男が恋愛小説家だったからこそ成り立った物語のような気がする。。
母が招待チケットを持っているというので一緒に行ってきました。
まぁなんですね、こういう映画を母親と観るというのはなんとなく恥ずかしいものがありますね。
それに実はこの映画観賞の後日、別の映画を観てすっかりそちらの世界観にハマってしまい、正直言ってこの映画に関する印象がぶっ飛んでしまいました。
でも途中まで書いてあったし、後回しにしたら観たことも忘れてしまいそうなので一応アップ!(^^;;;
日経新聞朝刊の連載ながらその性愛描写の激しさで話題騒然となり、「愛ルケ現象」なるものを巻き起こした渡辺淳一原作の同名小説の映画化。
かつては恋愛小説の人気作家だった村尾菊治(=豊川悦司)が情事の果てに絞殺してしまった女性は、彼のファンで3人の子を持つ人妻の入江冬香(=寺島しのぶ)。女性検事の美雪(=長谷川京子)は、“愛しているから殺した”という村尾の言葉に戸惑いながらも、2人の過去を探っていく。 。
「この純愛が理解できないのは感性が劣っている」
と淳一先生はおっしゃったとかおっしゃらなかったとか。。(苦)
映画の中で余貴美子さんのBarのマダムのセリフに「女も男もそれぞれ2種類しかいない」というようなのがあって、それが「女は本物の絶頂を感じたことがあるかないか、男はそれを導ける男であるか否か」の2種類だというので、村尾と冬香の恋愛に共感できるかどうかはひとえにこのことにつきるかのように思われているところに、この映画を語るのは少しこっ恥ずかしい思いがして、先生の術中に陥る感じがちょっとムカついてしまったりしています。(笑)
まぁ、彼らに共感できるかどうかはとりあえず置いておいて、まず映画について。
映画は思いのほかとても良く出来ていたと思います。
原作は未読なので何も語れませんが、映画はきちんと事件として裁判で検証しつつ、絞殺するにいたった心理分析をしながら二人の愛の形を徐々に明らかにしていく、という展開でなかなか見応えがありました。
殺人罪を主張する検察側と嘱託殺人に持ち込もうとする弁護側。
わたしはトヨエツの演技を見ながらこれは過失致死罪ではないかと思っていたので、まず嘱託殺人という言葉に最初衝撃を感じたのですが、実はこれこそが村尾の「プライド」あるいは「境地」だったのだと思う。
村尾は調書の言葉遣いひとつひとつにも非常にこだわり、自分達の愛の純粋性を訴える。
「冬香を情事の果てに殺された愚かな女にしたくない」
「誰も冬香の本当の姿を知らないんだ」
決して保身のためではなく、自分達の愛の本質を理解してもらいたいだけなのに、周囲の見解との隔たりはあまりにも大きく、空しい。。
そして裁判が進むにつれ、村尾自身も客観的になることで、冬香の本当の真意が表面化してくるのでした。。。
非常に豪華な出演陣で、しかも各人の演技がとても素晴らしいのもこの映画の魅力のひとつ。
特に最後の証言で登場した、冬香の母親役である富司純子と、トヨエツの娘役の貫地谷しほりの本気の泣きの演技にはグッときました。
主演のトヨエツは本当に美しいカラダをしていてムードもあったし、対する寺島しのぶは決して美人ではないけれど、3人の子持ち主婦が初めての絶頂を知り村尾にのめり込んで行く表情は非常にリアルで、痙攣しちゃったりとか芸も細かかったりで、それなりに見応えはありました。
なにより淳一先生的理想の女を体現していて、演技の巧さにはあっぱれでしたね。
が、しかし・・・
映画の半分が官能描写だったらしいのに、ちっとも官能的に感じられませんでしたー!(苦)
まぁ、ぶっちゃけ結局は「寺島しのぶのハダカが見たいか?」ということに尽きるのかもしれませんが(ファンの方すみません^^;)、2人の息遣いが狂おしいほどに心に響いて来ることはなかったです。
(この後に観た『僕は妹に恋をする』の松本潤と榮倉奈々のラブシーンの方が、よっぽどドキドキして胸が息苦しくなりました。といってもこの映画がハマッてしまった映画ではないんですけども…苦笑)
一瞬でお互いに(特にトヨエツ側が冬香に)一目惚れしたのが実感として納得できなかったし、本来ああいう関係を続けることで美しく変貌していくであろうヒロインが、あまり変化がない(というか、あれが美しさの限界なのか?)のも、あそこまで執拗に性愛描写をしたことになんら説得力が感じられませんでした。。
ただ、では彼らの恋愛を理解できないか?共感できないか?というとまたそれは別の問題で。
あの年になってでも運命の相手と出逢えたことは幸せだと思うし、ああいうふうにハマっちゃうと家族とか関係なくなってしまうのもあり得ることだと思う。。
普通はそういう自分に正直でいられることは難しいと思うけれど。
そしてそういう出逢いは非常に破滅的で、続けることはできてもあのテンションは決して長くは続かないもの。
それなのに、ああなるとどちらかが目の前からある日突然姿を消したりしない限り、終わらせることもできなかったりする。
女はどんどんのめり込み、男はいつの間にか飽きてくる・・・
冬香はなんだかんだ理由をつけても、結局、村尾との関係が長くは続かないこと、そのこと自体が苦しかったのだと思う。
周囲への後ろめたさなんて理性では感じても、本当は、本能では感じてないんですよね。
だからこそ最後の女になるために村尾に自分を殺させたわけであって、それを「選ばれた殺人者」として感動するオメデタさは、“恋愛”小説家だからこそ辿り着く境地なのではないでしょうか。
ただ、冬香のこの最終的な決断の真意にはやはり共感できません。。
そんなに苦しいなら、ひっそりと、家族の前からも村尾の前からも消えればいいのに、と思ってしまう。
でも村尾が「選ばれた殺人者」として感動する人間だとわかっていたから、こういう手段をとったのかもね。
・・・嗚呼そうだ。。肝心のことをまだ書いてませんでした。(まだ続くの?というクレームはなしの方向で^^;)
ハセキョーです。。
あのエロエロビ~ムはなんなのでしょうか?
ある意味、寺島しのぶより断然エロチックでゴクッとしましたが、なんとなく役の解釈が過剰に誇張されて間違った方向に出てしまった気がしました。
本人はおそらく渾身の演技をしたつもりだと思いますが。。(苦)
この役は物語の核心をつく重要なセリフを語る極めて重要な役なのです。
自身の境遇ともシンクロさせながら、あのセリフに行き着く・・・そして、それを聞いた観客がすでに死んでしまったヒロインの真意を知って彼女の別の面を垣間見、その存在感・凄みにギョッと息を呑み戦慄を覚えながら、そこから一気に裁判でのクライマックスシーンへと昇華するのです。。。
クライマックスを引き出す非常に重要なシーンなのに、あのセリフを吐くまでの過程であまりに自身が酔っちゃっててインパクトが薄まってしまいました。
あそこがビシッと決まらなかったがために、もしかしたらけっこうな傑作になったかもしれないのに、なんとなく最後のトヨエツの言葉も「オメデタイな~」「ありえないだろ、フツー」で終わっちゃった気がします。
そんなわけで…
ルールーのお気に入り度
★★★★★★(60点/100点満点)
※忘れちゃいそうとか言いつつ、長く語るわたし・・・(苦笑)
映画は悪くはなかったのですが、できれば鈴木京香とかで観たかったかなー(^^;;;
ところで、渡辺淳一先生はいつから恋愛小説家になったのでしょうかね?
渡辺作品は、初期の作品の方が断然好きです。
直木賞を受賞した『光と影』などのいわゆる医療モノ。
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母が招待チケットを持っているというので一緒に行ってきました。
まぁなんですね、こういう映画を母親と観るというのはなんとなく恥ずかしいものがありますね。
それに実はこの映画観賞の後日、別の映画を観てすっかりそちらの世界観にハマってしまい、正直言ってこの映画に関する印象がぶっ飛んでしまいました。
でも途中まで書いてあったし、後回しにしたら観たことも忘れてしまいそうなので一応アップ!(^^;;;
日経新聞朝刊の連載ながらその性愛描写の激しさで話題騒然となり、「愛ルケ現象」なるものを巻き起こした渡辺淳一原作の同名小説の映画化。
かつては恋愛小説の人気作家だった村尾菊治(=豊川悦司)が情事の果てに絞殺してしまった女性は、彼のファンで3人の子を持つ人妻の入江冬香(=寺島しのぶ)。女性検事の美雪(=長谷川京子)は、“愛しているから殺した”という村尾の言葉に戸惑いながらも、2人の過去を探っていく。 。
「この純愛が理解できないのは感性が劣っている」
と淳一先生はおっしゃったとかおっしゃらなかったとか。。(苦)
映画の中で余貴美子さんのBarのマダムのセリフに「女も男もそれぞれ2種類しかいない」というようなのがあって、それが「女は本物の絶頂を感じたことがあるかないか、男はそれを導ける男であるか否か」の2種類だというので、村尾と冬香の恋愛に共感できるかどうかはひとえにこのことにつきるかのように思われているところに、この映画を語るのは少しこっ恥ずかしい思いがして、先生の術中に陥る感じがちょっとムカついてしまったりしています。(笑)
まぁ、彼らに共感できるかどうかはとりあえず置いておいて、まず映画について。
映画は思いのほかとても良く出来ていたと思います。
原作は未読なので何も語れませんが、映画はきちんと事件として裁判で検証しつつ、絞殺するにいたった心理分析をしながら二人の愛の形を徐々に明らかにしていく、という展開でなかなか見応えがありました。
殺人罪を主張する検察側と嘱託殺人に持ち込もうとする弁護側。
わたしはトヨエツの演技を見ながらこれは過失致死罪ではないかと思っていたので、まず嘱託殺人という言葉に最初衝撃を感じたのですが、実はこれこそが村尾の「プライド」あるいは「境地」だったのだと思う。
村尾は調書の言葉遣いひとつひとつにも非常にこだわり、自分達の愛の純粋性を訴える。
「冬香を情事の果てに殺された愚かな女にしたくない」
「誰も冬香の本当の姿を知らないんだ」
決して保身のためではなく、自分達の愛の本質を理解してもらいたいだけなのに、周囲の見解との隔たりはあまりにも大きく、空しい。。
そして裁判が進むにつれ、村尾自身も客観的になることで、冬香の本当の真意が表面化してくるのでした。。。
非常に豪華な出演陣で、しかも各人の演技がとても素晴らしいのもこの映画の魅力のひとつ。
特に最後の証言で登場した、冬香の母親役である富司純子と、トヨエツの娘役の貫地谷しほりの本気の泣きの演技にはグッときました。
主演のトヨエツは本当に美しいカラダをしていてムードもあったし、対する寺島しのぶは決して美人ではないけれど、3人の子持ち主婦が初めての絶頂を知り村尾にのめり込んで行く表情は非常にリアルで、痙攣しちゃったりとか芸も細かかったりで、それなりに見応えはありました。
なにより淳一先生的理想の女を体現していて、演技の巧さにはあっぱれでしたね。
が、しかし・・・
映画の半分が官能描写だったらしいのに、ちっとも官能的に感じられませんでしたー!(苦)
まぁ、ぶっちゃけ結局は「寺島しのぶのハダカが見たいか?」ということに尽きるのかもしれませんが(ファンの方すみません^^;)、2人の息遣いが狂おしいほどに心に響いて来ることはなかったです。
(この後に観た『僕は妹に恋をする』の松本潤と榮倉奈々のラブシーンの方が、よっぽどドキドキして胸が息苦しくなりました。といってもこの映画がハマッてしまった映画ではないんですけども…苦笑)
一瞬でお互いに(特にトヨエツ側が冬香に)一目惚れしたのが実感として納得できなかったし、本来ああいう関係を続けることで美しく変貌していくであろうヒロインが、あまり変化がない(というか、あれが美しさの限界なのか?)のも、あそこまで執拗に性愛描写をしたことになんら説得力が感じられませんでした。。
ただ、では彼らの恋愛を理解できないか?共感できないか?というとまたそれは別の問題で。
あの年になってでも運命の相手と出逢えたことは幸せだと思うし、ああいうふうにハマっちゃうと家族とか関係なくなってしまうのもあり得ることだと思う。。
普通はそういう自分に正直でいられることは難しいと思うけれど。
そしてそういう出逢いは非常に破滅的で、続けることはできてもあのテンションは決して長くは続かないもの。
それなのに、ああなるとどちらかが目の前からある日突然姿を消したりしない限り、終わらせることもできなかったりする。
女はどんどんのめり込み、男はいつの間にか飽きてくる・・・
冬香はなんだかんだ理由をつけても、結局、村尾との関係が長くは続かないこと、そのこと自体が苦しかったのだと思う。
周囲への後ろめたさなんて理性では感じても、本当は、本能では感じてないんですよね。
だからこそ最後の女になるために村尾に自分を殺させたわけであって、それを「選ばれた殺人者」として感動するオメデタさは、“恋愛”小説家だからこそ辿り着く境地なのではないでしょうか。
ただ、冬香のこの最終的な決断の真意にはやはり共感できません。。
そんなに苦しいなら、ひっそりと、家族の前からも村尾の前からも消えればいいのに、と思ってしまう。
でも村尾が「選ばれた殺人者」として感動する人間だとわかっていたから、こういう手段をとったのかもね。
・・・嗚呼そうだ。。肝心のことをまだ書いてませんでした。(まだ続くの?というクレームはなしの方向で^^;)
ハセキョーです。。
あのエロエロビ~ムはなんなのでしょうか?
ある意味、寺島しのぶより断然エロチックでゴクッとしましたが、なんとなく役の解釈が過剰に誇張されて間違った方向に出てしまった気がしました。
本人はおそらく渾身の演技をしたつもりだと思いますが。。(苦)
この役は物語の核心をつく重要なセリフを語る極めて重要な役なのです。
自身の境遇ともシンクロさせながら、あのセリフに行き着く・・・そして、それを聞いた観客がすでに死んでしまったヒロインの真意を知って彼女の別の面を垣間見、その存在感・凄みにギョッと息を呑み戦慄を覚えながら、そこから一気に裁判でのクライマックスシーンへと昇華するのです。。。
クライマックスを引き出す非常に重要なシーンなのに、あのセリフを吐くまでの過程であまりに自身が酔っちゃっててインパクトが薄まってしまいました。
あそこがビシッと決まらなかったがために、もしかしたらけっこうな傑作になったかもしれないのに、なんとなく最後のトヨエツの言葉も「オメデタイな~」「ありえないだろ、フツー」で終わっちゃった気がします。
そんなわけで…
ルールーのお気に入り度
★★★★★★(60点/100点満点)
※忘れちゃいそうとか言いつつ、長く語るわたし・・・(苦笑)
映画は悪くはなかったのですが、できれば鈴木京香とかで観たかったかなー(^^;;;
ところで、渡辺淳一先生はいつから恋愛小説家になったのでしょうかね?
渡辺作品は、初期の作品の方が断然好きです。
直木賞を受賞した『光と影』などのいわゆる医療モノ。
←ひっそりと参加中♪_(-_-)_ペコリ
当ブログの【映画レビューINDEX】
TBありがとうございました。
>でも村尾が「選ばれた殺人者」として感動する人間だとわかっていたから、こういう手段をとったのかもね。
なるほどと思いました。
ブログは、
いろんな方から、新しい見方を教えられrので
嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。
こちらこそ、いつもえいさんの記事にはなるほどーと感心させられています。
今後ともよろしくです~
ところでこの映画は、俳優陣の演技が皆さん素晴らしかったですね。(一部除きますが^^;)
寺島しのぶも本当に巧かったし「女優ー!」という感じがしたんですけど、なんかいまいち冬香=寺島しのぶというのに納得いかず…(^^;;;
感情移入は全然できませんでした。
美しさの限界ってのに笑ってしまいました(汗)
そうですね~最後の台詞・・・
何かしらじらしいカンジで終わっちゃいましたね。
でも何だか楽しめちゃった映画でした♪
>何だか楽しめちゃった映画でした♪
そうなんです、わたしも映画そのものはなかなかよくできていたと思うし、もしかしたらすごい傑作になったかもしれないのに…とは思ったのですが…
いかんせんこの2人の絡みに全然感じなかったのと(^^;)、ハセキョーの演技の痛さにやっぱり映画に没頭することができませんでしたわ。
寺島しのぶ、とっても巧かったとは思うんですけどね。
シネコンの隣が「愛ルケ」で、どんな人が見に来ているんだろう・・と観察していました。
意外と若い女性が多く、驚きました(笑)。
寺島しのぶもトヨエツも好きです。
(確かに鈴木京香ならもっといいかも)
平井堅のテーマソングもいいです。
「原作」が65点の原因でしょうか
日経で連載しているころから、「わからんやつはついてくるなっ」って感じのビームだしてましたよね。
ビデオになってから見ようかな。
私も思った以上に良くできている作品だと
思いました。
愛のリアリティよりも、どこか幻想的な美しさと
文学的な要素を追求した作品だったかなあと。
でも、実際、愛ってもっと汚くて、ドロドロしていて
もっと惨めで情けないものと思っているので。
私自身はこの作品を一歩置いて、どこか割り切って
鑑賞していました。
それにしてもハセキョーは一体何でしょうか?
どういう方向に向うつもりなのでしょう?
まるでお遊戯会でした(苦笑)
『どろろ』はどうでしたか?
妻夫木くんと柴崎コウはなかなかよかったみたいですね。
わたしは観るか観ないかお悩み中ですわ。
ところでこの『愛ルケ』ですが、映画は思いのほか本当に良くできていたので、全体としては悪くはなかったんです。
最初から官能部分をさらけ出し、二人の関係を回想で明らかにしながら法廷でその心理に迫り、最後で冬香の真意がわかるという構成で、ただの官能映画ではなくサスペンスとしてもうまくできていたと思うし、本当に見応えはありました。。
俳優陣の演技も本当にまずまずだったんですけども…(ハセキョー除く^^;)
たぶんね、その後に観た映画の世界観にあまりに感動してしまって、この映画の印象がホントどうでもよくなってしまったのが65点の原因だと思いますわ。。
>「わからんやつはついてくるなっ」って感じのビームだしてましたよね。
原作は読んでないので全然わからないのだけど、淳一センセーの最近の作品てそんな感じですねー
わたしは招待券で観たのでまぁいっかという感じでした。(苦笑)
あ、でも本当に映画全体は思っていたよりよかったし、なによりトヨエツファンなら、彼の背中やお尻など裸の美しさは必見かもですよ~(^^;;;
>文学的な要素を追求した作品だったかなあと。
嗚呼、なるほどその通りですね~
文芸調というか、サスペンスが際立った文学作品のような趣きでしたね。
そういう意味ではハセキョーがぶち壊わさなければというか、彼女の演技さえ満点ならば本当に傑作になったような気がしますわ。
わたしの場合、さらに2人の心理にリアリティを求めてしまったのがいけなかったのかしらん?(苦)
>実際、愛ってもっと汚くて、ドロドロしていて
>もっと惨めで情けないものと思っているので。
ひゃ~なんか大人な意見…
そういう意味ではこの映画の冬香は、自分だけそこから逃げ出した感じね。
渡辺センセの描く女性にはいつも嫌悪感を抱いています。
「この純愛が分からない人は・・・」ってセンセに言われようななんだろうがかまいませんっ(開き直り~)
じゃ、なぜにこの映画を見に行ったのか!
それはトヨエツでございます(爆)
(別にファンではないのですが、彼のスタイルが好き)
官能場面が多かったようですが、手順を踏まえた体操のように見えてそれほどエロくもなかったです。
「ぼくは妹に~」の方がドキドキするんですって?
見に行きたくなっちゃったー!
>渡辺センセの描く女性にはいつも嫌悪感を抱いています。
ああ、そうですねー、わたしは嫌悪感というほどではないですけど、なんだかなーという感じがしますわ。
男にとって都合のいい女って感じですよね。
トヨエツは本当に美しい身体でしたね
あの年齢であの美しさは他にはなかなかいないと思います。
>手順を踏まえた体操のように見えてそれほどエロくもなかったです。
そうそう、体操って感じでした。
2人の息遣いがあまりリアルじゃなくて、「絵」を意識した恰好をしていた感じ。
それとわたし的にはあまりに寺島しのぶの胸がペチャンコだったのも、何も感じなかった所以でした。(^^;;;;;
>「ぼくは妹に~」の方がドキドキするんですって?
ムフフ、過激シーンはないんですよ。
でも長回しのワンカットでシーンとした中で撮っていたので、『愛ルケ』よりはドキドキしましたよ。