、自分のゼニのためにやってるだけなんだよ。経営者から末端の従業員までね。

かなり前に、最近レストランの食器が汚くてどうしようもないって書いたけど、今回の事件と本質は同じだと思う。
規模の違い、人命に関わるかどうかの違いだけで、そのメカニズムは変わらない。

僕は不思議なんだけど、例えば三菱自動車の欠陥かくしの件にしても、今回のJRにしても、利潤をあげるためには客の命なんか二の次だっていう企業に対して、なぜか国民は甘いんだね。
自分の愛する人がそんな連中に殺されたら、僕だったら何するか分からない…。愛する人よりも、法律とか社会秩序のほうが大切かい?

いや確かに、理性を乱さずに対処する遺族の態度を見ていると、人間としての尊厳を感じるよ。体の内側にどれだけの怒りを押さえ込んでいるか分からないけれど、筋道を立ててJRの職員を叱責している。

そんな彼らを尊敬はする。
でも僕だったらそうはいかないな…。
僕はあんなに強くない。
きっとJRの社長が弔問なんかに来たら、無傷では帰さないだろうね。
(でも、そのためにほかの遺族に迷惑をかけてしまうんだね、僕は)
あ、そうそう、テレビで映ったんだけど、社長か会長にくっついていたガタイのいいやつ…、あれはきっとボディガードだと思うよ。
詫びに来といて、きっちり自分のガードはしてあるんだよ。殴られる覚悟もしてないんだよね。
「運が悪かったなあ」くらいにしか思ってないんだね。

皿が汚い

2005-01-20 13:53:41 | 客商売
最近、飲食店が汚い。
美容院も同様である。
いや、すべての業種でその傾向は強い。

昔は、店長がわざわざ教えなくても、スタッフは掃除をした。
年齢が高い人ほど、率先してやっていた。
おばちゃんなど、
暇さえあればそのへんを拭いていたものである。

ところが今は、目もあてられない。

ほんの5、6年前までは、飲食店で食器が汚れていることなど、考えられなかった。
仮にそんなのに当たってしまっても、交換してもらえればきれいなのが来た。
それが、今では汚れていない食器が出てくるほうが
である。
文句をつけていたらきりがないし、だいいちムダなのだ。
「きれいにする」という意識がかけているのだから…。

どうしてこうなったんだろう…?

バブルを経て、日本国民は、恥や謙虚さなどの美徳を忘れた。
そしてアメリカの粗野なグローバル・スタンダードを真に受けて、富を築くことが人生の至上命題となった。
その後、泥沼の不況となり、
なりふり構わず金儲けに奔走しはじめる。
企業は、経済観念の形成される以前の若年層にターゲットを絞った。
子どもたちはおとなにチヤホヤされ、妙な特権意識を植えつけられた。
”若さ”という最も不安定な特権である。
子どもは大人の言うことを聞かなくなった。当然だ。「自分たちのほうが偉い」からだ。
たまに、そういう状況を憂慮した大人が忠告したりすれば、彼らはキレる。
大人は
および腰になり、子どもをしつけることを放棄する。
だから、今、子どもは不幸である。
だれも、しつけてくれない、教育してくれない。
飲食店などでアルバイトしている子どもたちも、掃除することなど誰にも教わっていないのだろう。

バブル時代に職場で能天気に過ごしていた新入社員が、今現場の責任者として働いている。
そんな連中が、何も知らない子どもを使っているのだ。
彼らは子どもに嫌われたり、キレられたりするのを恐れて、教育する義務を怠っている。
上役というものは本来、部下に
嫌われてナンボだったはずなのだが。

マイナスの要因が二重にも三重にも重なっている。

ディズニーは僕を苛立たせない。

2005-01-20 11:56:00 | 客商売
僕が以前、センスのないもののサンプルとして、よく挙げていたのが”ディズニー・ウォッチ”だ。
ジェラルド・ジェンタなどが100万円を超えるディズニー・ウォッチを作ったりして、「安物」の代名詞ではないけれど、やはり「センスの良いもの」とは言えないことに変わりはない。

しかし、その僕がディズニーランドによく行く。
現在離婚協議中の妻の影響だが、つきあい始めた頃から、東京ディスニーランドには泊まりを含めて何度も行っていたし、新婚旅行はロサンゼルスで、もちろんディズニーランドにも数泊した。数年後にはフロリダのディズニーワールドにも行った。不仲になって、ここ2、3年、僕は足が遠のいていたが、世界のディズニーテーマパークをまたにかけて(ディスニーランド・パリは不便だし不評なので行っていないが)、のべ20回は訪れているだろう。

たぶん、嫌いな人は、
「わざとらしい」「偽善的」「(着ぐるみの)中に入っているのは人間じゃないか」
などという理由で受け入れられないのだと思う。
もちろん好きな人だって、着ぐるみの中味がスタッフだということは重々
承知している。
しかし、そんなことは頭から消し去って、夢とファンタジーの世界にひたっているのだ。
ディズニーの作為的(言葉は悪いが)な夢と魔法に、身を委ねられるかどうかの違いなのである。
そして、その世界にひとたび入れば、現実世界では「センスのないもの」だったのが、見違えるように素晴らしい舞台装置として輝きはじめるのだ。

近年はイラク攻撃とユニラテラリズムの
アメリカを嫌い、まさにアメリカの象徴と言えるディズニーを嫌う向きも多いのかもしれない。しかし、ディズニー・ファンは現実から逃避しているマニアばかりではない。その点はきちんと線引きをして楽しんでいるのだ。

僕がディズニーランドに親しみを感じ、夢と魔法を享受できるのは、企業としての理想型を体現しているからである。
一般的に、小売り業にしてもサービス業にしても、「顧客第一主義」をかかげながら、その実、企業は利潤をあげることが第一命題になっている。もちろん、企業だから利益を追求するのは悪いことではない。しかし、それだけが客に強く伝わってくるのだ。
ハゲタカのように、自分の財布だけを狙っている相手に、なかなか心を開くことはできない。
そのあたりのことをディズニーは感じさせない。
もちろん料金は高いし、経営者レベルではいろいろとドロドロとした部分も見聞きするが、ひとたびディズニーランドに赴けば、そんなことは忘れさせてくれるのだ。

ひとつにはスタッフの意識に依るところが大きいと思う。
スタッフ自身がディズニーを愛し、そこで働くことに誇りを感じている。来園者のイメージを損なわないよう、自身もディズニーの愛と魔法を演じているのだ。その、心からのホスピタリティが、客に歓びを与えている。
客を相手にする企業にとって、もっとも大切な部分だが、これがなかなかできない。
おおかたの経営者が従業員にそのようにふるまえと要求する。だが、それは
ムシのよい話と言わざるを得ない。まず、自分が従業員から愛される会社を作らないといけないのだ。
ウォルト・ディズニーはそれをやり遂げた。そして、その精神が東京ディズニーランドにも受け継がれているのだろう、しかし…。

ここまで賛辞に終始してきたが、僕はそれでは終わらせない。
実は、今日書いたのは以前のディズニーランドに対しての賛辞であって、現在その
神話は崩壊の危機を迎えている。
近年、ディズニーランドに足が向かない理由は、妻との不仲ばかりではない。東京ディズニーランドに関して言えば、質が確実に落ちているからである。
「コストの削減」というウォルトの理念からかけ離れた状況もその遠因ではあろうが、スタッフの質が悪くなっているのだ。以前はまったく見られなかった私語するスタッフもよく目にする。仕事への愛情が感じられない人間が、夢と魔法の国を浸食しはじめている。
これはとても憂慮すべき状況である。

しかし、もっと
情けないことには、それでもまだ、ディズニーランドが日本でもっとも優れたホスピタリティを提供する企業である、という事実だ。そのことを想うとき、余暇の過ごし方を逡巡していた僕は、やはりディズニーランドに足を向けるのである。