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犬の眼

『日記』卑しさから清浄なることまで

グラナダ

2010-10-01 14:33:48 | Weblog
秋川雅史のコンサートに行ったことがあるが、その際、彼の“歌唱”ということではなく、楽曲として印象に残ったのは「グラナダ」というスペイン語の曲。

僕は、声楽もクラシックもオペラも、外国の曲にもまったく疎いし、初めて聴いた曲にはなかなかなじめない質なんだけど、その日、お目あての「千の風になって」よりもこの曲が良かった。

(秋川さんはイタリアで声楽を学び、はじめはカンツォーネのCDを出していたのだから、日本の唱歌や歌謡曲よりも、こういう若い時から歌いなれたラテン系の曲をもっと歌ったらいいと思うのだが)

この曲は、1932年にメキシコの作曲家、アウグスティン・ララという人が、まだ見ぬスペインのグラナダを想って書いたそうだ。

この曲を気に入った僕は、YouTubeを利用して、いろいろな人の「グラナダ」を聴いてみた。
(僕はYouTubeとかGoogleとかいうサイトは感覚的に相容れないんだが、ついつい便利さに負けて使ってしまう…)

残念ながら秋川さんの「グラナダ」は見つからなかったけれど、ほかの人たちの「グラナダ」をここでコレクションしてみようと思う。
じつにおおぜいの人がこの曲を歌っていて、ぜんぶ載せていたらきりがないので、今日は僕が6人ほど選んでみた。

まずは、三大テノールと呼ばれたこの方々から…


パバロッティ。


ドミンゴ。
若い時にピアノを弾きながら、という映像もあったのでアップ。
ダンディだね…


若き日のカレーラス。

日本で一般にも知られる三大テノールに続いては…


YouTubeを検索していて初めて知った、イタリア系アメリカ人のマリオ・ランツァ。
彼は1940年代半ばから50年代にかけての映画スターで、この映像は出演映画のワンシーンとのこと。


イタリアの歌手、フランコ・コレッリ。
オペラを知らない僕にとっては、この人も初見。
でも、ここに掲載しようと思ったということは、僕がこの人のどこかに魅かれたいうことだね。


最後に、先日、新聞のコラムにとりあげられていてその名を知った、ドイツの歌手フリッツ・ヴンダーリヒ。
ウィキペディアによると、パバロッティがインタビューで「歴史上もっとも傑出したテナーは?」と聞かれ、この人の名前を挙げているという。
先ほどのマリオ・ランツァも38歳という若さで亡くなっているが、この人も35歳で早世。

めずらしく事業仕分けのことを…

2010-05-08 11:38:39 | Weblog

このブログは、時事の話題はあんまりとりあげていません。
(僕には荷が重いし…)
でも、先日テレビでたまたまニュースを見ていて聞いた言葉が耳に残って離れないので、タイミングはズレましたが、今日書いてみようと思います。


僕は事業仕分けのことはあんまりわかりません。

じつは僕は、そのほか政治全般のこととか、いろいろ…、ニュースを見てるとあきれるやら腹立たしいやらで、もう長いこと真剣にニュースを見ることをやめています。
国民としての責任を放棄していることになるかもしれませんけど…

だから、事業仕分けのことも…、仕分け人で注目されている蓮舫のことも、いいのか悪いのか判断できません。
(かなり性急で粗っぽい仕事をしているな、という印象はありますが…)

でも、科学関係の仕分けのことで、ノーベル賞を受賞した科学者たちが怒っているというニュースは見ました。

僕は科学のこともさっぱりわかりませんけど、自分たちが一所懸命やってることを否定的に言われ、予算を削減されそうなんだから、そりゃ怒るのは理解できます。

しかし…
理解はできますが、誰かが、(おそらく)蓮舫を指して
「科学のことも知らない女の子に口出ししてもらいたくない」
みたいなことを言ったそうですね。

言いたい気持ちはわかるけど、それはいかんでしょう?
国民が選挙で選んだ人間を“女の子”呼ばわりするのはどうかと思う。

それに、国民の多くが(僕のような)“科学のことも知らない”人間なんだと思いますよ。
科学のことも知らない国民を代表して、科学のことも知らない議員が、わけあって科学をやってる人間に質問してるんだから、そんなこと言っちゃいけないんじゃないでしょうか?
かりにもし、科学のことを知ってる議員が仕分け人になっちゃったら、国民の意思が反映されないおそれがあると、僕なんかは思います。
(ほんとうは、科学に詳しい人と、科学を知らない人、その両方の仕分け人がいればいいのかな?)

もし、議員が無礼な口のきき方をしたとしても、それはそれ。怒らないで国民にはきちんと説明してほしいものです。
それが今回の仕分けの意義なんでしょうから。

ことは、科学を否定するためじゃなくて、税金のムダづかいを追及してるんだから、争点がずれてきちゃってますね。

蓮舫ほか、仕分けの人の物言いもまずいんだと思いますけど、科学者じゃなくてお金を扱う立場の役人に対して攻めてるわけだから、それぐらいの勢いがなくちゃ、ケムにまかれてしまうんじゃないでしょうか。
私利私欲で税金を喰いものにされちゃたまりませんからね。
そういうのを防ぐのが、いちばんの目的なはずです。


科学者の方たちも、自分たちの立場だけで考えて感情的にならずに、全体像を見ていただいて、国民感情にもご配慮願いたいと思います。
お金を出してもらうからって、役人寄りになるようなことがあっては困ります。
国民は科学者を責めているわけじゃないんですから…。
どっちかといえば、同じ側にいなきゃいけないんだと思いますけど。
(ほんとにお金を出しているのは国民ですもんね。それに、国や国民の利益のために科学的な研究開発に税金を使ってるはずなんですから)
独立した科学者でいて欲しいなぁと、科学に無知な人間ながら思います。

「科学のことも知らない女の子に口出ししてもらいたくない」
って言葉は、
「科学のことも知らない国民は口を出すな」
って言ってるのと同じですからね。

予想リスト

2010-01-05 20:11:06 | Weblog
※個人の感想を記しております。ご寛容にお受けとめくださるようお願い致します。



僕は、大晦日の“紅●歌合戦”という番組は見ないんです、ふつうは。

ただ、ところどころ、観たい歌手が出てるときだけチャンネルを合わせることはあります。

それから僕は、お祭り騒ぎの“紅●”が終わって、パッと“ゆく年くる年”に切り替わったときの澄んだ静寂が好きなので、“紅●”のおしまいの部分だけはたいてい観てますね、毎年。
あの、“紅●”恒例の、最後にクラッカーみたいなのを「パーン!」と鳴らす、あの音、あれが毎回客席の反応がうすくて、あんまり盛りあがらなくて妙に決まりの悪い余韻を残します。そのあとに“ゆく年くる年”がつづくのが絶妙な感じなんですねぇ、僕にとっては。

今回もまあ、その場面だけは観るだろうとは思っていたのですが、出演者が発表になった時、個人的には“史上最低の紅●”とでも言いたいような、まったく興味の持てない人選だったので(北●三郎とか、嫌いじゃない人もいなくはないんですけど)、その時点で、「中身は観なくていいや」と、早くから決めてしまっていたんです(昨年は大●ドラマも史上最低でしたね)。

僕が小さい頃(70年代から80年代前半ごろ)には、まだまだ納得できる人選であり“紅●”でしたけどねぇ。
当時は、時代的な価値観が“紅●”を国民的番組たらしめていたし、その頃はまだ番組に権威や重みがありましたね。
でも、価値観が多様化した今では、歌手の選考そのものから難しいんでしょう。
それに加えて、制作するN●Kの肥大した体質やら不祥事やら、芸能プロダクションの権力争いやら、そのほかにも宗教団体の影などもちらついている気がして、イメージがよろしくありません。

そんなわけで、大晦日は、
「吉川晃司の昔のライブDVDでも観ようか…」
などと漠然と考えていたのですが、なにげなくパソコンを開いてネットサーフィン(って、もう死語?)していると、驚きのニュースが目に飛びこんできました。

“矢沢永吉、紅●出演決定!!”

しかも、大手のニュースサイトがはっきりと断定しています。
N●Kの発表では名前を伏せて、枠外の“シークレットゲスト”ということなので、「もしかしたら陽水?」というのも頭をよぎりましたが、大手が断定しているということは、N●K側が情報を漏らしているのは間違いないと思われ…と、いうことは…

“紅●”に永ちゃんが出る!!

おおっ、これは一大事!

…ところで、僕が矢沢永吉というアーティストが好きな理由のひとつに、日本の、“いわゆる芸能界”という場所におさまっていない、ということがあります。
永ちゃんはロックの人ですし、“いわゆる芸能界”のシステムの中でチマチマやっているのは似つかわしくないし、それをやらなかったからこその永ちゃんの魅力なのです。
“いわゆる芸能界”でこそ輝く、王道スターの存在というのもあります。そういう人を悪く言うつもりはありませんし、そんなスターのなかにもすごい人がいっぱいいて、僕が好きな人もいます。でも、矢沢永吉は違うんです。どっちが上とか下とかじゃなくて、違うところに棲む別種のスターなんです、永ちゃんは。
だから、僕は保守的芸能界の総本山的番組である“紅●歌合戦”に矢沢永吉が出るというのは、じつは賛成できないという立場でした。

ところが、最近の矢沢永吉は、昔のイメージをくつがえすようなスタイルを提示するようになりました。
僕は、永ちゃんだけをきちんと追いかけてきた筋金入りのファンではないから偉そうなことは言えませんけど、ちょっと離れて見ていたからこそ逆にはっきりわかることもあります。
たとえば、いつも眼光鋭い、こわい顔だったのが、最近は柔和な笑顔でいることが増えました(CMでもそうですね)。
昨年の東京ドームライブでは、ゲストに歌手デビューした愛娘を呼び、デュエットしたそうです(僕は観てませんけど)。そのことを聞いたとき、ショックと言ってもいいほどの驚きを感じました。
昔の永ちゃんなら考えられないことだろうと思います。
ライブ中に、笑いをとるようなMC(おしゃべり)を多く入れるようにもなりました。

だから、60回記念の“紅●”に出演したことも、不思議ではなかったのかな、とは思います。
ほかの59回とか、61回とか、ハンパな“紅●”なら出ないかもしれないけど、自分が60歳になったのとあわせてのタイミングなら、“スペシャル感”みたいなものが出ますから、万一、出るんなら今回で良かったんだろうと思います。

そういえば、早ばやとN●Kが「出演依頼したが期限までに回答が得られなかった」と発表したという報道がなされましたね。
いま考えれば、これがそもそもうさん臭かったんですよね。
「永ちゃんがそんな中途半端なことするかね…?」
ということですよ。断るんならたぶんはっきり断りますよ、永ちゃんは。
一般の人に、「矢沢永吉っていい加減な人」という誤解を与えるようなことをやったN●Kには、ちょっと憤りを感じますね。
(かたや、われらが吉川おニイちゃんは、大●ドラマに出演したにも関わらず、話題にもされませんでしたね。出演依頼はあったのかなぁ…。おニイちゃんが出たら出たで、あの事件以来ですから、これもファンとしてはすごいことだったのに…)

とにかく、“矢沢、紅●出演”というニュースに腰を抜かした僕は、まず何をしたかというと、“歌う曲の予想”です。
“紅●”出演反対派だからといって、「矢沢のファンはもうやめる!」とか、「“紅●”で歌う永ちゃんなんか見てたまるか!」とはならないのが僕のヤワなところ…。
そんな硬派で潔い人間ではないので、永ちゃんが“紅●”に出ちゃうなら、やっぱり観ずにはいられません…!

これがその予想リストです。
(順不同)
止まらないHa~Ha
TAKE IT TIME
チャイナタウン
アイ・ラヴ・ユー,OK
時間よ止まれ
YES MY LOVE
いつの日か
トラベリン・バス
SOMEBODY’S NIGHT
コバルトの空
Sweet Rock’n Roll
アリよさらば

ぜったい3曲はやるだろうと思っていて、そして新曲から1曲必ずやるだろうから、そのほかに、個人的にやってほしかったのが、
『止まらないHa~Ha』か『トラベリン・バス』のいずれか
『時間よ止まれ』だめなら『アイ・ラヴ・ユー,OK』
これは僕の希望。

次に、現実的な予想としては、
『TAKE IT TIME』から始まって、『Sweet Rock’n Roll』じゃなかったら『コバルトの空』、シメは『止まらないHa~Ha』

ベタな予想ですけど、やっぱり、ぜんぜんYAZAWAを知らない人もいるんだから、一般の視聴者には、これぞYAZAWA、というベタなところを見せて、度肝を抜かしてほしいと思ったんです。
『いつの日か』を予想リストに入れたのは、ツアーでやったという情報があったから。僕が観に行った日の武道館ではやってくれませんでしたけど…。
あとはN●Kの“SONGS”やロックフェスティバルなどでやった曲を参考にしました。

永ちゃんの登場は11時過ぎだろうという具体的な予測も出ていましたが、見逃してはいけないので、9時過ぎごろから見はじめました。
しかしやはり予測(というか情報のリークなんでしょうけど)どおりの11時ごろの登場でしたね。

僕はこの登場のしかたが気に入りません。
永ちゃんはべつに悪かないんですよ。
N●Kの演出なのか、それともジャ●ーズの策略なのか…
ジャ●ーズ所属のグループのインタビューを中断する形で矢沢永吉の入場が伝えられたので、ジャ●ーズファンからすれば、
「なんで話の途中で…!」
と、何も悪くないはずの永ちゃんの印象をムダに悪くするような進行だったのですよ。
現にブログにそう書いてるジャ●ーズファンを見かけました。

今年いちばん売れたCDを出したというそのグループにからめて登場すれば、たしかに注目度、というか視聴率は上がると思うけど、でも、お互いのファンにとって、あんまりいい感じはしなかったと思うんですけどね…。
(最後、永ちゃんがはけるとき、ジャ●ーズ所属の司会者が永ちゃんにかぶっちゃって姿が見えなかったし…)

それはそれとして、永ちゃんの“紅●”初出演…
僕は…、出たのなら、YAZAWAらしく、客席もお茶の間(って、死語?)も、かっさらってほしい、かっさらってくれる、永ちゃんはやってくれるはずだ、って思っていました。
永ちゃんを知らない人もぶっとんじゃって、唖然とするくらいに。
ファンのブログなどでは「良かった」という意見が大半を占めているようだけど、そのなかにもちょっと微妙な空気感が見えかくれしていて、なかには「次回の紅白でオトシマエをつけてくれ!」と書いている人も…。

結論として、僕的には、かっさらってくれた、とは言いがたいかな、と…。

まず、白いスタンドマイクで歌うYAZAWAを、国民のみなさんに見せたかった。
(できればマイクターンも…)

それから、曲が2曲というのは、ちょっとキリが悪い。やっぱり奇数じゃないとね、日本では。3曲か5曲というのが普通だろうと思いますよ。

コンサートで聴かせてほしいのにやってくれない『時間よ止まれ』を、“紅●”の舞台でやったのは、うれしいながらもちょっと複雑な気持ち(イントロが流れたときはトリハダが立ったけど)。
放送後、ファンじゃないやつがおもしろがって必要以上にいじってるらしいけど、ずっと歌ってなかった曲だから、歌詞も間違えました。
歌詞を間違えたことは、いつものことらしいし、僕も気にしないんですが(ジョン・レノンもしょっちゅう間違えるからね。ライブどころかレコードも間違えたまま発売されている曲がある)、それよりも、なんか、永ちゃんがすごく緊張して見えたのは気のせいでしょうか。

あのYAZAWAが、“紅●”で緊張するぅ?
(そんなアホな…)
数々のアウェーをきりぬけ、それらのステージで客をかっさらってきた男が?

もし、僕が感じたとおり、矢沢永吉が緊張していたのだとしたら…。
“紅●”はいままで以上の、最強のアウェーだったということなのでしょうか…?

永ちゃんはべつに“紅●”の権威に恐れをなしたわけでもないし、ましてやリハーサルなしのぶっつけ本番だからということで緊張したわけでもないはずだ。
ほんとのところは永ちゃんしか知りえないことだけど…。
ウェンブリー(イギリスでおこなわれたロックフェスティバルに日本から一人参加)も強烈なアウェーだったかもしれないけど、観客はロックファンだったから、YAZAWAを理解する素養があった。
しかし今回は、ロックとは対極にある保守芸能界の殿堂にロックをぶっつけるんだから最大のアウェーかもしれない。だとしたらプレッシャーになってもおかしくない。
客席はおそらくジャ●ーズのファンが多いのだろう。シークレットゲストだから自分を観に来た客はもちろんいない。それ以前に、精神的なよりどころとなるはずの自分の身内やファンにも“紅●”出演反対派が存在するのだから…。
そう考えると、たとえもし緊張していたんだとしても不思議じゃないし、それでもそこへ挑戦するのがYAZAWAであり、その行為はやっぱり“ロック”なんじゃないかと、いま書いていてなんとなく思ったりしてます。
あとひとつ、中継や別のスタジオや録画なんかじゃなく、ちゃんとホールに来て歌ったってことは好感が持てました。
(ちらっと映った客席の反応は、かなりうすいものだったような気がする。これは永ちゃんに限らず、ほかの歌手も一部を除いては、僕が見た範囲ではあまり盛り上がるということがなかったように思える)

もちろん、ジェントリーに歌う永ちゃんも、大人の男の魅力で悪くはなかったけど、僕は“紅●”を観てからずっと、年が明けてからも、「この曲をこういう感じでやってたらどうだったろう…」と、ついつい頭の中でシミュレーション(?)しつづけていました。

もし、仮に今回の“紅●”が、永ちゃんの言う“最初、サンザンな目にあう”だったとしたら、“オトシマエ”をつけるのは、一部のファンが言うように次回の“紅●”なんでしょうか?
今回の“紅●”出演が成功だろうと失敗だろうと、僕は、多くのファンの意見と同じで、二度と“紅●歌合戦”には出なくていいと思いますし、出る必要もないと思います。

俺の高音

2009-12-08 01:58:28 | Weblog



まず、本題に入る前にお断りをしておきます。
僕は、「カラオケ店で歌を歌う」という行為を表す意味での、“カラオケ”という言葉が嫌いなので、このブログでは使わないことにします。
つまり、店舗としてのカラオケ店のことは“カラオケ”と呼びますが、カラオケで歌うという行為を、これからは“カラオケ”とは呼びません。

これは、ただ単に“カラオケ”という言葉の響きが嫌いだからです。

僕はもともと言葉を略すのがあまり好きではありません。たとえばあまりにも略語が浸透しすぎている“テレビ”とか、正式な名称を言うととても長すぎる“メタボリック・シンドローム”などはしかたなく略して使っていますけど、僕はたとえばマクドナルドを“マック(あるいはマクド)”と言ったことはありません。
吉野家を“よしぎゅう”とも言いません。
カラオケは、“空(から)”と“オーケストラ”の二語を足して略した造語です。
ちなみに木村拓哉のことは略して呼びますが、“キムタク”とひと息では言わずに“キム・タク”と、つい二音に分けてしまいます。これは癖です。

そういう略語に対する抵抗感のほかに、“カラオケ”という言葉が、どことなくいかがわしく響くからです。
いかがわしい、というのは、なにも性的な意味あいを言うのではなくて、カラオケ店のその業務形態の閉鎖性とか、酒場から派生したという成り立ちとか、チープなイメージとか、なんとなく不健全な感じとか、その他もろもろの印象からくるものなのです。

これらはもちろん僕の個人的な受けとめ方なのですが、ともかく、このブログでは“カラオケ”という言葉を使うことは極力ひかえようと思います。
かわりに、“歌を歌う”、“歌を歌いに行く”などということにします。
僕は歌を歌うプロではないですから、ことわりのない限り、“歌を歌いに行く”と言えば、自ずと“カラオケ店にカラオケをしに行く”と同義なわけです。

例によって、前置きが長くなってしまいました。
このところ、歌関係の話題がつづいています。いま、歌が僕の一番の趣味、というか、唯一のストレスを解消する手段なんです。
…と、いっても、解消どころか、一時、発散できているかどうかもわからない程度ですけどね。
僕のストレスは慢性的で、根が奥深いですから。

それに、歌を歌うことについての悩みもまた、出てくるものです。
カラオケ店が大嫌い、というのが最大の悩みで、そのことについては前にも書きました。
でも、歌そのものについても悩みがあるんです、もちろん。
前回もそのことについて書きましたから、ちょっと重複しますけど…
まず、肺活量がない。息が足りない、つづかない、ということ。これは声量にもかかわってきます。
つぎに、ヴィブラートができないこと。歌を歌う醍醐味が、そうとう損なわれます。

でも、それらよりも深刻なのは、高い声が出ないことです!
もともとの声が低いからということもあります。
これはキツい…。
だって、歌手が歌う歌って、たいていキーが高いんですから。
近年、若い人の歌はすごくキーが高いのばかりだそうですが、僕が歌うちょっと古い歌だって、プロの歌はキーが高いですよ、一見(聴)そう思えなくても。

僕のレパートリー、吉川晃司だって、低いところもあるけど、高いところはすごく高いですよ。
矢沢永吉も高いところをシャウトします。
井上陽水だって、高い声が出るもんなら歌ってみたいんですけど、むちゃくちゃキーが高い。
子どものころは、風呂場で松山千春の『季節の中で』をよく歌ってたんですが、いまはぜんぜん声が出ません。
(いまの若い人は、子どもの頃からカラオケ店があって、流行のキーの高い曲を歌ってるから、きっと高い声も出やすいでしょうね。うらやましいなぁ)

それに輪をかけて、外国曲はもっと、死ぬほど高い…。
僕が好きなビートルズ。歌いたいけど、高い。
彼らは平然と歌っていますが、僕が歌うととても苦しい…。
(そうそう、歌う、といっても、歌詞はでたらめです。英語できないんですもん…)
ポールのソロ『ひとりぽっちのロンリーナイト』なども歌ってみたけど、撃沈。
ビリー・ジョエルも歌えない。
マイケル・ジャクソンなんてとんでもない。

エルヴィスだって、低い声の印象があるかもしれないけど、初期はかなり声が高いし、かりに声は低くてもキーは高い、という場合もある(そういうのは、裕次郎とかフランク永井とか、ムード歌謡系の人に多いね。あと杉田二郎の『再会』なんて、高いんだか低いんだか、どっちなんだかわかんなくて、歌えない…)。
それに、エルヴィスの場合(というか、5、60年代の曲には)、ずっと低いキーで歌ってきて、最後のクライマックスで、驚異の高音で終わる、という曲が多くて困る。『偉大なるかな神』とか『アメリカの祈り』とか『マイ・ウェイ』とか…。
ほかの人の曲だと、トム・ジョーンズの『007/サンダーボール作戦』の主題歌とか、おなじく007の主題歌ではマット・モンローの『ロシアより愛をこめて』とか…。

高い曲をムリして歌おうとすると、喉が痛くなります。
ただ痛くなるだけじゃなくて、歌ったあとは喉が炎症を起こしています。
ヘンな話、喉の奥から、かすかに血の匂いが鼻腔に伝わってきます…。
あと、ちょっとびっくりしたのは、長時間歌うと首の周辺が筋肉痛になること。運動した時みたいに痛くなります。声帯をつかさどっているのも筋肉だそうで、それが筋肉痛になるんでしょうね。
(歌を歌いに行くようになってしばらくたって、首がほんのちょっと太くなりました)
いま、ちょっと歌うとすぐに声が枯れるのも、ヒデキ的ヴィブラートのせいだけじゃなくて、高い声をムリして出そうとしたからかもしれませんね。
ポリープできちゃったんかな…。

でも、高い歌、歌いたいっ!!

カラオケの機械は、キーの調節ができるようになってますけど、やっぱりオリジナルキーに近いところで歌いたいもんです。
オリジナルキーじゃないと、その曲の良さを減じてしまう気がするんです。
とくにロックやポップスは、キーまでがその曲のオリジナリティの一部だと思うんですよ。だから、キーを下げることは、何パーセントか、その曲ではなくなる、ってことなんじゃないでしょうか。

高い歌を歌いたい、という願望は、高い歌を歌える歌手への羨望につながります。
だから、もともとは僕の趣味の範疇にない、ハードロックやヘビーメタル系の歌にも興味がわいてきました。それらのジャンルのヴォーカリストは、驚異の高音を駆使しますからねぇ、ご存知のように。
まず、耳になじんでいるビートルズの『ヘルター・スケルター』に挑戦しましたが、玉砕。
つぎに、僕が知ってるヘビーメタルということでパッと浮かんだのが聖飢魔llの『蝋人形の館』。でもこれは、曲をよく覚えきっていないので、どの程度の高さの声で歌えばいいのかつかみきれずに断念。

それから、大御所、レッド・ツェッペリン。
じつは正直言って、このスーパーグループのヴォーカル、以前はそんなに好きではありませんでした(ツェッペリン解散後、『シー・オブ・ラブ』をカヴァーしたり、エルヴィスをリスペクトしているらしいというのは意外な感じ)。
あまりにも超絶ヴォーカルすぎてピンと来ないというか…。バンドとしてはけっこう嫌いじゃなくて、アルバムも何枚か持っているんですがねぇ。
でも、高音を出したいという気持ちから、ヴォーカルに再注目してみました。
調べてみると、ヴォーカルのロバート・プラントはかなり早い時期に喉を痛めてしまい、以降はそれ以前に出した曲をオリジナルキーでは歌えなくなったらしい。たしかに『ロックン・ロール』をオリジナルキーで歌ってる映像は、ネットで探した限りではひとつも見あたらなかった。あの人間ばなれした凄まじい高音を聴けば、それもむべなるかな、という感じです。

本人も喉をつぶしたというあの高音、どうやったら出るんですかねぇ…。
…いや、どうやったら、というより、“どこから出てる”んだろう、というほうがいいでしょうか。だって、あんな声、ふつうの人がどうにかしたら出るって類のものじゃないから…。

でも、僕は挑戦してみましたよ、『ロックン・ロール』。

…結果は、って?
聞くまでもないでしょう。歌えませんでした…。
歌えませんでしたが、いろいろ試行錯誤しています、いま。
ものすごく力入れて裏声で歌ってみたりとか…。

あの…、幼稚園とか小学生くらいの小さいころ、金切り声を出しませんでした?
男の子でも、女性の悲鳴みたいな“キーーーーーッ”とか“キャーーーーーッ”とか。
あれをね、出してみたんですよ、35年ぶりくらいに…。
その“キーッ”っていう金切り声が、ロバート・プラント的高音を出すヒントになるんじゃないかと思いましてね。
カラオケ店でやってみました(ほかの場所じゃできないから)。
そしたら、出ましたよ、金切り声! 41歳にして、“キャーッ”って。

…でも、やっぱり子どものころに比べると、なんか突き抜けないんです。
透明にならなくて、白濁しているような感じ…。いま一歩キーが低いみたいなんですよ。

その声を自分で聴いて思いました。
「あの人の声に似てる」
あの人…それは…、
中村福助(9代目)です!
彼は歌舞伎の女形。中村芝翫の長男で、弟は中村橋之助。義兄は中村勘三郎。
舞台では、客席から「きれい…」とため息がもれるほど美しい女形ではありますが、その美形を歪めてちょっと過剰な演技をする場合があるのが玉に瑕(それとも持ち味?)。
一度、劇場から出てくるところに遭遇しましたが、黒いサングラスに黒いスーツを着て、けっこうダンディな印象でした。ところが、ファンがカメラを向けるとサングラスをとり、パッと女形の顔にかわりました。それに、強めの香水の香りも…。

その福助の声に似てたんです。
いくら高音でも、男の僕が歌うんですから、カッコいい男の高音にしたいのに、僕の喉から出たのは女形の声でした。
“福助声”

レパートリー その5 『ヒデキ』

2009-12-05 16:28:22 | Weblog
※ヒデキの熱狂的なファンの方、好意的な意見以外は不快に感じられる方は、読まないほうがよろしいかと思います



以下本文

僕のカラオケレパートリー、今もっともよく歌うのは、吉川晃司と矢沢永吉。

昔は石原裕次郎を中心に歌っていたんだけど、いまは歌えなくなっちゃった…。
裕次郎に限らず、演歌系の歌は、最近、音がとれなくてね…。
昔にくらべるとヴィブラートもぜんぜんできなくなっちゃって、うまく歌えない。
(じゃあ昔はうまかったのかって言われると、そんなことはないんだけど)

なんか、肺活量が落ちた感じ…。
息が思うようにいっぱい吸えなくて、歌うための空気が足りない、という感じなんです。
長いことカラオケに行ってなかったし、ふだんあんまり大きな声も出さないし、そもそも運動してないから呼吸器系が弱くなったのかも…。

そう言うと、「裕次郎よりも吉川や矢沢の歌のほうが肺活量が要りそうじゃん」と思われるかもしれないけど、実際に歌ってみて、裕次郎の歌のほうが歌いにくいんだよな…。
理由はわかんないけど、いうなれば、ロック系の曲は助走をつけて勢いで歌える感じなんだけど、演歌とかムード歌謡系の曲は、助走もつけずに「飛べ!」って言われてるような感じなのだ。
誤解があってはいけないけど、ロックが簡単で演歌が難しい、と言ってるんじゃないですよ。
プロのレベルのことは僕にはつゆ知らないことで、あくまで、僕が僕なりのレベルで、僕なりの歌い方で、僕なりにうまく歌おうとするとそういうことになるんです。
荒っぽいおさめ方かもしれないけど、ロックやポップスのほうが“ごまかしがきく”ってことかな。
もちろん、素人のカラオケレベルの話ですよ。

まあともかくそれはそれとして…。
そのふたりに加えて、曲数は多くないけど、たまに歌うのが世良公則(ツイストの頃の)。
それから、最近レパートリーに加えたのが、ヒデキ。

ヒデキといっても、もちろんマツイでもタカハシでもない(歌手じゃないし)。
僕の世代で…というより、カタカナで“ヒデキ”と書いたら、あのヒデキに決まってる!
そう、さいじょ~~~う ヒデキです!

僕のカラオケレパートリー第4弾は、というわけで、西城秀樹です。
(縁起をかついで、タイトルは“その5”にしました)

だけど、ちょっとその前に…。
僕、このメンバーを書きだしてみて、驚いた。
いま僕がよく歌ってる、この4人の歌手、
吉川晃司
矢沢永吉
世良公則
西城秀樹
この人たちには共通点があります。
わかります? 気づいたあなたはスルドイ!

…ロック歌手?
まあそうなんですが、違います(ヒデキはあまりロックとは言われないし)。

男…?
まあ、男の僕がレパートリーにしてるんですから、ふつうは男でしょうね。

わかりました?

…そう! みんな広島県出身者なんですねぇ!
吉川晃司(安芸郡府中町)
矢沢永吉(広島市)
世良公則(福山市)
西城秀樹(広島市)
だそうです。

僕のカラオケレパートリーのおよそ8割は、広島の血が占めている!

これは不思議!

まったく意識していないのに、この偶然っていうのは…。
個人的にも広島とは縁がないのに。

ただ、僕の故郷は広島に近く、しゃべっている言葉(方言)も似ている。
おニイちゃん(このブログでは吉川のことをこう呼んどります)は「東京へは出稼ぎに来てる」と言ってるくらいだから、しょっちゅう広島に帰っていて、地元のテレビにも出演するのだが、それを(ネットで)観るともう、バリバリの広島弁(安芸方言というらしい)だ。
永ちゃんの場合は、かつて「ションベンひっかけてやりたい」と思っていたほど生まれ故郷に憎悪にも似た感情を抱いていたようだけど、いまだに言葉のはしばしに広島訛りが顔をのぞかせる。
おニイちゃんや永ちゃんが、たとえ言語的には系統がちょっと違うとしても、僕と似たような言葉をしゃべっているというのは、やっぱりうれしいものなんですよ。

…しかし、だからといって、こうまで広島出身者がならぶ説明にはならないし…。
自分と似た言葉を話すからって、カラオケのレパートリーにはしないもんねぇ。
それに、ヒデキが広島弁しゃべってるのは聞いたことがない。
(アイドルがほんとにアイドルだった頃のスーパーアイドルだからね、ヒデキは)
やっぱり、偶然なんですなあ!

西城秀樹がデビューしたのが1972年といいますから、僕はわずか4歳。
74年の『傷だらけのローラ』あたりはなんとかリアルタイムでの記憶があります。
ものごころついたときにはすでにヒデキはスターで、日常的にテレビや雑誌で見てたから、“いてあたりまえ”みたいな…、幼い子どもにとっては、極端な話、近所ですれ違う顔見知りのおばさんと同レベルの…、 “空気みたいな存在”だったと、いま思えば言えるんじゃないでしょうかねぇ、僕の中ではね。
もちろん決してヒデキを軽んじているわけではなく…、“当時最高のスーパーアイドル”という認識は、子どもごころにもあったとは思うんですけど。
たかだか生まれて数年の小さな世界観のなかで、あまりにもあたりまえな既成の存在であったから、その意味とか価値とか、よく理解できなかったんじゃないでしょうか。

その印象はそのあとも尾を引いていて、西城秀樹の存在は、年を経てもやっぱりずっと空気みたいなものだったんだけど…。
ところが…。

なぜか、ふと、
「ヒデキの動画を観てみよう」
と思ったのが、つい数ヶ月前。

世間では、ヒデキというとおおかた『ヤングマン』とか『ギャランドゥ』のイメージになっちゃってるけど、僕は、幼い日の潜在的な記憶が呼び覚ますんでしょうかねぇ、
「ヒデキと言えばローラ。 それと派手なアクション」
なんですよ。古い記憶だからそのイメージは漠然としてはいるんですが、絶対的に僕のなかにあったんです。
だからまず、『傷だらけのローラ』を探して、観ました。

これで僕は驚いた!

率直な感想は、「ヒデキって、すごいっ!!」

ボキャブラリーの感じられない、バカみたいな感想ですけど、ヒデキを言い表すのに理論的な言葉は似つかわしくない。
「すげえな、ヒデキ!」
「ヒデキ、カッコいい!!」
これにつきる。
あと、強いてつけ加えるなら、「うまい」。つまり、歌がうまいってことですね。
でも、うまい、って言っちゃうと、ヒデキから伝わってくるものを、ちょっと冷ましてしまう気がする。ヒデキには“熱”があるからね、“熱情”があるからね、『情熱の嵐』だもんね。

単に、いわゆる“アイドル”と片づけるには、ヒデキは神がかりですらある。
(しかし本来はそういう存在がアイドル)
すごいなぁ、こんなにすごかったんだ、ヒデキは…。
知らなかったなぁ、気がつかなかったなぁ。

歌がすごい、アクションがすごい。
(ウソだと思ったら動画観てみてください)
ほかに僕がヒデキを観て感じることのひとつは、その“顔”について。
ヒデキって、デビューの頃からワイルド(な17歳)で男っぽかったけど、郷ひろみのような美少年じゃあない。
でも、「わあっ、ハンサム!」って感じる瞬間がある。これは子どもの頃から思ってた。
それは、あの髪と口元に秘密のひとつがあるのではないかと、僕は考えた。
あんな、僕なんかのような一般人がしたら絶対うっとおしい長さの髪…。とくに前髪。目を隠すくらいの前髪。ステージアクションの流れのなかで髪が左右に揺れ、それがすごくキマってる。
それから、歌う時にのぞく、白い歯。前歯二本がわずかに大きい。原田真二(この人も広島)みたいにカワイらしくなってしまわずに、ほんのちょっとだけ甘さを加味している。
それらの絶妙なバランスが、ヒデキをハンサムにしてるんじゃないかなぁ。

ところで、最近の西城秀樹をテレビで見ていつも思ってたんだけど…。
病に倒れて、奇跡の復帰をとげてから感じることは、
「病気のせいで、声量を抑えたり、歌唱法を変えたりしてるのかなぁ…」
という、疑問? 失望? 心配? 

でも、ちょっと調べてみたら、故意に抑えているわけではなく、やはり病気の後遺症で声帯にも異状が残っているためらしかった。
ある程度回復してきているようだが、昔のパワーが戻ったとは正直言いがたい。ヒデキに対する期待値が大きいだけに、見るたびにちょっとさみしい気分にさせられる。

それをいちばん顕著に感じられるのが、やはり『傷だらけのローラ』を歌った時だ。
ただ、オリジナルは10代の頃に歌われており、絶唱(または絶叫?)型と言われるような歌唱法なので、いま54歳の西城秀樹が同じ歌い方ができない(しない)からといって、いちがいに衰えと断じるわけにはいかない。年齢や時代に合った歌唱というのがあっていい。
しかしそれでも、現在の西城秀樹がこの曲を歌った時に、「そこは昔みたいに歌ったほしい」と思う箇所がいくつかあるのだ。

たとえば、
♪生命(いのち)も 心も この愛も捧げる
という歌詞のところ。
♪祈りも 誓いも この愛も捧げる
というところも同じ。
そのフレーズの、“いのちも”の“も”や、“こころも”の“も”
を、最近は音を伸ばさずに、「いのち、もぅ」と、立ち消えるように歌ってる。

昔のヒデキなら、力強くヴィブラート(ヴァイブレーション?)を効かせて、
「いのち、もぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
と歌っていたのだ。もちろん、続く“こころも”も、
「こころ、もぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
だ。
(ちなみにフランス語版も同じ部分では強くヴィブラートが効いていました)

ヒデキの、このヴィブラートが最高なのだ。聴いててゾクゾクするくらい。
このヴィブラートこそがヒデキの真骨頂なのだ。

この部分、カラオケで歌ってみるとわかるんだけど、とっても難しい。
とうていあんな力強いヴィブラートなんてかけられないですよ。もう息がいっぱいいっぱいで…。
ヒデキだとその音がいちばん力強いくらいなのに、シロウトとはいえ僕が歌ってみると、ふにゃ~っと、そこがいちばん弱くなっちゃうんです、どうしても。
ほかの歌手(よく知らないけどたぶんプロの)がカヴァーしてるのを聴いてみても、プロでもやっぱりそこは弱い。ヴィブラートなんかできてない。
そこがヒデキのすごいところ! そこがヒデキらしさ。

考えてみると、僕はこういうタイプのヴィブラートを効かせる歌手が好きなんだろうね。
(ビートルズはほとんどノン・ヴィブラートだけど)
クラシックなヴィブラートも気持ちいいもんだし、演歌系のヴィブラートも悪くないんだけど、ヒデキのヴィブラートみたいなヴィブラートが好みにあってるんだろうなぁ。
声質じゃなくて、ヴィブラートのかけかたね。
聴くのももちろん、歌うのも心地いい。
(クラシックや演歌のヴィブラートは僕はまったくできないし…)

じつは、さきにあげた4人の広島出身歌手はみんな、大まかに言えば同系統のヴィブラートだと思うんです。
“ちりめんヴィブラート”っていう言葉があるらしいけど、それにあてはまるのだろうか。しかし、ちりめん、っていうと坂本九や森田健作、最近では宇多田ヒカルくらいの細かさを連想しますね。
坂本九が影響を受けたエルヴィスも“ちりめん”と言えるんじゃないだろうか(ごく初期の『ミステリー・トレイン』とか、すごく“ちりめん” ) そういえば、ヒデキ自身もエルヴィスファンじゃなかったっけ。
ちりめんかどうか、よくわかりませんが、便宜的にちりめんってことにしときましょうか。

おニイちゃんは、近年歌唱法が変わってきたけど、一時期、曲によってはすごくヒデキ的なヴィブラートだった。もっとも、吉川晃司の場合は、もしかしたら氷室京介あたりの影響かもしれない。
つまり、氷室の歌唱はヒデキに似ているのだ。はじめてBOφWYの『B・BLUE』をそれとは知らずに聴いたとき、僕はヒデキかと思った。氷室とヒデキの違いは滑舌。ヒデキは一言一句はっきり発音するが、氷室は英語みたいな発音。
おニイちゃんの曲だと、有名なところでは『KISSに撃たれて眠りたい』あたりが、ヒデキ的ヴィブラートが顕著。

永ちゃんは、ヒデキ的とは言えないけど、かなり“ちりめん”じゃないかなぁ。
僕が矢沢永吉を初めて意識したのは、ノンアルコールビールBARBICANのCMだった。BGMは『BELIEVE IN ME』。エコーがかかっているせいかもしれないけど、すごいちりめんビブラートで、それを僕は気に入ったわけです。
『棕櫚の影に』とか『YOU』も、ちりめんヴィブラートができなきゃ歌えない。

世良公則もヴィブラートが迫力だよ。

4人以外の、他の歌手で言うと、桑名正博がすごいな(たまに歌います)。

しかし、この人たちの曲をカラオケで歌っていると、思わぬ事態をまねくことがある。
たとえば…
ヒデキの『傷だらけのローラ』、『情熱の嵐』。
おニイちゃんの『ジェラシーを微笑みにかえて』『KISSに撃たれて眠りたい』や『Brain SUGAR』。
世良公則の『宿無し』、『燃えろいい女』。
のような曲をつづけて歌っていくと、そんなに曲数を費やしているわけでもないのに、声が枯れてくるのである!
がなったり、どなったりしているから、というわけではない。

思うに、ヒデキ的ヴィブラートは、シロウトがやろうとすると、喉に相当な負担がかかるのではなかろうか。
だから少し歌っただけで、声が枯れてしまうのに違いない。
現に、ヒデキは何度かポリープの手術を受けた、という記述をネット上で発見したし(真偽は不明)、吉川晃司もポリープの治療をしている(自身が著書でも明かしているので事実)。

レパートリー その2『千の風になって』

2009-08-15 17:04:21 | Weblog



秋川雅史(あきかわまさふみ)の『千の風になって』がヒットしたのは、紅白歌合戦に出演したことによると思うが、じゃあなぜ番組を見た人がその曲を気に入ったのか。

まず、一番の理由はその歌詞だろうと思う。
「私のお墓の前で 泣かないでください」
と、歌謡曲ではなかなか聞くことのない“墓”という言葉で始まるこの歌は、日本人の死生観に新鮮な驚きを与えた。

いろんな人がいるから、なかには、
「墓にいると思って拝んでいるのに、風になってふらふらしてるんじゃ、どうすればいいんだ」
というふうな批判的な意見もあるそうだが、
「暗い冷たい土の中やあの世ではなく、大空を自由にわたっているんだね」
と、安心し、救われた、という人が多いようだ。
たしかに、この歌を聴いていると、亡くなった人がおおらかに、おだやかに今も過ごしていて、そして自分のそばにいてくれるような気がする。
当初は違和感もあったが、3年間聴いてきて胸にしっくり入ってくるようになった。

ただ、個人的には一ヶ所だけ、
「そこに私はいません 死んでなんかいません」
というところは、ちょっと納得いかない。
“死んでなんかいない”
というストレートで強い否定は、死者が自分が死んだことを自覚してないようなニュアンスに感じられる。そうすると浮遊霊みたいな、迷って出た亡者のようだ。
原詩は英語だそうなので僕には確かなことは言えないけど、ここは誤訳ではないにしても、とらえかたに一考の余地があるのではないだろうか。

二番目の理由としては、秋川雅史の“顔”だったと思う。
やっぱり外見の良さは、人を惹きつける重要な要素だ。
ハンサム、二枚目、男前、イケメン…。
どの言葉が彼に相当するのかはよくわからないが、顔の造形の良さに加えて、韓流スターのファンがよく言うような“王子様”的な雰囲気が(髪型もふくめて)、とくに中高年層にウケたのではないだろうか。
だから、その点ではあまたいるこの曲のシンガーは(とくに作曲者の新井満は)彼にかなうべくもない。

でも、一般にはまったく無名だった秋川雅史が、なぜほかの歌手を抑えて紅白出場を勝ちとったのだろうか?
その点は、現在けっこう秋川びいきになった僕としては、あんまり裏事情を知りたいとは思わないのだが…。
(知ってる方がいらっしゃっても、教えてくださらなくていいです)

そして、三つめの理由は、秋川雅史の“微妙な”歌唱力であるに違いない。
先ほど“秋川びいき”と書いておきながら、批判とも受け取られかねない書きかたをするのも心苦しいが、彼にはいつも歌唱力に対する疑問がついてまわる。
しかも、“歌唱力があるからヒットした”という論旨ではなくて、“微妙な歌唱力のためにヒットした”という、不可思議な説とは…?

その前にまず、多くの人が勘違いしているのは、彼のことを“オペラ歌手”だと思っていること。
『千の風になって』を“クラシック”だと思っていること。
(僕が買ったテイチクのCDには“歌謡曲”と表記してある)
僕が調べた限りでは(ざっとではあるが)、秋川雅史は、クラシックの教育を受けたことは間違いないけれど、オペラ歌手ではないみたいである。
オペラ、つまり歌劇への出演経験はなさそうなのだ。
デビューCDは、カンツォーネを集めたものだった(カンツォーネとはイタリアの大衆曲とのこと。『オーソレミオ』などが代表的)。
彼が紹介される際に、“テノール歌手”と言われることが多いので、クラシックにうとい多くの一般的日本人(僕も含む)は、

テノール歌手=3大テノール(パバロッティ、カレーラス、ドミンゴ)=オペラ!

みたいな図式にあてはめたりして、彼をオペラ歌手と思いこんだのではないか。
その結果、
「パバロッティとかと比べたらヘタだよなぁ」
というような、大きなハードルができてしまっているのではないだろうか。
(ヘタな歌手なんてほかにゴマンといるのに…)
かくゆう僕も、最初は「この人うまいんだろうか、ヘタなんだろうか?」と悩んでいたこともある。

ところが、そんな微妙なところが『千の風になって』のヒットにつながってると思うのだ!
これがババロッティのような超絶歌唱力だったらどうだったろうか?
(それはそれで大事件だけど…)
「ほう、さすがうまいね」
で流してしまう一般人がほとんどなのではないか。
秋川雅史の歌唱は、
「僕にも(私にも)歌えそう!」
と思わせるところがある。

最近、朗々と、大きな口を開けて、素直な気持ちで歌える歌が少ない。
曲が速すぎたり、シャウトしたり、フェイクをかけたり、音の高低差が激しかったりして。
昔は唱歌があったり、合唱曲があったりしたけど…。
ポップスやロックのファンでも、潜在的にクラシック風な歌唱で歌いたい人は多いんじゃないかと思うのだ。
ただ、自分にはできない、と思ってるし、ちょうどいい曲もない…。
そんな時に現れたのが『千の風になって』であり、秋川雅史なのだ。
キーは一聴したところ低そうだし、なんのフェイクも技巧的なところもない。
「これなら歌えそう!」
と感じたのだ。

そして実際、本当の歌唱はできなくとも、なんとなくマネはできる。
ちょっと喉に力入れて、
「せんのか~ぜ~に~♪」
と歌うと、
「ね、ね、どう? 似てない?」
って楽しめる。

これがヒットの真相(?)だと思う。

そして、僕も『千の風になって』秋川ヴァージョンをマスターしたいと思った。
しかもモノマネじゃなく(無謀?)。

CDシングルを買ってみたら、レコード会社が石原裕次郎などで有名なテイチクなのでまずびっくり。
詳しいことは知らないけれど、テイチクっていうだけで、純粋なクラシックを目指してない、という感じは伝わってくる気がする。
(一般的には秋川雅史は“クラシカル・クロスオーバー”というくくりらしい。ちなみにレーベルはタクミノートといって、コンセプトが“大人のライフスタイルに寄り添う音楽を提案する”だそう)

このシングルCDの歌唱は、紅白のイメージをもって聴くと、最初ちょっとものたりない。
やはりアレンジが“テイチク風”なのだ。ちょっとエコーが過度で、マイルドな雰囲気。
紅白で迫力満点のクライマックスだった、いちばん最後の、
「あの 大きな空を」の“を~~~~~~~~~~~~!”
に力がこめられずに立ち消えていく感じ。
その点はガッカリだったが、カラオケで何度か歌っているうちに、その、やわらかい優しいアレンジの『千の風になって』も、「これはこれで、まあいいんじゃない?」と思うようになった。

でも、というか、やっぱり? 当然というか、本気モードの『千の風…』は難しい。
声が出ない…。
キーを下げても、息が続かないからビブラートをきかす余力がない…。
…おっと、待てよ。
僕のビブラートは喉でかけるビブラート、しかもときどき、たまたまできるだけ(苦笑)。
この歌を歌うには、ほんまものの腹からのビブラートが必要なのだ。
…いや、それよりも先にきちんと腹式呼吸をマスターしないとダメそう…。
肺活量も足りないし…。

歌の途中、
「冬はダイヤのように きらめく雪になる」
で、“る~~~”って伸ばしたあと、すぐに
「朝は鳥になって」
に入れない。ブレスできない。間にあわない。
同様に、「千の風に」に入るところの、あたまの“せん”という音にぜんぜん力が入らない…。
一音一音がきれいな声にならない…。

マスターまでには先が長そう…。
(ん? マスターしてないからレパートリーとは言えない?)

レパートリー その1『矢沢永吉』

2009-08-08 15:57:46 | Weblog



そんな僕が(どんな僕?)カラオケで歌うのは、以下に挙げるような曲である。
ここ20年くらいのあいだに出た新曲はあまり真剣に聴いたことがなく、この10年くらいの曲になると、ほとんど知らない。
だから必然的に古い曲ばかりであるから、若い人は話についてこられないかもしれない。
(趣味も偏ってるから若い人に限らないかも…)

まずは矢沢永吉。
80年代の終わりごろ、19、20そこそこの頃、職場で知りあった同い年の友達がYAZAWAファンであった。
そいつが、聴いてみろ、とばかりに、オススメ曲を入れたカセットテープをくれた。
そこには『YES MY LOVE』(’82)あたりから、『ニューグランドホテル』(’88)あたりまでの、“シブい”曲がたくさん収められていた。

ちなみに僕はエルヴィスファンだったので、お返しに“エルヴィス・ベスト”を選曲してテープに入れ、渡したが、彼は、
「…エ、エルメス・プレスリー?」
と聞き返すほどで、エルヴィスを知らなかった。YAZAWAに影響を与えたビートルズが目標にしていたのがエルヴィス…。そのエルヴィスを知らないでYAZAWAを聴いているというのも面白い。
(彼はエルヴィスをあまり気に入らなかったようだが、その理由は『曲が短いから』とのこと)

その最初のテープの刷りこみゆえか、もちろんあとから聴いたキャロル時代の曲や、ソロデビュー直後の『アイラブユー、OK』(’75)や『時間よ止まれ』(’78)なども大好きなのだが、最も好きなのは80年代のYAZAWAである。
曲の良さはもちろんだが、歌唱が成熟してきて、力強く、シブい。しかも若さや甘さも適度に残ってる。
アレンジも凝っていて僕は好きだ(おなじYAZAWAファンでも、“シンプルなロックンロール派”のファンにとっては不満を持つ人もいるそうだけど)。

一番は、決めがたいのだけど『棕櫚(しゅろ)の影に』(’84)あたりだろうか…。
この曲を歌うと、「…光るリーフに波 あせて行く夏よ」の“リーフ”の部分とか、「…俺のくちびるから 過ぎ行く Summer Dream」の“くちびる”のところの音が高すぎて出ない。
『LAHAINA(ラハイナ)』(’82)や『さめた肌』(’78)『苦い雨』(’85)も好きだなァ…。
『ひき潮』(’76)は、最初いい調子で歌えてるかと思ったら、すぐに落とし穴がある。「あなただけは しあわせに」の“にー”なんかもう血管キレそう。

だいたい永ちゃんの曲は、とても高い音をシャウトして歌う箇所があるのがほとんどなので、かなりキツイ。
(ついでに、歌の途中の“オカズ”っていうの? 『アーオ!!』とか『イェァ!!』とかいった叫び声なんて、とてもできない。歌はシロウトでもうまい人がいるが、そういう部分はプロにはかなわないなァ、と思う)
だから、『東京ナイト』(’86)や、ライブでの定番『止まらないHa~Ha』(’86)なんか、歌おうったってとうていムリ。オリジナルのキーからマイナス7くらいにして歌ってみるが、そうすると低いところは(低すぎて)声に力が入らず、高いところは…、それでもまだ出ない!

いまカラオケでよく歌うのは、
『アイラブユー、OK』
『時間よ止まれ』
『YES MY LOVE』
『あ・い・つ』(’85)
『バーボン人生』(’77)
『東京』(’93)
といったあたりかな…?

最近わけあって、『もうひとりの俺』(’96)を覚えようとしている。
ずっとYAZAWAファンを続けてる人には怒られるかもしれないけれど、最初に書いたように、この20年くらいの新曲をあんまり知らない。矢沢永吉も例外ではない。
僕の受ける印象としては、『共犯者』(’88)あたりから、曲の良さは変わらないのだけどわずかに声質やアレンジに変化が感じられ、それはだんだん顕著になっていく。そしてこの10年くらいはストレートなロックンロールを前面に押し出す曲づくりになった。
矢沢永吉という、人間としての生きざまを含めての偶像に対する、僕の気持ちというのは変わらないのだけど、歌や、生み出される曲について、ちょっと僕の求めるものと違ってきたのだと思う。
(これは、僕の個人的な価値観だから、気を悪くしてもらっては困るのだが…)
そんな僕が、96年発表の『もうひとりの俺』を覚えようとしている。
シンプルで、切ない曲。
人生を、ふっとふりかえる曲。
僕にはふりかえるような人生がないんだけど…うまく歌えるかなぁ…。

基本のき、いろはのい

2009-03-05 20:28:27 | Weblog
近頃雑誌などでもよく使われている言葉がある。
”基本のき”
という言葉だ。

意味は、基本中の基本、ということだと思う。
それは分かる。

でも、どこか違和感を覚える。
これは正しい表現なのか?

同じ意味の言葉で、
”いろはのい”
というのがある。

いろは47文字、平仮名の最初、ということで、
”いろは”
だけですでに“初歩”という意味を含む言葉となる。
(もちろん、いろは47文字が、言葉、ひいては知識の基本である、という理由もある)
それをさらに強調し、いちばん最初の文字を用いて、”いろはのい”と言うのは納得ができる。

でも、”基本のき”に関して言うと、
”基本”という言葉の意味は、”基本”という単語となって初めて、そこに付与される。
ただ”き”というひと文字だけでは何の意味ももたない。
”き”という文字は、”基本”の一部品として、”基本”という言葉を成立させる可能性を秘めてはいるが、
その時点では何ものでもない。
しかも、ただ単に“基本”という単語の最初のひと文字であるだけのことであって、
”いろはのい”で表現されるような、”初歩”という意味は持ち得ないと思うのだ。

いろは47文字は、50音と同様に、文字は並列に並んでいる。
ひと文字の存在は対等だ。
一個一個が独立していて意味はない。
(もちろん、歌になっているのではあるけれど、それは置いて)
でも、順番はある。
”いろは”から始める、という順番だ。
だからこそ、初歩のことを”いろは”といい、さらに強調して”いろはのい”と言える。

”基本”という言葉の最初の文字である”き”は、
「物事の基本」ということにおいて、初歩であることを表さない。
重ねて言うが、”基本”という単語の部品に過ぎない。
基本という言葉の”意味”の最初には位置しない。



…ちょっと白熱した。
僕の理論展開は正しいのだろうか?
NHKのことばおじさんに訊いてみようか?


日本語に関してほかに気になることは、以前ここでも書いたけれど、
”原因”と”全員”
という言葉の読み方だ。

僕は絶対、”げんいん”と”ぜんいん”
だと思っているのだが、大半の人が
”げーいん”と”ぜーいん”
と発音している。

しゃべることが商売の、アナウンサーや俳優までがそう言ってる。

ほんとうはどうなのか?
ことばおじさんに訊いてみたい。


ところで、アナウンサーといえば、
”早速”
という言葉を使いたがる。

そうとうに間が空いている場合でも、
”早速VTRを見てみましょう”
などと言う。
まるで慣用句か接頭語、枕ことばのようだ。

アナウンサーが使ういちばん嫌いなセリフは、
「早速ご紹介しましょう…」だ。
「ご紹介いたします」と言ってもらいたい。

言葉のコントラストとして、たまに使う分にはいいが、何とかのひとつ覚えみたいに、
誰もかれもが、「早速ご紹介しましょう…」だ。
ひとくさりあったあとの、「あらためてご紹介しましょう…」
も嫌だ。

僕は、いまテレビに出ているアナウンサーのほとんどが嫌いだ。
頭が悪いのもさることながら、
(僕も頭は悪いから、あまり人のことは言えない)
マナーも礼儀も知らないばかりか、誠実さやきまじめさが見られない。若いやつはとくに。
そして、アナウンサーとしての技能も持たないくせに、芸能人気どり…。
あまつさえ、タレントをからかったりしてる。

アナウンサーは大嫌い!
もちろん、ことばおじさんは除いて…。

友達とは?

2008-12-15 16:22:43 | Weblog
僕に友達がいないのは、たぶん次のような人間だからだと思う。

お酒があまり飲めない。
食べることにあまり興味がない。
ほとんどスポーツをやらない。
ほとんどスポーツ観戦をしない。
オリンピック、サッカーのワールドカップ、バレーボール、フィギュアスケートなどもほとんど観ない。
カラオケに行かない。行ってもレパートリーがない。
競輪、競馬、競艇、オートレース、パチンコほか、ギャンブルはやらない。
将棋、囲碁、チェス、麻雀、ポーカーなど、ゲームをしない。
ゲーム機とゲームソフトにほとんど興味がない。
女遊びをしない、できない。
テレビをあまり見ない。
ラジオをほとんど聴かない。
新聞を読まない。
茶道、華道、俳句、短歌などを嗜まない。
あらゆる種類の踊り(ダンス)ができない、しない。
夜ふかしが苦手。
話がおもしろくない。
おおぜいで焼き肉、鍋料理を食べるのが嫌い。
マメじゃない。
電話、とくに携帯電話が大嫌い。
手先が不器用。
下ネタが嫌い。
車の運転が下手で、すぐ疲れる。
流行に疎い。
腕力がない。口論をふくめ、ケンカが弱い。
気前が良くない。
元気がない。
いかなるコネもない。
短気である。
恩をアダで返してしまうことが多い。
仕事ができない。
失業中である。
お金がない。
声が小さく、ボソボソとしゃべる。
面と向かって人に文句を言う。
ウソをつくことができない。
得意なこと、特技がない。
頭が良くない。
日本語しかできないうえに、それもおぼつかない。
楽器ができない。
音楽、とくに流行歌をほとんど知らない。
映画をあまり観ない、とくにこの10数年というものはほとんど観ていない。
いろいろなことについて消極的だ。
人とのつきあい方がよくわからない。
敬語で話す。
情報に疎い。
神経質だ。
釣りをしない。
ラーメンがそんなに好きじゃない。
温泉が好きじゃない。
海水浴、プールがあまり好きじゃない。
女の人におべっかを使うのが苦手だし、嫌いだ。
格闘技が好きじゃない。
プロ野球、Jリーグなどに興味がない。
流行っているお笑いに興味がない。
アイドルに興味がない。
クラシック音楽について無知だ。
野菜、肉、魚など、食材について無知だ。
日本酒、ワイン、焼酎などについて無知だ。
鉄道、カメラ、時計、自転車、車、オートバイなどについて無知だ。
恥ずかしがり屋だ。
疲れやすい。
理数系の知識が全くない。
潔癖症である。
コンピュータ、インターネット、デジタル機器について詳しくない。
本を読む速度がきわめて遅い。
集中力がまったくない。
マイナス思考だ。
どもる。
怖がりである。
トイレが近い。お腹を下しやすい。
頭痛持ちである。
牛肉を断っている。

こんなところだ。

世界がほんの少し変わった。

2008-11-08 21:26:37 | Weblog

今回のアメリカ大統領選挙。
『初の黒人大統領誕生!』
という言葉が躍った

でもちょっと待って。
まず、まだ正式決定ではないんじゃないだろうか。
たしか12月に行われる“選挙人”による投票で最終決定となるのじゃなかったろうか。
今回は、その“選挙人”を獲得するための選挙だったはずだ。
そりゃあもちろん、オバマが当選するに決まってる。
するに決まってるけれど、まだ正式な決定じゃないのだ。
ところでだ。僕も詳しくは知らないのだけど、選ばれた“選挙人”とやらは、必ず、絶対に、自分の党の候補者に投票するんだろうか?
通常はそうするらしい。
しかし、アメリカには“ブラッドリー効果”なるものがあるという。
選挙の際、事前の調査で有利であった黒人候補が、実際の選挙になると敗北してしまうという事例があるというのだ。
アメリカ人、とくに白人は、本音を隠して表向きは優等生的な言動をする癖(?)があるようで、人種差別主義者と受け取られるのが嫌で、建前の申告をしたためにそのような結果を招くのだとう。
国民による投票では幸いそのような事態は起こらなかったが、もしも、最後の最後、土壇場で“選挙人”がブラッドリー効果に陥ってしまったら…?
そんなことはあり得ないんだろうか?
まあたしかに、これだけ大差がついてしまっているから、それをひっくり返すようなことは起きないと思うけれど…。
投票までの期間に、オバマをとんでもないスキャンダルが襲ったりしたら…?

…うーん、でも、限りなく100%に近い確率で大丈夫なんだろうね。
だからみんな微塵も疑うことなく「初の黒人大統領誕生!」と謳っているのだろうね。

ところで、「初の黒人大統領」っていう表現はどうなんだろうか?
まず、「黒人ってなんだ?」というところから始まっちゃうんだけど、オバマはよく知られてるとおり、“いわゆる”白人と“いわゆる”黒人との間に生まれたハーフだ。
ハーフでも黒人なのか。
そもそも、人種の定義自体がたいへん難しいことなのだそうで、単純に、白人、黒人、黄色人種、とは分けられないみたいだ。
白人だって、もともとはアフリカの黒人から分かれた人種で、それがヨーロッパに分布して、現在アメリカの白人が忌み嫌ってる中東の人たちも人種的には白人だっていう学説があったりして…、素人にとっては考えれば考えるほどこんがらがっちゃう分野の話なのだ。
でも、ご存じのように、アメリカには奴隷制度に始まる暗い差別の歴史がある。
…いや、僕にとってはこの“差別”という意味さえ掴みかねるシロモノなのである。
人種差別とはなんだ?
アメリカは、白人が人口の7割以上を占め、黒人(アフリカ系アメリカ人。カリブ系などのブラックピープルは別枠だそうだ)は15%に満たないらしい。
例えば、これが50:50の比率なら、差別ではなく“対立”なのではないか。マイノリティだから差別と表現されるのか?
でも、たしかアパルトヘイト時代の南アフリカ共和国では、少数の白人支配に対し、黒人ほか大多数の有色人種が虐げられていた。そして、それは“差別”という言葉で表現されていた。
こういった人種問題に関して使用される言葉はほかに“偏見”とか“蔑視”というものがある。
やはり、自分とは違った容姿、文化、宗教を持つ相手を、なかなか容認できないものなのだろうか…。
ひるがえって僕個人のことを考えるに、容姿、文化、宗教など関係なく、ただ他人であるだけでなかなか容認できないっていう体たらくなんだけど…。だからって何の罪もない他人に対し「せん滅してやれ」などとは思わないんだが。

話が逸れてしまったが、アメリカという国には、「一滴でも黒人の血が混じれば黒人」ということを唱える、頑なな考え方の人が存在するそうだ。
それにあてはめれば、オバマは黒人ということになる。
でも、日本のメディアまでが、黒人、黒人と表現することには、かなり違和感を覚える。
“アフリカ系アメリカ人”というのが妥当な表現なのだろうか?
ハーフでもアフリカ人の血が流れているのだから“アフリカ系”?
皮肉なことにアメリカの黒人のなかには、オバマがいわゆる「怒れる黒人」つまり奴隷を祖先に持ち、公民権運動で闘った黒人ではなく、白人を母に持つケニアからの留学生の子どもで、エリートコースを歩んできた人間であるため、自分たちの仲間とは認めないという一派も存在するらしい。

明確な根拠はないのだが、アメリカの白人は、その人の印象―しかも多分に外観的印象―によって人種を決定してるのではないか、という感じを受けた。
つまり、肌が黒ければ黒人だ。
ほかの事例では、同時多発テロ直後、ターバンを巻いているというだけでテロリスト扱いを受けたという人もいるらしい。
そもそも、ターバンはシーク教徒のもので、インド系の宗教の習慣だ。当時、アメリカの世論が敵視したイスラム教徒ではない。
(日本人はもっとひどくて、白人、黒人はみんなアメリカ人だと思ってる。とくに古い世代の人は)

オバマの場合、父親がイスラム教徒だったそうで、本人のミドルネームもフセインであり、また、インドネシアに住んでいた時期があったことも関係しているのか、彼自身もイスラム教徒ではないかという誤認もあったようだ。
これも、イスラム教に対する偏見、差別から起こった指摘だろう。

「黒人初の大統領」という表現にひっかかるのは、理由がもうひとつ。それがオバマ当選への過小評価となるからだ。
「黒人初」「初の黒人大統領」というだけじゃない。
「白人以外初の大統領」なのだ!
いままでの大統領は全員白人だった。
その慣例を打ち破ったのだ!
ちょっと調べてみたところ、たしかに、明確な有色人種の大統領はひとりもいなかった。肖像画で見る限りはそうだった。リンカーンなど髪が黒い人もいたが、髪が黒ければ有色人種というわけでもないだろう。
それどころか、歴史的にはアイルランド系であったり、ユダヤ系を疑われたというだけで問題視される場合もあったらしい。他にもオランダやドイツ、ギリシャの血をひく大統領も見られた。
僕はその分野に詳しくはないので、例えば名字を見れば何系の出身なのか分かる、というわけでもない。
これを正確に調べようと思ったら、たいへんな時間を費やすことになってしまう。
WASP(ワスプ)という言葉も最近はあまり言われないみたいだし、WASP以外の大統領はけっこういるようだ。とにかく、なんにしろ白人が大前提だったことだけはまぎれもない事実だろう。
それを考えると、僕だって、いや、世界中の誰だって、アメリカ合衆国の大統領に有色人種、しかもアフリカ系の人が選ばれるとは、二年前には夢にも思わなかったろう。
あんなにひどい、極右のブッシュ政権が二期にわたって承認された国だからなおさらだ。
僕がかつて憧れたアメリカは消滅し、恥も誇りもない国になりさがっていた。世界からも嘲笑され、呆れられる国に…。
その国が、今回ふたたび希望の輝きを見せたと思う。
まだまだアメリカの懐は広かった。ああいう若い才能が隠れており、そして表舞台に立つことが許されることに…。
(日本こそ、政治家は右翼系が多くを占め、それ以外の者が権力の座につくのは難しいのではないだろうか?)
もちろん、まだ正式に大統領に就任したわけでもなく、オバマは逆境の中これからが問われるわけだが、もう現段階ですでに、彼は歴史に偉大な足跡を記していると思う。
それが、人種の壁を越えたということだ。
もちろん、オバマの勝利はそういうものではない、と言う人も多い。
でも、扉を開いたのは事実だ。
有色人種が大統領に選ばれた、というだけですごいことなのだ。
アメリカは、一歩前進したと思う。
べつの言い方をすれば、一歩成長したと思う。
上から目線で悪いけども、少年期から青年期に差しかかった、とでも言おうか…。
そのきっかけはどうであれ(金融危機であれ)、独立から二百数十年を経て、やっとたどり着いた次なるステージだ。

また、オバマは初めてのハワイ州出身の大統領になる。
アメリカがハワイ王朝をのっとり、そののち1959年に州としてから約50年。
ハワイにも人種間、民族間の苦い歴史があった。
そういう地からの大統領の誕生だ。

オバマは言った。
「黒人も白人も、ヒスパニックも、アジア人も、アメリカ先住民もない。あるのはアメリカ合衆国、それだけだ」
青いアメリカ、赤いアメリカもない、と言った。
人種や政党を超えて、ひとつになるべきだと言った。
感動的なスピーチだ。素晴らしいと思った。
世界中が明るくなるような気さえした。

オバマには、この期待を裏切らないでほしい。
アメリカだけではなく、世界が希望を寄せているのだ。
オバマの実体がどんなものか、僕は知らない。
でも、いまは期待している。
そして、アメリカはオバマの足を引っ張らないように…。
怖いのは暗殺だ。
僕はオバマが大統領でいるあいだ、ずっと心配しつづけるだろう。

オバマ当選の熱狂の中、ひとつ不愉快だったのは、福井県小浜市の「オバマ候補を勝手に応援する会」の活動だ。
ただ単に名前が同じ音だからというだけで、勝手に徒党を組み、騒いでいる。
そこになんの理念も信念もない。
人情として自分の故郷と同じ名のアメリカ大統領に親しみを感じることはよくわかるけども、あれはやり過ぎだ。
市長までがそれに乗り、町おこしとして利用している。
アメリカ合衆国の大統領を決するということは、世界の平和や経済、環境などに多大な影響を与えることだ。祭り気分で浮かれて騒ぎ、あまつさえTシャツなんかを売ったり、あわよくば儲けてやろうなんておかしい。
小浜市民としてのプライドもなにもない、子供じみた行為だと思う。

今日は、普段と違って、デリケートな種類の話題をとりあげた。
しかも文章が下手で冗長なもんだから、誤解を与えるかもしれない。
そうならないよう祈っております。

失業からすでに4ヶ月

2008-11-05 14:28:03 | Weblog
仕事が見つからない。
もう、4ヶ月以上、失業状態だ。
でも、見つからなくて当たり前だ、とも思う。
実績もない。転職も多い。歳も歳だ。

僕は仕事ができる人間ではないから…。
なんのスキルも持っていない。

それに、人間的にも欠陥が多い。
人とうまくやることができない。
人と接することのない仕事など、ほとんど皆無なのだし…。

僕は人と競争したり、争ったりすることが嫌いだ。
嫌いだし、苦手だ。
仕事というものは、多かれ少なかれ、そんな部分を持っている。
競争とまでいかなくとも、共同で何かやらなくてはいけない。
共同でやるなんて、掃除でも嫌だ。

いまわが家のトイレにカレンダーがかかっている。
雑誌の付録のカレンダーだ。
今月は、琵琶湖で小船を出し、ひとりぽつんと漁をする人の写真…。
ひと様を羨むことは失礼なのはわかっているが、無性にうらやましい。ひとりで仕事ができることがうらやましい。
当然そこには、漁という保証のない仕事のプレッシャーはあるだろうし、寒さなど肉体的な苦痛もある。それに、結局は商売であるから、卸すために人との接触も必ずある。
でも、トイレに入るたび、その写真に憧れを抱いて目を向けている。

仕事はなるべくやりたくない。
僕は怠惰な人間だ。
残念だけども、怠惰な人間だ。

まあ多くの怠惰な人間が思い描いた夢想かもしれないが、僕も鳥になりたい。
トビかなにかに…。
とりあえず食物連鎖の上位に立って、捕食される不安もなく、日々の糧さえ確保していればよいという生き方。
トビなら雑食だし、死肉も食べるんだから、おそらく難しい仕事じゃないだろう。
猫もいいが、人間に依存しすぎていることや、ほかにもいろいろ大変そうだ。

甘いなぁ…。
まったく覇気がないなぁ…。
これじゃあ採ってくれる会社なんかないだろうなぁ…。

二上がりかっこ

2008-10-18 18:23:39 | Weblog
僕は落語が好きですが、いま現在好きな落語家は多くない。
昔から落語はきらいじゃなかったけれど、意識して聴くようになったのはこの数年。

そんななかで、はっきり「好き」と言えるのは、まず上方では桂米朝。
でも、非常に残念ながら、ご高齢で、噺家として現役とは言いがたい。
一門会などに出演しても、落語はやらず、“よもやま噺”という名目の対談だけ、ということが多いようです。
僕は一度だけ、2年くらい前に米朝の高座を観たことがある。
正直、噺家としてのキレはなかったけど、ご本人を見られたってことだけで、その経験は僕の宝ですね。
弟子たちも「国宝拝観いかがでしたか」みたいな“くすぐり”をよく使っていました。
客席にはまさに「拝観」っていう雰囲気が流れていましたねえ…
そういうのはきっと米朝の人徳なんだろうね。
米朝は、脂の乗りきった時期に、かなりの数の演目をDVDに残しているのでありがたい。
僕も、お金がないなりに、やっと10本ほど集めました。

東京では、柳家小三治。
僕は、小三治の高座は四回観ました。
新宿末廣亭で一度、行徳(千葉県)、町田(東京都)での独演会で各一度、そして、池袋演芸場で一度。
僕が子どもの頃、小三治はけっこうタレント活動が多かった。
だから、いい落語をやるようなイメージはなかったんだけど、20何年か経って初めて生で観てみたら、なんとも味わい深い笑いをくれる…。
陳腐な言い方だけど、スルメを噛んでるみたいに、腹の底からじわじわじわじわ湧いてくる笑い。
ハマりましたね、小三治に。
これまたお金がないなりに、大枚はたいて落語研究会のDVD全集も買った。これはファン待望、初めての映像作品。
これまで小三治の落語はCDしかなかったけど、これでお家でも小三治を“観られ”ます。

このまえ、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組の、ちょうど100回目に柳家小三治がとりあげられていた。
最近テレビに出まくりの、茂木健一郎がキャスター。彼のことは最初の頃はうさん臭く感じたが、最近は「大きな子ども」だなあというイメージでとらえている。自分が知ってること、考えてることを、人に話したくてしょうがない、話すことが楽しくてしょうがない、って感じだ。

でも、この番組、僕が見たところでは、作りがどうも“全編予告編“みたいな感じで好きじゃない。
同じ言葉、映像が何度も使われていて、たぶんスタイリッシュな感覚を狙っているんだろうが、成功してないし、僕には納得いかない。だって、僕はクイズ番組のシンキングタイムなんかだって「時間がもったいない」と思うくらいだから、必要以上におんなじことを繰り返されると合理的じゃないと思っちゃう。
だからこの番組、坂東玉三郎の回と宮崎駿の回、そして今回しか観たことがない。
そして、宮崎駿の回でも感じたが、この番組はドキュメンタリーなのに、NHKの解釈によって偏った一方向から描かれるという感じが強すぎる。
宮崎駿が新作『崖の上のポニョ』を製作するにおいて、実の母親への思慕が大きな影響を与えているとしている。
たしかにそういう一面はあるんだろうけど、番組はそうだと決めつけすぎてるし、その一点だけに焦点を絞りこんでしまい、ほかの要素にあまり触れなくなってる。

今回もそうだった。
いや、小三治の場合はもっとひどかったと思う。
何年もリウマチを患っていて(僕も知らなかったけれど)、大量の薬を飲み(ほんとにすごい量)、高齢とも重なって体調が思わしくない…という内容。
視聴後の記憶には、ほとんどそのイメージしか残っていない。
これじゃ、当代随一の落語家のドキュメントじゃなくて、病気と闘いながらも働くおじいさんのドキュメントだ。
もちろん、よくよく画面を読みこめば、それ以外のこともたくさんあるんだけど、一見した限りではそんな感じ…。
小三治をよく知らない人にとっては、たぶん“小三治イコールリウマチの人”なんてことになりかねないよ。
小三治の落語は楽しいし、おもしろいし、なごやかで、かわいらしい。
そんなことは伝わってこない。
趣味が多種多様。何年か前までは大型バイクのツーリングに出かけてたそうだし、蜂蜜やミネラルウォーターなどのウンチクも豊富。川柳もやるし、歌も歌う(俳句を詠むとかいう意味じゃなくて音楽のほう)らしい。
そんな部分には触れられない。

最近テレビで作られる、ドキュメントはそんなのが多いな。
石原裕次郎のドキュメントはたいていテレビ朝日がやるけど、毎回、「彼を失って悲しい」ってばかりだ。
彼の明るさとか、ナイーブなところとか、破天荒なところとか、生きていた頃の良さをとりあげることが少ない。
放映される映像も、ある時期の特番の使いまわし。歌う映像を流すなら、その曲が出た当時のを探してくるべきだ。
中年の、太目になった裕次郎が『嵐を呼ぶ男』を歌っているのを見せられてもしようがない。
あれじゃ新しいファンはできないよ。
前にフジテレビかどっかでやった中村勘三郎のドキュメントも、お涙頂戴の作りになってた。

きっとテレビの制作者に才能がないから、安易に視聴者の心を動かせるものを作ろうとするんだね。
病気とか、争いとか、老いとか、死とか、そういうものを扱ってれば、視聴者は考えさせられるし、泣かされる。
安い番組づくりだ、まったく。

ほかにも小三治については、「なんで六代目柳家小さんは世襲みたいに長男が継いじゃって、小三治じゃなかったのか」とか、ドキュメントなら視聴者として気になることもあったのにな…。

失くしたものが出てまいりました。

2008-09-16 16:36:35 | Weblog
ブログに乗せようと思って書いたまま3年くらいほったらかしにしていたファイルをみつけた。
「100の質問」という、当時流行っていた質問形式のチェーンブログ(とでも言うべきもの?)に答えていた。
今書きたいことがあるにはあるのだけど、落ち着いてものを書けない状況なので、せっかくだからそのテキストを3年ぶりに掲載してみようと思う。

おそらく当時は今より頭が柔らかかったんだろう。今なら思いつかないようなことを書いてる。
というか、今はこれを書いたことさえまったく思い出せない。
なんたることか…。

内容からすると、血液型がAB型の人に対する質問だ。
そう、僕はAB型である。

1. HN、星座,出身地をお願いします.
犬の眼、水瓶座、西日本
 
2. RH+ですか?RH-ですか?
RH+だと思います。
 
3. 自己サイトのジャンルは何ですか?
日記。
 
4. サイトの自己紹介には自分の血液型を書きますか?
書いてる。
 
5. AB型に関するリングには参加していますか?
なあに? リングって。
 
6. AB型の管理人が運営するサイトを集めたリンク集に登録していますか?
していない。
 
7. 家族の血液型は?
家族は何人かいるけど…? 

8. 身の回りにはAB型はどれくらいいますか?
身の回りに人がいないからなあ…。
 
9. AB型が少数派だと言う事を知っていますか?
知ってらい!

10. AB型は好きですか?
希少的なところは好き。
 
11. AB型の人間に対して特別な感情が湧きますか?
ああ、この人もできそこないなのかなあ、と思う。自分がそうだからつい…。
 
12. 血液型についての本を持っていますか?
持っていない。

13. AB型について何かしら調べた事がありますか?
ある。

14. AB型の有名人をどれくらい知っていますか?もしくは,AB型をにおわせる有名人は誰ですか?
知らない。
 
15. 血液型の話題は気になりますか?
そこそこ。
 
16. 苦手な血液型は?
B型かなあ…。でも分かんない。そのひと次第。
 
17. A型に対するイメージは何ですか?
几帳面。ありきたりだね。
 
18. B型に対するイメージは何ですか?
おおざっぱ。ありきたりだね。
 
19. O型に対するイメージは何ですか?
おおらか。ありきたりだね。
 
20. AB型に対するイメージは何ですか?
できそこない。 

21. 自分を色に例えると何色だと思いますか?
36色。

22. 自分を家電に例えるなら何になると思いますか?
トースター。

23. パートナー(恋人,伴侶)にするならどの血液型を望みますか?
考えない。 

24. 貴方がパートナーに求めるものは?
分からない。

25. 積極的で社会的ですか?それとも,引っ込み思案ですか?
「積極的で社会的」に対する言葉は引っ込み思案じゃなくて、「消極的で個人的」みたいな感じのほうが語弊がないんじゃないでしょうか?
それでもどちらかというならば、引っ込み思案です。

26. 周りからクールだと言われた事がありますか?
そんな言われ方はしない。

27. よく気が付く方ですか?
余計なこと、腹が立つことにはよく気がつく。
 
28. 他人の目を気にしますか?
する。
 
29. 流行には敏感ですか?
必要最小限には。
 
30. 人付き合いでは人に合わせる事が多いですか?
人づきあいをしない。
 
31. 頼まれたら嫌とは言えない性格ですか?
どうかな。
 
32. 外への感情や欲求は抑えていますか?
抑えざるを得ない。
 
33. どれだけ仲の良い知り合いでも一定の距離を置きますか?
無意識にそうしているみたいだねえ…。 

34. どれだけ仲の良い友達でもたった一つの裏切りで評価が急降下する事がありますか?
はい。 

35. 本音を話せる友達はいますか?
友達じゃなくても本音で話すことが多い。
 
36. 内ヅラ,良いですか?
なあに? 内ヅラって。

37. そんな人だとは思わなかったと言われた事がありますか?
忘れた。

38. ちょっとした一言で人間関係が壊れた事がありますか?
忘れた。

39. 一人の時間を大切にしていますか?
いつもひとりだけど、大切には出来てないかも。 

40. さびしがりやですか?
どうかな? 世間一般からすると違うかもしれません。 

41. 実は内面に優越感を潜めていますか?
優越感はないけど、根拠もなく人を見下す癖がある。
 
42. 自信家ですか?
ぜんぜん。

43. プライドは高いですか?
高い。

44. 空想癖や妄想癖がありますか?
「癖」と言えるほどはありません。

45. 現実逃避をしがちですか?
はい。 

46. 占いや判定系が好きですか?又,その結果を信じますか?
好きじゃないけど、ついやってしまう。信じないけどちょっと気になる。 

47. 重要な決断を迫られる状況に陥った場合,どうやって決断しますか?
決断できない。

48. 楽観的ですか?
9割がた悲観的なのだけど、肝心なところで楽観的すぎてダメなんだ。 

49. 粘り強いですか?
そんな言葉は僕の辞書にない…。

50. 競争意識は強いですか?
競争は大嫌い。精神的な負担が大きい。ゲームとかスポーツも競争になるとすごく嫌だ。
 
51. 最後の最後で妥協しがちですか?
最初から妥協していることもあるよ。

52. 平和主義ですか?
主義って何? 単純に平和は望んでますけど…。
 
53. 睡魔に強いですか?
いいえ、ぜんぜん。
 
54. 待ち合わせの時間,きちんと守れますか?
守る人間だったのに、守れなくなった。自分に失望した。

55. 衝動買いは多いですか?
経済状況が許すなら、死ぬほど衝動買いしたいね。
 
56. 食いしん坊で間食好きですか?
食いしん坊ではない。間食はけっこう好き。
 
57. 長年愛用しているものがありますか?
17年前にハワイで買った、ひと山なんぼのチャチなキーホルダー。

58. 自分という存在がわからなくなる事はありますか?
どういう意味?
 
59. 風邪を引いた時,医者に行きますか?又,市販の薬を服用しますか?
医者には行かない。ひどい時は市販薬を飲む(買い置きがあれば)。
 
60. 暗記は得意ですか?
超苦手。 

61. ここだけの話,手先が器用ですか?
なんでここだけの話なの?  

62. 整理整頓はきっちりとやりますか?
やりたいね。
 
63. 人生設計は完璧ですか?
完璧…。完璧に失敗。
 
64. 蚊に刺されやすいですか?
知らんわい。

65. 時事問題には詳しいですか?
時事問題は耐えられないからあまり見ないようにしている。

66. 選挙には参加していますか?
参加? 

67. 知り合いがおごってくれるといいます.貴方の反応は?
どんな知り合いかによる。 

68. 血液型によって温度が違うとしたら,高い順に並べてください.
温度って血の温度? B、O、A、ABかな。 

69. 波乱の多い人生を送りそうな血液型は何型だと思いますか?
B型 

70. 実はAB型じゃなかったりしますか?
しません。 

71. 旅行をするなら国内外どちらにしますか?
どちらも。
 
72. 趣味の為ならいくらでもお金をつぎ込んでも良いですか?
はい。その金額を、誰にも迷惑をかけず、無理せずに準備できるなら。
 
73. 自分はどこかずれていると思いますか?
はい。
 
74. むしろ周りがずれていると思いますか?
えっ? そう言われるなら、どこに標準をおくか決めないと…。 

75. 世界にはAB型のいない国があると言われていますが信じられますか?
はい。

76. 逆にAB型しかいない国があるとしたらどんな国になると思いますか?
外交のヘタな国。 

77. 道端を歩いていたら,100万円落ちていました.貴方の行動は?
あたりを見回す。

78. もしもAB型という分類がなかったら,自分は何型に分類されていたと思いますか?
T-800型。
 
79. 生きる気力が乏しくなる事がありますか?
いつも乏しいよ。 

80. 貴方の死に対するイメージは?
現実。特別なものではない。
 
81. 献血に行った事はありますか?
忘れた。これからはもう行けない。 

82. 輸血を受けた事はありますか?
ないと思う。 

83. 臓器移植カードを持っていますか?
持ってない。 

84. 骨髄バンクに登録していますか?
していない。

85. 昔の自分と今の自分は別人として考える事はありますか?
そんな感覚になることはある。
 
86. 再び人として生まれてくるとしたらどの血液型を望みますか?
どれでもいいよ。
 
87. AB型以外に間違えられた事がありますか?
間違えられたことはないけど、A型ではないかと言われたことはある。
 
88. 自分のAB型度を"%"で表記してみてください.
100%に決まってるでしょ。
 
89. 成人式の格好は何でしたか?まだの方はどんな格好の予定ですか?
スーツにネクタイ。
 
90. 50年後のAB型人口比率はどうなっていると思いますか?
知るかい。
 
91. タイムマシンがあったとしたら,過去と未来,どちらに行きたいですか?
未来。 

92. 前髪は長いですか?
短い。

93. 身だしなみ,気にしますか?
はい。 

94. 座右の銘は何ですか?
「ケンカする気なら最悪の事態を想定してからにしろ」 

95. これはあり得ないだろうと思った食べ物はありますか?
”あり得ない”食べ物って何だ? あり得ない言葉づかいするんじゃない。

96. 好きな季節とその理由は何ですか?
冬。静かだから。虫がいないから。暑くないから。
 
97. AB型を漢字一文字で表してみてください.
柏 

98. 一つ自分で質問を作って答えてみてください.
ネタが切れたか? 

99. こんな質問を作った人はAB型だと思いますか?
知るか。
 
100. お疲れ様でした.最後に,今思っている事を五・七・五でお願いします.
『僕はなぜ こんなアホなこと やったのか(字余り)』

恥知らず、礼儀知らず

2008-08-17 18:34:42 | Weblog


Amazon.co.jpとGoogle、ともに僕がよく利用していたウェブサイトだ。

ネットで本やCDを買うなら必ずアマゾン。
検索するなら必ずグーグル。
そんなふうに、言ってみれば“信用して”使っていた。

その信用に確たる根拠はなかったけれど、やっぱりそれは裏切られた。

Googleの地図機能においての、空撮の異常な接近具合と画像の鮮明度を見た時から感じていた違和感が、ストリートビュー機能で嫌悪に変わった。

Amazonでは、カスタマーレビューを書いた人はペンネームを設定して匿名にしているにもかかわらず、登録者名(本名である場合が多いと思う)や「ほしい物リスト」、買い物履歴がウェブ上に表示されてしまうような設定になっていた。
これは設定を変えれば非公開にできるが、最近、変更された仕様らしいし、パソコンやネットを使い慣れていない人(あるいは好きではないが単なるツールとして使っている人)にとっては、気づきにくい。
そもそも、僕なんかの感覚からすれば、まずデフォルトで非公開の設定にするのが当然の配慮だと思うのだが…。

信用するのが間違っていたのだろうけど、とりあえず信用していたその2社が、そのような無神経なことをして、しかも、批判やクレームにも誠実な反応がないということが、(世間知らずな僕にとっては)かなりのショックである。
このことについて何度もブログに書こうとしたが、暗欝として全くペンが走らない。怒りに気ばかり焦って、表現が空回りする。ネットの知識に乏しいために、論理を展開できない…。
そんなことをしているうちに疲れてしまい、日が経った。

今日も書けない。

ネット上で批判をしている人もいるが、数は多くない。大勢はあまり気にしていないみたいだ。とくにストリートビュー機能は、楽しんで使っている人のほうが多いような気がする。

近年はとくに、人に対する敬意や礼儀、マナーがないがしろにされている。
知らない人が突然やってきて、自分の家を真正面から撮影していたら、誰だって不快感を抱くだろうと思うのだが、まさにそれをやってるGoogleをとがめようとしないのはなぜなのか。
公共の利益というものもまったく感じられない。
住宅地の狭い路地にまで入りこんできて写真を撮り、ネットに垂れ流すことが、なんの利益があるというのだろう。

連中は「法的には問題ない」と言う。
また、「プライバシーなんてものは今の社会にはない」と、開き直る。

でも、法律でものを言ってるんじゃない。
プライバシーはないんだから、じゃあ、プライバシーを侵してもいい、という理屈にはならないはずだ。
しかも、「問題がある場合は報告してくれ。善処する」
とくる。
いったいナニサマなんだろう?

これが、限られた範囲で完結する類のことならよいのだが、とくにGoogleの場合、ネットを利用しない人、Googleを全く知らない人にまで関わってくる問題なのだ。

今のところ、考えが整理できないのでこれくらいのことしか書けない。
ほんとうに、困った世の中になったと思う。
国とか軍じゃなく、民間の人間が、ほんの気軽な思いつきでこんな機能をホイホイとネットに流してしまうんだから。

自分や家族の身を守り、誇りを守ることが、日常的なレベルでさえ難しくなってきた。

コノメドキ

2007-04-08 16:14:17 | Weblog
先月末に次のような記事を書いて保留にしておいたのだが、ここに書いたこととはまったく関係のないある出来事によって、今は大きく心境が異なっている。でも、いちおう、掲載しておくことにした。

ああ、やだ、やだ、やだ、やだ……。
体調が良くなってきているからか…、それとも木の芽どきだからなのか…。
下半身からの欲求が脳内をめぐり、情緒を揺らす…。

何度かここへも書いてきているけれど、僕は”その方面”のことは得意ではなくて、自分では「他の人よりは淡白」なんだと思っているし…、そもそも異性に好かれもしないし…。
まあ、だからこそ、その情動の動きがうとましくて嫌いだ。

そんなものがあると、理性が濁る…、よけいなことを考える…、イライラする…。
冷静に、落ち着いた判断ができない。
異性に対して、的確で、適切な接し方ができなくなる。
人間としてではなしに、女性という肉体として視てしまう…。

そんなのは嫌だ。

僕は異性をまず人間としてとらえたい。
自分の情動の向かう矛先なんかとして位置づけたくない。
「肉欲を解放したいから」という理由でセックスしたくない…。

近年は、それがある程度うまくいっていた。
体調が悪かったこともあって、あまり欲求がわいてこなかった。
…いやいや、一番には、異性と接する機会がほとんど皆無だということがある。
最近は、あまり魅力を感じる女性に出会わないし…。

でも、それでも胸の奥がモヤモヤしてきたら…、楽しくもうれしくもないけれど事務的に、人の手を煩わせない方法で処理し、それで気持ちもおさまっていた。
それなのに…。
このごろ、それではおさまりきらないようだ…。

”その方面”のことが得意なら…、なにもこむずかしく考えず、適当に楽しめるタイプの人間だったら、楽なんだろうな…。

困った、困った…。
いやだ、いやだ……。


今は、否応もなく、そんな気持ちなどどこかへ飛んでいってしまった。”ある出来事”について、今後書くかどうかは分からない。ただ、今は疲れている。休みたい、それだけだ。