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放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

やっぱり科目登録増やしました

2012年02月18日 | 登録科目関連
今日、送られてきた試験結果を見ると、案外うまくいけているので、4科目登録することにしました。

あとは、試験日などに、突然の仕事とかが入らないことを願うのみです。

昔私がいた大学では、刑法各論などは、最後の授業で、出される問題が絞れたため、覚える内容を絞り込めたが、この大学の場合、放送授業で触れられない印刷教材からもまんべんなく各章ごとに1問か2問出題されるので、広く浅く覚えておかねばならない傾向にあります。

ただ、多くは択一式の試験のようですから、一回か二回分聞いたり見たりできなくても、単位認定試験に合格は可能です。

経済学で言う「希少財」の究極は、「時間」なのかもしれません。その「時間」のなかでも、より貴重なのが「カイロス」的時間、つまり、共時的な時間、そのときにしか、それができない時間なのでしょう。

この時間は、「クロノス」的時間、つまり、時計が示す時間、物理的時間に比べて、個人差があり、そのひとの運の良さのようなものまで関係してきます。

放大の勉強をすると言うことは、別のために使える時間を削っているわけで、その自由度を高めるためには、たとえば、科目の選択において、試験日を気にしなくても学べるようにするとか、私立の大学入試のように、複数回の試験日を設け、受験可能機会を増やすとかの工夫が、大学側には求められると思います。


中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな」幻冬舎新書

2012年02月18日 | 参考書・新刊書案内

 

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)
中村 仁一
幻冬舎

今日は、美容院に行った帰りに、日経新聞でも大きな広告が打たれている中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな」幻冬舎新書、2012年を買ってきました。

最近は、この手の本が多く出版されています。

生まれてくると言うことも考えもので、50代半ばぐらいになると、あと何年ぐらい生きられるかとか、もっと具体的には、551蓬莱のぶたまんが、あと何個食べられるかということが頭の片隅に昇るようになります。

ぶたまんの季節は、やはり冬であって、ふうふうしもって食べるのがよりいっそうおいしいものです。データがないので、確実なことは言えないのですが、年間平均で数えると、最大でも年に5~6個、少ないと1~2個ぐらいですし、年間平均2個としても、あと20年食べても、60個しか食べられないことになります。

ぶたまんのことだと、食べられなくなるだけなので、さほど深刻でもないのですが、「死ぬこと」となると、これは、未体験の現象でもあり、かといって、考えないわけにもいかないという難問です。

 

この書物の特徴は、著者が体験したことを、著者の視点から医療界に対しても気兼ねなく持論として述べている点にあります。

 

ただ、そのために、やや偏見とも思える表現があります。たとえば、第4刷第3章128ページの「安易に『心のケア』をいいすぎないか」で、「心のケア」の押しつけがなされているのではないかという指摘がありますが、現実は、おそらく逆であろうと考えられます。

大きな事件が起きると、スクールカウンセラーが、学校に派遣されるというメディアの報道がありますが、それは、そのような専門家が派遣されてよかったという風に読み取るのではなく、派遣に頼らざるを得ない人材と諸制度が問題とされるべきでしょう。

本来なら、養護教諭が身体面のケアをし、常駐のカウンセリング担当(教諭)がいてしかるべきだろうと思われるからです。

アメリカのドラマを見ていると、サイコロジストが、学校や職場にしばしば登場する場面がありますが、その系譜は、学校教育における「ガイダンス(適性相談)」にあるように思われます。

 

なぜ、そのような誤解が生じるのかというと、著者自身が、よいカウンセリング体験を持たないか、かかわったカウンセラーがよくなかったか、あるいは、十分な研究をせずに、印象から、そのような判断を下しているのでしょう。

また、メディアが、ことさら、ことあるごとに、カウンセラーを派遣したことを騒ぎ立てることで、誤解を与えているとすれば、正確な報道が求められるだろうと思われます。