ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

年老いた父に進言

2012年03月11日 21時00分01秒 | Weblog
82歳の父。
郷里は石川県。4年前に私が住む札幌に移り住んで来てくれた。

アルツハイマー症の母の介護ができずに、実家はごみ屋敷寸前、火事も危惧された。
福祉の力を拒絶した父を説得して、なんとか来てくれた。

こちらへ来て一緒に住み始めたが、父も感情面で認知症だろう、感情のコントロールが厳しくなった。
ずっと母に暴言を言って、家族にも手をあげようとするので、福祉の力を借りて、認知症専門の医師のアドバイスのとおり、父と母が別のグループホームへ入所となった。

父はどこへ行っても気に入らない。
ふるさとの豪邸だった昔の家、働き盛りだった自分、よく働く明るい母、そして、スポーツも勉強もがんばっていた娘がいた時代へ戻りたいのだ、と気づいた。

でもみな年をとる。
惚れ込んでいた母も手がかかってどうしようもない。
自分も家事をやれない。
娘も仕事が忙しそうで、頼ることができない。

しかし、どうにもならなくなって娘が住む土地へ引っ越してくれた。

今住むグループホームで同居する他の入居者たちの認知症状が許せないようだ。
いや、老い事体が嫌で嫌でたまらないのだ。
でも自分も身体が思いようにならない、他の入居者が人前で入れ歯を出し入れする姿、トイレを失敗すること、食べ方が汚いなど、ずっと同じ話をする。

何年も同じ話をそれなりに相槌をうちながら聴いていたが、今日はなんだか言いたくなった。
「どこへ行っても、どの社会でも、嫌な面はいくらでもあるよ。完全に思うような天国は、どこにもないよ。汚い面、嫌な面ばかりを見ていたら、ずっと嫌な暮らしだよ。今ある良い面、便利なところを見てほしい。嫌なところは、その人に怒鳴るんではなくて、世話をする人に静かに伝えて、きれいな自分の部屋に休んでほしい。このホームは食事やおやつ、珈琲がおいしくて、世話をされている人たちはがんばっているホームだよ」

ここまで言わなくても良かったかもしれない、と反省している。
父も、老いた生活は受け入れがたいのだろう。
82歳まで父の両親は生きなかった。

今のホームでは、一般的な規定か、入浴介助も週に2度あり、清潔な衣類も用意してくれる。医療面でもサポートされて、日々、栄養面を考えられた食事は、いつ行っても彩りがよくてよく考えられていると見る。

今日は特に震災から1年目だったので、手厚い介護を受けられていない、東北被災地のお年寄りの姿も想像したのか、今まで溜め込んでいた思いを父へ伝えてしまった。

こういう父も昔は優しく黙って辛いことを笑って忍耐していた姿を知っている。
老いるということは、こういうことなのだ、と受け取る。

感謝



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1 コメント

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ボクも (とも)
2012-03-12 16:36:24
祖母がホームにいます。
(偶然、同じ日にブログアップしました。)

もう、ボクが知っている昔のお婆ちゃんではなくなっています。
寂しいけど、これが現実なんですよね。

次はボクの親の番、そしてその次はボクの番。

お世話をしてくれるかたがいるなら、感謝は忘れないように、と今は思っていますけど、自分の番のときにそれができるかどうか。
自信ないかもです。

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