
かつて南三陸町にあった公立志津川病院。
ここでは東日本大震災の津波で、入院患者・職員の方々あわせて74人が犠牲になりました。
昨日5月31日から、建物の解体と中に残った医療機器の搬出が開始されました。
津波で74人犠牲 志津川病院解体に着手 南三陸 河北新報のニュースより
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/06/20120601t15020.htm
近くにある南三陸町防災庁舎と共に入口には祭壇が設けられ、花を手向ける方々も多かった場所ですが、震災モニュメントのような姿に悲しみを募らせるご遺族の方も多かったのでしょう。
こうした被災建造物を遺すか否か。
これもまた正解の無い選択肢のひとつであると思います。

そして近辺には病院から流出した注射針や試験管などがまだ散乱しています。
防災庁舎を訪れ、その周囲も歩き回る方々をお見受けすることもありますが、そういった物の撤去がまだ完全ではない状態ですので、更地になった庁舎前だけに留まっていただきたいのです。

病院前のショッピングセンター、『サンポート』前。

その向こうには震災廃棄物(かつての家財や思い出の品々)がうず高く積まれています。


この地を訪れて頂いた方から『だいぶ片付いきましたね』などと仰られると「いいえ、一ヶ所に積み上げられただけです」と答えなければならない日々はまだ続きます。

