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伊勢写メアンソロジー

昭和30年から40年代に過ごした三重県伊勢とみそのの詳細な思い出。そこから見えてくる昭和時代に共感してもらえれば。

半分の月がのぼる空が終わってゆく

2010-06-09 13:42:58 | 映画館
虎尾山から見た伊勢の風景は、意外にパノラマチックで壮観ですらある。

伊勢市内を一望するような高層ビルはないから、子供の頃からこういう風景は、伊勢志摩スカイラインの展望台から見るときしか
体験できなかった。

こうやって身近に眺望の効く場所があるなど、知らなかった。そういう意味でも<半月>は、新しい魅力のある場所を教えてくれたことになる。

<半月>に興味のない人も一度ここに来て、宇治山田駅を出入りする電車を眺めてみるといい。近鉄電車がプラレールのように走る様は、ここでしか見られないかもしれない。


といいつつ、映画<半月>は、あちこちで終映を迎えて、長かった騒動が収まりつつある。

映画の評価は全く問題のないもので、爽やかなラブストーリーとして日本映画の佳作になる要素は十分に認められたと思う。

熱狂的なファンや私も含めて、伊勢に関係する者にとっては、このままで終わってしまうと寂しいので、なんとか現在進行的に<半月>を残していきたいけど、実際にはそうもいかず、どんどん収束しつつ、最後には何も伝わってこなくなるのだろう。

どう考えてもここまで、伊勢を舞台に、実際にオールロケまでして製作される映画は、まずなかなか出てこないだろうし、僕たちは、もっとこの映画を大事にしていくべきだと思う。

このあとDVD化されて、もうひと盛り上がり、は確実にある。

でも、そのあとどうなっていくのだろう。

10年くらい経った頃、映画の中で出てくる日赤を見て、

<ああ、ここ日赤病院やったなー>

と、懐かしく思うのは確実である。

半月の上映終わる(伊勢でね)

2010-05-06 02:08:21 | 映画館
進富座での半分の月がのぼる空の上映が終わったそうです。

ラストは満員で、功労者の山本氏が急遽挨拶されたらしい(すべて妹の情報)。

まだ、この映画の結論を出すには時間的に早いけど、いくつかの不利な点(ロードショー上映でなかったこと、小説の最盛期からずいぶん時間が経っていることなど)の割には健闘したのではないだろうか?

ボクたちマニアには、このあとDVDが発売された時に、ゆっくりとロケ地さがしとかできるから、それでいいじゃん。

虎尾山に自由に登れる今、残された難関は、日赤病院の屋上だろう。

ここで、ロケされたカット、時間はかなりの多さだ。

さっき思い出したが、高校一年の春、ボクは盲腸でここ山田赤十字病院に入院したことがある。

まさに裕一とダブる記憶。

退院数日前から、あの屋上でフラフラしていたのを思い出した。

本当に遠くに山高が見えていたので、新学期が始まったばかりでなんとなく焦った記憶が蘇る。

とはいうものの、同様のドラマは起きる由もなく退院したから、小説のようにはいかない。


そんな日赤の屋上にイベント的に見学できればね!


パール座と燃えよドラゴン

2010-04-30 02:41:20 | 映画館
なぜ、ボクは中学生ながら今は跡形もないパール座に通いつめて燃えよドラゴンを繰り返し繰り返し観続けたのだろうか?

当時燃えよドラゴンを何十回も観た人は、全国にいた。そのくらいこの映画に取り憑かれた人は多かった。

燃えよドラゴンの魅力は何だろう?

この映画が、暴力的なアクション映画で、かつ世界的にマイナーなアジア圏の低予算映画だったがために、正しく評価がされていないような気がする。

しかし、映画の最も重要な魅力が<夢>を見ることだとすると、このやせっぽちの香港俳優は奇跡的に、燃えよドラゴンに映画の夢を永久的に植え付けることに成功した。

確かに、香港の怪しい魅力も十分表現されているが、もしかすると、舞台は欧米でも日本でもよかったかもしれない。

それほど、ブルースリーの魅力だけで成立している映画だ。

彼のムダのない一つ一つの動きが、ボクたちに夢を与え続けてくれる。

その夢とは、武器を持たない生身の人間の強さであり、しかもそれが尋常でないくらい美しく、強い。まさに神の領域。

冷静になれば、リーは筋肉マン、ボロに勝てるとは思えず、矛盾を感じはする。

だが、そういう心配は、ストイックで自信にあふれたリーのクンフーの前に消え去るのだった。


パール座で観た、燃えよドラゴンはそんな映画だ。


哀しい再会パール劇場

2010-04-18 23:22:36 | 映画館
再会は突然だった。

日曜日に図書館に行くのは、最近の傾向でその日も、武蔵野市中央図書館に自転車で行った。

そして、一冊の廃墟本(様々な廃墟を探索するのが、最近の隠れたブームでもある)を手にした。

タイトルは、廃墟の歩き方(イーストプレス刊)というというハードカバーで、何気なく期待もせずに借りた。

帰宅して、読み出すと後半部分で一瞬手が止まってしまう。

それは以前から気にしていた映画館<パール劇場>の朽ち果てた姿だった。

まさか、あのパール劇場が廃墟で紹介されているとは、、、。

作者は全国津々浦々の廃墟を数多く訪ね歩いているから、感覚が麻痺しているが、こうやって実体験で記憶している人間が廃墟になっているのに接すると、そこにはただ、ひたすらに悲壮感に打ちのめされる。

斜め前から建物の全景を撮ったのを見ると、一気にあの頃の記憶が蘇った。

余談だけど、パール劇場は映画<砂の器>で若手刑事森田健作が捜査のために訪れる場末の映画館に使われたと思っている。

それを立証する資料はまだないけど、雰囲気がそう思わせる。

その映画館の主人で、へんな伊勢弁で捜査に答えるのは、渥美清だ。



ボクにとってパール劇場は、伊勢の映画館の中で最も重要な映画館だった。

おそらく、一番場末にあったし、かかっている映画も品のないのが多く、なにより三館並んだうちの一館が、市内で唯一ピンク映画専門館なのだった。

それだけにいろんな思い出が多く、もっとも映画を観るという現実から離れるという行動が似合う場所だったのである。

三館も映画館が並んだ風景は、中学生のボクをワクワクさせたし、映画館に1人で通いだしたのはこのパール劇場でいろんなことが起こった。

ボクの映画歴の中で最も回数多く観たことになる<燃えよドラゴン>は、ここでなんと24回も観たのだ。

まだ、半ズボンだった中学1年のボクが、来る日も来る日も冷房の効いた最前列に座っているので、見かねた劇場主のおばさんが

<寒くないかい?>

と、膝掛けを掛けてくれた。お礼も言わずにスクリーンを見続けた。おばさんに感謝せねば、今頃。



ピンク映画の刺激的なポスターを横目に、通った思い出の映画館、パール劇場はいつの間にかその扉を永遠に閉ざしてしまった。

実は、ここ数年でこの場所を訪れているので、すでにこの本のような廃墟ではなく、ごく普通の住宅地になっているのは知っている。

でも、あまりにも普通の風景で写真を撮る気にもなれない。

思い入れが強いだけに、伊勢アンソロジーの中でも特に哀しい場所になる。

裕一と里香が出会い、愛を育む日赤のあの屋上で、ボクはいつも宮川の花火大会を見ていた。

2010-03-02 01:31:35 | 映画館
半分の月がのぼる空の試写会に行った。

半月は、子供たちが好きだったことと、妹が激烈に撮影自体を応援していたこともあって、撮影開始直後から注目していたし、実際に虎尾山にも何度も登った。

さすがに伊勢市での試写会には行けなかったけど、中野で行われた関係者が一同に会したプレミア試写会には行けた。

新富座や皇學館大でのイベントは、地元の入れこみがあって、仲間内で見ようって感じだけど、ここは東京中野だから、普通に試写会で、真の実力が試されることになったわけだ。地元意識とかない中でどう評価されているのか少し心配だったが。

そんな心配は無用で、数千人は入ろうかというホールは満員になった。

舞台挨拶は、ほぼ大泉洋の1人舞台でおおいに笑わせバンクーバーネタが多過ぎて少し脱線しすぎていたけど、

実は映画の中で、一番泣かせるのが、砲台山での大泉洋の演技だったので、すっかり見直してしまったw

池松と忽那の初々しい演技も気持ちよかったが、大泉洋の映画終盤の演技と上手い伊勢弁がやたら印象に残ってしまった。

やっぱり最近の評価に違わず、劇団出身てのはすごいなあと感心してしまう。

会場は、小説のファンと大泉洋のファンに二分され、やはり伊勢が舞台という要素は薄くなっているように思えた。

でも、随所に出てくる伊勢の風景は、とても映画の中で自然に表現されていて、わざとらしい観光映画になっていないので

安心していられるのだ。

あのせまい虎尾山の頂で、三人の迫真の演技が撮られただけで素晴らしいと思うし、映画のほとんどが日赤とその周辺で占められていることに驚く。

チョー地元のボクにとって、後数年で終わる山田赤十字病院の姿をロードショー映画で残せたという事実はまさに奇跡だと思う。

ボクにとって、その意味はやたらと大きいのだ。

伊勢市や日本赤十字社は、後になってもいいから、それについて何かしらコメントして欲しいものだ。