Andante

ルードヴィヒの日記のような戯言集
画像サイズ1072*768推奨ですよっと

ダレイオス1世とエパメイノンダス

2005年09月17日 12時18分12秒 | 大航海時代
縫製上げのためにインドまで来てますが、一応冒険メインのつもりなのでたまには発掘に行ったりしてます。

で、今回の発掘品の「ダレイオス1世の兜」。手持ちの服(鎧)のどれに合うかなーといろいろと試着。




やはり兜ですので鎧によく合う。2番目の「聖王の鎧」でもいいんですが、やはり同時代同地域の「エパメイノンダスの鎧」(5番目)の方がよく似合う。意外と1番目の古代人の服も似合ってたりして。^^;といったところで解説。

ダレイオス1世

アケメネス朝ペルシアの君主。ギリシア語でダレイオス、ラテン語でダリウス、ペルシア語ではダーラヤワウ。紀元前500年頃の人。
元々は分家の出であったが当時混乱していたペルシア帝国をまとめて王となる。
帝国内の混乱を静めると内地の整備に取り掛かる。帝国を20州に分け総督を派遣し、有名な「王の目、王の耳」と呼ばれた監察官や密偵に巡察させたり、「王の道」をはじめとする道路の整備、新都ペルセポリスの建設などがこれにあたる。
大王と称された王の治世中にアケメネス朝は最盛期を向かえ、インダス川からトラキアに至る広大な版図を誇った。晩年には有名なペルシア戦争の端緒を作った。

エパメイノンダス

ギリシアのテバイ(テーベ)の政治家、軍人。紀元前400年頃の人。
当時はスパルタがギリシアの覇権を握っていたが、エパメイノンダスとペヒタロス両名によって、急速に力をつけてきたテバイはスパルタとの和平決裂を機にスパルタと開戦。ギリシア随一のスパルタ軍のファランクスをエパメイノンダス考案の斜線陣をもって破り(レウクトラの戦い)、ギリシアの覇権を握った。
マンティネイアの戦いにおいてエパメイノンダスが戦死するとテバイは急速に力を失い、覇権はこの後マケドニアへと移っていった。

エパメイノンダスについてはこちらのページでもとりあげられてますね。少々古い記事ですがtrackbackつけちゃお^^。

次回は今回出てきた「聖王の鎧」のルイ9世を予定。




追記(9/17 22:45)
ペルシアといったらやっぱりこれ。わかる人だけわかってください。w

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして~ (meke)
2005-10-02 02:02:30
ご報告がおそくなってしまい申し訳ないです。

トラックバックありがとうです。これからもよろしくでっす^^
返信する