12月21日は、寒くて雨が降るだろうという予報があったので、万全の体制で臨んででかけることにしました。仕事柄、長時間机に向かっているのは慣れているというものの、実習・実験ではなく、講義というのは、かなり疲れるものです。
分野としては、「歴史社会学」に属する研究といえるものなのでしょう。
第1日目は、主として明治に入ってからの教育制度、とりわけ、旧制高校・帝大に焦点が当てられて、その全体像を俯瞰することから始まりました。第2日目は、高等女学校卒業生に関するリサーチの分析結果と、その背景やそれらに基づく考察がなされました。
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分析枠組みとして、N.エリアスが概念化した「文化」と「文明」、また、P.ブルデューの文化資本論などが用いられていた。
極めておおざっぱなまとめを行うとすると
エリアスが言う「文化」=旧制高校 ブルデューがいう「文化資本」 江戸文化や京都文化 女学生(高等女学校)
「文明」=旧制女学校 「文化資本がない」 旧山の手文化(薩長藩邸) 地方から努力して帝大に来た学生
という結論になる。
さらには、
女学生=たしなみ文化 +α
という概念化を行っている。
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以上が、私がまとめた要点です。
ブルデューが文化資本、そういうものがなんとなくあるなあと実感するには、放送大学の面接授業のクラスではだめで、日仏学館のフランス語講座であるとか、
ドイツ文化センター(ゲーテ・インスティテュート)などのドイツ語会話講座などに行かないと、日本では、そのようなお嬢様がたには出会えません。
会話の内容が、「今年のニューイヤーコンサートは、・・・」とか話されているときのコンサートは、浜崎あゆみではなく、ウィーン・フィルなのです。
ウィーン・フィルの演目は、シュトラウスなどになりますから、ブルデューからすれば、レベルの低い文化階層ということになるかもしれません。
日本では、「第九合唱」が年末によく行われますが、これは、大衆文化であって、ベートーヴェンだけれど、それに皆が慣れ親しんでいるわけではないので、ちょっと滑稽なのです。
社会学に関しては、ほとんど知らない私は、講義の中身までは、書くことは能力的に無理なのですが、ブルデューの構成概念にうまく収斂されており、興味深く有意義な授業でした。
ただ、様々な疑問も生じたのも事実なのですが、それらは、来世まで持ち越すことになりそうです。
なお、参考文献としては、下記のものが指定されています。
・教育文化を学ぶ人のために(稲垣恭子 編/世界思想社/¥2,310/ISBN=9784790715245 )