神の羊は神の御声を聞く

「わたしの羊はわたしの声を聞く」黙示録も予言されました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」

征服の働きの内幕(1)

2020-01-28 10:41:15 | 書籍

征服の働きの内幕(1)

サタンによりあまりにもひどく堕落させられた人類は、神が存在することを知らず、神を礼拝することをやめてしまった。初めに、アダムとエバが創造された時、ヤーウェの栄光とヤーウェの証しが地に満ちていた。しかし、堕落させられた後、人間はその栄光と証しを失った。なぜなら、誰もが神に反抗し、神を畏れ敬うことをすっかりやめてしまったからだ。今日の征服の働きは、そのすべての証しとすべての栄光を取り戻し、すべての人間が神を崇めるようにし、それによって被造物の間に証しがあるようにするためである。これが、この段階の業において達成されねばならぬことである。厳密に言って人間はどのように征服されるのだろうか。それは、この言葉の働きを用いて、人間を充分に確信させることによって行われる。それは暴露と、裁きと、刑罰と、情け容赦ない呪いを用いて人間を完全に服従させる。また、人間の反抗的性質を明らかにし、その反逆を裁くことによって人間は人類の不義と汚れを知るようになる。それによって神の義の性質がいっそう強調されるであろう。主に、こうした言葉を用いて人間を征服し、完全に確信させる。言葉は人類の究極的征服の手段であり、征服を受け入れる者はみな、言葉による鞭と裁きとを受け入れなければいけない。言葉を語ることによる現在の過程が人間を征服する過程である。人々は、具体的にどのように協力するべきだろうか。これらの言葉を飲食し、また理解することによってである。人々は自分の力によっては征服されることができない。あなたはこれらの言葉を飲食することによって自分たちの堕落と汚れ、自分たちの反抗的性質と不義とを知り、神の前にひれ伏さなければいけない。もしあなたが神の心を理解し、それを実行に移し、そしてさらにビジョンを持ち、これらの言葉に完全に従い、自分勝手な選択をしないなら、あなたは征服されるであろう。そして、あなたを征服するのは、これらの言葉であろう。なぜ人類は証しを失ったのか。それは、誰一人神を信じず、もはや神を心にもつことが全くなくなってしまったからである。人類を征服するとは、人々にこの信仰を回復させるということだ。人々は常にこの世に迎合する傾向があり、あまりにも多くの望みを胸に抱き、将来にあまりにも多くの期待をかけ、あまりにも多くの途方もない贅沢を要求する。彼らはいつも自分の肉のことばかり思い、肉のために計画しているが、神を信じる道を求めることにはまったく興味をもたない。彼らの心はサタンの虜となり、彼らは神を畏れ敬う心を失ってしまった。そして、彼らはサタンに自分の心を捧げている。しかし、人間は神によって創られたのだ。こうして、人間は証しを失ってしまった。つまりそれは神の栄光を失ったということだ。人類を征服する目的は、人間の神への畏敬による栄光を取り戻すことだ。それは次のようにも言えるだろう。いのちを追い求めない人々が大勢いる。いのちを求める人がいたとしても、それは指を折って数えられるぐらい小数である。人々はもっぱら自分の将来のことばかりに気をとられ、いのちのことには全く注意を払わない。神に向かって逆らい、抵抗し、背後で神を裁き、真理を実践しない人々もいる。わたしは、今の間はこのような人々を無視し、この部類の反逆の子たちを取り扱うことはしない。しかし将来あなたは闇の中に住み、泣き叫んで歯ぎしりするだろう。あなたは、光の中に住んでいるうちはそのありがたさを感じないだろうが、いったん暗い闇夜の中に住めば光のありがたみに気づくであろう。そのときあなたは後悔するだろう。今はいいかもしれないが、後悔する日が訪れるだろう。その日が到来し、暗闇が地を覆い、もはや光がなくなる時、あなたが後悔しても遅すぎるであろう。あなたが今の時を大切にしないのは、現代における業を理解しないからである。いちど全宇宙の業が始まってしまえば、すなわち、わたしが今日言っていることのすべてが現実となる時、多くの人々が頭を抱えて悔し涙を流すだろう。これこそ、暗闇の中に落ち、泣き叫び、歯ぎしりすることでなくて何であろう。心からいのちを追い求め、完全にされる人々は用いられるだろう。一方、役に立たない反逆の子らは暗闇の中に落ち、聖霊の働きを受けることなど決してなく、何の意味も見出せないままで終わるだろう。彼らはこのように懲罰の中に陥り、呻いては泣き叫ぶのである。もしあなたがこの段階の業において充分に整えられており、あなたのいのちが成熟しているなら、あなたは用いられるに相応しい人である。あなたが少しも整えられていないなら、たとえ次の段階の業のために用いられるとしても、あなたはその業に不適格な者となるであろう。この時点でいくら自分を整えようとしても、機会はすでに過ぎ去ったのである。神はもう去ってしまったのである。そうなればあなたは、今あなたの目の前にあるような機会をいったいどこに行って見つけるのか。今、神自身が備えている訓練をいったいどこに行って受けようというのか。その時になれば、神が自ら語り、声を発することはない。あなたにできることは、今日語られていることを読むことだけだろう。あなたはどうやってそれを容易に理解できるだろうか。どうして後の生活を今の生活に比べることができよう。その時点で、あなたが泣き叫び、歯ぎしりするのは、生き地獄そのものではないだろうか。祝福は今あなたに授けられているというのに、あなたはそれをどうやって享受すればよいのか分からない。あなたは、祝福の中で生きているのに、それに気付かない。それは、あなたが破滅し、苦しむように運命付けられている証拠である。現代は抵抗する人々もいれば、反逆する人々もいるし、あれやこれやと人によってさまざまである。わたしはあなたをただ無視する。わたしがあなたたちのそれらの行いを知らないとでも思っているのか。わたしがあなたたちの本質を理解しないとでもいうのか。どうしてわたしに逆らって歩み続けるのか。あなたは、自身のためにいのちと祝福を追い求めるために、神を信じているのではないのか。あなたが信仰を持っているのは、あなた自身のためではないのか。わたしはちょうど今、わたしの言葉によって征服の業を行っているところである。この征服の業が完了すれば、あなたの最後は明らかになるであろう。これ以上はっきりと説明する必要があろうか。

現在の征服の働きとは、人間の結末がどのようになるかを明らかにすることを意図するものである。なぜわたしは今日の刑罰と裁きとが、終わりの日の大きな白い座の前での裁きだと言うのか。あなたにはこれがわからないのか。なぜ征服の働きは最終段階であるのだろうか。これはまさしく、それぞれの種類の人間が最後にどうなるかを明らかにすることなのではないか。それは、すべての人が、刑罰と裁きとによる征服の働きの過程の中で、自分のありのままの姿をあらわし、その種類に応じて分類されるようにするためではないか。これはむしろ人間を征服するというよりも、各種の人間がどのような最後を迎えるのかを示すことだと言った方がいいだろう。つまり、これは彼らの罪を裁き、それから様々な種類の人間を示し、そのことによって、彼らが悪であるか義であるかを判定するのだ。征服の働きの後に、善に報い悪を罰する働きが続く。完全に従う人々、つまり、完全に征服された人々は次の段階に移され、その業を全宇宙に広める。征服されなかった者は闇の中に置かれ、災厄に遭う。このように人間はその種類によって分類され、悪を行う者たちは悪として分類され、二度と陽の光を見ることがない。また、義人は善として分類され、光を受け、永遠に光の中で生きる。あらゆるものの終わりは近く、人間の終わりは目の前にはっきりと示された。そしてあらゆるものはその種類によって分けられる。それなら、どうして人間がこの分類をこうむることから逃れられようか。それぞれの種類の人間の結末は、あらゆるものの終わりが近づいた時に明らかにされる。それは全宇宙の征服の業(現在の働きを含むすべての征服の業)の間に行われる。この全人類の終わりの明示は、裁きの座の前で、刑罰と終わりの日の征服の業の過程の中で行われる。種類に従って人々を分類することは、人々を元の部類に戻すことではない。何故ならそれは、世界創造の際、人間が創られた時には一種類の人間、つまり男と女しか存在しなかったからである。その頃さまざまな種類の人間など存在しなかった。さまざまな部類の人間が現れたのは、何千年にも及ぶ堕落の後になってからである。ある者は汚らわしい悪魔の領域のもとに、またある者は邪悪な悪霊の領域のもとに属する。また、いのちの道を追い求める者は、全能者の統治のもとへ来る。ただこのようにしてのみ、人々の間に種々の部類が形成され、人々は人間という大家族の中でさまざまな部類に分かれるのである。人々はみな、異なる「父」を持つようになる。人間の反抗的性質は、はなはだしいので、すべてのものが完全に全能者の統治のもとにあるわけではない。義なる裁きは、各種類の人間の本性を表に曝け出す。隠しおおせるものは何もない。あらゆる者が光の中でほんとうの顔を現す。この時点では、人はもはや本来あるべき存在ではなく、その先祖の面影はとうの昔に消え去ってしまったのだ。何故ならそれは、数え切れないほど多くのアダムとエバの子孫たちが、もう長らくサタンの虜となり、もう決して天日を知ることはないからである。またそれは、人々があらゆる種類のサタンの毒に満たされてきたからである。こうして人々にはそれぞれに相応しい終着点があるのだ。さらには、彼らの異なる毒を基準にして、彼らは種類ごとに分類されるのである。すなわち、今日彼らが征服された度合いに応じて彼らは分類されるのだ。人間の終わりは世界の創造以来、予め定められているものではない。それは、初めに集合的に「人類」と呼ばれるひとつの種族しか存在しなかったからである。また、人間は、最初はサタンによって堕落させられてはおらず、彼らは神の光の中に生きていて、闇は彼らの上に降りていなかった。しかし、人間がサタンに堕落させられた後、あらゆる類型と種類の人々が地の至るところに広がった──集合的に「人類」と呼ばれる、男と女から成る種族から出たあらゆる類型と種類の人々である。彼らはみな祖先に導かれ、彼らの最も古い祖先──男と女から成る人間(つまり、始祖であるアダムとエバ、彼らの最も古い祖先)──の元から迷い出てしまったのだ。その当時、ヤーウェに導かれて地に生きた唯一の人々はイスラエル人だった。全イスラエル(つまり、最初の部族)から出た様々な種類の人々は、その後ヤーウェの導きを失った。これらの初期の人々は、人間世界のことにはまったく無知で、祖先とともに自分たちのものとした土地で暮らし、それが今日に至っている。だから、彼らはまだ自分たちがどのようにヤーウェのもとから離れ、今日に至るまで、どのようにしてあらゆる種類の汚れた悪魔や邪霊によって堕落させられたかについてはいまだに何も知らない。これまで最もひどく堕落し、毒されてきた者たち、つまり、最終的に救いようのない者たちは、彼らの祖先と共に行くしかない──彼らを堕落させた汚れた悪魔たちと。最終的に救われる者たちは、人類の正しい終着点に行くことができる。つまり、救われ、征服された者たちのために最後に用意された場所に。救うことのできる者たち全てを救うためには、あらゆることが為されるが、鈍感で救いようのない人々は、彼らの先祖たちの後を追って刑罰の底なしの穴へ落ちるしかない。あなたの終わりは最初から予め定められていて、それが今になってやっと明らかにされたと考えてはいけない。あなたがそのように考えているのなら、一番最初に人類が創造された時には、それとは別のサタンの種族などは創られなかったことを忘れたのか。あなたは、アダムとエバから成る一種類の人間だけが(つまり、男と女だけが)創造されたことを忘れてしまったのか。あなたが始めからサタンの子孫であったなら、それは、人間を創造した時ヤーウェはサタンの種族をもいっしょに創造したことになるのではないか。神がそのようなことを為すだろうか。神は自分の証しのために人間を創造したのだ。神は自分の栄光のために人間を創った。なぜ神は意図的にサタンの子孫である種族を自分にわざわざ抵抗させるために創造したりするのか。ヤーウェにそんなことができようか。もしそうなら、誰が神を義なる神だと言えるだろう。わたしが今、あなたたちのうちのある者たちは、終いにはサタンと行くことになると言う時、それはあなたが始めからサタンと共にあったという意味ではない。そうではなく、あなたはあまりにも低い所まで堕落したので、たとえ神が救おうとしても、その救いをのがしてしまったという意味である。あなたをサタンといっしょに分類する他ない。それはただ、あなたは救いようがないからであり、神があなたに対して不公平であるからではない。つまり、神が意図的にあなたの運命をサタンの体現化した者として定め、サタンと共に分類し、意図的にあなたを苦しませようとしているからではないのだ。それは征服の働きの内なる真実ではない。あなたがそのように信じているのなら、あなたの理解はひどく偏っている。征服の最終段階は、人々を救い、また、人々の結末を明らかにすることにある。それは、裁きによって人々の堕落を暴露し、それによって人々を悔い改めさせ、立ち上がらせ、いのちと人生の正しい道を追い求めるようにさせるためである。それは、鈍く頑なになった人々の心を目覚めさせ、裁きによって彼らの内にある反抗的性質を示すためである。しかしながら、もし人々がまだ悔い改めることができず、なおも人生の正しい道を追い求めることができず、これらの堕落を捨て去ることができないのなら、彼らは救いようのないものとなり、サタンにのみ込まれる。これが征服の意味だ──人々を救い、また人々の結末を見せるのだ。良い結末と悪い結末──すべては征服の働きにより明らかにされる。人々が救われるか呪われるかは、みな征服の働きの間に明らかにされる。

終わりの日とは、すべてのものが征服することを通して、その種類にしたがって分類される時のことである。征服することは終わりの日の業である。つまり、一人一人の罪を裁くことが終わりの日の業である。そうでなければ、どうやって人々を分類できるというのか。あなたたちの間で行われている分類の働きは、全宇宙におけるそうした働きの始まりである。この後、すべての国々のいたるところにいる人々も征服の働きの対象となる。これは、被造物であるすべての人々が種類によって分類され、裁きの座の前に進み出て裁かれるということだ。誰一人、何ものもこの刑罰と裁きの苦しみから逃れることはできない。また、誰も、何ものも、この種類による分類を避けることはできない。あらゆるものが種類ごとに分けられる。それは、万物の終わりが近く、天と地のすべてが終結に至るからだ。どうして人間が己の存在の終結を逃れられよう。したがって、あとどれほどあなたたちは不服従の行いを続けられるのだろうか。あなたたちの終わりの日は、もうすぐそこまで迫っているのが見えないのか。どうして神を畏れ敬い、神の現れを待ち焦がれている者たちが、神の義なる出現の日を見ることができないなどということがあろうか。どうして彼らが善への最後の報酬を受けられないなどということがあろうか。あなたは善を行う者なのか。それとも悪を行う者なのか。あなたは義なる裁きを受け入れて従う者か。それとも呪われる者なのか。あなたは、裁きの座の前で光の中に生きているのか。それとも黄泉の闇の中に生きているのか。あなたの終りは報酬を受ける終わりであるのか、それとも罰を受ける終わりであるのかを一番はっきり知っているのは、あなた自身ではないのか。神が義であることを一番明確に知り、最も深く理解している者は、あなたではないのか。そうであるなら、ほんとうに、あなたの行いはどうであり、どのような心をあなたは持っているのか。今日、わたしがあなたを征服することに及んで、あなたの行動が悪の行動であるか、それとも善の行動であるかをわたしがいちいち説明する必要があるのだろうか。あなたは、わたしのためにどれほどの犠牲を払ったのか。どれほど深くあなたはわたしを礼拝するのか。あなたがわたしに対してどのようにふるまっているかを一番よく知っているのはあなたではないか──それは真ではないのか。あなたが最終的にどのような結末を迎えるのか、あなたはそれを他の誰よりも知っているべきである。わたしは、まことにあなたに告げよう。わたしはただ人類を創造した。そして、あなたを創造した。しかし、わたしはあなたたちをサタンには手渡さなかった。まして、あなたたちを意図的にわたしに逆らわせ反抗させて、わたしに罰されるように仕向けたのでもない。あなたたちがこれらの災難を招いたのは、あなたたちの心があまりにも頑なで、あなたたちの行いが極めて下劣であるからではないのか。だから、あなたたちは自分自身の結末を決定することができるということは、ほんとうではないのか。自分がどんな最後を迎えるのかを、あなたたちは内心、他の誰よりもよく知っているということは、ほんとうではないのか。わたしが人々を征服している理由は、彼らを暴露するためである。またそれは、あなたの救いを確かなものにするためでもある。それは、あなたに悪を行わせるためでもなく、あなたを意図的に破滅の地獄に向かって歩ませるためでもない。その時が来れば、あなたのすべての大きな苦しみ、あなたが泣き叫び、歯ぎしりすること―─それらすべてはあなたの罪の故となるのではないのか。したがって、あなた自身の善、あるいはあなた自身の悪が、あなたへの最も正しい裁きではないのか。それが、あなたの終りがどうなるのかを示す一番の証拠ではないか。

現在、わたしは中国の人々への業を用いて、彼らの反抗的性質をすべて明らかにし、彼らの醜さのすべてを暴いている最中である。これが、わたしが言うべきことをすべて言っている背景なのだ。後にわたしは、全宇宙を征服するという次の段階の業を行う。わたしは、あなたたちへの裁きを用いて全宇宙のすべての者の不義を裁く。何故ならそれは、あなたたちは人類の中の反抗的な者たちの代表だからである。向上しない者たちは、単なる引き立て役、仕える者となるが、一方、向上できる者たちは用いられる。わたしは、なぜ向上できない者たちは単なる引き立て役になると言うのだろう。なぜならそれは、わたしの現在の言葉と働きはみな、あなたたちの背景を標的にしており、また、あなたたちが全人類の反抗的な者たちの代表、典型となったからだ。後にわたしは、あなたたちを征服するこれらの言葉を外国に伝え、そこの人々を征服するために用いる。しかし、あなたたちはそれらを獲得しないだろう。それはあなたを引き立て役にするのではないか。全人類の堕落した性質、人間の反抗的行為、人間の醜い姿と顔、それらはみな、あなたたちを征服するために用いられる言葉の中に記録されている。それからわたしは、これらの言葉をすべての国々とすべての宗派の人々を征服するために用いる。なぜならあなたたちは模範、先例なのだから。しかしながら、わたしは意図的にあなたたちを最初から捨てようとして始めたのではない。もしあなたたちの追求が失敗に終わり、あなたたちが救いようのない者となるなら、あなたたちはただの道具、引き立て役なのではないか。かつてわたしは、わたしの知恵はサタンの計略に基づいて働くと言った。何故わたしはそう言ったのだろうか。それは、わたしがちょうど今言っていること、行っていることの背後にある真実ではないのか。もしあなたが向上せず、完全にされるのではなく、むしろ罰されるのなら、あなたは引き立て役になるのではないか。おそらくあなたは、あなたの時に応じて充分に苦しんだだろう。しかし今なお、あなたは何も解かっていない。あなたはいのちにおけるすべてのことについて無知である。あなたは罰せられ裁かれたにもかかわらず、まったく変わらず、あなたの奥底ではまだいのちを獲得していない。あなたの働きを試す時が来ると、あなたは焼き尽くす炎のように激しい試練と、さらに大きな患難を体験するであろう。この炎はあなたの全存在を灰に変えるであろう。いのちを持たない者として、内に一かけらの純粋な金も持たない者として、いまだに古い堕落した性質から抜け出せない者として、また、脇役としてでさえ良い仕事ができない者として、どうしてあなたが取り除かれないことがあろうか。一文の価値もなく、いのちを持たない者のために、征服の業がなんの役に立つのだろうか。その時が来ると、あなたたちの日はノアやソドムの日よりももっと困難になるであろう。その時あなたの祈りは何の役にもたたない。一度救いの業が終わってしまえば、あなたはどうやってまた最初から悔い改めることができるというのか。一度すべての救いの業が完了すれば、さらなる救いの業はない。次に来るのは、悪を罰する業の開始である。あなたは抵抗し、逆らい、自分で悪だと分かっていることをしている。あなたは、厳しい罰の対象ではないのか。わたしは、あなたのためにこのことを今日、一字一句説明しているのだ。あなたがわたしの言うことを聞こうとしないなら、後に患難があなたの上に臨む時にやっと後悔し始め、信じ始めたところで、それはもう遅過ぎるであろう。わたしは今日、あなたに悔い改める機会を与えているが、あなたは悔い改めようとはしない。あなたは、あとどれほど長く待ちたいというのか。刑罰の日までか。わたしは今日、あなたの過去の背きの罪を憶えてはいない。わたしは、あなたを幾度も幾度も赦す。あなたの消極的な面から目をそらし、あなたの積極的な面だけに目を留めて。何故なら、わたしの現在の言葉と業のすべては、あなたを救うためであり、わたしはあなたに対して何の悪意も持っていないからだ。それでもあなたはいのちに入ることを拒む。あなたは善悪を区別することができず、親切の価値に感謝することも知らない。このような人には、ただあの懲罰と義なる報復を待つことしかないのではないか。

モーセが岩を打ち、ヤーウェによって授けられた水がほとばしり出たのは、モーセの信仰によるものである。ダビデがわたしヤーウェを賛美して琴を奏でたとき――彼の心は喜びで満たされていたが――それは彼の信仰によるものであった。ヨブが山々を満たすほど多くの家畜を失い、言い表せぬほどの膨大な財産を失い、体が腫物で覆われたとき、それは彼の信仰のためであった。彼が、わたしヤーウェの声を聞くことができ、わたしヤーウェの栄光を見ることができたのは、彼の信仰によるものであった。ペテロがイエスキリストに付き従うことができたのは、彼の信仰によるものであった。彼がわたしのために十字架に釘づけにされ、素晴らしい証となったのは、彼の信仰によるものであった。ヨハネが人の子の輝かしい姿を見たのは、彼の信仰によるものであった。彼が終わりの日の幻を見たのは、なおさら彼の信仰によるものであった。いわゆる異邦の民の群がわたしの啓示を受け、人々の間で働きをするためにわたしが肉となって帰って来たことを知るようになったのは、また彼らの信仰によるものである。わたしの厳しい言葉によって打ち砕かれたが、その言葉によって慰められた者たち、また救われた者たちのすべて、――彼らがそうしたのは信仰の故ではないのか。人々は信仰を通して多くのものを受けたのだ。彼らが受けるのはいつも――ダビデが感じたような幸せと喜びを感じること、又は、モーセがしたようにヤーウェによって水が授けられることなどの――祝福ばかりであるとは限らない。例えば、ヨブの場合は信仰を通して幸いだけではなく、災いも受けた。あなたが幸いを受けようが、災いを受けようが、どちらも祝福されたことなのだ。信仰なくして、あなたはこの征服の業を受けることはできない。まして、ヤーウェの行うことが、今日あなたの目の前に表示されることなどない。あなたはそれを見ることができないだろう。まして、受けることなどできはしないだろう。これらの懲罰、災難、そしてすべての裁き――もしこれらのすべてがあなたの上に臨まなければ、あなたは今日ヤーウェの行いを見ることができるであろうか。今日、あなたを征服されるようにするのは信仰であり、征服されるとあなたは、ヤーウェのあらゆる業を信じられるようになる。ただ信仰の故に、あなたは、このような刑罰と裁きを受けるのだ。このような刑罰と裁きを通して、あなたは征服され、完全にされる。あなたは神を知らないので、あなたが今日受けている刑罰と裁きなしでは、あなたの信仰は虚しいだろう。あなたがどれほど神を信じていても、あなたの信仰はまだ現実に基づかない、むなしい表現に過ぎない。あなたを完全に従順にする、こうした征服の働きを受けてはじめて、あなたの信仰は本物で確固としたものになり、あなたの心は神の方へ向く。たとえこの「信仰」という言葉のためにあなたが大いに裁かれ、呪われても、あなたは真の信仰をもち、最も真実で、最も現実的で、最も貴重なものを得る。何故ならそれは、あなたが神の創造物の終着点を見るのは、裁きの過程においてだけだからだ。この裁きの中で、あなたは創造主が愛すべき方であることを知るのである。こうした征服の働きの中に、あなたは神の腕を見る。この征服の中であなたは人生を完全に理解するようになる。この征服の中で、あなたは人生の正しい道を獲得し、「人間」の真の意味を知るようになる。この征服の中でのみ、あなたは全能者の義の性質と美しい栄光に満ちた顔を見る。この征服の働きの中であなたは人間の起源と全人類の「不滅の歴史」を理解する。この征服の中で、あなたは人類の祖先と人類の堕落の起源を理解するようになる。この征服の中で、あなたは喜びと慰め、また、絶え間ない懲らしめと訓練、自らが創造した人類への叱責の言葉を創造主から受ける。この征服の働きの中で、あなたは幸いを受け、人間の受けるべき災難を受ける……。このすべては、あなたのわずかばかりの信仰故ではないのか。これらのものを得た後、あなたの信仰は成長しなかったのか。あなたは膨大な量を得たのではないのか。あなたは神の言葉を聞き神の英知を見ただけではなく、個人的にその業の一つひとつの段階を体験したのだ。おそらくあなたは、信仰がなければ、こうした刑罰やこのような裁きを受けて苦しまなくてもよかったはずだと言うだろう。しかし、信仰がなければ、こうした刑罰を受けることも、全能者からこのような配慮を受けることもできないだけでなく、創造主に会う機会を永遠に失うだろう。あなたは、人間の起源を知ることは決してないだろうし、人生の意義を知ることも決してないであろう。たとえあなたの体が死んで魂が離れても、あなたはまだ創造主の働きのすべてを理解できはしないだろう。まして、創造主が人類を創造した後、このような偉大な業を地上で為したことを、あなたは知りはしないだろう。神が創造したこの人類の一員として、あなたは不可解にも、自ら進んでこのように闇の中に落ちて永遠の罰を受けようというのか。もしあなたが今日の刑罰と裁きから離れるなら、あなたにはいったいどういう運命が待っているのだろう。あなたは、今の裁きから離れてしまえば、この困難な生活から逃れられるとでも思っているのだろうか。もし「この場所」を去ったなら、あなたが遭遇するのは、悲痛な苦悶と悪魔によって加えられる残酷な傷害であるということは、ほんとうではないのか。あなたは、耐え難い苦しみを日夜受けることになるのではないか。あなたは、今日この裁きを逃れたからといって、将来の責め苦を永久に避けられるとでも思っているのか。あなたの前途にあるのは何だろう。それはほんとうに、あなたが望んでいる理想郷なのだろうか。あなたは、今やっているようにただ現実から逃げることで、その後の永遠の刑罰を逃れられるとでも思っているのだろうか。今日より後、あなたはこのような機会や祝福をほんとうに見出せるのだろうか。災厄が襲ってきた時、あなたはそれを見いだせるだろうか。あなたは、すべての人間が安息に入るとき、それを見いだせるだろうか。あなたの現在の幸福な生活と調和あるささやかな家庭──これらがあなたの永遠の終着点にとって代われるだろうか。もしあなたが真の信仰を持っているのなら、また、あなたの信仰によって多くのものを得るのなら、そのすべては、あなた――ひとつの創られた存在――が獲得すべきもの、また、手に入れていたはずのものではないか。このような征服はあなたの信仰に最も有益であり、あなたのいのちに最も有益なものだ。

今の時点では、あなたは、征服されている者たちから、神が何を求めているのかを理解する必要がある。完全にされている者たちに対する神の態度はどうであるか、また、今あなたが即座に入らなければならない過程は何であるかを理解する必要がある。いくつかのものごとは、あなたが、ほんの少しだけ理解すればそれでよい。奥義についてのいくつかの説話は、苦心して解き明かす必要はない。それらは余りいのちの助けにはならない。またそれは、目を留めるだけで充分だ。例えば、アダムとエバについての奥義などは、目を留める必要がある。当時アダムとエバとは、いったい何を意味していたのか、また神は今日どんな働きを為すことを望んでいるのか、――これらのことをあなたは知る必要がある[a]。人を征服し完全にする中で、神は人をアダムとエバのような状態に戻すことを願っていることをあなたは理解する必要がある。神の基準を満たすためには、人はどれほど完全にされなければならないのか――あなたはそれをよく感知し、それをつかむよう進んで尽力すべきである。それがあなたの実践の意味であり、あなたが理解すべきことである。あなたは、ただ、これらのことに関する言葉に従って、入ることを求める必要がある。「人類発展の歴史は数万年にまでさかのぼる。」ということを読むと、あなたは好奇心を抱き、兄弟姉妹といっしょになってそれを解明しようとする。「神は人類発展の歴史は六千年までさかのぼると言われたでしょ?数万年というのは、いったいどういうことだろう?」こんなことを解き明かしてどうしようというのだ。神自身が数万年働いていようが、数億年働いていようが――神は、あなたがそれを解明することを必要としているのか。これは、創られたものとして、あなたが知る必要のあることではない。このての発言は、ただ目を留めることができるが、それをビジョンのように理解しようとしてはならぬ。あなたが是非知らなければならないことは、あなたが今すぐ何の中に入り、何について明確な理解を得るべきかである。これらのことについて思いを巡らし、はっきりと理解しなさい。その時初めてあなたは征服されるようになるだろう。以上のことを読んで、あなたは普通の反応を示すかもしれない。神は燃えるように切望している。神は私たちを征服し、栄光と証しを獲得することを願っている。私たちはどうやって神に協力すべきだろうか。神によって完全に征服され、神の証となるために、私たちは何をしなければならないのか。神が栄光を得ることができるためには、私たちは何をしなければならないのだろうか。サタンの支配下ではなく、神の統治のもとで生きられるようになるためには、何をしなければならないのか。こういうことが、人々が考えるべきことである。あなたたち一人ひとりが、征服の意義についてはっきりと知るべきである。それはあなたたちの義務である。この明察を得て初めてあなたたちはいのちの道に入るだろう。あなたたちはこの段階の業を知り、完全に従順なものとなるであろう。そうでなければ、あなたたちは真の服従に達することはないだろう。

脚注

a.原本には「これらのことをあなたは知る必要がある。」という語句が含まれていない。

 


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