中国を旅行していると必ず気付くことがある。
それは徹底された個人主義。しかし、それはよく言えばの話で、実際感じるのは甚だしい自己中心主義である。
特にそれが体験できるのが電車の乗り降りだと思う。日本や欧米では、列車が停車すると、乗る側は降りる人にスペースは開け、下車する人がいなくなったら乗り込むのが暗黙のルール。
しかし、中国、少なくとも上海ではそんなルールはないに等しい。乗る側はドアが開いた瞬間から一気に乗り込んでくる。自分が座ることしか頭になく、これから降りる人がいるなどまったく気にも留めない形相で。
これには男性も女性も関係がない。日本でいう整列乗車や乗車マナー、欧米でいうレディ・ファーストなどあったものではない。一応、ホームには「降りる人の場所」、「乗る人の場所」といった丁寧な指示が書かれているが、これを目に留める人は見られない。彼、彼女らにとって、帰宅までの10,15分の電車内で自分の座席を確保することは、まさに死活問題らしい。
携帯のマナーもかなり問題だと思う。
西安空港から市内への移動のバスの中、係員が説明をしているとき、中年女性の携帯の大きな着信音が鳴った。公共の場で携帯が鳴ることはしょっちゅうなので、特筆することはないが、びっくりしたのはおばさんの対応。
そもそも中国人は日常会話でも声がデカイが、携帯ではさらにデカイ。おばさんは電話に出るなり、完全に自分の世界に入って大声で話し始めた。これには係員も苦笑して、説明を止めたが、おばさんを止めることは不可能だと思われ、おばさんの大声が響く中、再び説明に戻った。
通話後、おばさんはあくびれることなく平然としていた。このように場の雰囲気を読めない人間は五万といる。
また、中国語がわからない人には、中国語の会話はまさに喧嘩をしているように聞こえるが、中国人の知り合いいわく、この感覚は意外に間違っていないらしい。日常生活で中国人は小さいことでも小競り合いになるようだ。
そして、自己中心主義が一番危険を与えるのは路上。
都市部の路上は戦場といっていい。ドライバーが日本や欧米のようにフレンドリーであることはまずありえない。中国は右車線通行だが、赤信号でも歩行者の有無に関わらず右折をしてくるし、歩行者が歩いていたらクラクションを鳴らす。
タクシーに乗っていても、後方確認をすることはほとんどないし、飛び出しや信号無視はほぼ日常化している。これで事故が起こらないのは不思議なくらい。
もし中国に行く機会があるなら、日本と同じ感覚は早々に無くすべきだと忠告できるかもしれない。このような運転マナーであるから、日本からの駐在員は会社から車を持たないように言われているらしい。その代り、専属のドライバーが付くようである。
総じて、中国は「言った者勝ち、やった者勝ち」の社会だと思う。なぜ自己中が多いのか、これは一説には一人っ子政策の影響で若者がわがままになったから、と言われる。ただ、老いも若きも自己中心的なのだから、これはすべてを説明できない。
中国の人口は13億。それだけの人間が社会で勝ち残っていくには、まわりを見向きもせず、人の先を行く、そのためには、ルールやマナーは存在しない。そういうことだろうか。まさに「先んずれば人を制す(人より先に事を行えば、人を押さえることが出来る)」の世界。この言葉の出典は、司馬遷で有名な『史記』らしいが、その教えはしっかりと社会に根付いているということだろうか…。
ダラダラと書いたが、このような環境で生活するためには、自分は日本人だから…と遠慮していてはいけない。 When in Rome, Do as the Romans do. 電車の降り口では乗ってくる人を押し分け、携帯の声やけんか腰の話し方にも負けないくらい自己主張をしなくては。
日本人から中国人を批判したい点は星の数ほどあるが、同じように彼らから学ぶものもたくさんある。
(※写真…中国。西安。兵俑馬。2005年7月撮影)
それは徹底された個人主義。しかし、それはよく言えばの話で、実際感じるのは甚だしい自己中心主義である。
特にそれが体験できるのが電車の乗り降りだと思う。日本や欧米では、列車が停車すると、乗る側は降りる人にスペースは開け、下車する人がいなくなったら乗り込むのが暗黙のルール。
しかし、中国、少なくとも上海ではそんなルールはないに等しい。乗る側はドアが開いた瞬間から一気に乗り込んでくる。自分が座ることしか頭になく、これから降りる人がいるなどまったく気にも留めない形相で。
これには男性も女性も関係がない。日本でいう整列乗車や乗車マナー、欧米でいうレディ・ファーストなどあったものではない。一応、ホームには「降りる人の場所」、「乗る人の場所」といった丁寧な指示が書かれているが、これを目に留める人は見られない。彼、彼女らにとって、帰宅までの10,15分の電車内で自分の座席を確保することは、まさに死活問題らしい。
携帯のマナーもかなり問題だと思う。
西安空港から市内への移動のバスの中、係員が説明をしているとき、中年女性の携帯の大きな着信音が鳴った。公共の場で携帯が鳴ることはしょっちゅうなので、特筆することはないが、びっくりしたのはおばさんの対応。
そもそも中国人は日常会話でも声がデカイが、携帯ではさらにデカイ。おばさんは電話に出るなり、完全に自分の世界に入って大声で話し始めた。これには係員も苦笑して、説明を止めたが、おばさんを止めることは不可能だと思われ、おばさんの大声が響く中、再び説明に戻った。
通話後、おばさんはあくびれることなく平然としていた。このように場の雰囲気を読めない人間は五万といる。
また、中国語がわからない人には、中国語の会話はまさに喧嘩をしているように聞こえるが、中国人の知り合いいわく、この感覚は意外に間違っていないらしい。日常生活で中国人は小さいことでも小競り合いになるようだ。
そして、自己中心主義が一番危険を与えるのは路上。
都市部の路上は戦場といっていい。ドライバーが日本や欧米のようにフレンドリーであることはまずありえない。中国は右車線通行だが、赤信号でも歩行者の有無に関わらず右折をしてくるし、歩行者が歩いていたらクラクションを鳴らす。
タクシーに乗っていても、後方確認をすることはほとんどないし、飛び出しや信号無視はほぼ日常化している。これで事故が起こらないのは不思議なくらい。
もし中国に行く機会があるなら、日本と同じ感覚は早々に無くすべきだと忠告できるかもしれない。このような運転マナーであるから、日本からの駐在員は会社から車を持たないように言われているらしい。その代り、専属のドライバーが付くようである。
総じて、中国は「言った者勝ち、やった者勝ち」の社会だと思う。なぜ自己中が多いのか、これは一説には一人っ子政策の影響で若者がわがままになったから、と言われる。ただ、老いも若きも自己中心的なのだから、これはすべてを説明できない。
中国の人口は13億。それだけの人間が社会で勝ち残っていくには、まわりを見向きもせず、人の先を行く、そのためには、ルールやマナーは存在しない。そういうことだろうか。まさに「先んずれば人を制す(人より先に事を行えば、人を押さえることが出来る)」の世界。この言葉の出典は、司馬遷で有名な『史記』らしいが、その教えはしっかりと社会に根付いているということだろうか…。
ダラダラと書いたが、このような環境で生活するためには、自分は日本人だから…と遠慮していてはいけない。 When in Rome, Do as the Romans do. 電車の降り口では乗ってくる人を押し分け、携帯の声やけんか腰の話し方にも負けないくらい自己主張をしなくては。
日本人から中国人を批判したい点は星の数ほどあるが、同じように彼らから学ぶものもたくさんある。
(※写真…中国。西安。兵俑馬。2005年7月撮影)