☆Lorosae(太陽が昇る)ブログ☆

ロロサエという言葉は、東ティモールで使われているテトゥン語で、つまりは「日の丸」です。

りくぜんたかたウェルカムバックツアー2016 ツアーの〆はボランティアの拠点基地

2016-02-07 23:30:00 | 旅行
このツアーの最後は、矢作小学校が簡易宿泊所【二又復興交流センター】となっている場所です。

今回、陸前高田へ行く時、一番見たかった光景があります。
それは、2015年に戻ってきたという白鳥が、ベルトコンベアーがなくなった広い空を渡っていく姿です。

脇ノ沢漁港から陸前高田市役所の脇を抜けて、坂道をあがりつつあるとき、バスの窓から、真っ白い鳥が羽を動かして一羽飛んでいくのが見えました。

白鷺が一番紛らわしいのだけど、顔に黒い白鳥の特徴があって、あ!白鳥だ!!と分かりました。

一羽だけの姿だったけど、見ることができました。

他に、猛禽類も広々と飛んでいます。



行く途中に撮った、大船渡線の線路



そして到着。おもいきり小学校です。





矢作小学校は震災があった年の3月で廃校となったようです。
校章、たかたのゆめちゃんっぽいねって、ゆめちゃんファンの方々と会話してました。ゆめちゃんぽいですよね。

日直ってかきたくなる黒板。二月だから、鬼の絵がかいてあります。



子ども達とつくったと思われる観光地図。小さい子でも行ける場所の証拠です。



ここではめぐ海のおやきの工房めぐ海の方々によるハレの日の御煮しめとおにぎりと、そして、陸前高田のあたりでは「はっと汁」と呼ばれているそうなのですが、「ひっつみ汁」と紹介された汁もの。すっごく美味しかったです。



複数人で泊まりこむのに、とても素敵な施設だと思います。
そして、甘酸っぱい小学生気分や、学校の先生気分を味わうのにも最高の施設です。

ここで、今回のツアーはおしまいでした。



陸前高田からの帰り道、すごく高い道を走ってバスは行きます。
すぐ山、すぐ海、だからこそできた、ここだけの景色、味があると思いました。

陸前高田をはじめ、三陸海岸が一致団結したら、凄まじい観光エリアになると思います。

いいところが共有できて、移動しやすさが整ったら、こんな風に簡単に近づけないくらい予約待ちの空間になるに違いないです。

りくぜんたかたウェルカムバックツアー2016 陸前高田の牡蠣!編

2016-02-07 23:00:00 | 旅行
このツアーにおける、ものすごい重点的な場所、脇ノ沢漁港の視察です。

震災後の陸前高田しか知らず、工事現場であり、近づきにくい場所であった海。

遠くからは見たことのある海。

今回のツアーで初めて間近で見ることができました。


2016年2月7日の広田湾です。



船、見てください。日本テレビの24時間テレビ、すごいと思いました。





陸前高田の牡蠣は、前年、川崎フロンターレのイベントで神奈川県川崎市で食べられるチャンスはあったのですが、
三陸パエリアに並んだあとでいいやぁなどと思っていたらアッという間に売り切れいていたのでした。
川崎フロンターレは岩手県陸前高田市を応援しています

その後、ツイッターで流れてきた写真に、川崎フロンターレの選手が陸前高田を訪れ、漁港で牡蠣を食べていました。
その場所に来ています。参照:フロンターレ日記



大和田水産に、川崎フロンターレのポスター!


陸前高田の牡蠣は。銀座あたりで、すごい時は一つ2千円の値がついたこともあるそうです。
そのぐらい水質が良好であり、そして、灼熱の真夏、お湯につけて養分を吸い取ってしまう貝から牡蠣を守る作業など、こまごました手間がかけられています。

大和田水産の代表取締役、大和田さんの話によると、震災後、沢山のボランティアの方々が助けにきてくれたそうですが、今でも印象深いのは、半年ほどいた、近くの小屋を仮住まいにし、洗濯物は近くの川で。体が汚れれば海につかり、手伝ってくれた方。
千厩の奥あたりの空き家を借りて、一年通いつめてくれた元警察官の方。この二人に関しては、実際どこかで同じような災害があった時、自分も同じことができただとうかと思えるほど、献身的に支えてくれたそうです。

どれほどの回復ができたのか、牡蠣を食べてみないと分からないということで!試食タイムが!!



めっちゃくちゃいい香り、真珠のような輝き



そしてそして蒸した牡蠣もさることながら、社長夫人自らつくってくださった牡蠣の煮しめというのでしょうか牡蠣スープ!
固形スープの素にしたら売れるんじゃないの?!というぐらい、うどん入れたい、餅入れたいという気持ちが止まらない牡蠣味凝縮の、雪どけ水が流れてくる場所の特権のような甘い水による、やわらかい、おいしい味!!!



大和田水産の牡蠣は、昨年復活したふるさと納税でのお礼品になっているようです

おいしい思いをして、それで感謝されるなんて不思議な気分ですが・・・

漁港の奥の方、地盤沈下しているのが分かります。



まだまだ、まだまだ、はじまっていくところです。



今年のゴールデンウィーク、旅行に行くなら、あの時テレビやラジオで耳にした陸前高田を選んでみてはどうでしょうか


「りくぜんたかたウェルカムバックツアー2016」 普門寺編

2016-02-07 22:07:35 | 旅行
2月7日 朝、陸前高田の街は、新しくできた公営住宅の向こうから朝日が昇り、明るい陽射しに包まれました。



写真は、キャピタルホテル1000からの眺めです。

この日は東日本大震災にて、陸前高田の方々を弔い、また、まだみつからない(判明していない)方々の身内の方々の心のよりどころとなっている「普門寺」と、ボランティアの方々の手伝いにより復活をとげた牡蠣の養殖をしている漁港の視察という内容です。

海辺の街では雪はありませんでしたが、普門寺周辺にはずいぶんと雪が残っていて、寒暖の差が一つの市内に明確にあることが印象的でした。



気仙大工さんの手によると思われる精巧な造り。

このお寺の中には、盛岡の女性が手掛けた、高田松原の海辺をモチーフにした祭壇と呼ぶのか、様々なかたちで陸前高田へ奉納された仏様が並んでいます。

真っ白い砂浜、雲の上。

悲惨な災害が起きた時、現れ、一瞬にして楽に天界へ導くという菩薩様と呼ぶのでしょうか、その姿の絵などが置かれています。



蓮の絵だけ、岩手の蓮めぐり用に撮影しましたが、仏像に関してはカメラを向けませんでした。



また、ねがい桜という、散らない桜に願いをこめた奉納品が祀られています。


もともとお寺というのは、世界中の取り決めというのか、何かあったときの避難所のような場所で、宗派を超えて助け合う場所になっていたりします。
なので、見知らぬ土地で疲れ果てて困った旅人が、お寺に泊まるという昔話があったりします。それが外国人であった場合、お寺は領事館などの役目をになったりしています

でも、津波があったとき、高台にあるこのお寺に、誰も来なかったそうです。
ほんのしばらくのち、福井県の職員さんたちが(さすが永平寺のある福井県)、手助けに来たとき、ここを宿としていたそうです。



亡くなった方々のご遺体を、最初は土葬される予定だったそうです。
でも、埋めるにあたって、土をならさないとならない。
そして、その人数は日に日に多くなり、千葉県より、こちらで火葬しましょうということで、
300名の方々が、千葉県の空の煙になっていったそうです。

お骨になっても、いまだ、DNA鑑定により、どこの誰であったのか、わかっていない方がいるそうです。

陸前高田という場所を知ったのは、たかたのゆめちゃんというキャラクターですが、東北の震災後、放射能の影響で、京都の大文字焼きに使われるはずだった松の薪から放射能の反応が出たということで、中止になったニュースはよく覚えていました。

自分の親戚がその大本になった地域に住んでいて、農家をしていて、放射能の影響で全部伐り倒すことになったことを知った頃だったので、関西の対応に腹をたてながら見ていたのを覚えています。

その大文字焼きにつかわれるはずだった薪の芯の方からは何の反応もなかったので、京都の学生さん達が仏像を彫ったそうです。そしてそれを、普門寺へ奉納したそうです。

そんな顛末があったことを、自分は一切知らず、その後の顛末に、興味を持たず過ごしていました。

参加してよかったと思いました。



以前より陸前高田を旅していて、蓮が咲くところはどこかにないかなと思っていたら、ここ普門寺に、平泉の蓮が咲くことを知りました。



まだまだこの日は氷の奥の蓮ですが、夏に、必ず、行ってみたいです。


津波の被害に遭われた陸前高田の方々と同じ数になりつつあるという仏像、そして、五百羅漢。



椿の花はまだ固いつぼみでしたが、多分きっと、3月11日には、花が咲くのだと思います。








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