ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

自分の過去を振り返る23

2008年10月17日 16時41分27秒 | Weblog
息子と二人暮らしを5年続けて、老いた両親も加わって、家族が助け合って暮らしていこうと考える。
母の認知も、自分が関わって話し相手となることによって、これ以上悪くならなければ良いなというくらいの思いだった。

認知症の親と暮らして、これが現実という毎日を送ることになった。
この内容は、認知症の親を介護しようと考える方々に広く伝えたいと思う。

まず、30年近く離れて暮らしていた親子が、老いて暮らすことになった場合、私のような例が生じることを知ってもらいたい。

まず、生活習慣が異なる。
夜10時以降、居間で明かりを点けてTVを観ていると、両親が気になって眠れず、たまに怒鳴り込んでくることがあった。
食事も、好き嫌いや食べやすさなど、1食、1食を毎回勉強しながら、食べていただく。
老いのために、入れ歯の調子が悪かったり、体調が良くなかったり、どこか調子が悪いことを積極的に言ってもどうにもならないと考えて、我慢して、結局、その辛さを家族にぶつけることがある。一番辛かったのは、孫である息子だった。
息子は理不尽な事を言われると、意見するようなはっきりした少年だったので、両親は驚いて、孫である息子を怒鳴っていた。息子は、祖父母と一緒にいたくないので、奥の私の仕事部屋の隅で、携帯電話のワンセグでTVを観ていた。口数も減り、元気を無くしていた。

母は転居で認知症がひどくなったせいか、トイレの場所を理解するのに、1ヶ月かかった。夜中のトイレに付き添うのは、父だったので、父も大変だった。
次の1ヶ月で、洗面所の場所を覚えてくれたのは、良かった。
しかし、糖尿で食事制限が必要で心がけていたが、炊飯ジャーに鍵をかけることができなかったので、あるはずのご飯を、母が隠れて食べていて、困ったことがあった。
母は、少しでも食事の時間が遅れると、騒いだ。食事時間の1時間前に私が食事の用意で台所に立たないと、不安がって騒いだ。その騒ぎがうるさいといって、父は母を怒鳴った。
また、父を自分の夫と認識せず、お友達で、田舎の別の家に夫を置いてきたので、早く帰りたいとだだをこねるのが、毎日夕方に起こる現象だった。
いつも母に寄り添って優しい言葉をかけてあげられるような環境にないと、騒いだり家を出て行こうとした。

家の中の仕事部屋で仕事をしていても、常に気を配っていては、仕事に集中できず、生産性の高くない仕事振りがほとんど厳しい状態になった。

そこで、ケアマネジャーを友人から紹介してもらって、ディサービスを頼んでその選定や面談をして、母を毎日朝9時半にお迎えに来てもらって、午後3時半に帰ってくるような生活で、父も心身ともに休まるので、状況が良いかと思ったが、それは1週間の出来事で、母と一緒にいる時間は、父が母を怒鳴ることは減らなかった。

友人の紹介で、神経内科の医師に診断をあおぐと、父も軽い認知症だという。
そこでケアマネジャーに相談し、父もディサービスに行き、両親のお風呂や昼食など、少し楽になった。
しかし、すでに両親同士や、息子と両親の確執は、根付いてしまって、父は母に乱暴をし、息子も無口になった。ケアマネジャーに相談すると、私が留守の時の息子の様子がおかしい、ということで、両親と別居の方向に、生活環境を変えないといけないという判断をされた。

毎日のように、父が母に乱暴な言葉を出し、手を出して、母が悲鳴をあげている状況を、私がその現場に飛んで行って、その場を止めることはあっても、エンドレスの状態となっていたのだろう。私がいないときの両親の現場に、息子は心を痛めていたようだ。

二人のホーム選びも含めて、区役所の福祉課に相談する。
幸運にも、ケアマネジャーさんの働きで、グループホームが見つかり、それぞれ面談をして、すぐに入所、転居となった。

私と息子と住んで、半年も経たず、家族が別れてそれぞれ住むことになったが、また、安心して息子と暮らすことができるようになった。
私の力不足、と、自分が弱者で、人の力を沢山借りないと、幸せな人生を送れないと、身をもって知った。

老いてから、遠い場所に暮らすようになるには、相当の覚悟がいる。
認知症では、変化を嫌う。
昔の良かった時代に戻って、その中で暮らしている分には、良いが、現実は、専業主婦の方が、時々ショートステイで介護対象者を預かってもらいながら、普段は、毎日平日をディサービスを利用して、介護するのが、介護するには良い環境だと考える。

子育てと仕事と介護の3立は、私の場合、無理だった。
子育てと仕事でさえ、アップアップして、息子が満足する経済生活には無いと思うのに、親の介護は、それ以上に厳しかった。

両親がホームに行って、それぞれに悲しい思いをしたが、自分たちが介護で身体を壊して人生をだめにすることはないと、福祉のプロの人のアドバイスで、自分たちが出来る親孝行をしようと気持ちを切り替えた。

昨年末に両親がホームに転居して、やっと皆が、自分たちが安心して暮らせる生活を取り戻したようだ。
父は、自分の好きな侍物のドラマやTV中心に、ゆっくり美味しい食事を食べて、ゆっくり暮らしている。母は、いつもそばに介護の方がいて、食べ物の管理もされて、糖尿病もすっかり良くなった。
息子も、元来あった積極的で自分の意見をはっきり言う性格を取り戻し、少年野球や友人との遊びを満喫している。
私は、仕事や勉強会への参加も、調子を取戻しつつある。
ただ、自分でもいろいろと今回の両親との生活で気付きを得て、それを整理して自分の今後の老後を含めた人生を考える。

両親との半年の暮らしは、その気付きのためにあったように思うほど、人生について考える機会をいただいた。

明日は、その人生観について、語ります。
過去を語るブログは、これにて一旦、修了します。
読んでいただいて、ありがとうございます。
感謝



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