Wunder Kammer(驚異の部屋)

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「面白い人」だから会社を辞めるの?

2011-09-20 22:24:59 | Twitter
最近はちょっと突っ込んだ話はfacebookで書くことも増えたんだけど、あっちは非公開にしてるのでたまには考えたことをまとめておこうと思ってブログに書くことにしました。

ここ数日、高木新平氏の「博報堂を辞めました。」というエントリが話題になったことから始まったように思います。

高木氏のエントリについては、個人の理想と会社の方向性が違ったという意味で、ある程度共感もしたのですが、どうもネット上(ツイッター界?)では、そこではなく「会社を辞める」という所にスポットライトが当たっているようで、違和感を感じていました。

それは、佐々木俊尚氏が賞賛し、中川淳一郎氏のカウンター記事ツイートによって浮き彫りになったと思います。


佐々木氏のツイート


中川氏のツイート

さらに、高木氏のエントリに触発されたと思われるイケダハヤト氏の「『面白い人ほど会社を辞めていく』3つの理由」というエントリが出るにあたって、僕の気持ち悪さが閾値を超えたのでした。

「伝統的な企業社会」からスピンアウトすることが賞賛すべき理由なのでしょうか?
個人が繋がるから会社など関係なく好きなことが出来ると言いたいのでしょうか?

ソーシャル・メディアを肯定的に語る人は、時としてその価値を高めたいと思うがために、既存の何かと比較し貶めるという手法をよく使うように思います。

けれども、そのような二項対立にすることに何の意味があるのでしょうか?
そんな単純に割り切れないことは百も承知だろうに、自分達が担いでるモノの価値を高めるためだけに、社会経験の少ない若者を煽っているようにしか見えません。


そもそも、「会社を辞める」という行為は、目的を達成するための手段でしかありません。
その人が達成したい目的や目標があったとして、その時に所属している組織(例えば会社)ではその目的を達成することが困難だったり利益相反する、という場合に会社を辞めるという手段・結果を取る事になる、という話なのではないでしょうか?

そして、本来の自分の目標に向かうために、フリーだったり、起業だったり、別の会社だったりという新たな手段を検討するという流れなのだと思います。

つまり、「会社を辞める」行為を礼賛することは、目的と手段を取り違えている訳で、そもそも何故それを賞賛するのか?という意味が不明なのです。

また、「面白い人ほど会社を辞める」というのは、そういう信念の下で行動してる人だからこそ面白い(興味深い)と感じるのであって、面白い人だから会社を辞めるわけでもないし、会社を辞めるから面白い人な訳でもありません。
まあ、この辺はイケダ氏が冒頭に「なんか炎上しそうなタイトルですが」と書かれている通り、敢えてそういう反発を狙って書いたようにも見受けられるのでこれ以上突っ込みませんが…
(面白いのは、イケダ氏も中川氏も同じ手法を駆使されてるという点ですが、これはまたいずれ)

なんだか、「会社」という所には面白い人はいないって言いたいみたいですけど、「それは残念でしたねぇ」って話でしかないんじゃないのかな?と思ってしまいます。

「会社」という枠を飛び出さないと面白いことが出来ないっていうのが、どこまで本気で自分のやりたい事に取り組んだ結果なのか、読者に伝わっているのでしょうか?

多分、イケダ氏や佐々木氏の周りには、普通の人の何倍も頑張っている凄い人たちが沢山おられて、そういう人達は本当に「会社という枠」では収まりきらないのかもしれません。

けれども、これらの記事を読んだごく普通の一般の人は、勘違いしてしまうと思うんですよね。
中川氏が指摘したのもそういう部分だと思います。

煽られてその気になって失敗するのは自己責任だとは思いますが、これらの礼賛記事が「ソーシャルメディアで繋がるって凄いんだぜ」論を強化するための燃料として使われているように見受けられて、非常に残念な気持ちになったのでした。