突然ですが、私が今興味を持っている領域は
リプロダクティブ・ヘルスです。
日本語に直訳すると“
性と生殖に関する健康”と訳されるようですが、私自身はあんまりこの言葉が好きじゃありません
子どもを産むことが女性の義務であるかのようなこの言葉は、時に人を傷つけてしまうように思うからです。
あるHPで、この言葉が“
女性の生涯に渡る健康”と意訳されていました。
私はこの言葉のほうがしっくりくるかなって思います。
WHO(世界保健機関)の定義では。
①女性が自ら妊孕性(妊娠が可能である状態)を調節できること
つまり、何時、何人の子どもを産むのかを自分で決めることのできる権利があるということ
②全ての女性が安全な妊娠・出産ができるということ
③全ての新生児が健全な小児期を過ごせること
④性感染症の恐れなしに性的関係を持てるということ
があげられています。
従来、産科と小児科は別の領域であると考えられ、出生後に医療を必要とする子どもに対しての援助が、連携が不十分なためにスムーズにいかないことも多かったと聞きます。
それぞれの専門性を極めることも大事だけど、同時に他の領域と連携し、情報交換をしあうことも重要なのではと思う今日この頃。
“
産科=生の喜びに満ち溢れた場所”というイメージが一般的かもしれない。
でも、必ずしも五体満足で元気な赤ちゃんが生まれてくるとは限らなくて。
流産・死産を経験したお母さんや、障害を抱えた子どもを授かったお母さんの手記を読むと。
心のケアってまだまだ遅れているんだなって実感させられる。
お母さんが一番不安で、一番心細いときに、医療従事者から浴びせられる言葉の影響って大きくて。
そういった心のケアをしっかりとできるようになりたいと思ったのが、この領域に興味を持ったきっかけです。
これで本日3回目の更新。
ちょっとウザイかもだけど、周産期に関してちょっと思うことがあったので書きます。
さっきまで、日本テレビでやってた
『生命遺産~生命の力~』。
すごく印象に残ったテーマが二つあったので紹介したいと思います
■
母の強さと子の生命力
脳内出血で昏睡状態に陥りながらも、8ヶ月間お腹の中で赤ちゃんを育てあげ、無事に出産した女性のことが取り上げられていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
妊娠初期、突然の脳内出血に倒れ、病院へと運ばれた母親。
しかし、その病状は重く、手術を途中で断念しなければならないほどだった。
母親は深い昏睡状態に。
しかし、彼女のお腹の中で赤ちゃんは懸命に生きようとしている。
母親の命はダメかもしれない。
それでも、赤ちゃんが助かる可能性にかけるため、延命治療を施すこととなった。
妊娠8ヶ月、胎児は帝王切開に耐えられるまでに成長していた。
生まれてきたのはなんと双子の女の子。
生まれたばかりの二人を母親に対面させようと枕元に寝かせると。。。
深い昏睡状態にあった母親が目を開き、娘達を見つめる。
奇跡だった。
その後双子の女の子はすくすく成長し、母親にも昏睡が長かった割には重度の障害は残らなかったのだという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
母親ってすごいと思った。
意識のない体でも、頑張って赤ちゃんを育てようと体が働くんだね。
医師にも見放された女性が、意識を取り戻し、今は子どもと一緒に幸せな毎日を送っている。
人の体って、科学だけでは説明できない底知れない力を持ってるんだと思う。
『病は気から』ってよく言うけど、こういうことなのかなって。
人が“生きよう”と懸命に頑張る姿は必ず周囲に何らかの影響を与えてるんだろうね。
■
ドイツ国際平和村
ドイツ国際平和村は、1967年7月6日、ドイツ市民の手によって紛争地域や危機に瀕した地域の子どもたちを助けるために設立された施設です。
紛争などで傷つき、母国で治療することが困難な子どもたちや病気を背負った子どもたちに、ヨーロッパの進んだ医療を提供することを目的としているようなのですが、正直私は今日テレビを見て初めてこの施設の存在を知りました。
子どもたちは母国の家族と離れて治療をすることになります。
治療のためドイツの地に初めて降り立った子ども達の顔には不安の色が。
そして、笑顔はありませんでした。
おびえる子。表情を変えずに仮面のような顔をした子。
見ててつらかったです。
この施設で治療を受けるにはいくつか条件があって。
1、母国ではその子どもに必要な治療ができないこと
2、ヨーロッパでの治療で治る見込みがあること
3、治療後、子どもたちの帰国が家族や政府によって保証されていること
4、家庭が困窮していること
番組の中では、紛争によって両腕を失った少年が紹介されていました。
この少年がより良い生活を送るために、医療者にできることは何か。
優れた義手を提供すること?
答えはNOです。
ここでこどもたちに与えられるのは、ひとりでも『生きていける』チカラ。
なぜならこどもたちはここからまた戦火の故郷に帰っていくのだから。
彼が義手を手にし故郷に帰ったとして。
そこで待ち受けているのはいつ終わるとも知れぬ紛争状態。
もし、何らかの原因によって義手が壊れてしまったら。
自力で生活のできない彼を待つものは。。。
ここでは残された前腕の二本の骨を利用して、新たに二本の指を作るという治療法が施されていました。
彼が故国に帰った後も、自力で日常生活が営めるように。
“生きる力”って何なのかなって、すごい考えさせられた。
私にとっての生きる力は、“自立できる強さ”や“明日に対する意欲”だった。
でも、そう思えるのは、その他の欲求がきちんと満たされているからで。
“生きる力”が“走ることができる”ことであったり、“物事を正確に認識できること”であったりする子ども達がいて。
そんなこと普段は認識してないから、今自分に与えられた能力を“当たり前のこと”だと思ってしまっている。
でも、それは決して“当たり前”ではなくて。
なんかうまくまとめられないけど。
今こうやって毎日を楽しく過ごせてることは幸せなことなんだなってのはなんとなくわかった。
ちょっとの援助で幸せだねって笑える人が増えるんだってことも。
こういうテレビの特番とかって、本当に多くの人が見てる。
愛知万博についても言ったけど、みんなが今すぐ行動を起こすっていうのは難しい。
でも、こうやって少しずつ考えていくことが重要なんだろうね。