遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

ここまでの道その14 東京と京都を何度も往復する人生へ

2020-09-23 08:41:00 | スピ的自叙伝
自分の人生をスピリチュアルな視点から見た物語にしていこうと思います。
もう少し続きます(*^_^*)
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ここまでの道その14 東京と京都を何度も往復する人生へ

大阪で夢解き講座を開いた私は、充実した時間を味わうことができました。

その時集まった人が全員同じ苦しみを持っていたことで起きた涙涙の感動のフィナーレを、今でもありありと覚えています。

そしてその後、仕事だから泊まりがけでも出かけることができる、と言う新しいルールができました。

光の言葉を教えてくれた師匠がまた札幌に来ることになり、その時にニセコの山に登ることになりました。

朝から登ると言うので一緒にいけないと思っていると、旦那さんに聞いてみたらいいよと師匠が言うのです。
仕事の研修で泊まりがけでニセコに行かなければならないと伝えたところ、大変渋々ですが許可してくれました。


これは支笏湖

関西の人たちから、時々研修を開いてほしいと依頼があり、3ヶ月に1度ぐらいの頻度で関西に行くようになりました。

横浜で大きなセミナーがあるからと東京に行くようになりました。
そんなことが1年以上続いたでしょうか。

私はアロエの仕事で大きなランクに上がり、年に1度開催される大きな会場に1万人以上が集まって開かれる表彰式に招待されました。

その招待が決まる直前に横浜に行った時に、いつかそこに泊まりたいと宣言していた、ヨットの形をしたホテルが私の宿泊先に指定されました。
またもやすぐに実現したのです。

表彰式に呼ばれて横浜に行くことになった。全部無料だから行ってもいい?

その言葉は、仕事だから行ってもいいルールに則ってあちこち出かけるようになった私を、苦々しく思っていた元夫に、反対する良い口実になりました。

元夫は烈火のごとく怒りました。

表彰とはなんだ!
お前は子供たちのために少しでも収入を増やしたいから仕事をしていたのじゃなかったのか?
仕事をもっと増やすために京都や東京に行っていたのは目をつぶってきたが、表彰式なんてチャラチャラしたものに、ピラピラした洋服を着て舞台に立つために子供を犠牲にする事は絶対に許さない。

つまり許可が下りなかったのです。

私は諦めることを嫌と言うほど叩き込まれていた。
それまで表彰式に出ることを夢見て、表彰式でスピーチしている自分を何度も何度も鏡の前でイメージしていたにもかかわらず、早々に諦めました。

ですが彼の怒りはそこでは終わりませんでした。

お前がそんな自分が目立ちたいために仕事をしていたことがよくわかった。
よくも今まで自分のわがままで子どもを犠牲にしてきやがって。
もうぜってえゆるさねえ。
今すぐ上司に電話してアロエの仕事をやめろと言え!
と電話を渡してきたのです。

その時私のグループには400人近くいたわけですから、私がやめてしまうとあの人たちがみんな困る。
本当にそう思ったし、何よりここまで頑張ってきてやっとランクも上がってこれからと言う時に止めなければいけない理由が自分の中に何一つなかったのです。

でも一方で着実にランクが上がっていく私を、そして収入が上がっていき、自由を取り戻そうになっている私を、苦々しく思っている事はずっと感じていましたから、これを覆すのは難しいと思いました。

だから私は寝室に行き、潜在意識マスターである上司に電話をして、事情を話してこれから私のグループの人たちのフォローをお願いしますと頼みました。

マスターは言いました。
もちろんフォローはするから安心して。
だけどあなたはどうしたいの?

やめたくなんかないし表彰式にも行きたいです。
泣きながらそう答えると、
だったら表彰式に出ているイメージを持ちなさい。
そして思いをノートに書き続けなさい。
きっと実現する。
頭で考えて無理だと思っても、思いの強さで必ず実現させるから。
だから強くイメージしなさい。

私は泣きながら部屋でノートに書きました。
元夫は、自分がやったことで私が苦しんでいるのはよくわかっていたので、部屋で一人きりでいても、無理矢理部屋から引きずり出すようなことをしませんでした。
だから私は夜までひたすら書き続けました。

そして私は1人でノートにかけるときひたすら書き続けました。

3〜4日経った時です。

元夫が急にこんなことを言い出したのです。

4月から東京で働くことになった。
だから東京に転勤する。
お前の横浜の表彰式は4月だろ?
その時向こうで会おう。

それと1ヶ月に一回埼玉でセミナーがあってそれに行きたいって言ってただろう?
俺の母親に頼んでガキどもの面倒を見させてやるから、1ヵ月に一回東京に来い。

ランクが上がったら通えることになっていた潜在意識セミナーに出たいと口にしていたことがあったのですが、覚えていたようです。
そして、自分が東京に1人でいるのは寂しいから1ヶ月に1度そのセミナーの時に自分に会いに来いと言うのです。

本当に何が起きたのかわかりませんでした。

全部諦めていたのに、アロエやめろと言った事など全くなかったようにそう伝えてくる元夫に、ただありがとうとだけ伝え、速攻で表彰式に出席の返事を出しました。
それから月一回東京に通う日々が始まりました。

そしてそれは、離婚するまでは得られないと思っていた自由の始まりでした。
離婚したら子供と会えなくなるから、全員成人するまで離婚しないと覚悟していたのに、予定より15年ぐらい早くわたしは自由を手にできたのです。

本当に潜在意識がわたしの人生を変えたのです。

改めてあの時、すべてを諦めていた私に、どうしたいのか心を見つめて叶うまでかけ続けると言ってくれたメンターに感謝しかありません^ - ^

つづく

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