放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

森田療法と普通の心理療法

2012年11月26日 | 臨床心理学
今や、森田療法の中でさえ、原法は、その指導に当たる医師や心理療法家の不足から、行われなくなっている。
ラカンが、「父の名」の比喩で喝破したように、言語以前に戻り、赤ちゃんの状態の中で、言語以前の自己を体験させると、その後の世界が、言語的世界で、悩みの世界であることが、体感出来る。赤ちゃんの世界とは、ある意味でイメージの世界と言って良いだろう。ただ、これは、理屈であって、森田療法とは何ら関係がない。

ジャパンカップ 審議

2012年11月26日 | 生活全般

昨日のジャパンカップでは、17番オルフェーブル号が針路妨害した疑いで、審議となった。ビデオで見ると、ジェンティルドンナ号が、ビートブラック号との間から抜け出るとき、オルフェーブル号に接触したように見えた。
結果として、ジェンティルドンナが抜け出て1着となった。ルーラーシップ号が、3着に食い込んだ。3連複で買っていたが、馬券の人気順では、1番で配当は約10倍にしかならなかった。昨年に続き、牝馬が1着となった。確かに、オルフェーブルに比べ4キロのハンデはあったものの、上手く差したのは間違いない。1番人気ということもあり、押さえとして買ったので、全体として損はしなかったが、儲かりもしなかった。3連複を買うときは、レースの読みに自信がないときが多い。馬連だと、本命馬券を厚く買う。厚く買えないとき、私は、3連複を狙う。
それにしても、あの長い審議はいただけない。

[訂正]オルフェーブルは、オルフェーヴルに訂正。テレビでは、オルフェーヴル号の進路妨害と聞こえたのですが、日経新聞のスポーツ欄に依りますと、ジェンティルドンナ騎乗の岩田騎手の強引な進路取りが問題となったようです。

[補論]娯楽のなかった昭和30年代だと、競馬場に家族連れで来るというシーンもあった。その後の高度経済成長の中で、忙しい時代に突入し、もともとうさんくさい競馬が、いくら理由付けを考えたとしても、紳士のスポーツのような対象にはなり得なかった。唯一、例外的に、90年代前半頃、武豊騎手にも人気が出たこともあって、競馬場に若い女性の姿も見られたこと時期があった。90年代半ばを過ぎると、再び、何とも言えない競馬場の雰囲気に戻った。その頃に、競馬友達もいなくなったので、自然消滅することとなった。90年代半ばには、アマチュア無線も、固定やモービルもなくして、ハンディー機のみで、時折聞く程度になっていった。

90年代半ばは、多くのものを失った時代でもあった。その最も大きな原因は、バブル崩壊後の長期不況だと思われる。京都に放送大学の学習センターが出来た頃、生涯学習に目覚めて、入学した。しかし、放送は、まだなくて、画集センターでテープを見たり聞いたりする学習形態だった。不便さもあったが、余裕がどんどん失われていく時機でもあったため、続けることは出来なかった。


森田療法 日本で生まれた独自の心理療法

2012年11月20日 | 臨床心理学

「森田療法」とは、森田正馬により創始された心理療法である。

1.狭義の意味での森田療法は、森田療法家のもとに入院して、決められた順序で行われる。

2.広い意味では、森田療法家が、週に一度程度面接し、課題を与え指導を行う外来森田療法も含まれる。

 

しかし、その本質を会得するには、1.の入院森田療法に依らないといけない。

それは、なぜか。

イ) まず、入院療法の第1期臥褥期は、外界との接触を断ち「生の欲望」を生きるために、苦悩で疲れた頭を休め、

第2期への準備期間であると同時に、「森田療法適性」を判別する過程でもあるからである。

この「森田療法適性」が判別されることにより、クライエントは、「森田神経質」となる。

「森田神経質」と分かると、森田正馬が、「森田神経質」は病人として取り扱ってはならないといっているように

病人として取り扱わなくなる。ここが、重要なポイントである。

ロ)この第1期臥褥期を、日常生活では、体験するのは、ほぼ不可能である。可能であるなら、神経症などには

ならないと考えてもよい。

ハ)また、第2期で、多くの場合、森田療法の本質を体験することになるから、最も効果が出るように

第1期の日数を調整する必要があるからである。

 

ところで、人格は、そう簡単に変わらないから、森田療法を受けたからといって、「症状」と呼んでいるものが

霧散してしまうということもない。特に、重篤な神経症的苦悩を抱え続けてきた場合には、急に、そういうものが

なくなってしまうと、これはこれで、空虚感を覚えたりすることになるから、なくならなくてもよい。

 

しばしば、問題になるのは、症状のことを口にしなくなったり、出てきたら出てきたままでいることがあっても、

それはそれとして、生活しておれば、それが他ならぬ全治の姿なのに、それが全治と言われることへの違和感かもしれない。

 

人間は、こころの悩みを言語化したり、それを何かでなくそうとかしなければ、悩みは悩みのまま存在し、

なくなりそうでなくならないものなのである。

 

たとえば、森田療法施行前に、怖いと思っていた上司が、全く怖くなくなることはない。怖いものは、怖いとして

それに対して言語的に関わらない、つまり、上司が父と似ているからといった特徴を探ったりする必要もなく

現実の仕事でのつきあいややりとりの中で、自分なりに判断して、対応していけばよいのである。

 

言語は、行動と結びついており、Aと会う約束したら、その約束をはたさないと、後ろめたい気分などを惹起するように

できている。また、約束を守って会ったのに、不用意なことを言ってしまって怒られることもあろう。そういうときは

落ち込むのであるが、神経質の人は、そういう落ち込む自分に嫌悪したりしてしまう。

 

そのようなときに、そういったいやな気分とつきあうのではなく、つぎにやるべきことをすればよいのである。

 

ただ、残念なことに、世の中は、普通の人でも、失敗すると、それを悔やんだりするので、その様子を見て

それをまねてしまうことがある。

 

ムード一致効果がバウアーなどによって研究されているが、そういう現象を学習しておいて、その状態から

逃れるようにすることは、それも、ひとつの仕事なのである。


追加面接授業が取れました。「心理学実験」

2012年11月07日 | 学習センター・面接授業

今年の2学期から全科履修生になったものの、面接授業の登録ができないので、今回は、面接授業が0回だとあきらめていたところ、心理学実験の授業が追加で募集され、運良く抽選の結果当たりました。

科目の登録は、今週いっぱいなので、昼から兵庫学習センターまで、本日行ってきました。

今回は、神戸大学の中にあります。

名前は、よく聞く神戸大学ですが、行くのは初めてでした。JR東海道線の芦屋と三宮の間にある「六甲道」というところで降りて、そこから、36番のバスに乗ります。かなり山手のほうにありました。そのため、正門から海が見えます。

正門を入って、すぐ左側の建物の6階に事務室があります。

また、すぐそばに、学食があって、チーズはさみ揚げとライスと味噌汁で、たったの380円でした。

400円ぐらいで、昼食が食べられると、財布に優しくていいですね。

京橋から六甲道まで、片道540円。バス代200円。

そんなところです。


iPadminiを手にして

2012年11月04日 | 生活全般

今日のお楽しみは、映画を見ることと、ヨドバシカメラに行くことの2点であったが、残念なことに、ヨドバシカメラのポイントカードを持って行くのを忘れた。

ヨドバシカメラは、年に2~3回ぐらいしか行かなくなったので、カードを別のところに仕舞っているのである。

そんなわけで、今使っているiPhone4s用のイヤホーンを買おうというもくろみはなくなってしまった。

 

iPadminiであるが、楽天のkoboぐらいの大きさで、軽いし小さいので持ち歩くには便利だろうと思われた。

ただ、店頭に置かれているサンプルでは、使いたいソフトがインストールされているわけでもないので、たとえば、電子書籍の写真集がどのように見えるかが

わかりにくい。iPhone4sだと、かなり縮小されるので、見ていても迫力がない。文字も、英語の雑誌のサンプルを見る限り、iPhone4sより見やすいだろうとは

わかっても、老眼鏡なしに使えるかは疑問が残った。

 

iPadに最適化された電子書籍は、言わずもがなiPhone4sでは、部分的に拡大しないと読めなかったりする。そういうのが、どうなのかについては、

今後の雑誌等による検証を必要とするが、せっかくなら、このサイズのスマートホンでもよいような気がする。

 

 

 


某レストランで牛ヒレカツを食す

2012年11月04日 | 生活全般

ヨドバシカメラで、Windows8の実装機やiPadminiなどを見たあとで、某レストランで牛ヒレカツを食べた。

牛肉のヒレカツというと、カツレツなので、フライパンで焼いたものを期待していたら、とんかつの牛肉バージョンのようなものが出てきた。

わたしの幼い頃は、家にガスがまだ通っていなかったので、調理用具としては、炭火や豆炭を七輪で熾して使うか、おくどさんで、薪をくべて煮炊きをするかぐらいしか

なかったので、焼くか煮るかぐらいの調理しかできなかった。ただ、火というものが、身近にあった。おくどさんで薪をくべると、家中が煙りだらけになるし、大変ではあったが、

それで沸かしたお湯には、独特の香りがあった。

あの時代には、戻りたくもないが、あれはあれで懐かしい思い出ではある。


大阪駅にできた駅ナカ「エキマルシェ大阪」は、実は、改札の外にある

2012年11月04日 | 生活全般

エキマルシェ大阪は、JR大阪駅の構内にあるので、駅ナカ商業施設とされているが、普通に感じる「駅ナカ」とは、やや趣が違う。

駅の中にあるキオスクのようなイメージがあって、改札を出なくとも買い物ができる便利な施設をイメージしてしまうが、実は、そうではなくて、改札を出ないと買い物ができない。

しかも、阪急への道がある中央口とは反対側にあるため、そちら側に出てしまうと、阪急まで行くのには、別のルートを探さないといけないので注意が必要である。

わたしも、ちょっと覗いてこようと思ったが、方向が反対なのであきらめた。また、梅田の景観が変わっていて、確かヘップだったかのビルの上にある観覧車が見えなくなっている。

そのかわり、あたらしいエスカレーターが設置されていて、地下街から阪急電車に向かう人と、JRからヘップのほうへ向かう人が交差して混雑した道を回避して、ナビオのほうへ行けるようになった。


デヴィッド・クローネンバーグ監督「危険なメソッド」鑑賞

2012年11月04日 | 哲学・思想・雑感

アルド・カロテヌート「秘密のシンメトリー」入江良平ほか訳、みすず書房、1991年という書物が話題になった頃には、「ユング心理学」が流行っていて、私も、当時目を通したことがあった。その後、シュピールラインを巡る話題を取り上げた書物も発刊されている。精神分析は、フロイトにより編み出された一種の「治療論」であって、たとえば、無意識の図式化に関しても、学問的体系化の過程で変化しており、初期の理論では予定されていなかった「タナトス(死の本能)」を概念として取り入れたのであるが、その源泉がシュピールラインの洞察にあったとされ、そのシュピールラインがユングのクライエントであったことなどから、様々な憶測が飛び交いこの三者関係は、注目されていた。

ちなみら、この映画のストリーは、ウキペディアによると「1993年のノンフィクション本『A Most Dangerous Method』の舞台版である『The Talking Cure』(2002年)を原作としており、その脚本家でもあるクリストファー・ハンプトン自らが脚色した」となっている。

この映画は、背景となる精神分析や分析心理学のような深層心理学の知識なしに見ることは、日本史の概要を知らずに坂本龍馬のドラマを見るのに似て、分かりにくいかもしれないし、ユングの家の玄関に掲げられた「ことば」が、そのストーリーとどう関係するのかを見逃すかもしれない。逆に言えば、細かいディテールをいくつ指摘できるかが、見るものに問われているのかもしれない。たとえば、フロイトは葉巻をくわえているのに対し、ユングはパイプをくわえている。また、連想心理実験のシーンなども興味深い。

 

いろんな連想がわき起こってくるが、第二次世界大戦前後の精神療法の状況が、このようなものだとすれば、たとえば、千里眼研究で有名な福来友吉のありようなども、解釈可能かもしれない。