人生の変転・下山日記

ベンゾジアゼピンの遷延性症状に悩む方がおられましたら、情報をお寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として残します。

ベンゾジアゼピン遷延性症状(永続症状)についての情報を求めます

2015-05-30 17:48:12 | メカニズム・対策

ベンゾジアゼピンの常用量服用により、耳鳴り、不眠が生じ、休職せざるを得なくなりました。1年にわたる休職によっても軽快せず、指先や足といった末梢に顕著に角質、筋肉減少が見られており、歯肉や歯、爪といった末端組織も劣化し始めています。皮膚組織も通常の状況にはありません。

このことに悩み、QOLは極度に低下しています。意識、思考はしっかりしております。

上記ほか、類似の遷延性症状(永続的症状)に悩まれている方、万一回復された方、そのような方を扱ったことのある医療関係者の方、お知り合いの方がおられましたら、是非情報(どのような症状か、どういった経緯を辿ったか、どういった治療がありうるのか)を簡単でも結構ですので、お寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として、また、そういった症状に困る方々のプラットフォームとして残したいと思います。

遷延性症状は、結局どうなってしまうのか、後遺障害は仕方ないとしても落ち着くのか、筋肉を失わせるところまで失わせて衰弱死させるのか、帰結を知って驚きません(ほぼあきらめています)ので教えて下さい。

当方はデパス0.5 mg×2-3錠/日といったペースを10年以上続けていて、だんだんと調子が悪くなりました。それまで潜在的な症状は今になって考えるとあったと思いますが、昨年5月に一気に悪化しました。その後、デパスは極小量に減らしています、いわゆる離脱症状と言われる、薬の増減に伴う鋭敏な離脱症状は出現せず、今はデパスを抜こうが抜くまいが、筋肉ほかの減少や体表異常は継続して進行しています。

当方の一生や家族の一生が掛かっております。。。何卒、コンタクトをもちたく、伏してお願い申し上げます。


自分の能力を恃んだ

2015-05-24 19:58:23 | 思い

朝日新聞 折々の言葉からの抜粋

「みずからの中の偉大なものの小ささを感ずることのできない者は、他人の中の小さいものの偉大さを見すごしやすい。」(岡倉天心)

品格、教養、有徳、勇気、美意識……。いずれも称賛すべきものではあるが、そういう偉大さも、その陰で、あるいは縁の下で、その人のために、食事を用意し、掃除をしている人たちの沈黙の行為がなければ何ものでもない。このことを知り尽くしているか否かに、その「大きさ」はかかっている。「茶の本」(桶谷秀昭訳)から。

 

上の言葉がこころに刺さる。自らの能力に恃み(たのみ)、周囲への感謝が足りなかった。そのために驕りが生じ、精神高揚薬などというものに頼って、無頼で強がろうとした。

今、敗者の視点で噛みしめている。自虐ではなく、遅かりし自省だ。

 

腕を上げると、肩と胸の肉がないため、胸前が痛い。ジャイアント馬場のようだが、馬場氏の方がもっと筋肉はあった。胸は骨に皮しかくっついていない。腹は脂肪で膨らんでいる。まるで栄養失調の難民のようだ。

 

それから、今朝は関節が固まる感覚とともに舌の根元が固まる感覚が初めて感じられた。これだけ顔の肉や歯肉が減っていれば、いずれ舌にも・・・。

頑張って生きるしかないか。


療養中の食べ物

2015-05-23 16:10:46 | 日記

ブログには泣き言しか書いていないのかと言われないために。

自助努力は例えば食べ物では下記のようなものを、親や家族の助けによって食べています。

私の場合、奏功はしませんが。それだけ問題が脳神経の根本に関わるのでしょう。10数年の蓄積はさすがに厳しいと思っています。

離脱症状の軽い方は、参考にされて下さい。

・ナッツ類(くるみ アーモンド):脳にいいらしい

・ココナッツオイル(中鎖飽和脂肪酸が多い):長鎖でないので吸収代謝がよく、身体にいいらしい

・ヨーグルト(R-1とかPA-3とかいうやつ):製薬メーカがつくっているが、妥協して食べている。メーカー内の部署も違うからそこまで恨みは持ち込まない。

 

サプリ関係では、離脱関連ブログ等を参考にして以下のものを。

・ヨクイニン(市販錠):肌荒れに。プラシボ。

・ビオチン:肌荒れに。プラシボ。

・ミヤリサン:それなりに効果はあると思うが、定期的な下痢を防げない。

 

指先の肉が本当になくなってきたなぁ。止まらないわ。耳鳴りはパチンコでフィーバーが掛かっている状態を低音で聞かされている。たまったものではない。

 

加えて、ほとんど水様の下痢(1週に1度は起こる)。腸液が出ているようだ。身体に一体何が起こり、どうしようとしているのかさっぱり分からない。


日誌(2015/05/22)

2015-05-22 13:24:34 | 日記

精神安定剤の漫然麻薬享受的長期服用により自身に襲いかかってきた症状は、端的に言えば筋肉の減少、皮膚ほか各器官の劣化等に代表される早期の加速度的な老化現象と定義できるかもしれない。

生き続けるなら、このことを認めて気持ちをやり過ごしながら、可能な限り社会復帰を目指して進むしかない。

 

その一環として、5/19に掛かりつけ医のところに行った。大型連休明けから生活記録表をつけている。「子供と公園で遊んだ」、「料理をつくった」、「人と会った」、「外を歩いた」などという表向き好材料の行動(事実そうしているが)を揃えて、診断病(抑うつ、偽病)から早く脱出して、復帰可能なお墨付きをもらうしかない。そのためには生活リズムの記録と医者(主治医)による承認だ(笑ってしまうが)。今、現れている症状は、薬害による老化促進現象であって、診断病ではない。ゆえにお墨付きはもらえるだろう。

 

主治医にも再三薬害のことを訴えているので、何となく理解したようなしていないような感じである。診察時に逆に「筋肉の衰えは止まりませんかね?」と学術的に(別な意味では無邪気に)質問された。これには苦笑して、「それは先生のお仕事ではないですか?私が聞きたいくらいですよ」と回答した。別に行っていた漢方内科医の診療は打ち止め、市販薬エキスの一般処方のみ。薬害を実証、虚証で判断するなんて、自然病じゃなくて化学毒が相手だから、もともと漢方の範疇外で、定義不能だろうて。服用量が少ないとの理由で薬害には遠い用量だという持論でもって薬害をお認めになりません。なんやかんやで結局、西洋薬を勧められるし、セカンドオピニオン的な取り組みしかしてくれなかったし、これはこれで限界だなと察知した。一方、瞑想やオイルマッサージをやれと言われたが、金が掛かりすぎるし、ちょっとおかしいなと思った。漢方処方も、自分であれがこれが飲みたいとなれば、主治医(西洋医学のクリニック)で出してくれる。良くも悪くも、時期遅しだが、こちらの言いなり。その他必要手続きも主治医一本化で最後まで行くことにした。

 

減薬医にはついぞお目にかかることができませんでした(n=8)。自分の場合、減薬もあったものではないけれど。

将来的に減薬や薬害に理解のある人が増えることを祈ります。学問的な体系がないとかなんとかで牛歩の進歩でしょうが。それより精神科への入口予防的な、常識的な裏情報が社会に浸透することを切に祈ります。

 

まぁ、今後もブログで様子を観察して下さい。老化は進み、どうせ、なるようになりますから。万一、治ったりしたら関係者皆さんにご心配御礼で有り金はたいて奢りますよ。ないと思いますが。。。

 

 


生きる張り合い

2015-05-22 10:30:28 | 日記

ブログの記載内容がフィクションではないかと言われた。

もちろん、本気で言われたとは思っていない。

 

この1年、何が自分に起こったか必死で考えてきて、元には戻れないと絶望し、苦悶し、起こっていることをブログに書き綴って、それで今日の唯一の日課は終わり(起こっていることの懸念から、他にやることの気力も意欲もない)といった1日1日を信じられない質の低さで過ごしてきた。フィクションと言われることは本意ではない。フィクションを書くために、わざわざ長期間、休職して家族や親に心配を掛けているわけではない。また、フィクションを考えるほど、精神が変容しているわけではない。

人に理解されない不幸はあるのだと再認識している。人に本当に理解されると、理解した他者はその都度気が気でないので、そんなことは分からないようになっている。ゆえに言葉を尽くすコミュニケーションが必要になってくるわけである。知らぬが仏である。

 

身体にどのような変調が起こっているのか、いまだに・・・、いまだにこの状態ですら、外見や歯茎を見せても分からない人は分からないのだろう。寝ても覚めてもどれだけひどい耳鳴りか、・・・でも他人に聞こえるわけがない。聞こえぬが仏である。地獄です、本当に。何ヶ月ぶりかで会った人の方が、外見の変化に気付いてくれるが、そもそも他人は人の外観なんてきちんと見ていないのだと再認識した。自分の身体ではないから。その点で”絶対客観主義者”の医師や多くの人たちは結局、同じ考え方だということが分かった。それはそれで仕方ないと思う。

 

フィクションと思われても信じられないことを体感しているし、その体感していることは他者には感じることが不可能であることもわかっている。しかし、世界や日本で同様の信じられないこと(薬害)が起こっているのは確かだと思うので、その側からきちんと書けることを書いておく。信じられなければ信じなくてもいい。

理不尽なことが起こる、身内に迷惑を掛ける、周囲に理解されない、・・・症状が顕著化してから、どん底に突き落とされ、ネガティブなことばかり考えて1年を過ごした。これはこれで仕方なく、必要な過程であったと思う。

1年経ってしまったが、まだ生きている、(一般動作として)動ける、でも指や足や筋肉の消失、歯肉の減退等は進行して治る気配すらない。これは永続的で後遺障害なのだろうと覚悟も最近するようになった。

 

10数年、激務に耐える助けになる、しめしめと思ってデパスを放り込んできた。45年生きてきて、病気らしい病気もせず、学校も勤務も皆勤、病欠なし、栄養に気をつけてここ数年は毎日野菜ジュースをつくって飲み、年間100日水泳も行った。デパスという全く相反するものを無知に飲んできて、そういった生活習慣、運動習慣が薬に容易に負けてしまうことをこうなって初めて知った。なまじ、体力や筋力をつけてきたので、悪影響もじわじわとしか進行しないのかも知れない。10年以上、自覚症状を感じなかったことが不思議だ。それだけ強かったのだと思う。それでも顕著化して1年でこうなってしまったことは速い進行とも思う。他者は、「2-3ヶ月ぶりだけど変わらないじゃないか」という程度の認識だろうけど。やむを得ない。自分のことは自分で責任を取らないと。

 

開き直りやある程度の達観(前回、達観できないと書いたので、言い換えると「明らめ(あきらめ)」)をもって人に直接接すると、相手は、「この人大丈夫ではないか、ブログに書いていることは本当か?」ということになるのだろう。ある割合の人はそう思うに至っても不思議でないし、そのことに不満をもっても仕方がない。それが人の多様性というものだろう。

 

ブログではぶつくさ症状を書き続ける。それが体感的事実だし、自分が陥れられた因果が、社会問題だと思うから。

 

一社会人としてこのまま埋もれて悩んでいたら、廃人となってしまう、1年経って存在が忘れられることも仕方ない、であればもの凄い努力と気力を要するが(健常者には絶対に分からない・・・この表現は反発を生むかも知れないが事実)、その時まで気丈に社会復帰を模索するしかない。予定寿命まで行かず、行き倒れたらその時点で人は「ああ、薬害だったのだ」と初めて認めてくれるのだろう。いや、そのときでも「あの人は精神を病んでお気の毒に」かもしれない。大多数は事実関係などどうでもいい。精神を病んだ、そんな感じらしい・・・と。プライドもなにもあったものではない。薬害を認めてくれても生命が長らえられるわけでもない。

 

社会復帰努力がなされている間に回復が認められればいいが、そんな虫のいい話もないだろう。希望を持てないから悩んでいるわけで、無理矢理希望をもつ空しさがどういうものであるか。

せめて、怒りや理不尽感が生きる張り合いになれば。それだけしかないけど。

 

(ブログデザインは既存のテンプレートが使えなくなるため、変更しました。)