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路地裏の古本屋 ~さきわい書院だより~

通販古書店さきわい書院(奈良市)の店主によるブログです。古本についての話題などをお届けします。

『いのちの初夜』(北條民雄/角川文庫)

2012年05月06日 | 大切にしたい本
 表題作はハンセン病(旧名らい(癩)病)に罹患した主人公の青年(尾田高雄)が郊外の療養所(病院)に入院した1日目を描いた短編小説です。入院した夜、主人公は絶望的な心境から、首吊りによる自死を図りますが死にきれません。その夜更けには悪夢をみて目を覚まします。同病の患者で、病室の世話役を務めている佐柄木は主人公に、ここにいる人たちは人間ではなく生命そのものだと語ります。佐柄木もまた完全に失明する不安と闘いながら生きているのでした。「癩者に成りきって、さらに進んだ道を発見してください」という言葉をかけられた主人公に、やはり生きていこうという意志が生まれます。
 絶望的な運命をどう受けとめるのかということを体で感じとりながら考えさせられる作品です。また、当時のハンセン病患者が置かれた状況を知る手がかりにもなります。



『いのちの初夜』 北條民雄 角川書店(角川文庫)
1955年(昭和30年)初版  カバー装画:大沢泰夫


 収録作品は「いのちの初夜」、「眼帯記」、「癩院受胎」、「癩院記録」、「続癩院記録」、「癩家族」、「望郷歌」、「吹雪の産声」。また、「あとがき」(川端康成)、「北條民雄の人と作品」(光岡良二)、年譜が収録されています。

 北條民雄は1914年(大正3年)生まれ、1934年(昭和9年)にハンセン病で全生病院(東京)に入院、1937年(昭和12年)に死去。

『一色一生』(志村ふくみ)

2012年05月03日 | 大切にしたい本
 今、私たちは化学的につくられた色に囲まれて暮らしています。そして、人間の長い歴史の中でいえば、ほんの少し前まで、身にまとう衣服の色は自然に存在する色であったことを忘れているようです。
 本書の著者は、美しい色を求めて長年にわたって、草木染による染織の仕事に携わってこられました。「色は木の精」であると考える著者によると、草木の中に潜む色とは、草や木が生きる営みを重ねる中でその内部に胚胎するものだということです。そして、その色と出会うためには、人間の側に、命の営みに対する謙虚な構えや畏敬の念が求めらます。 
 著者の草木染に取り組む姿勢からは、美しいものを感じとる、見い出すとはどういうことかを深く考えさせられます。



『一色一生』は1982年に求龍堂より刊行。2005年に新装改訂版を刊行。1987年に文春文庫、1993年に講談社文芸文庫として刊行。画像は文春文庫版。

志村ふくみの染織作品(日本工芸会ホームページ)

『愛のある村』(杉原良枝/春秋社)

2012年04月30日 | 大切にしたい本
 本書は、奈良県榛原市(旧朝倉村笠間)にある心境共同体の歴史を記したものです。昭和3年、大阪で著者と尾崎増太郎(当時は天理教の布教師をしていました)が出会うところから本書は始まります。昭和11年、尾崎は著者と共に故郷に戻ります。翌年、尾崎が村の有力者の機嫌をそこねたことがきっかけで、尾崎家をふくむ4家族が「村八分」にされます。村八分にされるということは実際のところ、地域での生活ができなくなることを意味します。4家族は生き延びるために作業を共同化し、農機具を共同で買い入れます。さらに共同の建物を建て、炊事も共同で行うようになりました。戦時中、多くの仲間が満洲に移住するなど共同体づくりの営みは苦難の連続でした。戦後は畳床の製造事業を発展させ、共同体への参加者もふえていきました。昭和41年には知的障害者施設を開設して現在に至っています。
 心境共同体は何らかの思想や理論の実践としてではなく、生きていくために必要に迫られてかたちづくられたものです。「生きて働いて、自然のうちにわかってくるものを先生(尾崎増太郎)は重んじる」というところにこの共同体の特色があるようです。物質的な面では「すべての物は自分の物であり、同時に全員の物」という考えで運営されています。お互いの良心への信頼感がこの共同体の大切な基盤になっているのだと思います。
 今、「無縁社会」という言葉に象徴されるように、社会的な孤立におちいる人々がふえています。そうした人々が、貧困、精神的な不調や病気、孤独死、自死(自殺)に追いつめられるといった問題が浮かび上がっています。こうした点からも、共同体という社会生活のかたちが見直されていい時代であると思います。本書もその手がかりのひとつになることでしょう。



『愛のある村』 杉原良枝 春秋社 1978年(昭和53年)

『靴みがき』(和田梅子/平凡社)

2012年04月24日 | 大切にしたい本
 今では「靴みがき」という職業を知っている若い方は少ないかもしれません。この本は、戦中から戦後の混乱期に、生活の糧となる仕事を求め、ようやく靴磨きの仕事を続けられるようになった女性の生活体験記です。空襲で家を焼かれ、夫とひとりの子を亡くし、4人の子どもを養育しなければならないという生活苦、そしてそれにまつわる思いがありのままに記されています。
 この本は平凡社の「人間の記録双書」の1冊として刊行されたものです。「まずしいわたしたち・・・そのひとりひとりの行動の集積こそが、わたしたちのかけがえのない「歴史」であり・・・」という、このシリーズの趣旨にふさわしい1冊であると思います。歴史に名前を残さなかった無数の人々にもそれぞれの人生と生活があったわけですから、そうした無名の人々の記録をもっと大切にしなければいけないということを考えさせられました。


『靴みがき』 和田梅子 平凡社  昭和32年(1957年)

『椿の海の記』 (石牟礼道子/朝日新聞社)

2012年04月08日 | 大切にしたい本
 あふれかえる情報とおびただしい人工音に取り囲まれ、文化も商品として消費され、「無縁社会」と呼ばれるように社会的孤立におちいる人たちがふえている現代の都市的生活。この作品はそれとほとんど対極にある世界(昭和初期の頃の九州のある海辺の村)が舞台となっています。郷愁をさえ突き抜けたような、夢か幻のような世界、山や川や海や岩、草や樹や生き物たち、人間たち、さらには人の目には見えないものたちがとけあった世界へと読者はいざなわれます。哀しみや愚かしさから逃れようのない人間たちも、この作品世界の中では、不思議な温かさに包まれているように感じられます。
 作品の中ではまだ子どもである「わたし」は、いのちあるものとして生まれそして生きていることの根源的な謎を幼くして感じとっています。作者の独特の文体は、平安時代の女性の筆による文章と通じるところがあるように感じられるのですが、不思議にも浄化された世界を表現するのにふさわしいものとなっています。この感性と文体が、この作品を「文学」を超えた表現へと高めていると思います。
 いつまでも読み継がれてほしい貴重な作品です。

 この作品は1973年から雑誌「文芸展望」(筑摩書房)に掲載されたものです。1976年(昭和年)に朝日新聞社よりハードカバーとして刊行され、1980年(昭和55年)朝日新聞社より朝日文庫として刊行されました。



画像は朝日文庫版です。