~この日、私は以下における事を後悔していない~
●私はUluruに登らなかった。
●この地で写真を撮らなかった。
さて。 朝。
SUN RISE 
昨夜は寒くて眠れなくて、
なんせ氷点下の星空の下 寝袋ONLY
3時頃 フラフラ 体あっためにシャワーに出掛けた。
そしたら同じツアーの優しい人が「大丈夫?眠れない?」って
あったかく眠れるように 火をおこしてくれた

寝袋を火の近くに移動して。 心もあったかいよー

朝 ディンゴの遠吠えで起床 

で、SUNRISE!
キャンプ場内にある丘に登る。
ココってば ウルル・カタジュタ両方見える絶景ポイント

ゆぅっくり ゆぅっくり・・・
空が色を変える 
と 浸ってる間もなく 次は早朝登山
めくるめく。
風の谷へ 
最高に気持ちがいい。
ナウシカの舞台と言われる地。
ヴィデオで見た そのままの景色を発見した☆
半円形の赤い山が ポコポコ並ぶ ▲▽▲▽▲
その間を吹きぬける 柔らかい風~
その風に乗って 翼を動かさずに優雅に空舞う鳥達
VIEWポイントに着くまでの間、来た道を何度も振り返る。
さっき見た山を少し違う角度から見るだけで まるで違う山に形を変える。
カメラ見ると 「
同じ写真 何枚撮ってんだよ。。」って思うけど、
実際は山の色もどんどん変わって 全く違う山の色合いを撮ってるのよ
レンズ越しじゃぁ伝わらぬ あぁ自然の驚異、なんたるや
【Mt,オルガ】 ドライバー兄ちゃんが真剣顔でペットボトルレクチャー。
昔、ここには それはそれは大ーっきなmountainが1つあったとさ。
しかし大雨が降り
山は崩れ、周辺への土石の流れは広範囲に及んだ。
まず山の下部分に 崩れた大きな岩だけが集結して固まり
数箇所に 中くらいの山々が作られた。
これが カタ・ジュタ = Mt.オルガ
その後、水の流れにより 細かい石・砂だけが
もっともっと遠くに流されたが、
やがて ある地点で流れが止まり、
小さい石・砂が積み重なって山を形成した。
これが Uluru
だからカタ・ジュタは表面が粗く、大きい岩がボコボコしていて
ウルルは砂や細かい石から形成されてるから ツルツルなんだね
ウルルは元から一枚岩なのではなく、
流された小石や砂が堆積して形成された山って事です
I got it!
山の谷間から 緑の山々を望む。 Cheaper! 涼し~
午後。 来ちゃったね ハイライト
Uluru 
登るか 登るまいか
激しい討論がブレイン駆け巡る。
アボリジニーは登頂を快く思っていない。
山頂は風が強く 多くの人が風によって、又はツルツル岩で足を滑らせ命をおとしているからだ。
命をおとすと その人の家族や友達が悲しむからだ。
同時に Uluru登頂するのは 日本人が圧倒的に多い。
『できるだけ登らないで下さい』 『撮影禁止』 の看板も 英語の次に日本語で書かれている。
日本人は宗教色が薄いので 他国より思想の尊重に疎い為だと思うが、
公共のマナーを最も守れないのは日本人だと遠まわしに言われている。
日本人としては 悲しい現実だ。
登頂・・迷いながら葛藤しながら、ぅーん・・

登頂の前に まずはUluru周囲をみんなで軽く歩く♪
昔 女性が出産の時に使っていた穴や儀式の際の穴。
日陰は土が焼けていないので 山の日陰部分は まだ元の砂の色(灰色)のままだ。
出産後 未熟児だったり 力のないBabyは 山から下に投げ落とされ
ディンゴの餌になる。
出産で力を失くしてしまった女性も同様だ。
その当時の意識がまだディンゴに残っている為、
今日でもディンゴの凶暴性は消えていない。
力強い女性と子供の為の土地。 それがUluruだ。
ちなみにカタ・ジュタは 神聖な場所 for Men㊚
Uluruに迫ると、木々が生え 木漏れ日の下 涼しくなってくる
特に神の力を感じる場所があった。
Uluru 直下の 水溜り である。
Always 炎天下の為、周囲の木々は黒く焦げているというのに
その場所だけは 常に水が溜まっている。
どこからも沸き出ていないのに。
ただただ 水だけが 枯れることなく存在している。
その場所に着くまでの約30㍍、私達は音を立ててはいけない。話してはいけない。
鳥と風の声に耳を傾けるのだ。
赤く焼けた土、木々の緑、そこにただ在る水の青。
大地の力を感じた。
自然に身を任せるアボリジニーの思想を尊重しようと、すべきだと思った。
Uluruに登ってはいけないと思った。
だから Uluru 登らずに、周囲9.4㌔ 歩いたの just walking
平均3時間かかる所、半分の1.5hで歩いてやった! してやった

それもこれもあれも俺も 飛行機パパのおかげ
パパ歩くの速い速いっ
パパに負けないよう 頑張って競歩で喰らいついて歩く
目標物があるって素敵な事ね
たった1時間半のwalkingだったが
そびえ立つUluruは様々に その彩りを変えた。
岩の裂け目も 数歩歩けば不思議な空界に形を変えたり
どの角度から見ても 色ぐはし
何度も見惚れる。
青く蒼く藍く 色を変える空と
赤い朱い紅い Uluruのコントラスト
ばっふほぅっ
上記、なんて安っぽい言葉だろう。 上記ポエム、焼却炉行きー
とにかく見て感じて欲しい。
六感全てが 喜んで研ぎ澄まされるから
ハイ 喜んでー♪
最後、走った
前行くパパと云う目標物を追い越したくて。
抜かした。
ゴメンネ パパ
次に女の子2人が見えた。
抜かしたくなって。 抜かした。
次々と新しい目標物が生まれてきて、単純に楽しい。
こうやって常に目の前の目標 着々とクリアして
WH生活充実させなきゃって 再確認したよ。 こんな時に。
こんな時、負けず嫌いの自分が好きになったりするょ
みんながGOALするまで 日陰ベンチで一休み。
その時、日本人の声がUluruに反響した。
「マジ風強いんだけどー」 「っていうか超コワーイ」
・・
・・恥ずかし。
Uluru頂上まで登った 武田氏と多趣味イタリアred boyが下山。
すかさず問う。 「
どどどーだった!?」
撮ったばかりのデジカメpictures見せてもらった。 IT革命万歳。
頂上はすごい風で吹き飛ばされそうだって!
人っ子一人くらいの(150㍍)UP DOWNが
ボッコボコしていて 歩くの大変なんだって!
ボコボコ過ぎたら 平面がずーっと続いていて
世界の中心には 方角を指す銅板があった。
イタリアンBOYは 2年前にもUluru登頂経験あり、
その時に自分で積んだ石が まだ残ってたの


やや崩れてた部分を修復して、達成感に満ちた顔で下山してきた。
世界の中心・・ ・・かぁ。。 羨ましく思った。
けど自身を後ろ目で見続けたくはないので
私は自身の行動に 世界で一番満足した。
今やもう BUSのメンバー皆が心一つになっている
それぞれがUluruを自分の方法で楽しみ、
大満足顔で帰路につく。
途中、ドライバー兄ちゃんが「
プレゼントさっ」って僕等を下ろした。
アボカドやフレンチDipsとクラッカーが用意されたテーブルで

最後のSUN SET 

今までで一番 赤く紅く焼けた色したUluruを 絶好の地から眺める。
赤と青と自然の全てを感じるAUSの中心地。
もう一度来たい
もちろん思った。叫んだ。
でも今の気持ちを越える事はないだろう。
それなら違う地に足を運ぼう。
もう戻る必要はない。 何もかも満たされてるから。
進行方向、女一本道
足跡だけ残して 進んで行きます 前へ前へ

SACRED AUS!! 私、オーストラリアが好きです。
●私はUluruに登らなかった。
●この地で写真を撮らなかった。
さて。 朝。


昨夜は寒くて眠れなくて、
なんせ氷点下の星空の下 寝袋ONLY

3時頃 フラフラ 体あっためにシャワーに出掛けた。
そしたら同じツアーの優しい人が「大丈夫?眠れない?」って
あったかく眠れるように 火をおこしてくれた


寝袋を火の近くに移動して。 心もあったかいよー






で、SUNRISE!
キャンプ場内にある丘に登る。
ココってば ウルル・カタジュタ両方見える絶景ポイント


ゆぅっくり ゆぅっくり・・・



と 浸ってる間もなく 次は早朝登山



最高に気持ちがいい。
ナウシカの舞台と言われる地。
ヴィデオで見た そのままの景色を発見した☆
半円形の赤い山が ポコポコ並ぶ ▲▽▲▽▲
その間を吹きぬける 柔らかい風~

その風に乗って 翼を動かさずに優雅に空舞う鳥達

VIEWポイントに着くまでの間、来た道を何度も振り返る。
さっき見た山を少し違う角度から見るだけで まるで違う山に形を変える。
カメラ見ると 「

実際は山の色もどんどん変わって 全く違う山の色合いを撮ってるのよ

レンズ越しじゃぁ伝わらぬ あぁ自然の驚異、なんたるや

【Mt,オルガ】 ドライバー兄ちゃんが真剣顔でペットボトルレクチャー。
昔、ここには それはそれは大ーっきなmountainが1つあったとさ。
しかし大雨が降り

山は崩れ、周辺への土石の流れは広範囲に及んだ。
まず山の下部分に 崩れた大きな岩だけが集結して固まり
数箇所に 中くらいの山々が作られた。
これが カタ・ジュタ = Mt.オルガ

その後、水の流れにより 細かい石・砂だけが
もっともっと遠くに流されたが、
やがて ある地点で流れが止まり、
小さい石・砂が積み重なって山を形成した。
これが Uluru

だからカタ・ジュタは表面が粗く、大きい岩がボコボコしていて
ウルルは砂や細かい石から形成されてるから ツルツルなんだね

ウルルは元から一枚岩なのではなく、
流された小石や砂が堆積して形成された山って事です

山の谷間から 緑の山々を望む。 Cheaper! 涼し~




登るか 登るまいか

激しい討論がブレイン駆け巡る。
アボリジニーは登頂を快く思っていない。
山頂は風が強く 多くの人が風によって、又はツルツル岩で足を滑らせ命をおとしているからだ。
命をおとすと その人の家族や友達が悲しむからだ。
同時に Uluru登頂するのは 日本人が圧倒的に多い。
『できるだけ登らないで下さい』 『撮影禁止』 の看板も 英語の次に日本語で書かれている。
日本人は宗教色が薄いので 他国より思想の尊重に疎い為だと思うが、
公共のマナーを最も守れないのは日本人だと遠まわしに言われている。
日本人としては 悲しい現実だ。
登頂・・迷いながら葛藤しながら、ぅーん・・



昔 女性が出産の時に使っていた穴や儀式の際の穴。
日陰は土が焼けていないので 山の日陰部分は まだ元の砂の色(灰色)のままだ。
出産後 未熟児だったり 力のないBabyは 山から下に投げ落とされ
ディンゴの餌になる。
出産で力を失くしてしまった女性も同様だ。
その当時の意識がまだディンゴに残っている為、
今日でもディンゴの凶暴性は消えていない。
力強い女性と子供の為の土地。 それがUluruだ。
ちなみにカタ・ジュタは 神聖な場所 for Men㊚
Uluruに迫ると、木々が生え 木漏れ日の下 涼しくなってくる

特に神の力を感じる場所があった。
Uluru 直下の 水溜り である。
Always 炎天下の為、周囲の木々は黒く焦げているというのに
その場所だけは 常に水が溜まっている。
どこからも沸き出ていないのに。
ただただ 水だけが 枯れることなく存在している。
その場所に着くまでの約30㍍、私達は音を立ててはいけない。話してはいけない。
鳥と風の声に耳を傾けるのだ。
赤く焼けた土、木々の緑、そこにただ在る水の青。
大地の力を感じた。
自然に身を任せるアボリジニーの思想を尊重しようと、すべきだと思った。
Uluruに登ってはいけないと思った。
だから Uluru 登らずに、周囲9.4㌔ 歩いたの just walking

平均3時間かかる所、半分の1.5hで歩いてやった! してやった


それもこれもあれも俺も 飛行機パパのおかげ

パパ歩くの速い速いっ

パパに負けないよう 頑張って競歩で喰らいついて歩く

目標物があるって素敵な事ね

たった1時間半のwalkingだったが
そびえ立つUluruは様々に その彩りを変えた。
岩の裂け目も 数歩歩けば不思議な空界に形を変えたり
どの角度から見ても 色ぐはし

何度も見惚れる。





上記、なんて安っぽい言葉だろう。 上記ポエム、焼却炉行きー

とにかく見て感じて欲しい。
六感全てが 喜んで研ぎ澄まされるから

最後、走った

前行くパパと云う目標物を追い越したくて。
抜かした。
ゴメンネ パパ
次に女の子2人が見えた。
抜かしたくなって。 抜かした。
次々と新しい目標物が生まれてきて、単純に楽しい。
こうやって常に目の前の目標 着々とクリアして
WH生活充実させなきゃって 再確認したよ。 こんな時に。
こんな時、負けず嫌いの自分が好きになったりするょ

みんながGOALするまで 日陰ベンチで一休み。
その時、日本人の声がUluruに反響した。
「マジ風強いんだけどー」 「っていうか超コワーイ」
・・

Uluru頂上まで登った 武田氏と多趣味イタリアred boyが下山。
すかさず問う。 「

撮ったばかりのデジカメpictures見せてもらった。 IT革命万歳。
頂上はすごい風で吹き飛ばされそうだって!
人っ子一人くらいの(150㍍)UP DOWNが
ボッコボコしていて 歩くの大変なんだって!
ボコボコ過ぎたら 平面がずーっと続いていて
世界の中心には 方角を指す銅板があった。

イタリアンBOYは 2年前にもUluru登頂経験あり、
その時に自分で積んだ石が まだ残ってたの



やや崩れてた部分を修復して、達成感に満ちた顔で下山してきた。

けど自身を後ろ目で見続けたくはないので
私は自身の行動に 世界で一番満足した。


それぞれがUluruを自分の方法で楽しみ、
大満足顔で帰路につく。
途中、ドライバー兄ちゃんが「

アボカドやフレンチDipsとクラッカーが用意されたテーブルで




今までで一番 赤く紅く焼けた色したUluruを 絶好の地から眺める。
赤と青と自然の全てを感じるAUSの中心地。
もう一度来たい

でも今の気持ちを越える事はないだろう。
それなら違う地に足を運ぼう。
もう戻る必要はない。 何もかも満たされてるから。
進行方向、女一本道

足跡だけ残して 進んで行きます 前へ前へ


SACRED AUS!! 私、オーストラリアが好きです。