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犬の眼

『日記』卑しさから清浄なることまで

失業中の僕の頭に浮かぶこと

2010-03-20 20:39:53 | 過ぎ去りし日々

未だ失業中の身だ。
そろそろ二年にもなる。
ブログなんて書いてる身分じゃないのは自覚しているが、就職活動にも望みが薄い(…いや、望みは、限りなく無きに等しい)。いきおい、パソコン依存症気味の怠惰な毎日に陥っている。
生産的なことはいっさい、やっていない。

金(かね)の工面(早い話、借り入れだ)も万策尽きて、今後のことを考えると恐怖しか湧いてこない。

こういう状況にあって認識したのは、意外にも僕はかなりの楽天家、それも相当無責任な楽天家であるということ。
(“能天気”と言ったほうがよいのか)
ふつうの感覚の持ち主なら、ここまで追いつめられれば、いやでも行動を起こし、日々の糧を得る努力を始めるだろうと思う。たとえ自分の意にそぐわないことでも…。

ところが僕は、返すあてのない借金であっても、とりあえず生活費が工面できているうちは、安穏としているのである。
これは、自分で客観的に見ても、おかしい。
感覚が尋常じゃない。麻痺してるとしか思えない。

そして、金が途絶えたいま、呆然としている。

抑うつ状態になっている。

じつは、この状況は以前にも経験したことがある。
数年前に同じ状況になり、その時は家族の援助によってもちなおした。

同じ失敗をくりかえしているのだ。
どうやら…というより、まぎれもなく、僕はこの世界で実生活を営む能力に欠けている。

抑うつ状態と言っても、うつ病などといったような病気じゃない。
病気の人は、能力がないわけではなく、病気だから能力が発揮できないだけだ。
僕の場合、もともと能力が備わっていない。

前回のうつ状態の時は、自分でもうつ病などの精神疾患を疑ったりもしたが、家族から経済的支援を受け、借金の悩みが晴れたとたん、うつはきれいさっぱりなくなった。
文字どおり、肩が軽くなった。
“肩の荷が下りる”というのは比喩表現じゃない、と思った。
現実に、肉体的に、肩が軽くなる。

ようは、金の問題なのかもしれない。

でも、僕には金を稼ぐすべがない。
肉体的にも、精神的にも、ひどくぜい弱で、何の技能も持っていない。
すべての元凶はそれだ。
もちろん僕自身から起こっていることなのだ。

誰かから再び援助を得ることも、望めない。
僕の家族は、金持ちではないのだ。
ほかに頼る人もいない。

抑うつが、深く重くなる…。



そんなときにふっと頭をよぎるのは、幼いころの記憶であるかもしれない。
それも、具体的な記憶ではなく、漠然とした断片…。

例えば、
家にこもりきりの日々のなか、暗い室内から、ふと陽光のあふれる戸外をのぞき見る。
光が、空気を柔かな橙色に輝かせている。
対比するような空の青。
その光の温度、匂いが、僕の脳内をめぐり、幼児だったころに感じた同じ温度、同じ匂いの記憶をさぐりあてるのだ。
その瞬間に僕は、生まれ育ったふるさとの家に帰る。

またべつの瞬間には、カーテンから漏れる西日が、幼い頃、家族との外出のおりにバスのなかで感じたのと同じ日のように思える。

屋根や地面を静かに叩く雨音も、僕を子どもの頃にひきもどす。

風の匂いが、裏山をのぞむ庭にたたずむ少年の僕を思い出させる。

これらは、僕自身が感傷ぶってわざわざあぶり出している記憶ではない。
ふとしたはずみに、ぽんと出てきてしまうのだ。
頭のなかからこぼれ落ちるように僕のそばに現れ、僕をハッとさせるのだ。

じつを言うと、僕は故郷にあまり芳しい記憶はない。
対外的にはかなり早い時期から孤立した少年で、いわゆるいじめをうけたことこそあるが、楽しく大事にしたい思い出など数えるほどしかない。
そればかりではなく、夢想的なところもあり、どこか別の世界に出たいという気持ちが強かった。そしてそののち、現実に故郷を捨てた。

しかし、それから10数年たって、自分自身も、在郷の家族ともにさまざまな出来事を経て、年もとり、いまこんな状況にあると、故郷が自分にとってまたべつの意味を帯びてくるのも確かである。

ただ、両親が離婚し、生まれ育った家にはいまは誰もおらず、僕が精神的なよりどころとできるふるさとというものは、現実世界には存在しなくなった。
だから、いま異郷の地でときおり噴出する記憶の断片をつなぎあわせようとして現在のあの場所に戻ったとしても、その記憶を現実のものとして完成させることはできないのだ。


そうなると、ますます記憶の断片にすがるしかない。
今度は僕自身が意図的に記憶の入口にあるドアをこじ開けて、古くて暗い部屋をまさぐっている。

可笑しいことに、今ろくな食生活ができず日常的に空腹の状態だからだろうか、食べ物の記憶がまっ先に見つかる。

“おばあちゃんのおはぎ”
いまは亡い祖母の、手づくりのおはぎが美味しかった。
子どもの草鞋くらいあるかと思うほど大きい。小さい頃の記憶だから誇張されているのかもしれないが、とても食べでがあった。
つぶが原形をとどめているもち米。あんこは甘すぎず、手でじかにつかんでもくっつかない程度の硬さだけど、乾燥してはいない。
絶妙なおはぎだった。
でも、誰ひとりその味を継承する人がいなかった。嫁である僕の母も受け継がなかった。
自分でも何度か作ってみようとしたが、だめだった。
売っているものは、まったく、あの味にはほど遠い。
つまりは、もう二度と食べられない、ということ…。

甘い物の思い出なら、何年か前にここで書いた大判焼き(東京でいう今川焼き)がある。
これは、郷里の商店街の甘味店で売っていたもの。
僕が世界一おいしいと思っていた大判焼きだ。
僕が小さい頃には、愛想の悪い、ムスッとして恐いオヤジが焼いていた。
最近帰郷した際に久しぶりにのぞいてみたら、やはり愛想の悪い、ムスッとした男が店をやっていた。
でも、昔いたオヤジとは違う。
その男も、“オヤジ”と呼んでいい年齢だと思うが、昔いたオヤジがそうであったような、畏怖と信頼をこめた“オヤジ”という呼称は、似つかわしくない感じの男だった。
話をしたわけではないが、職人カタギを感じられなかった。
その証拠に、その男が焼いた大判焼きは、世界一の大判焼きではなかった。
もう二度と、世界一の大判焼きは食べられない。

その店がある商店街は、僕が生まれた地方都市の中心部にあるのだが、家からはかなり離れていて、行くのに路線バスで1時間近くかかった。
そのため、年に三回、学校の休みに行けるだけだった。
その地方でいちばん大きなデパートがあり、そういう“華やか”な場所に行くために、小さい頃の僕はよそいきのきれいな服を着て帽子をかぶり、真新しい靴を履いて出かけるのだ。
僕は乗り物酔いがひどかったが、それでも毎回わくわくして出かけたものだ。
田舎のバス停で待っているところからがもう楽しみのうちで、20分前に行ってバスを待った。
バスに乗っているあいだも、車窓からいろんなものを見て楽しんだ。
大人になったいまなら、単なる移動手段として以上に感じることはあまりないと思うのだが、当時は遊園地のアトラクションにまさる楽しみだったのだ。

車窓から望む風景のなかで、妙に印象に残っているのが、とあるビルである。
そのビルは現在は壊され、あとにはマクドナルドが建っている。
僕と弟は、「もうすぐデパートにつく目じるし」として、そのビルを覚えていた。
ブロック塀のブロックをくりぬいて枠だけにして積みあげたような、あまり見かけない外壁だったから記憶に残っていたのだ。格子模様になったブロックのすき間から、その内側にある窓が見えかくれしていた。
そして、●●物産という看板が、ビルの横にくっついていたように思う。
社名をネットで調べてみたら、いまも現存するようだが、ウェブサイトに当時の写真などは載せていなかった。
検索してみても、そのビルの画像は見あたらなかった。

最近、なぜかそのビルの姿が頭にうかんで離れない。
縁もゆかりもない会社の、何の変哲もないネズミ色のビルが、幼い頃の思い出に結びつくと、大切な記憶の映像になるものなのか。

いまの僕の状況…
唐突に現れる記憶の断片…
記憶の部屋に残された思い出の数々…
現実にはもう二度と目にすることのできないそれらの画像を、僕はどんな思いで眺めればいいのだろう。

全国漫遊

2007-04-22 13:15:12 | 過ぎ去りし日々

以前、自分が行ったことのある都道府県を、感想をまじえて書き出してみたことがあるが、東日本だけ掲載してそれきりになっていた(何ごともおしまいまでやらないのが僕の悪いクセ…。前回の中村錦之助の記事もその1でとまってる…。今日書こうと思っていたのですが…)。
感想まで書いているとけっこうな時間を要するので、毎度おなじみの”困った時の箇条書き”で、今回は全国を書き出してみようと思う。

記号の意味は、
◎ は現在居住するところ。
○ は宿泊までしたことのあるところ。
▲ は宿泊はしてないが、通過しただけを含めて行ったことのあるところ(上空、海上は除く)。
▲? は行ったことはあるのは確かだが、宿泊したかどうか覚えていないところ。
× は行ったことのないところ。
? は、失礼ながら、行ったかどうか覚えていない、定かではないところ。
(もし、記号が文字化けしていたらご容赦ください)

北海道○
青森県○
秋田県▲
岩手県○
山形県○
宮城県○
福島県○
新潟県○
群馬県○
栃木県▲
茨城県○
埼玉県▲
千葉県○
東京都◎
神奈川県○
山梨県○
長野県○
静岡県○
富山県▲
石川県○
福井県○
岐阜県○
愛知県○
滋賀県○
三重県×
京都府○
奈良県▲
和歌山県×
大阪府○
兵庫県▲
鳥取県○
岡山県○
島根県?
広島県○
山口県○
香川県▲
徳島県▲
愛媛県×
高知県×
福岡県○
大分県?
佐賀県?
長崎県▲?
熊本県▲?
宮崎県×
鹿児島県○
沖縄県○

◎ 居住するところ=1都
○ 宿泊したことのあるところ=28道府県
▲ 行ったことのあるところ=8県
▲? 行ったのは確かだが、宿泊したかどうか覚えてないところ=2県

(とにかく行ったことのあるところ=計39都道府県)

× 通ったこともないところ=5県
? 覚えていない、定かではないところ=3県

どうでしょう?
僕は仕事で出張することは無かったから、学校での旅行か、個人旅行である。
けっこう行ってる?

日本一の味

2006-04-16 01:22:38 | 過ぎ去りし日々
僕が「太鼓焼き」と呼んでいる、平たい円筒形の焼き菓子は、ほかにも「回転焼き」「大判焼き」「二重焼き」「巴焼き」「義士焼き」「太鼓饅」「文化焼き」「大正焼き」「復興焼き」「自由焼き」「夫婦まんじゅう」「御座候」など、いろいろな呼び名があるらしい。最後の「御座候」は、そのお菓子を売っているチェーン店の名前にもなっている。
追記 考えてみるに、もしかすると逆で、店の名前がお菓子の名前として広まったという可能性もある
でも、東京地方では…、ひるがえって、東京が情報の中心地となっている現在の日本では、「今川焼き」というのが標準的な名称として使われているようだ。
神田今川橋あたりで作られはじめたからだそうで、これはまたホントに、東京”マター”な語源である。
そこが正真正銘の発祥地かというと、かなり疑わしいものだ。
その反発もあってかどうなのか、僕が住んでるのは東京郊外だけれども神奈川県に近いし、下町からは遥かに離れていることもあってか、あまり「今川焼き」と言ってるのは聞かない。だいたい「大判焼き」として通っているようだ。
でも、僕なんかからすると、「大判」というのは”大判、小判”の大判だろうから、その形からして違和感がある。大判なら楕円形であるはずなのに、たいてい”大判焼き”は、正円である。
そんな細かいところにこだわっているわけではないにしろ、僕としてはやはり、「太鼓焼き」がしっくりくる。子どもの頃から馴染んでいる呼び名だ。できれば、「たいこ焼き」と、ひらがな表記のほうが、柔らかそうでより良い。でもここでは、「太鼓に似ているから」という、数ある呼び名のなかでも、最も納得できる由来に鑑みて、漢字表記にしてみた。

僕の田舎(故郷)は西日本の都市だけれども、その街の中心に位置し、わりに歴史の古いと思われる商店街のはずれのほうに、小さな太鼓焼きの店がある。
そこの太鼓焼きが、日本一うまい(ということは、必然的に世界一?)。
この商店街は、地元では一番大きな百貨店と、そこに附設されたバスステーションを中心にして伸びているが、おそらく元々は、その大判焼きの店があるあたりから発展したのではないかと想像される。そこそこあか抜けている百貨店周辺と比べ、その店の周辺は、かつては繁栄していたものの時代に取り残されて、いまは昭和の残り香漂う商店街になっている。でもそれが、懐かしい、いい感じを醸し出してもいる。
幼い頃、その一角に間口の狭い店舗を構えるこの店の前を通るたび、頑固そうなオヤジが、恐い顔で菓子を焼くのを遠巻きにして見ていた。
奥にはテーブル席…、といっても、昔の食堂などにあるような、質素なテーブルが2つばかりあって、太鼓焼きのほか、夏場などはそこで色とりどりのシロップたっぷりのかき氷を食べられたりしたらしい。今で言う”イートイン形式”である。でも、僕はついにそのテーブルで食べることはなかった。オヤジが怖かったから、ということもあるかもしれない。

上京してからも、日本一うまい太鼓焼きの味は忘れられなかった。
冒頭に書いた御座候をはじめ、よくスーパーやデパートに入っている店の大判焼きも食べたが、まったく足もとにも及ばない。ひどいのになると、皮が生焼けに近かったりする。太鼓焼きとして、まったくの別物だ。
(チェーン店ではなく、本格的な太鼓焼き屋を知っていたら教えてほしい。味くらべをしてみたい)
僕が日本一と太鼓判(笑)を押す太鼓焼きは、白あん、黒あんとも、最高に美味い。ちょっと柔らかめでトロリとしていて、甘すぎず薄すぎず、何個でもいける。ところが、それにもまして皮が絶妙の焼き加減で、大げさに言えばあんは皮のうまさを引き立てる脇役だと思えるほどだ。太鼓焼きに限らず、たい焼きなども、美味いものは皮が美味い。
ちなみに僕は白あん派である。
確かに、ノスタルジーとくっついて、その店は僕のなかで特別の存在となっているのだろうけれど、決してひいき目に見ての評価ではないと思う。

でも、数年前にその店を訪ねてみたら、オヤジの姿は見えず、オバちゃんが店を仕切っていた。
昔もオヤジのそばにオバちゃんがいたような気がするが、同じ人かどうかは分からない。
オヤジは隠居したか、もしかすると亡くなったのかもしれない。…それはそうだ。僕がほんの小さな子どもだった頃から”オヤジ”だったのだから、存命していたとしてもかなりの高齢だろう。
ひとつふたつ買って、近くの河川敷で食べてみた。懐かしいふるさとの味…、それ以上に、”日本一”の太鼓焼きの味…。
しかし、僕の期待と喜びは、一気に萎んでいった。
味が変わっていたのである。
…いや、もっとはっきり言うと、味がおかしかったのである。
焼き具合は、まずまず以前と遜色なかったと思う。でも、決定的に、致命的に、味が変だった。
うまいとか、まずいとかいう問題ではない。
その太鼓焼きは、”オバちゃん”の味がしたのだ。
これは「おふくろの味」などという、比喩的な、あったかい表現なんかではない。
文字どおり、オバちゃんのような味、つまり、化粧水か、ハンドクリームのような味がしたのだ…。
これは気のせいじゃない。
それが証拠に、僕はガックリきて、暗鬱な気分になってしまった。
ことは単に太鼓焼きの問題にとどまらない。僕の子どもの頃の想い出…、ふるさとへの郷愁、お気に入りの味への期待…。そんなものが崩れ去っていったのである。
二度と帰ってこない味、二度と甦ることのない想い出…。

僕にとっての日本一の味は、だからすでに存在しない。
あれから数年経つけれども、職場のオバちゃんが差し入れてくれた手作りのお菓子をもらって食べてみたら、やはり少し化粧臭かった…、そんなことがあって、そのことを思い出したのである。
そして、ちょっと涙が出そうになった。
ああ、僕はそこまであの味と、その向こうにある想い出を愛していたのだなあ、と気づいたのである。

(そのオバちゃんたちは、手を洗わずに食べるものを作るのかねえ?)

静かなとき

2005-12-07 00:01:12 | 過ぎ去りし日々
国際線の旅客機のエコノミーの客室。
穏やかなエンジン音だけが聞こえる暗い客室で、スクリーンに映し出された地図の上を、簡単なグラフィックで描かれた飛行機が、現在の飛行位置を表して時々進んでいるのを眺めるのが好きだ。
地図の地名が日本語表示になったり英語になったり、たまに飛行速度や、外気温度の表示画面に切り替わったりする。
映画やニュースの放映の時間になっても、イヤホンをしなければ音は聞こえない。
空(くう)に浮かんでいるという認識がそうさせるのか、まったく面識も何の関係もない多くの人たちが周りに座っているにもかかわらず、無音の画面が脈絡もつかめずにぱかぱかと変わっていくのを見るとはなしに見ていると、かえって意識が自分という人間に向いてくる。
するといきなり照明がついて、客室乗務員が、飲み物や食事をサーブするために、唐突に動き始める。
急に客室内の空気がかき乱されて、乗客ひとりひとりがエゴイスティックな臭気を上げはじめる。なぜだか気恥ずかしいような気がする瞬間…。

ハワイとか、南国のリゾートの、まだ暗い早朝がいい。
夜は、昼にも増して開放的な風や、こわいくらいの満天の星がすばらしいけれど、漆黒から青紫色になった空が、木々やホテルの建物をシルエットとして浮かびあがらせる、そんな時間が好きだ。さえた空気と、静寂の中に一日の始まりを告げるような、優しく潤んで無垢な鳥のさえずり。遠くには波音。
愛する人をベッドに残して、そっとラナイに出て、シャリ感のある生成りのファブリックをカバーにした柔らかい椅子に腰かける。
それからしばらくは、何もせずに自分もシルエットになって、波と鳥の声を耳にしながら、空気の色が変わるのを感じているのだ。

私が訪ねた都道府県 その1

2005-11-13 15:14:54 | 過ぎ去りし日々

●北海道
…夏、妻と東京から車であてどない旅に出て、最終地は札幌でした。函館、札幌、小樽と、それぞれ一泊。札幌の街には失望しましたが、北海道は初めてで、感慨深いものがありました。

●青森県
…上記の旅の際、青森から連絡船に乗りました。帰路には、津軽海峡は大荒れでした。青森駅近くにホテルをとって食事に出かけましたが、すでに街は閑散としていて、しかたなくチェーンの居酒屋で一杯だけやりました。

●岩手県
…上記の旅の際、盛岡駅前に一泊しました。駅地下で買ったハラコ飯弁当が意外においしかった。いま思えば、南部鉄瓶を買って帰れば良かったな…。

●宮城県
…妻と新幹線で冬の仙台へ。青葉城などを訪れました。噂に聞く牛タンはやはり旨い。巨大な繁華街の中でビートルズをテーマにしたクラブを発見。ジョン・レノン似のマスターが作るパスタが、これが驚きの掘り出し物。二泊めの宿は松島にとって、遊覧船に乗り、瑞巌寺を訪問。松島は日本三景というけれど、正面に発電所の建物が見えてガッカリ…。夜は雪見の露天風呂。

●秋田県
…ドライブ旅の途中で通っただけ…。男鹿半島や白神山地にも行ってみたかったけれど、またの機会に…。

●山形県
…昔、妻との旅で、パンフレットだけを見て箱根に旅館をとったら、そこが最悪…。腹立ちまぎれに雪を見たくなったので、つぎの朝そのまま新幹線に乗り、山形へ。防寒の用意もないままロープウェイに乗って、スキー客でにぎわう蔵王の頂上に昇りました。妻はひざ小僧が出てた…。寒くて死にそうでしたが、耐えられたのは若さゆえでしょうか…。

●福島県
…山形とはべつの冬、妻と新幹線で会津若松へ。鶴ヶ城などを巡りました。その後、喜多方へ移動してラーメンを食し、またまた雪が見たくなって山のほうへ向かう電車に乗りました。途中、名前も知らない山村に降りて、雪の中を歩きました。そしてまた電車に乗り、新潟へ抜けました。

●茨城県
…妻との別離が決まり、ふらっと車を走らせたのが茨城。有名なフェラーリのショップをのぞいたあと、鯉ヘルペスの騒動も冷めやらない夜の霞ヶ浦へ。暗い湖面でした…。海沿いの道を水戸まで足を伸ばし、ホテルをとりましたが、ガラの悪い連中がたむろしたりしていて、水戸には失望…。僕が最後に訪れた三代名園、偕楽園も色あせて見えました。とりあえず黄門様に挨拶…。

●栃木県
…妻の家族と日光へ日帰りドライブ。いろは坂、東照宮、華厳の滝などを初めて訪れました。東照宮はすばらしいが、かなり商魂たくましい印象…。権現様はどう思っているのか…。宇都宮の名物はもちろんギョーザ、そして知る人ぞ知るカクテルの街。どちらも味わってみたいのですが、まだ未体験です。

●群馬県
…軽井沢へドライブの途中の、特徴的な山並みが目に焼きついています。一度榛名山へ向かったのですが、渋滞していて途中で引き返しました。北軽井沢から抜けて、草津温泉の方へドライブしたこともあります。でも、自分があまり好きではないとはいえ、なんで妻を温泉に入れてやらなかったんだろう、と悔やむことしきり…。

●埼玉県
…旧浦和市に知り合いがいたので、一度車で行ったことがあります。ジョン・レノン・ミュージアムがあり、行かなきゃとは思うのですが、なかなか足が向きません。

●千葉県
…東京ディズニーランドには、泊まりも含めてけっこう足を運びました。それ以外だと、アウトレットモールへ一度、仕事で幕張(だったかな…)へ一度行きました。社員旅行で、川崎から船に乗り、九十九里まで車で行って一泊したこともあります。それから、海外旅行の際にはもちろん、成田空港から発ちます。海外旅行でなくとも、旅客機好きの僕は2回ほど空港見物に行きました。隣接している航空科学博物館にも行ったことがあります。

●東京都
…現在住んでいる所です。上京する以前には、一度東京見物に泊まりがけで来ました。ポール・マッカートニーのコンサートを見るために来たこともあります。しかし考えるに、僕は東京の良いところをまったく堪能できていないと思います。

●神奈川県
…僕の住む場所は、都心よりも神奈川に近いので、しょっちゅう行きます。…というより、これまで仕事も神奈川が多かったので、毎日通っているようなものです。僕が本やDVDなどをよく買い物に行くのも、神奈川県内にある小さな(閑散として静かな)ショッピングビルです。

●新潟県
…福島県に旅行した時、喜多方から電車で山を越え新潟に行きました。街には雪はありませんでした。伊勢丹や原宿ラフォーレがありました。東京にいても感じるのですが、新潟と東京は、けっこう親密なつながりがあるような気がします。ほかには、北陸方面へドライブの途中、2度ほど糸魚川あたりを通ったことがあります。

●富山県
…能登へドライブした時、行き帰りに通っているのですが、夜だったためにほとんど印象に残っていません。もったいない話です。

●石川県
…夏、東京から妻とドライブ旅行で訪れました。金沢では兼六園、金沢城のほか、風情ある古い街並を歩きました。9月に入って東京は涼しくなっていましたが、金沢は暑かった…。『ゴリ押し』の語源となっている魚、ゴリの唐揚げや、治部煮、いしるなど、郷土料理に舌鼓を打ちました。ビーチを車で走ることのできる『なぎさドライブウェイ』を通ったり、日本海の荒波を見ながら輪島の手前で道を折れ、夜間、富山湾に沿って南下しました。

●山梨県
…よく中央自動車道や甲州街道を下って車を走らせていたので、何度も訪れた県です。四方津という町にあるスーパーの寿司が、そんじょそこらの寿司屋よりもネタが大きくて新鮮で、脂がのっていて最高に旨いので、何度かそれを買うだけのために(ドライブがてらですが)出かけたことがあります。ただ、今は担当者が変わったのかコスト削減か、ネタが小さくなって、味もガクッと落ちてしまったのでもう行きません。

その1おわり。
その2以降は、また機会を見て…。

夜は怖い。

2005-09-22 16:38:40 | 過ぎ去りし日々
何年か前に妻とふたりで、能登半島を金沢から抜けて北へ、海岸沿いにドライブしたことがある。
砂浜を車で走行できる『千里浜なぎさドライブウェイ』などを経由して、夕暮れ時に輪島の手前で引き返し、今度は富山湾側を南下、富山を抜けて新潟方面へ日本海に沿って走った。
最終的には糸魚川あたりで南に折れて、真夜中の白馬などを通過しながら、明け方東京へ戻ってきた。

輪島を出てから、どこか良さそうなところがあったら食事するなり、泊まるなりしようかと思っていたのだけど、貧乏旅行に加えて神経質なものだから、例えばたまたま通りかかった和倉温泉に飛び込みで宿をとるなんてことも難しい。
別の場所で、山あいに国民宿舎を見つけたが、そっけない鉄筋コンクリートの建物は見るからに古びており、ただならぬ雰囲気を漂わせていたのでそこも止すことにした。
東京近郊では考えられないが、地方ではひとたび集落を離れると、もう食事することさえままならない。最初は、「食事はまあファミレスででも…」と軽く考えていたのだけど、とんでもない。
結局、富山の市街地に入るまではレストランどころか、コンビニにさえ出くわさなかった。
やっと見つけたレストランは、今ではドラえもんで有名になったCOCOS。ファミレスって、なんてありがたいんだろうと思った瞬間だった。
ただ、とうとう宿泊することはせず、夜通し車を運転して帰京、という顛末となった。

その行程のうち、どのあたりだったかは忘れたが、かなり長い時間、大きな山に囲まれた渓谷に沿って走る道路を通った。山肌に貼りついたように造られた道路で、一方は岩肌、反対側は谷で、必要最小限の幅しかない片側一車線道路。照明もあまり設置されていないし、トンネルや、ところどころ屋根をかけたような形になっているところはとくに圧迫感があって、狭く感じられる。
そんなタイトで暗い山道を、ひたすら走るのである。
どのくらい走ればそこを抜けられるのかも知らない。ライトに映し出される路面を、黙々とたどるだけなのだ。
妻は助手席で眠りに落ちてる。
一本道だから迷う心配こそないとはいえ、ひとり、とてつもなく大きな暗闇に覆われて、とても心細い。CDプレイヤーから流れる耳になじんだビートルズの歌声だけが頼りだ。
ほかの車はほとんどいないのだが、ルームミラーの奥にライトが映ったかと思うと、たいてい大型トラックなのだ。僕は急かされるのは嫌だし、スピードを出すのも苦手なので、荒っぽく追い立ててくるトラックが現れるたびに、退避用に広くとってある路肩を見つけては停まり、やり過ごすのである。
対向するのも同じく大型のトラックばかりで、狭い道を、電飾をつけた軍艦のようないかつい車体が轟音を立てて迫ってくるので、お互いそれぞれの車線に収まってはいても、すれ違う時は体が縮こまるようだった。
だから、心細さが紛れるというよりも、また別の神経を使わされてくたびれるのである。
そして、その巨大な存在感と轟音が過ぎ去ったあとの静寂が、いっそう恐怖感をひきたてるのである。

***

また別の時のドライブでは、山間の知らない街で道に迷い、どんどん山の中へと入っていってしまっていた。
気づいて、慌てて引き返したのを覚えている。
またある時には、お昼の遅い時間に思い立って軽井沢へ出かけ、帰りは真っ暗な中、碓氷峠を通ったのだが、これまた真っ黒な山に吸い込まれていくようで怖かった。
夜空にぼうっと浮かぶ山の影は怖い。大きな山であるほど、その恐怖感も大きい。
まるで、その内側にありとあらゆる業と欲と怨念を内包してうねっているかのようである。
ちなみに、海も怖い場合があるが、山ほどではない。海はある種の高揚感を与えてくれる。
水で言うなら、怖いのは湖だ。とくに人工湖は、情念のようなものを漂わせている…。

僕はいったい、何を怖がっているのだろう。
人間が暗闇を怖れるというのは、本能的なものらしい。
中学生頃まで住んでいた田舎には暗闇が存在していた。しかしそこを転出して以降、もちろん東京へ来てからは、灯りのある夜にすっかり慣れきってしまっていた。
久しく暗闇になじんでいないものだから、それでふとまた暗闇に放りこまれると、堪えがたいほど恐怖を感じるのだろうか。
それはどういう種類の恐怖か?
僕は死後の世界とか霊魂とか、妖怪変化や百鬼夜行などといったものは、そんなに信じていない。
でも…、正直言うと、「信じたくないから信じない」というほうが正しい。実は4割くらいは信じているんだと思う。
だから、暗闇や鬱蒼とした森の奥に、そういったものが潜んでいる気がするのである。

もうひとつは現実世界の恐怖。
暗くて人のいないところには秘密や悪が集まる。犯罪を呼ぶ。
ドラッグの密売、殺人、死体遺棄、強盗、暴行、などなど…。
そんな現場や、そういう連中に出くわすことへの恐怖だ。

また、車だとそうでもないけど、歩いている時なら熊などの野生動物との遭遇も恐怖の対象となるだろう。
まあ、僕の場合、単なる歩行者が車のライトに浮かんだだけだってドキッとするんだから、ひと一倍恐怖に過敏なのだろうなあ。
そして、恐怖というのは自信の無さ、つまりは、その対象物や事象に対処する能力がないことに起因していると思うから、このままだと僕は永久に怖がってなきゃいけないということだろうな。

ご当地ソングを口ずさむ

2005-07-25 02:22:09 | 過ぎ去りし日々
日本を旅する醍醐味は、地酒、郷土料理に舌鼓を打ち、方言を聴き、景色を見て街を歩きながら、ご当地ソングを口ずさむことだね!

まあ、僕はサンタモニカでも桜田淳子の『サンタモニカの風』をモノマネまじりで唄ったし、リバプールのストロベリーフィールズの門の前で、ザ・ビートルズの『ストロベリーフィールズ・フォーエバー』が脳裏をよぎったのも確かだけど、あるいは、幻のニューヨーク旅行の前にはクリストファー・クロスの『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』やビリー・ジョエルの『ニューヨークの想い』を口ずさんでたけど、それらは”ご当地ソング”というニュアンスとはかなり違うわね。

ご当地ソングと言えば、やっぱり歌謡曲とか演歌だよね。

…と、言ったそばからフォークソングを例に出して申し訳ないんだけど、僕が上京した頃は、よくカラオケで、マイペースの『東京』を歌っていました。
矢沢永吉の『東京』もレパートリーだったけど、マイペースの『東京』は歌詞も良くて、これがまたメロディと合ってて、とても切ない感じを出してた。
『東京へは もう何度も行きましたね 君の住む 美し都』
その一節を聴いただけで、遠く離れた人を想うはり裂けそうな気持ちが伝わってくるよ。
しかもこの場合、東京に住んでいるのは女性のほう。『木綿のハンカチーフ』とは逆のシチュエーションだ。”花の都”に住む彼女を想う地方の男性…。なんか、切なさがさらに増幅するようだよ。

夜の横浜では、いしだあゆみの『ブルーライトヨコハマ』かな。
五木ひろしの『よこはまたそがれ』の時もあるけど、どちらにしても現在の横浜には、ちょっと合わないような気がする(政治家や開発業者はその土地のカラーを消してしまい、どこも画一的な街にしてしまうからな。丸の内、六本木、秋葉原なんかもそうだよな)。

横須賀なら山口百恵の『横須賀ストーリー』だ。横須賀は通り抜けたことくらいしかないけど、あまり歌のような雰囲気は感じられなかった。
でも、伊豆の天城に行った時には、石川さゆりの『天城越え』が止まらなかった。浄蓮の滝を目の当たりにすると、気分も最高潮。あの曲は本当に名曲だね。

名曲と言えば、竜鉄也の『奥飛騨慕情』も負けていない。東京から奥飛騨を抜けて能登半島までドライブした時、ハンドルを握りながらこの歌をうなっていたよ。
『風の噂に 一人来て 湯の香恋しい 奥飛騨路』
音に歌詞が自然に乗っかっていて、ひと言ひと言が胸にしみる…。確か、竜鉄也が失明する以前に目に刻んでいた情景を歌ったものだ。その記憶をたどりながら丁寧に歌っているから心を打つんだね、きっと。
今の演歌には、こんないい曲ないよ。

演歌じゃないけど、仙台ではさとう宗幸の『青葉城恋唄』でキマリ。
松島へ足を伸ばせば、民謡の『斉太郎節』。小さい頃に、父親に教えてもらった唄だ。
『松島の サーヨー瑞巌寺ほどの 寺もないとエー』
という瑞巌寺にも行きました。人なつっこいのら猫がいたよ。

さらに北へ飛んで、青森から函館へ渡る船へ乗る時は、これも石川さゆりの『津軽海峡冬景色』。
僕が行ったのは夏だったけど、やっぱり頭に浮かぶのはこの曲しかない。
それが函館山が見えてくると、北島三郎の『函館の女』に変わる。
『はるばる来たぜ 函館へ』
その歌詞がピッタリ。だって、東京から車で来たんだもの。初めての北海道だもの…!
そして、札幌にも行った。
ここでは石原裕次郎の『恋の町札幌』。ちょっと前時代的ではあるけど、ロマンティックな歌だよ。
ところが、歌詞に出てくる時計台はビルの谷間、ロイヤルホストの向いにあり、ススキノの交差点には改造車に乗ったヤンキーがたむろしていた。札幌には旅情をかきたてられていたのに、ひどい失望だ。
気を取り直して翌日行った小樽では、裕次郎の『北の旅人』を歌ったよ。

東京ではあまり演歌を聴く人がいないね。
僕もとんと聴かなくなったけど、こうして思い起こして見ると、自分のなかに演歌の素養がかなり根づいていることに気づかされる(今はいっぱひとからげに言われるが、『ブルーライトヨコハマ』はもちろん、裕次郎の『恋の町札幌』なんかもホント言うと演歌じゃない)。
演歌が売れなくなったのは時代の変化もあるが、うまい歌手や、いい曲が生まれなくなったからということも大きいだろうね。まあ、それについてはニワトリと卵の論争になってしまうかもしれないけど…。
売れない演歌だけど、ご当地ソングだけは、少しはいいみたいだ。
やっぱり人の心に響く何かをそなえているんだろうなあ。

私の知らない人々4

2005-06-07 22:52:27 | 過ぎ去りし日々

前回から引き続き、フロリダはディズニーワールドのテーマパーク、MGMスタジオでのひとコマ。
ユニークなおぐしの彼(よく見ると若そう)の背景は、不気味にそびえるトワイライトゾーン・タワー・オブ・テラーの威容である。

トワイライトゾーン・タワー・オブ・テラーは、フリーフォール型のアトラクション。
パーク外からでもよく見える建物なので、僕はワールド内を行き来するバスの中からそれを見るたび、怖気をふるっていたものである。

彼を写真の中で見つけた時、僕は一瞬、ジョン・リスゴーかと思った。
そういえば、映画版『トワイライトゾーン』にジョン・リスゴーが出ていて、ハゲしい演技を見せていた。
やはり彼は、リスゴーなのか…?

ニノニノニノニノニノニノニノ……

おなじみのテーマ曲が脳裏に流れてくる(分かりづらい?)。

乗った際に記念写真を買ったのだけど、フリーフォールが苦手な僕の顔は、ぶざまに歪んでいた。

今年始めに東京ディズニーランドに行った時に、モノレールの中から、ディズニーシーに大きな建物を建設しているのが見えた。
その形状から、「もしかして…」と思ったのだが、先ほど調べてみたら案の定、来年シーにトワイライトゾーン・タワー・オブ・テラーがオープンするらしい!
だから興味を持った方は、行って体験してみてください。

(ジョン・リスゴーはいないと思うけど…)

でも、なんだな…。
トワイライトゾーン・タワー・オブ・テラーは、海とは何の関係もないぞ。
もともとオリエンタルランドは、アメリカのディズニー社から、映画のテーマパークを作るよう勧められていたそうだ。
ところがオリジナリティを重視して作ったシーの人気がいまいちだったので、それ見たことかと、このアトラクションの採用が決まったということだろうか…。
海のテーマパークというのはコンセプトは悪くないのに、ちょっと中途半端だったかもしれない。インディ・ジョーンズのような、海と関係ないアトラクションがいっぱいだし、海そのものがテーマのカリブの海賊が、既にディズニーランドにあったりする…。
今後もフロリダのようにパークを増やすつもりなら、貧乏臭いことをせずに徹底してテーマで分けなきゃダメだねえ。

私の知らない人々3

2005-06-05 02:49:28 | 過ぎ去りし日々

舞台はふたたびフロリダのディズニーワールドに戻る。
MGMスタジオという、映画をテーマにしたパーク内の、インディ・ジョーンズ・スタント・スペクタキュラーというアトラクションへ向かう通路でのひとコマ。
このアトラクション、ライブショーとなっており、生身の俳優が演じている。
飛行機が炎上したり、ジープが転倒したりと、映画そのままのシーンが、舞台上で繰りひろげられるのだ。

東京ディズニーランドでは、人気アトラクションは開園と同時に先を争って観客が押し寄せる。
目当てのアトラクション目指して一斉に走り出すのが、毎朝お決まりの風景だ。
このアトラクションも、そのつもりで僕らは息を整え、時間を待っていた。
そして開場。ロープが外され、僕と妻は一目散に駆け出す。なかなかの好スタートだ。
しかし、ふと我にかえり、ふりかえって見ると、誰も走っている人などいない。
それどころか、あわててかけてゆくふたりの東洋人を、ぽかんとした顔で見送っている。

そう、フロリダでは誰も走らないのだ。
けっこう年配の人が多いし、ゆったりと休暇を楽しんでいるのに、なぜせっかちに走り回らないといけないのか、といった感じだ。

僕らも安心して、走るのを止めた。
日本ではめったに味わえない、列の先頭だ。そこでパチリと記念撮影。
振り向きざまに妻を撮ったのだが、その後ろに大勢の人がいてびっくりした。
しかし、もっと驚いたのはその人たちのほう…。
フラッシュを焚いてしまったので、眩しかったに違いない。左側のおじさんのメガネに、くっきりとその光が残っている。その表情にも困惑の色が浮かんでる。
後方のおばさんも、ちょっとムッとしているように見える。
…大変失礼しました。

彼らはいったいどこの誰で、このとき何を思っていたのか…?
(『人の目の前でいきなりフラッシュを焚くとは、失敬なやつだ』と腹を立てたか?)
それを知る術は、もうどこにもない。
ただ、この写真がここに存在するだけである…。

私の知らない人々2

2005-06-04 19:33:38 | 過ぎ去りし日々

連絡船のデッキで海峡の夕焼けを撮った写真だが、その中央にたそがれるオジさんの姿が…。シャッターを押した時にはまったく気づかなかった。

帽子(?)を握りしめ、沈みゆく太陽を見つめるオジさん…。
その身なりと、船内にいる乗客の傾向からすると、トラックの運転手さんと想像される。
僕らは乗用車で乗り込んだが、船倉には多くのトラックやトレーラーが積まれていた。

7月の津軽海峡でのひとコマ。函館に向けて、つかの間の船旅である。
彼の脳裏をよぎるのは、望郷か、旅情か、哀切か…。
「函館の女(ひと)」か、それとも「津軽海峡冬景色」か…。
(季節が違うけど)

彼はいったいどこの誰で、このとき何を思っていたのか…?
それを知る術は、もうどこにもない。
ただ、この写真がここに存在するだけである…。

私の知らない人々1

2005-06-04 01:38:19 | 過ぎ去りし日々

人が死ぬまでに撮る写真というのは、いったい何枚くらいになるのか?
数百枚、数千枚…、著名人になると、人によっては数万枚の写真を残すのではないだろうか。
デジタル化やカメラ付き携帯の普及など、現代ではますますその数を把握しにくくなっている。

僕の人生で最もその数を増やしたのは、かつて妻と何度か海外旅行に出た時で、平均するとそのたびに300枚近くの写真を撮っている。
国内もよく旅したし、それ以外に日常のスナップ写真を含めると、彼女と知り合ってからの数年間に限っても、おそらく3000枚程度のストックがあると思われる。

これが多いのか少ないのかは分からないけれども、僕がふと思ったのは、その写真のなかに、図らずも映りこんだ見知らぬ人の数も、かなりのものではないかということだ。
そこで、これから不定期のシリーズとして、その見知らぬ人たちにスポットを当ててみようという企画を思いついた。
題して『私の知らない人々』。

初回はこの人。
フロリダのディズニーワールドのなかの、アニマルキングダムというパークでのひとコマ。
この企画を思いつく、きっかけとなった人物である。
実はこのすぐそばに僕が立っているのだが、ほぼ同等のスペースを占領していて、よそ見している僕よりも、よほど余裕の表情でカメラに微笑みかけている。
「あなた、だれ?」
その理不尽な存在感に、思わず問いかけたくなるような笑顔だ。

彼はいったいどこの誰で、このとき何を思っていたのか…?
それを知る術は、もうどこにもない。
ただ、この写真がここに存在するだけである…。

ソフト帽と私

2005-05-09 20:41:16 | 過ぎ去りし日々
時間があるので、ある方のリクエストにお応えして、僕が所有しているソフト帽の画像を掲載する。
ロンドンに、「背広」の語源になったとも言われるサビルロウという場所があるが、そこにもほど近いジャーミンストリートという通りにある帽子屋で、15年ほど前に買った品だ。
確か55ポンド(現在1ポンド200円くらい? 当時はもう少し円安だった)だったと思う。
ポーランドのワレサ元大統領みたいなヒゲをたくわえた男性店員が、レトロなスチーム器で形を整えてくれ、きちんと箱に入れて渡してくれた。
接写のできるいいデジカメを持っていないのでボケているが、サテンの内張りに店名と、通りの名前が記され、その下に『MADE IN ENGLAND』と刷りこまれている。
僕は『MADE IN ITALY』と並んで、この表示に弱い。服飾品で『MADE IN ENGLAND』と言えば、堅実さと威厳と品格を感じさせる。
もちろん、かぶろうと思って買い求めたのだが,以前にも書いたように、僕は頭がでかくて似合わないし、現代日本では違和感があるので、かぶって外を歩いたのは専門学校のパーティの時に一度だけである。
もったいない話ではあるが,所有しているだけで喜びを感じさせてくれる一品だ。
ちなみに、ディズニーワールドに行った時に、同じような形のソフト帽をひとつ買った。素材はちゃんとしているし、帽子として機能しているのだけども、実はインディ・ジョーンズのアトラクションのみやげ物。それはそれで想い出の品だが,本来の帽子として見れば、やはり『MADE IN ENGLAND』とは似て非なる物である。

※ちなみに話題にあがった「タキシード」ですが、僕は百貨店の礼服売り場にあるようなタキシードは、絶対に着ません。礼服メーカーが最大公約数を狙って作っているので、形がおじさん臭いんですよ。
もちろん作らなくとも既製服で良いのはあります。やはりバーニーズニューヨークが一番良い品揃えでした。
おととしくらいにグッチでいい感じのタキシードを出していたのですが,あそこのは僕にはサイズがきついです。デザイナーズブランドよりも、イタリアのテーラー系のブランドの方がいいですよ。アメリカのブルックス・ブラザースとかラルフ・ローレンはライセンスものの国産品のはずなので,僕はおすすめしません。
それから、よく昼間の結婚式でもタキシードをお召しになる方(新郎も含めて)がいらっしゃいますが、タキシードは夜の準礼装なので、おかしいなと思います。

フロリダ上空危機一髪

2005-05-08 21:27:36 | 過ぎ去りし日々

2000年2月、ワシントンD.C.からフロリダのオーランドに向かう、ユナイテッド航空の機内。
国際線は平気だが、ローカル線やヘリコプター、セスナなどは、体調によっては酔ってしまう。
この時も、家を出た時点から考えれば、24時間は移動を続けていて疲れている。
ろくな食事もしていないから、胃袋も不満げ。今にも逆襲をしようと身構えているような状態だ。
楽しい旅の空で、嘔吐するなんて無粋もはなはだしい。
しかし、落ち着いた水平飛行ではなく、ローカル線特有の放物線を描き続けるフライトは、僕の三半規管をさらにいじめてくる。
もうだめか、と冷や汗をたらし始めた頃,機内食が出た。
大げさなボックスに入ったそれを開け、食べてみると不味いチーズバーガーだったが、胃袋は何とか機嫌を直してくれて、三半規管をとりなしてくれた。
ふと通路を挟んだ向こう側の席を見ると、客室乗務員と乗客が何やらやり取りしている。
その様子から判断するに、チーズバーガーが足りなくなり、そのお詫びとしてワインのボトルを受けとっているようなのだ(違うのかもしれないが)。
良かった、僕にはチーズバーガーがまわって来てくれて…。
ワインなんぞもらっても、気持ち悪いのは治まらなかったぞ。

昔日の想い出/NBA観戦

2005-05-05 12:50:26 | 過ぎ去りし日々

中央にいるハゲは、ジャック・ニコルソンだよ。
NBAのロサンゼルス・レイカーズのホームコート、ザ・グレート・ウェスタン・フォーラム(現在はホームコートを移ったらしい)で、8年前に撮った写真だ。
画質がザラザラなのは、何倍にも拡大しているから。
彼は、僕が座っていたスタンド席の反対側にいたから、肉眼だと誰だか判別できないくらいだった。
(ニコルソンの左隣にいる人は、なんとなく『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスに似てるけど、別人だから気にしないで)

ニコルソンはレイカーズの大ファンで、ロサンゼルスでの全試合の最前列のシートを確保しているそうだ。
試合の前に、コートの上に天井からつり下げられている得点ボード(?)のオーロラビジョン(?)みたいなやつに、本日のVIP客が映し出され、紹介されるのだけど、ニコルソンが映ると、客席のあちこちから「ジャック~!」と声がかかる。何気ない1シ-ンだけど、僕はちょっと感激しました。
アメリカ人って、何でファーストネームを呼ぶんだろう。しかも、気安く呼び捨てだ。
ジャックもかなりいい歳だよ。
日本で言うと誰が当てはまるのかな。あのキレキャラと、年齢、芸能人としての格を考えると…。
思いつかないけど、例えば中尾彬だとして、観客は「あきら~!」って口々に歓声をあげるだろうか?
ただ、中尾彬はバラエティにも出ているからあり得なくはないかも。呼びやすい名前だしな。
では、佐野史郎ならどうだろう。さすがに「しろう~!」とは言わないと思う。
ジャックは、トレードマークのサングラスをかけて、ニコニコしてましたよ。

ジャック・ニコルソン以外にも、その日はマジック・ジョンソンやデンゼル・ワシントン、タイガー・ウッズも来ていて、デンゼル・ワシントンは見つけられなかったけど、試合見ながらも、そんな連中ふだん生で見る機会なんかないから、一生懸命オペラグラスで見てました。ミーハーだねえ。
マジックは家族連れで来ていたけど、HIV感染のためにチーム内で差別されて引退に追いこまれたと聞いていたので、OBとはいえ、よく観戦に来ているなあ、と思いました。
タイガーは、まだマスターズで1勝もしていない頃で、すごい新人だと騒がれて日の出の勢いだった。ポロシャツに紺ブレを着て、まるで少年のようでした。

試合は、ニューヨーク・ニックスが相手。当時のスター選手はパトリック・ユーイングでした。
レイカーズはシャキール・オニール。でも、その日は確か休みだった。
最後まで気の抜けないすごい試合だったのですが、勝敗がついて逆転が不可能になったとたん、まだ試合は続いているのに、それまで大盛り上がりだった観客が、そっぽを向いてぞろぞろ帰り始めたのには驚いた。せめて最後まで見て、拍手で送ってやれば、と思ったのだが、そこはお国柄?ドライで合理的でした。

想い出写真4

2005-04-30 02:16:08 | 過ぎ去りし日々
フロリダに向けての出発を待つひととき。
免税店でイッセイの『ロードゥ・イッセイ・プールオム』というオードトワレと、シルエットのサングラスを買いました。サングラスは、国内で市販されているのを見たら4万円くらいしていたのであきらめていたのですが、ここでは1万8000円だったので、うれしくなって買いました。
店員の女が、えらく無愛想だったのを覚えています。「無愛想」というより、「不機嫌」と言ったほうがあたってるような感じでした。
僕もあんなところで、旅行に向けて楽しそうに買い物してる客を横目で見てたら、あんな顔になっちまうだろうな、と思います。自分がミジメに思えてくるよ(もちろん、楽しく一生懸命働いていらっしゃる人に他意はございません)。