

危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。
不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
(ラビンドラナート・タゴール『果物採集』より 石川拓治訳)
心情を書いても、どうも仕方ないですね。身体がおかしいと当然、メンタルもきつくなってきているのですが、その逆に考える人(メンタルがおかしいから、身体もおかしいと考える)も増えてくると思います。
13年もベンゾジアゼピンを飲んでいたのですから、メンタルも何かしらおかしくなっていたのかもしれませんね。13年も激務をこなし、よくもったものです。毎度書きますが、もう、どうでもいいことです。
倒れる前の自身のありようからすると、このブログでさらけ出している自身は本当に別人のようです。それだけ困っているということなのですが(今も耳鳴りがひどくて)。
心情吐露はとてもみっともないし、誤解を生むので、将来投稿の設定にしてせいぜい、書きためておくことにします(死んだ後に公開できるようなタイミングだといいのですが。ブログルールとかは遵守しますのでご心配なく)。唯一のガス抜きであったのですが、ブログとかインターネットとかは、やっぱりややこしいものです。私という「実物」をせいぜい関係者に見てもらうことにします。一生懸命心情を書いていることで、逆に誤解を与えているかもなと思うようになりました。
現在進行形のブログについては、できるだけ、感じた実症状やせめてもの対処法(策がありませんが)を写真や記述で科学的に記すことを心掛けることにします。今、経験しているのは紛れもなく、事実ですので、それは信じる人に知ってもらいたいと思います。
類似症状がある方は訴え合い、その対応策など考え得ることを交換していきましょう。私の身体と精神がもつまでは・・・。
では。
補逸:とても考えられない非常識な症状(脳鳴、筋肉破壊、歯肉縮退等)を、常識人(健常人グループ)に分かってもらうことはとても困難です。非常識な状況に陥った人間が常識の世界で騒いだところで理解されません。よって、とてもしんどくても常識的に振る舞おうと死ぬほどの努力をするか、いっそ狂ってしまう(本当に狂うか、絶望して死ぬ)かのどちらかを選ばねばなりません。人間、時間は掛かりますが、陥らされた事態に慣れてしぶとく生きていこうという本能も潜在していることを身を以て感じています。でなければ、1年、悩みながらも生き延びてはいません。症状が、生存本能による克服を追い越すスピードで進んだら、もしくは、身体の衰えが忍耐の限界を超えたら(註 忍耐と一言で書いたが、後にやってくるであろう被介護の可能性を考えた場合等が該当する)、そのときは諦めます。
首から胸にかけて鎖骨や胸骨の一部がはっきり浮いて、骨格標本のようになってきた。気持ち悪いわ。
後頭部なんか触ると骸骨や。
足の裏から指で押すと甲まで突き抜けるくらいぐにゃぐにゃで薄っぺらくなってきたで、かなわんな。
膝、肘まわりは筋肉が消えて、膝立ち、肘うちが痛くてできん。格闘技なんてしたら、一発で骨折や。それが、死ぬためには話が早いわ。
手や腕の細さは細い小学校低学年生未満のレベルになってきよった。二の腕は我ながら情けないわ。
これで意識が正常って一体、どうなっとるんや?はよー、始末してくれんかの。
筋肉で消費できんから、栄養の代謝はおかしくなってきとるはずやわ。
涼しい室内でおるのに、顔は甘ったるくねちゃつく、皮膚は何かが完全に合成できとらん。去年の7月から変やな思てたけど、徐々に徐々に継続やねん。
こんなん、絶対にようならん。ひまさえありゃ、わけわからん信号みたいな耳鳴りをビービー聞かされるし。これって、脳神経回路、やられとんちゃうんか?診断できんて、現代医学ってたいしたことないの。
こんな状態で、ほとんど投げやりやけど、日常生活を常識的に対応しなければいけない自分ってなんなんや???
横隔膜とか呼吸筋とかほんまにどうなってるんや?徐々にやられていっとったら急死や発作はないんかな。やっぱり、徐々に衰弱死と違うか?ほんま、やらしいで、この症状。人工化学害毒ってやつか。
こんな愚痴、書いとる間も足が妙にビリビリビリビリ密かに痺れとる。
こりゃ、周りのみなさん、我が身になったら、気が狂って自死すると思うで。薬飲んでないからそんなことには決してならんやろうけど。
常識外れのむちゃくちゃやで。どうなったらこうなるんやろう、実際のモデルになってしもうたがな。
情けないことばっかり書いとるな、恥も外聞もないわ。こんなになるってことで薬の恐ろしさを知ってくれたらええわ。
さかしらにしとっても最期はこのざまやな。笑うわ。合掌。
ロベルト・エンケはドイツのサッカーナショナルチームのゴールキーパーであったが、2009年にうつ病(推定)で鉄道自殺している。そのいきさつを読むと悲しく、神妙な気持ちになる。彼はバルセロナ(FCB)には行くべきではなかったのか、しかし、孤独や弱さを抱えていたのかも知れない。しかし、単に精神的に弱かったとは言えないのではないか。
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2011/12/23/post_72/
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2011/12/24/post_73/
私と同業で同じ町に住んでいた人も、直接の面識はないが昔に自殺したと聞いた。精神を病んでのものであったらしいが。私の職種は本来、楽しんで趣味のようにやる仕事のはず、どこで私は方向転換したのか、それはこの町にやってきてすぐの2001年だ。31歳から方向を誤解して間違った方向に誘導されていたと、今は言わざるを得ない。でなければクスリを飲む必要はなかった。自分を否定するつもりはないが、これも人生か。
自殺は敗北、やってはいけないと子供のときから去年の5月までずーっと思ってきた。
自殺願望、希死念慮。何となく死にたいのではなく、症状から後遺障害はおろか、衰弱死の高い可能性まで見通せるから、仕方なく死ななければならないのか、であれば今、などと思う。死を思うことはとにかく苦しい。であれば生きておればいいという簡単な理屈ではない。失ったものや周囲を見渡すと、たまらない気持ちになるのだ。
それは希死念慮ではなく、自殺願望というのだろう。前者は、何となく死にたいことを言うようであり、後者は理由あってのこと。向精神薬で希死念慮の副作用があるというのは、クスリのせいでそういった方向に無意識に誘導されるのかも知れない。しかし、自分の場合は、副作用の重篤性を悟り、味わわされてのことだから、自殺願望になるのだろう。
今朝も、4時半には覚醒し、静寂を切り裂く大音響に等しい脳鳴に耐え抜いていた。そればかりか、歯のエナメル質が溶けて、摩耗し、歯の先端が透明化し、欠けてきていることをはっきり確認した。手首、首、胸の関節も朝方は動かない。もう、それで暗澹となり、気力を振り絞って起きて、何かしらの行動をする。こういった毎日を続けている。毎日、毎日同じこと(感情)の繰り返し、よくもっているなと思う、家族も自分も。
昨日、今日もひどく悩み、苦しんで苦悩を幾人かに吐いている。そろそろ、死ぬまで生きるのなら、運命を受容しなければならんぞ。。。自分で、クスリを飲んでこんな茶番を引き起こしておいて、幕引きを自分でしようとするのは卑怯なことだぞ。自分の持ち物を失っていると思わずに、荷を降ろしていると考えることはできないか。
まだ、身体が動くので考える余地はある。事態は依然、厳しい。