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lightwoブログ

競馬のスポーツとしての魅力や、感動的な人と馬とのドラマを熱く語ります。

我慢強い馬

2006-08-14 00:13:50 | 心に残る名馬たち
先日、日本の英雄が仏国へ旅立った。
世界の頂点を掴むために。
日本の悲願を達成するために。

日本馬が初めて最高峰へ挑んだのは37年前もの昔。
ジャパンカップが創設される12年前の話。
挑戦したのはいつも寂しそうに空を見上げている馬だった。

彼は脚ばかり長く痩せていた。
神経質で女性的なひ弱な感じだった。
そして、とても我慢強い馬だった。

晩成な馬だったのだろうか。
初めて大レースで好走したのは菊花賞。
際どいハナ差の2着だった。
4歳の春に本格化し、天皇賞を含む重賞5連勝を成し遂げる。
その勲章を胸に秋に米国の国際招待レースに挑んだ。

過去にこのレースに参戦した馬は2頭いた。
だが、何れも勝ち馬から30馬身以上も離された大敗を喫していた。
そもそも、日本馬の海外遠征自体、数えるほどしか例の無い時代。
ノウハウも無く、現地で調子を維持することすら難しい。
それでも彼は勝ち馬から8馬身差の5着で走り抜けたのだった。
なれない環境の中で彼の長所、我慢強さが生きた結果なのだろう。
だが、その代償は大きく帰国してからしばらく連敗が続いた。
休養して立て直すこととなる。

5歳秋を迎えた彼は立ち直り3連勝を飾る。
その走りは陣営の海外挑戦への想いに再び火を点けた。
6歳の夏、欧州への長期遠征が決まった。

2度目の旅は最初から順調では無かった。
飛行機の乗り継ぎ地でストに巻き込まれ3日の立ち往生。
ようやく現地にたどり着いたところでの熱発。
それでも彼は全てのトラブルを我慢した。

迎えた初戦のキングジョージ、道中は2番手を進んで行った。
そのまま直線では逃げ馬を交わし先頭に踊り出た。
直線半ばまで先頭に立ち続け一瞬あわやと思わせた。
結果は5着だったが欧州の聖域に敢然と立ち向かった。
その後30年に渡りこの路線でここまで勝負できた馬は居ない。
それを鑑みればこのレースは歴史的好走だったと言えよう。
しかし、本場欧州の壁は厚く凱旋門賞では辛酸を嘗めたのだった。

欧州で我慢し続けた彼は精根尽き果ててしまう。
帰りの飛行機ではほとんど物を口にできないほど疲れ果てた。
陣営は彼の引退を覚悟したと言う。

しかし、彼は蘇った。
放牧で何とかレースに使えるまで回復し、その体で有馬記念を制した。
その年の菊花賞馬の猛追をハナ差我慢したのだった。

7歳になった翌年も走り続けた。
日本での国際招待競争の設立の話があり、それに出走するため。
結局、それは実現することは無かった。
それでも彼は走り続け、史上初のグランプリ連覇を達成した。
そのレースも前年と同じ相手の猛追を我慢してのものであった。
そして、年度代表馬の勲章を胸に現役を引退したのだった。


彼は2度の海外遠征に耐えた。
だが、限界を超えた我慢に調子を崩した。
それでも彼は蘇った。
きっと放牧先の牧場で空を眺めていたんだろう。
それでまた我慢する心を取り戻したのだろう。

神経質で色々気にしてもいいじゃないか。
鈍愚で何も見えないようなずうずうしさよりはましなはずだ。
ただ、少しだけ我慢すればいいんだから。
そして、我慢できなくなったときは空を見上げよう。
彼も眺めたあの空を。