温(ぬく)もりの残れるセーターたたむ夜ひと日のいのち双掌(もろて)に愛(いと)しむ
父親となれず死ぬ身に文鳥のひなを飼ふこと許されたりき
幼な日の憶ひに小さきドングリのひとつころがす獄の畳に
一首ずつていねいに味わっていきたい歌が並んでいます。日々の暮らしの中で忘れがちな人間の命について思いをよびおこしてくれる歌集です。
作者である島秋人(しまあきと)は幼少時から病弱であったこともあって、学業不振で周囲からはさげすまれてきました。中学卒業後は生活が荒れ、少年院に入所していたこともありました。
1959年、家出をしていて空腹に耐えられなくなった彼は、ある家に盗みにはいり、発覚をおそれて住人を殺傷しました。獄中から彼は中学時代の美術担当の教師であった吉田好道先生に手紙を書きます。先生には「絵は下手だが、構図はいい」とほめられたことを覚えていたからです。先生と妻の絢子さんから返事がきました。そして絢子さんから、自分自身を見つめて短歌をつくるように勧められます。毎日新聞の毎日歌壇(選者は窪田空穂氏)に投稿し何度も掲載されました。
1962年に死刑判決が確定し、1967年に死刑が執行されました。島秋人が詠んだ短歌は『遺愛集』として、彼の死後に出版されました。

参考
島秋人の本名は中村覚(なかむらさとる)、獄中で千葉てる子さんの養子となり千葉姓に変わっています。
『書簡集 空と祈り―『遺愛集』島秋人との出会い』 前坂和子 東京美術
毎日歌壇で島秋人の歌を読み、心を動かされた女性との往復書簡集です。
『死刑囚島秋人―獄窓の歌人の生と死』 海原卓 日本経済評論社
父親となれず死ぬ身に文鳥のひなを飼ふこと許されたりき
幼な日の憶ひに小さきドングリのひとつころがす獄の畳に
一首ずつていねいに味わっていきたい歌が並んでいます。日々の暮らしの中で忘れがちな人間の命について思いをよびおこしてくれる歌集です。
作者である島秋人(しまあきと)は幼少時から病弱であったこともあって、学業不振で周囲からはさげすまれてきました。中学卒業後は生活が荒れ、少年院に入所していたこともありました。
1959年、家出をしていて空腹に耐えられなくなった彼は、ある家に盗みにはいり、発覚をおそれて住人を殺傷しました。獄中から彼は中学時代の美術担当の教師であった吉田好道先生に手紙を書きます。先生には「絵は下手だが、構図はいい」とほめられたことを覚えていたからです。先生と妻の絢子さんから返事がきました。そして絢子さんから、自分自身を見つめて短歌をつくるように勧められます。毎日新聞の毎日歌壇(選者は窪田空穂氏)に投稿し何度も掲載されました。
1962年に死刑判決が確定し、1967年に死刑が執行されました。島秋人が詠んだ短歌は『遺愛集』として、彼の死後に出版されました。

参考
島秋人の本名は中村覚(なかむらさとる)、獄中で千葉てる子さんの養子となり千葉姓に変わっています。
『書簡集 空と祈り―『遺愛集』島秋人との出会い』 前坂和子 東京美術
毎日歌壇で島秋人の歌を読み、心を動かされた女性との往復書簡集です。
『死刑囚島秋人―獄窓の歌人の生と死』 海原卓 日本経済評論社