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競馬のスポーツとしての魅力や、感動的な人と馬とのドラマを熱く語ります。

地方競馬の祭典

2005-11-06 14:08:25 | 感動エピソード
私は今年の地方競馬の祭典を楽しみにしていた。
ここに出走するある人馬の走りを観たかったからである。

私は熱心な地方競馬ファンと言うわけではない。
せいぜい交流重賞をたまに観る程度。
そのたまに観るレースである馬のことが徐々に気になってきた。

交流重賞は中央馬のためのレース。
地方馬では勝負にならない。
私の中ではそういう認識があった。
事実、中央勢が上位を占める結果が非常に多い。

そんな劣勢の地方馬の中で果敢に挑戦を続ける馬が居た。
しかも、その馬は北関東の高崎所属。

中央勢と戦える馬。
南関東や東北、あとは笠松くらいだろうか。
それ以外の地域はレベルが低く、とても相手にならない。
そういう思い込みがある私にはその馬の頑張りは胸を熱くさせた。

地方にはときに怪物と呼ばれるような強い馬が出現する。
そういう類稀なる存在ならば地方、中央を問わず活躍できる。
しかし、その馬はそこまでの天賦の才があるわけではない。
事実、中央勢の牙城を崩して勝ちきることは出来ない。
それでも短距離戦線で挑戦を続け、常に上位に顔を覗かせていた。

そうやって、戦い続ける限りいつかは勝てるのではないか。
挑戦を止めない限りいつかは報われるのではないか。
そんな想いから、この馬の走りに注目するようになっていった。

だが、この馬の所属する競馬場が昨年末で廃止されてしまう。
それから私はこの馬の走りを眼にすることは無かった。
それどころかこの馬の消息すら知らなかった。

それから月日は流れ、秋競馬に夢中になっていた頃あるニュースを眼にした。
それは笠松であの馬が勝ち星を挙げたというものだった。
そして、その手綱を取ったのはミスターピンクと呼ばれた地方の名手だった。

現在北関東には地方競馬が存在しない。
高崎の後、今年の3月に宇都宮も廃止された。
その宇都宮のリーディングジョッキーにして3000勝を挙げている名手。
地方では騎手ごとに勝負服が決められている。
その騎手服の色からその名がついたジョッキー。
その男は現在、鞭一本で全国を渡り歩こうとしている。

地方競馬の騎手免許は全国ライセンスである。
しかし、実際には他地区で自由に騎乗することはできない。
そんな矛盾に異を唱え、自らフリー騎手化を推進するために全国の地方競馬での騎乗を試みている。
夏に岩手で2ヶ月間の騎乗を達成し、次の仕事場として笠松で鞭を振るっていた。

失われた北関東出身の人馬が新天地でコンビを組み勝利を挙げる。
そんな素敵な偶然に私の胸は熱くなった。
その走りが認められ地元東海地区代表として地方競馬の祭典に出走する。
そんな知らせはこの人馬を応援せずに居られない気持ちにさせられた。

当日の走りは残念ながら見せ場を作ることが出来なかった。
それでも、この馬とジョッキーは挑戦し続けるだろう。
そして、私はその背中を追い続けてゆく。

競馬ブログライフ

2005-11-05 00:23:27 | 感動エピソード
私には競馬仲間がいない。

思えば競馬を見るようになった十数年前からそうだった。

昔に比べれば大分イメージは良くなっているが、まだまだ競馬イコールギャンブルというのが一般的である。堂々と趣味は競馬ですとは何か言いづらい。だから周りの人でも私が競馬好きであることを知らない人も多い。私はもちろん馬券も買うが競馬は常にスポーツの視線で見ている。ちょうどサッカーや野球を見るのと同じ感覚で。残念ながら同じような競馬好きは私の周りにはいない。

仲間がいないからといって別段不都合な点は何もない。競馬場に一人で行くのも気楽で良いし、そこで得られる感動は変わらないのだから。

しかし、一つだけ寂しいと感じるのは感動を分かち合うことができないことである。歴史的名馬が誕生した瞬間をこの眼に焼き付けたときや、自分の追いかけていた馬がやっと勝ってくれたとき。そんなときの話を肴に仲間とおいしいお酒を飲みたいなと思ってしまう。つい数ヶ月前にもそんなときが訪れた。そして、それが私の競馬ブログライフの始まりとなった。

今年のクラシックはシーズン前から主役と目されている馬がいた。ある人は早くも歴史的名馬級の評価を与え、またある人は三冠確実とまで言い切る。そのくらいの期待を一身に受けていた。

かくいう私もその馬のことはかなり期待していたが同じくらい不安も感じていた。毎年現れるクラシックの主役や三冠馬候補。そういう馬が見せ場も無く敗れ去り期待が裏切られたことは一度や二度ではない。今年もそのレース振りに心を躍らせながらも真に厳しい戦いで結果を出すまでは評価を保留することにしていた。

迎えた牡馬クラシック第一段。いつものように一人で現地観戦に向う。一人だからといって競馬場の雰囲気や生の歓声は何も変わらない。その感動を味わうために大レースはなるべく現地観戦を心がけている。この日はあの馬の走りを直にこの目に焼きつけ自ら評価を下すのが最大の目的だった。本当に真に強い馬なのか、みんなの期待に応えてくれるのか。その結論はもうじき判明する。だが、レースはそんな疑問を抱いていたことさえも忘れさせるような衝撃的なものだった。

スタートで躓き序盤はほぼ最後方。そこから徐々に前へ進出してゆくが三コーナー付近で早くも手ごたえが怪しくなる。四コーナーでデビュー以来初めてステッキが入れられたとき私は正直諦めた。所詮その程度の馬だったのか。また裏切られてしまったと。ここで力尽き失速するだろうと思っていた私は、それからの光景は信じがたいものだった。失速どころかさらに加速し先行集団を並ぶ間もなく交わし去り後続をドンドン引き離してゆく。その弾むような走りを私はただ呆然と見つめていた。気がつくと鳥肌が立っていた。

凄いものを見てしまった。家に帰っても興奮冷めやらず誰かにこの感動を伝えたい。感動を分かち合いたい。でも私には競馬仲間がいない。そんなもどかしさで悶々としていたときあることを思い出した。

職場の人に誘われてとりあえず登録したとある招待制のブログサイト。そこに今の自分の思いを書けば少しは気が済むだろうか。それを読んで共感してくれる仲間がいるかも知れない。そんなことを思いながらブログを書き始めた。

考えてみると競馬のことを文章にするのは初めてのことだった。だが強烈に誰かに伝えたい思いがあったからかスラスラ言葉が浮かんでくる。レース前は半信半疑だったこと、レースでの信じられない光景などを今の熱い気持ちそのままに一気に書き上げた。

書き終えた満足感で気持ちが落ち着いた私は今日のレースのことを書いている人がいないかと他の人のブログを色々と読んでいた。するとなぜか私の書いたブログに知らない人から次々とコメントが書き込まれてゆく。どうやら自分のブログを訪れた人が足跡として記録される仕組みになっていて、それを辿って私のところにたどり着いた方々だった。そのコメントは私の感動に共感してくれるものばかりで、読んでいるうちに競馬仲間と感動を分かち合っているような不思議な感覚を味わうと共にとても嬉しくなった。

それから私の競馬ブログライフが始まった。

過去に好きだった馬のこと、週末のレースを見て感じたことなどを毎日のように文章に綴り、たくさんの人に足跡をつけて回る。そんな日々が日常となった。そのうちに毎回のようにコメントをしてくれる常連さんができて、ますますこの世界にのめり込んでいった。

ブログに文章を書いてゆくにあたって私は常にあるいたずらを仕掛けていた。それは文章中に極力馬名を出さないことだった。内容を読んで始めてあの馬のことだなとわかるように。元々文章など書いたことの無い私が単なるレース結果を伝えるだけになるのを嫌って、あえてそのように書いてみたのが始まりだった。書いてみたら個人的にそちらの方がカッコイイ文章に思えてきて、以後そのスタイルで書いていた。

「あえて馬名を出さない味のある文章」

などという常連さんからの声があり、調子に乗ってその路線を続けているというのが本音ではあるのだが。

そんなある日、私の文章で感動したのでお友達になってくださいという依頼が舞い込んだ。このサイトでは交流の輪を広げる手段としてお友達を作ることができる。お友達になりましょうと申し込んで、相手がそれを承認して成立する。その申し込みが顔も見たこともなければ話をしたこともない人から来たのだった。

競馬のことしか書いていない私の文章に感動してくれた。感動を分かち合える競馬仲間ができた。その嬉しさは格別のものだった。やがて常連さんたちともお友達になり私の競馬仲間はドンドン増えていった。

やがて季節は巡り競馬の祭典まであと一週間となった。ここで私は自ら温めていた企画を実行に移す。私が初めて競馬を見たのはちょうどこの季節。皇帝と呼ばれた偉大な父を持つ馬がその足跡をたどるように駆け抜けたあの素晴らしいレース。まずはこのレースのことをブログに書いた。

翌日は常に距離の壁と戦い続け圧倒的なスピードの逃げ切りで無敗の二冠を達成したレースのことを。その次の日は三強対決を制しこのレースを勝ったら騎手を辞めても良いとまで言っていた男が夢を叶えた瞬間を文章にした。

週末の祭りの本番に向けて自分もそしてブログを読んでくれている仲間も一緒に気持ちを盛り上げて行こう。そんな気持ちからこの企画を立案し実行したのだった。

そして最後はこの馬で締め括る。怪物と呼ばれた後の三冠馬。直線ではとてつもない大外を走り無人の野を行くかのごとく圧倒的な強さを見せたあのレース。文章の終わりにはこう付け加えた。

今年はこの馬に似ている馬を見つけた。姿形は似ていないが走る姿がよく似ている。重心の低い伸びやかなフォームがあの怪物の姿と重なる。怪物と呼ばれた馬はその後クラシック三冠を達成した。あれから十一年の月日が流れた。今年はどんなドラマが生まれるのだろうか。今からとても楽しみである。

競馬界の祭典当日。期待に胸を膨らましつつそれと同じくらいの不安を抱いて府中の地に足を踏み入れた。

長くレースを見続けていると競馬に絶対は無いということが骨身に染みている。それなのにブログではあの怪物に重ね合わせて期待を煽ってしまった。もしここで負けるようなことがあれば自分も仲間もさぞガックリするだろう。レースの前まではそんなことを考えていた。だがあの馬はそんなことなど一瞬で忘れてしまうような衝撃的なレースを再び見せてくれた。

大欅から姿を現し前への進出を始める。四コーナーで大外へ進路を取ったとき、私の中であの怪物の姿と完全に重なった。同じような重心の低い力強い走り。同じようなコースを通り、同じように後続をドンドン引き離してゆく。ゴールの瞬間は興奮しすぎて頭が真っ白になってしまった。

私のそしてみんなの期待を一身に背負いそれ以上のレースを見せてくれる。久しく競馬界に現れなかったそんな真のスーパースターの誕生の瞬間に私はただ酔いしれていた。

興奮の余韻を引きずりながら家に帰ると直ぐにパソコンに向った。競馬場の当日の雰囲気。自分の不安と期待が入り混じった気持ち。あの怪物と重なったレース振り。それらを克明に文章に綴ってゆく。かなりの長文となっているのにスラスラと言葉が溢れ出てくる。それくらいはっきりとあの馬の走りは心に刻まれていた。

この歴史的瞬間に立ち会えたことは私の一生の宝物となるだろう。最後にそう付け加えた観戦記は自分でも満足の行く出来映えに仕上がった。

この文章には本当にたくさんの人がコメントを書き込んでくれた。

「感動が蘇って涙が出てきました」
「現地観戦をしてきたなんて羨ましい」
「今年は三冠馬が見られますね」

そんなコメントを読んでいると、まるで競馬仲間とあの衝撃的なレースの感動を語り合っているようで、とても満ち足りた気持ちになっていった。

今、私にはたくさんの競馬仲間がいる。

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この文章は優駿エッセイ賞へ応募するために7月頃書いたものです。

ピッタリな言葉

2005-11-01 22:21:45 | 感動エピソード
今年の秋の盾は牝馬が制した。
その鞍上の真摯な男。
師と崇める調教師が育てた馬での大レース勝ちは今回が初めて。
オーナーサイドはこの師弟コンビで大レースに勝つのが夢だったと喜んだという。
この騎手は牝馬との相性の良さが知られているが数年前、ある一頭の牡馬でクラシックに挑んだ。
そして、その馬の調教師、オーナーは奇しくも秋の盾を制した牝馬と同じだった。

その馬の父親は偉大なる短距離馬。
今年の秋に達成された無敗のクラシック三冠。
それを21年前に初めて成し遂げ皇帝と呼ばれた馬が居た。
そんな馬と比較してこう言われていた。
1400m以下なら皇帝よりも強い。

しかし、その馬は血統に、いや宿命に逆らうように距離を伸ばして頭角を現してきた。
2歳暮れの重賞制覇はフロックかに思われたが、翌年の春のクラシックでは何れも掲示板に載る活躍。
秋のクラシック最終戦にして長距離戦のマラソンレースでは一瞬勝ったかと思わせるほどの際どい3着。
あの短距離王の仔がこの距離でと驚愕させると同時に、この先の活躍を期待させる走りだった。

だが、そのレース以後、暫くの間この馬をターフで見ることは無かった。
競争馬としては宿命ともいえる、不治の病と言われる怪我に見舞われたのだ。
決して完治はしない、良くなっても競争能力が元通りになるとは限らない。
そんな致命的な故障を前にしても陣営は諦めなかった。

また帰ってくる。
また走れる。
また勝てる。
そんな想いでこの馬を信じて待ち続けた。

それから2年後、この馬はターフに帰ってきた。
しかし、この病に侵された馬は以前と同じ走りが出来なくなることが多い。
復帰は出来ても勝ち負けまではというのが周囲の評価だった。
だが、そんなものにも逆らうようにこの馬はいきなり勝ち馬とハナ差の2着と好走して見せた。
そして、その2走後にはついに復活の勝利を挙げ、さらに2走後には重賞勝利を成し遂げた。

過酷な運命に必死で抗う。
そんな走りに私は胸を熱くした。
しかし、その一ヶ月後この馬の引退が発表された。
克服したかに見えた病が再発し、競争生命が絶たれてしまったのだ。

G3の重賞勝ちが2つ。
これだけの成績ではその行く先は暗いものとなる。
運命に逆らい続けたこの馬にも、こればかりはどうにもならない。
しかし、それにも逆らうべく奔走した男が居た。

それはこの馬の手綱を最も多く握った主戦騎手。
この馬の頑張りを一番知っている男。
レースで、日々の調教で苦楽を共にした仲間。
彼は必死でこの馬の引き取り先を探した。
その想いが通じたのか、彼の生まれ故郷で引き取り先を見つけることができた。
運命に逆らい続けたその馬は、現在種牡馬として暮らしている。

私は神など信じていない。
だが、一昨日の結果にはこんな言葉がピッタリだと思う。

神様はちゃんと見ている。

無事是名馬

2005-10-25 22:21:49 | 感動エピソード
21年前、無敗でクラシック三冠を成し遂げた馬が居た。
そんな歴史的名馬に並ぶ記録が達成された京都競馬場。

華やかなセレモニーが終わった後、私は次のレースを待っていた。
何の変哲も無い条件戦の最終レース。
私はこのレースも楽しみにしていた。
いや、このレースでメインレースの勝ち馬にも負けない大記録を達成する馬の姿を楽しみにしていたのだ。

この馬はとにかく走り続けている。
20世紀の頃から月一回以上のペースで休むことも無く。

今年で9歳を迎えて同期の馬は殆ど現役から退いている。
それでもこの馬は走り続けている。
それは、まだまだ競争馬としての戦えるからだ。
事実、前走は後方から鋭い末脚で追い込み、勝ち馬とコンマ2秒差の3着。
好走する力があるから、勝てるかも知れないから現役に留まっている。
決して、記録を狙って引退を引き伸ばしているわけではないのである。

現役の力があるから走り続けている。
その結果、記録が後からついてきた。
ただそれだけのことである。

無事是名馬という言葉がある。
この言葉は競馬ファンだったある小説家の造語と言われている。
ある時、色紙に何か書いて欲しいと求められ、中国の故事の「無事是貴人」という言葉を思い出し、それを引用して書いたのが始まりとされている。
無事是貴人とは何事も無いのが最上の人生という意味とか。

サラブレッドは速く走る事を宿命づけられている。
時に限界を超え、怪我を負ったり最悪の場合命を落としたりもする。
そんな競争馬にとってはとにかくレースを走り終えて何事も無いのが最上のことであろう。

元々は禅の言葉で「みんなのしあわせのために、人の身になって尽くせる人」を無事是貴人と呼ぶ。
競馬ファン、そして関係者の一番の幸せは自分たちの好きな馬が無事にレースを終えることがしあわせなことである。
そんな皆のしあわせのために走り続け、毎回無事に帰ってくる。
無事是名馬とは正にこの馬を言い表すに相応しい言葉と言えよう。

レースを無事に走り終えた名馬は最多出走記録に並んだ。
それはこの日、二つ目の歴史的記録が達成された瞬間だった。

思いがけない再会

2005-09-05 02:31:27 | 感動エピソード
幻のダービー馬。
幻の三冠馬。

競馬にたら・ればは禁句だが、そう呼ばずにいられない馬がいる。
多くの人にそう呼ばれる馬もいれば、誰も知らないような自分だけの名馬というのもいる。
競馬ファン一人一人の胸の中にそういう馬は存在する。
かくいう私もそういう馬がいる。

あれは私が競馬を観始めて間もない頃。
たまたま観ていた3歳の条件戦。
まだ春は遠い頃の府中のレース。
直線で内から馬群を切り裂きあっという間に抜け出した馬がいた。
新馬戦を勝ったばかりだったその馬の走りは私に強烈な印象を残した。

当時は毎週の重賞レースをテレビで観ているだけだったので、分かりやすいクラシック候補しか知らなかった。
その年はデビューから数戦の走りぶりから、芦毛の怪物と呼ばれ始めた馬が主役と目されていた。
しかし、2歳王者決定戦と3歳緒戦を何れも僅差で敗れ、その地位は危ういものとなっていた。
陣営はその悪い流れを断ち切るべく当時現役ナンバーワンのベテランジョッキーへの乗り代わりを打診した。
だが、そのジョッキーはその依頼を断ったという。
それは、私がたまたま観たあのレースの勝ち馬でクラシック戦線に挑むためと伝えられている。

すでに重賞を勝ちクラシックでも確実に主役の一頭となる馬を蹴った。
やはり、あの馬は凄い馬だったんだ。
そんな馬のレースを偶然にも観れたなんて、これはきっと運命の出会いだ。
私はその馬の虜になってしまった。

だが、私がその馬の姿を再びターフで見ることは無かった。
クラシックシーズンを迎える前にこの馬は故障で戦列を離脱してしまったのだ。

後に聞いた話では一度復帰したらしいのだが、その走りは完全に輝きを失っていたという。
そして、本来の走りを見せることなくひっそりと表舞台から姿を消した。

それから月日は流れこの馬のことも記憶の片隅へ消えそうになった頃、この馬の名前を目にした。
何と生まれ故郷の牧場で種牡馬になっていたのだ。

新馬戦と条件戦を勝っただけの馬。
そんな馬の引退後はどんな運命を辿るのかは分かっている。
だから、消えた馬を追ってはいけない。
競馬を知るにつれ、そんな常識も知らずに身についていた。

だが、この馬は生きていた。

あの頃の走りが思い浮かぶと共に、胸に何か熱いものが込み上げてきた。


思いがけない再会。
競馬にはこんな感動もある。

連続テレビ小説

2005-09-03 16:37:26 | 感動エピソード
現在放映中の公共放送の連続テレビ小説で競馬が題材となっている。
舞台のモデルとなったのは群馬県の高崎競馬場。
このドラマを見ているどれほどの人がすでにこの競馬場が廃止されたことを知っているのだろうか。

私はそれほど地方競馬好きというわけではない。
どの馬が一番強いのか。
単純に言うとそれが観たいがために私は競馬を観続けていると言っても過言ではない。
したがって高いレベルの戦いに惹かれ、どうしても地方より中央になってしまう。

プロ野球を見るなら知らない選手ばかりの二軍の試合よりもスター選手の居る一軍の試合。
消化試合よりも日本シリーズが見たいというのと同じ心理である。

そんな地方にも中央の馬と互角に戦える馬が出現することがある。
そういう馬は私も思わず応援したくなってしまう。
血統が良いわけでは無く施設にも恵まれていない地方の馬が、中央のエリートを蹴散らす。
単なる判官贔屓かも知れないが、こういうところに競馬のロマンを感じてしまう。

高崎にも昨年中央の馬と互角の戦いを繰り広げていた馬が居た。
中央の馬が上位を独占することの多い交流重賞。
その短距離戦線で地方馬としては一人気を吐き、常に上位に名を連ねていた。
勝ちきることはできなかったが、その走りには私も一目置いていた。
だが、その馬の所属していた競馬場はもう存在しない。

昨年一杯での廃止が決定し、年末に最後の競馬開催が行われた。
その日は生憎の空模様でしばらくして雪が降り始めた。
その雪は時が進むにつれ激しさを増し、やがて競馬を行うことができないほどになる。
最後の競馬開催はその日のレースを全て行うことなく途中で中止となってしまう。
地元の強豪達が最後の勇姿を見せるはずだったメインレースは幻と消えてしまった。
最後に、いや最後までやりきれない思いだけが残り高崎競馬は81年の歴史に幕を下ろした。

昔と違い娯楽が多様化した現在、地元だからといってレジャーとして地方競馬に行く人は少ないだろう。
競馬を単なるギャンブルという認識しかない人は、近所のパチンコ屋などいくらでも変わりはある。
やはり本当の競馬の魅力を知っている人が増えない限り地方競馬の廃止という負の連鎖は止めようが無い。

連続テレビ小説で少しでも競馬に興味を持ってくれる人は居るだろう。
願わくばその中の一握りでも、真の競馬の魅力を知るキッカケにならないだろうか。
あの吹雪の光景と共にそんな事が心に浮かんで来た。

ある種牡馬の真実

2005-08-28 12:18:24 | 感動エピソード
近年で最強と呼ばれた世代。
欧州へ長期遠征し、最高峰のレースで世界まで半馬身に迫った馬がいた。
2歳時から怪物と呼ばれ、グランプリ3連覇を成し遂げた馬がいた。
王道を歩み続け、クラシック最高峰、古馬最高峰のレースを次々に勝った馬がいた。

その世代のクラシック二冠馬。
颯爽と先頭を走り、後続をねじ伏せるような逃げは観ていて爽快な気分にさせてくれる馬だった。
この馬が現役で活躍しているときに、この馬の父はすでに処分されていたというのは有名な話である。
もう少し早く走る馬が出せていれば。
私もそう思ったものである。

つい先日、この種牡馬の話を眼にしたのだが、そこには私の知らない真実があった。

処分されたと思ったこの馬は実は生きていたと言う。
ある方がこの馬のことを不憫に思い引き取り養っていた。
そこで大事にされていたこの馬は、芦毛で愛嬌があり人気者だったという。

そんな平穏なときを過ごしていたある日、近所のお祭りで草競馬が開かれることになった。
人気者の彼は昔、欧州の大レースを勝っている。
そのことを知っている彼のファンに草競馬に出走させることを提案され、再びレースへの復帰を目指すことになった。

それから始まった調教は本格的なものだった。
中央の馬も手がける人間が、そういう場所で行う調教。
そういうところで走り現役時代を思い出したのか彼は日々気合が戻ってきたという。
きっと良いレースができるだろう。
周りの人間がそう思っていた矢先、事故は起こった。

現役時代の気持ちは戻っても、それに体がついて行かなかったのだろう。
脚を故障してしまう。
自分の体を支えられない程の重傷を負い、彼は悼まれながらこの世を去った。


この話を聞いたとき、この馬は幸せだったのではないかと思った。

走るためだけに生まれてくるサラブレッド。
速く走れた馬だけがその血を残すことができる。
だが、速く走れる仔を残せない馬はやはり淘汰される。

一度、存在価値を失ったこの馬がたどり着いた場所。
優秀な仔を出すことはできなかったが、速く走ることはできたこの馬。
その走りを再び期待してくれた人がいた。
それに応えるべく、再び全力で走った。
誰よりも速く走るため。
それを応援してくれる人のため。
不謹慎かも知れないが、最後にまた走れて本望だったのではないかと思ってしまった。

誰にも期待されない、見向きもされない。
それが一番悲しいことだと思うから。

彼は再び輝いていたあの頃を思い出したのだ。
そう思えばやはり彼は幸せだったのだろう。

亡き師への恩返し

2005-07-30 20:22:18 | 感動エピソード
その騎手は引退を考えていた。
レースどころか調教でも乗る馬がない。
1年前に皐月賞、ダービーを制し、騎手としての絶頂期を迎えても不思議の無い実績を残したのにも関わらず。
そんな状況に至るにはある事情があった。

クラシック二冠を制したのは、自らが所属する厩舎の馬だった。
その厩舎の調教師が病に倒れ、闘病生活の末そのまま帰らぬ人となってしまう。
厩舎を継ぐことになったのは、筆頭調教助手だった若き新米調教師。
だが、その新しい調教師は今までの厩舎のやり方を踏襲せずに、自分のやり方を取り入れた。
自分の良いところだけ取って、悪いと思ったことは真似することは無い。
死の床に伏せる前調教師の言葉を実践したのだ。

レースでは勝つ可能性が高いリーディング上位の騎手を使う。
騎手はレースで馬を走らせるプロであって、馬を仕上げるプロではない。
そんな新しい調教師の考え方は、所属騎手は不要であるということだった。
それは今までと正反対のやり方であり、この騎手にはもはや居場所は無かった。
今まで、所属厩舎一本で生きてきた男には、他の厩舎からの騎乗依頼もほとんど無く途方に暮れていた。

そんな噂を聞きつけたのは、かつて同じ釜の飯を食った男だった。
亡くなった調教師の元で共に働き、現在は独立し自分の厩舎を構えるかつての大先輩。
調整ルームで悲報を聞き、全てのレースでの騎乗を投げ打って駆けつけようとしたその騎手を「そんなことをして、先生が喜ぶと思うのか」と叱ったのもその男だった。
引退を考えていると語ったその騎手に「何を馬鹿なことを言っている。それよりうちの馬に乗ってみろ」と言い放った。
その申し出に対し、後にその騎手は「涙が出るほど嬉しかった」と述懐している。
そうして、攻め馬を任された馬の中にある一頭の牝馬がいた。

体質の弱かったその馬を日々の調教で、またレースで大事に大事に育て上げ、3歳牝馬の頂点の舞台に導くことができた。
だが、そのレース本番前に馬主サイドから調教師にある要請がなされた。
大一番ではもっと勝つ可能性の高いリーディング上位の騎手に変えて欲しい。
だが、調教師は調教からずっと乗っていてこの馬のことを一番分かっている騎手を変えるつもりは無いとはねつけた。
その対応はかつての師と同じものだった。

迎えたレース当日。
翌日には亡くなった師の一周忌が予定されていた。
無論、調教師も騎手も出席する。
勝って先生に報告したい。
二人の思いは同じだった。

レースは何かに導かれるようにこの舞台にたどり着いた騎手の馬が勝利した。
それは亡き師へのせめてもの恩返しだった。

経験

2005-07-28 23:37:13 | 感動エピソード
グリーンチャンネルで馬を科学的に分析する番組がやっていた。
テーマはサラブレッドの行動心理学。

馬は賢いとか、記憶力が良いなどと良く言われている。
ただ、それは馬と生活を共にする人間の経験則から来ているので、本当かどうかは実のところはわからない。
それを科学的に実証するという趣旨の企画。

こういう物事を論理的に分析することは非常に興味深い。
何の根拠も無くそういうものだということでは、何となく理解はできても完全には納得することができない。
とくに、競馬というスポーツは他の競技に比べれば、なかなかそういう話を聞く機会が無いので新鮮だった。

馬という生き物は肉食動物に襲われないために、本能的に臆病である。
ゆえに、環境の変化にたいしても非常に敏感である。
知らない場所に行くだけで、常に緊張し落ち着かなくなる。
だが、繰り返しそういう刺激を与えると、次第に慣れてきてあまり緊張しなくなる。
そういったことを実験のデータを示し、具体的に証明する。
今までそういうものだろうと思っていた事柄が、なるほどと納得させられる。

特に、牡馬より牝馬の方がカリカリすることが多く、輸送競馬にも弱い。
そういう競馬の常識のようなことも、実際にデータとして出てくるとああやっぱりと思わされる。

気性と年齢の関係もデータで見ると一目瞭然だった。
年齢を重ねたので大人になって折り合いがつくようになった。
などというのは良く聞く話だが、科学的にも年齢が上になるにつれ落ち着いている馬が多いということが実証されていた。

そして、気性と競争能力の関係も思ったとおりの結果だった。
すなわち、落ち着いている馬ほど、平均着順が良い結果がでている。
チャカついている馬より、どっしりしている馬の方が走る。
普段感じていることは、やはり正しいのだということが良くわかった

一つ印象的なエピソードが紹介された。
数年前の皐月賞での出来事。
前走の弥生賞を3着に好走し、当日は3番人気に支持されていたこの馬。
だが、最内枠からのスタート時にゲート内で立ち上がり、騎手を落として競争中止となる。
それ以降、開催中の競馬場の昼休みに行ったゲート試験でも同じように立ち上がり、結局合格できなかったこの馬。

この行動を科学的に分析するとこうなる。
ゲートで立ち上がったときは、それまで普通にゲートを出たときと違いレースを走らなくて良かった。
非常に苦しい思いをして走るレースは、馬にとってかなりのストレスとなる。
それをゲートで立ち上がればやらなくてすむと学んだこの馬は、それ以降でも同じことを繰り返したというわけである。
辛いレースから逃れるために。

馬は非常に賢く記憶力が良いということの、正に実例であろう。

最後にこう締めくくっていた。
経験を積み重ねることが大事である。
それが自信となり未知の出来事にも動じなくなる。
そして、それは人も馬も同じであると。

出れば必ず

2005-07-23 18:58:45 | 感動エピソード
馬なり1ハロン劇場14巻5Rより


メジロロンザンはテレビでレースを見ていた。

菊花賞トライアルのセントライト記念。
3着に11番人気の低評価を覆し、900万下条件馬のマイネルバイエルンが入った。
ロンザンは自分と同じ900万下条件馬のバイエルンが、クラシックの切符を手に入れたことが自分のことのように嬉しかった。
クラシックなんて自分には手の届かない夢のような世界。
そう思っていたから。
ロンザンはバイエルンへお祝いを言いに行くことにした。

下級条件馬の代表として頑張ってとロンザンは祝福する。
それに対し生返事を返すバイエルンはどことなく元気がない。
きっとレースがきつかったからだと思ったロンザンはさほど気にせず、菊花賞に出走できるバイエルンを羨ましがる。

君は?
バイエルンは尋ねた。
菊花賞に挑戦しないのか。
トライアルの京都新聞杯で3着までに入れば出走権はとれるのにと。

ロンザンは出るだけ無駄だよと卑屈に笑った。
ダービー1、2着のアドマイヤベガ、ナリタトップロード。
皐月賞2着のオースミブライトも出る凄いレースなんだからと。

僕だってできたんだから。
バイエルンは静かにそう言った。

誰にだって出れば必ずチャンスはある。
君とは本番で会いたいな。

そう言い残すと、わざわざ祝福に来てくれたロンザンにお礼を述べ立ち去った。

それを見送ったロンザンはバイエルンの言葉を思い返していた。
出れば必ず…
でも、ロンザンにはそんな言葉は信じられなかった。

競馬はほんの一握りの強い馬と、大勢のそうではない馬とで成り立っている。
自分がどちらに入っているか。
そんなことはわかりきっているから…

それから数日後、ロンザンは新聞記事を見て驚愕する。

マイネルバイエルン骨折が判明
全治6ヶ月菊は断念放牧へ…

ロンザンは元気の無かったバイエルンの姿を思い出した。
そういえば脚を気にする素振りだった。
あの時、自分は菊に出られないことがわかっていた。
その無念を押し殺し、君とは本番で会いたいなと言ってくれた。

そうだったのか…
バイエルン…

それからロンザンは猛稽古を始める。
出れば必ず誰にだってチャンスはあるのだからと。

そして迎えた菊花賞トライアル、京都新聞杯。
レース前、何やら他の馬がザワついている。
何かあったのかと尋ねたロンザンは、次の瞬間信じられない事実を耳にする。

セントライト記念3着のマイネルバイエルンが放牧先で急死した
心臓マヒだったという

ロンザンは涙ながらに誓った。

バイエルン見ててくれ


レースはゴール前、アドマイヤベガとナリタトップロードが先頭争いを演ずる。

やはり春の勢力図は変わらない
やはり一握りの強い馬たちだ

だが、その後ろで頑張る馬がいた。
13番人気の900万条件馬。
その他大勢のロンザンは最後まで粘りきり、見事3着に入った。

それは、バイエルンに捧げる菊への切符だった。



馬なり1ハロン劇場はここで終わっている。
だが、この話には後日談がある。

実際の菊花賞当日、パドックにはある馬の横断幕が出されていた。
それは出走権を獲得しながら本番への出走がかなわなかった
「マイネルバイエルン」のものだった。

君とは本番で会いたいな

ロンザンはパドックでその約束を果たすことができた。

そして、菊花賞では12番人気の低評価を跳ね除け、5着に入り掲示板に載って見せた。

出れば必ず誰にだってチャンスはある。
その走りはそう物語っていた。