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伊勢写メアンソロジー

昭和30年から40年代に過ごした三重県伊勢とみそのの詳細な思い出。そこから見えてくる昭和時代に共感してもらえれば。

ご案内表示版を見つけた

2011-01-16 22:49:37 | 街角
新道に沿って走る、県道23号線の月夜見宮に近い歩道を歩いていると、こんな案内板を見つけた。

伊勢にはおおよそこのような観光案内板が見当たらないので意外ではあったけど、

書いてある内容がなんかおぼつかなくて変である。

外宮と伊勢市駅はわかるけど、尾崎咢堂は、あまりにマイナーでかつそこまで歩ける感じはしない。

それに尼辻の交番は確かに近いし、何かと便利かもしれないけど、とにかくローカルである。

ここから先は度会橋を超えるまで旧所名跡がなく、困った人は交番に行ってという狙いかな。

ボクなら、宮川とか山田上口駅とか、、、、ダメか。


あとでこの案内板、伊勢市駅の近くでも見かけた。

何時誰がどうやって設置したのか。


新道のおもかげ

2011-01-04 23:49:32 | 街角
今回の年越し参りは、午後11時過ぎ、紅白で桑田佳祐復活を見届けてから出かけた。

宮町から電車を使って、外宮に向かってもいいのだけど、せっかくだからと極寒の中徒歩にした。

どう考えても2010年の晦日は、例年より冷え込んでいたのでさすがに躊躇したが、前日に用意したヒートテックのおかげで

勇気が湧いたのだ。

これだけの寒さなので、大世古から新道に歩く間、ほとんど人を見かけずにさらに寒さが身にしみる。

つきあってくれる妹や甥っ子たちに感謝。一人じゃとても居られない。

もちろん少しでも寒さをしのげる、新道を通るけど、これがまたひっそりと静まり返って寂しすぎるわ。


しんみち商店街の長いアーケードの中で唯一、本当に一件だけ<おもかげ>の赤提灯だけが見えてきた。

<よかった、また開いている>

外宮での年越し参拝の復路、ボクたちは<おもかげ>で年越しそばならぬ、年越しお好み焼きを食べた。

もう何十年も同じこの香り、この味。

豚肉お好み焼きとイカ焼きそばで十分。

冷え込んだ身体を、まさにてっぱんが暖めてくれるのだ。

信じられないが、大晦日の夜中、しんみちでたった一件だけ営業しているこの小さく古い店が

とても特別な場所になっている。

生まれて初めて昔のしんみちを見た

2010-05-17 22:14:17 | 街角
ある日、しんみちの脇を歩いていると、表示板があって当地の説明書きがあった。

こういうのは今や日本のどこでも見られるもので、(伊勢弁のイントネーションで!)たいがいは、教育委員会なんかが書いている。

むむっ、やるなーしんみちの昔日風景を、しかも写真で掲示するとは、憎い。興味あるなー。

で、見てみるとこの写真は、しんみちと23号線の間に流れる水路(僕にはどぶ川)なのだそうだ。

ご存知の通り、はるか昔に、フタがされ、今では駐車場になってしまったが、子供の頃はまだ、流れの鈍いどぶ川だった。

しかし、この写真は驚く。

番傘、提灯、木の小橋、、、まるで京都先斗町の一角のようだ。

風情もあり、ここは神宮のお膝元で歓楽街だったのだろう。

残念だけどやっぱり明治、大正、昭和と時代につれて面白くなくなっている。

なぜなんだろう。

蒼いガラスのスナック

2010-04-06 03:43:19 | 街角
たしかこの建物は、例の進富座から新道方向に進んで松本スポーツに出る手前くらいにある。

小学生の頃から、駄菓子屋に向かう途中に通りかかり、なんて不思議な建物だろうと思っていた。

子供には縁遠い場所であることは、今はもう塞がれてしまった縦に長い深い青色ガラスの入った窓でわかった。

吸い込まれそうなきれいな蒼いガラスは、その辺にはないもので、よく立ち止まって見つめた。

当時からスナックだっただろう。蒼いガラスは大人の匂いがする色で、まったく子供には遠い存在だったし、今もしこの店が開いていても入りづらい。

そのガラスは、高校生まで記憶している。ずいぶん長い間そのガラスははまっていた。

市の重要文化財にしても良いくらいの建造物だと思う。イマドキもうこんなお店建てられはしない。

こんな粋な建造物を建てる昔の伊勢は、かなりイケてると思う。


神宮や河崎ばかりが伊勢ではないと思うのだ。

悲しきカギ手のおっさん

2010-02-02 17:50:12 | 街角
たしかみその側から大世古の踏切を渡った、豚捨の交差点から西安やキンローにかけてのあたりでそのおっさんをよく見かけた。

おそらくそのイデタチから、どこかの八百屋のおっさんだったのだと思う。

そのおっさんは片腕が、ピーターパンのフック船長のようにカギになっていた。おそらく左手ではなかったかと思う。

カギは円を描き、先は鋭利に尖っていた。まさにフック船長のそれだった。

ある日、それが八百屋の荷物を運ぶのに都合が良いことを、僕は知った。

おっさんが器用に荷を引きずり寄せるのを見たからだ。


小学生の僕には、その手を見るだけでまず恐怖が走り、このおっさんがどうしてそうなったのかが気になりつつ、街角で会うたびにビビった。

今ではあり得ないが、まだ当時は義手の代わりにこういうカギ手を使う人がいたのかもしれない。

現在ならもしかすると、危険物所持とかに問われかねないだろう。

それくらい危ない代物だった。

でも、そのおっさんは何かの理由で腕を落とし、義手にしようかと思ったが、仕事を考えるとカギがいいと判断したのだ。


なんか物悲しい思いに駆られるなあ。

その後、いつの間にかそのおっさんのことは気にならなくなった。

もしかするといなくなっていたのかもしれない。

1960年代から70年代前半、尼辻あたり、おっさんは確かにいた。

思い出しましたか?