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路地裏の古本屋 ~さきわい書院だより~

通販古書店さきわい書院(奈良市)の店主によるブログです。古本についての話題などをお届けします。

『遺愛集』 (島秋人/東京美術)

2012年04月08日 | 大切にしたい本
温(ぬく)もりの残れるセーターたたむ夜ひと日のいのち双掌(もろて)に愛(いと)しむ

父親となれず死ぬ身に文鳥のひなを飼ふこと許されたりき

幼な日の憶ひに小さきドングリのひとつころがす獄の畳に

 一首ずつていねいに味わっていきたい歌が並んでいます。日々の暮らしの中で忘れがちな人間の命について思いをよびおこしてくれる歌集です。

 作者である島秋人(しまあきと)は幼少時から病弱であったこともあって、学業不振で周囲からはさげすまれてきました。中学卒業後は生活が荒れ、少年院に入所していたこともありました。
 1959年、家出をしていて空腹に耐えられなくなった彼は、ある家に盗みにはいり、発覚をおそれて住人を殺傷しました。獄中から彼は中学時代の美術担当の教師であった吉田好道先生に手紙を書きます。先生には「絵は下手だが、構図はいい」とほめられたことを覚えていたからです。先生と妻の絢子さんから返事がきました。そして絢子さんから、自分自身を見つめて短歌をつくるように勧められます。毎日新聞の毎日歌壇(選者は窪田空穂氏)に投稿し何度も掲載されました。
 1962年に死刑判決が確定し、1967年に死刑が執行されました。島秋人が詠んだ短歌は『遺愛集』として、彼の死後に出版されました。



参考
島秋人の本名は中村覚(なかむらさとる)、獄中で千葉てる子さんの養子となり千葉姓に変わっています。

『書簡集 空と祈り―『遺愛集』島秋人との出会い』 前坂和子 東京美術
毎日歌壇で島秋人の歌を読み、心を動かされた女性との往復書簡集です。

『死刑囚島秋人―獄窓の歌人の生と死』 海原卓 日本経済評論社

『僕の学校はアフリカにあった』(高野大/朝日新聞社)

2012年04月04日 | 大切にしたい本
 著者は小学校はほとんど不登校で、中学校も中退しました。十五歳の彼はスワヒリ語(東アフリカのバントゥー民族の言語です)を是非とも学びたいと決意しました。そして、一人でアフリカのタンザニアに旅立ち、さまざまな困難を経てスワヒリ語を学ぶ場を見つけることができました。やがて彼は自分は生きるために学ぼうとしているのであって、スワヒリ語を学ぶことを自己目的化してはいけないことに気づきます。そして、ケニアに渡り、縁あって作家のグギ・ワ・ジオンゴと会う機会に恵まれました。グギは学校で学んだ英語(ケニアはイギリスの植民地でした)で作品を書いていましたが、ある時期から自身の母語であるキクユ語で書くようになりました。彼は日本から来た少年に「英語を学ぶことができない労働者や農民のためにこそ作品を書かなければならないことに自分は気づいた」と語ります。著者は、自分が求めていた師、考え方、生き方の師と出会えたことを深く感じとります。
 ひとりの少年が、人と出会い、世界と出会い、人間と社会と歴史についての考えを深め、自らが生きる道標を模索した貴重な記録です。学び生きることの本源的なところを見い出そうとする著者の真摯な熱情が伝わってきます。


『僕の学校はアフリカにあった』高野大 朝日新聞社(朝日文庫)
『十五歳マイナスからの旅立ち』という書名で単行本として刊行された本が、文庫化されたものです。


 なお、著者の父親の著書として「夜間中学生 タカノマサオ―武器になる文字とコトバを」(高野雅夫/解放出版社)があります。

グギ・ワ・ジオンゴ公式ホームページ

『気流の鳴る音』(真木悠介/筑摩書房)

2012年04月03日 | 大切にしたい本
 近代社会をつくり出した私たちは確かに「豊かさ、便利さ、自由」などを手に入れたかもしれません。しかし、その一方で失ってしまったものもたくさんあるのかもしれません。例えば、一本の樹木が語りかけている声を聴きとるといった、自然との交感能力です。生きていることそれ自体の受け取り方も変わってしまったのかもしれません。著者は「非近代」の世界、例えば中南米の先住民の世界に私たちが失ったものを見出してゆきます。
 この本は読者の感性を深いところから揺さぶってくれる思想書であり、人間や社会のあり方について貴重な気づきを体験させてくれる一冊です。

 


『気流の鳴る音 交響するコミューン』(真木悠介 筑摩書房)

『雨』(樹村みのり/朝日ソノラマ)

2012年04月01日 | 大切にしたい本
 樹村みのりの初期の短編漫画をいくつか収録した本です。その中から「まもる君が死んだ」をご紹介します。
 まもる君は古い木造の共同アパートに住む母子家庭の小学生です。家庭の生活苦から給食費も滞納している彼は同級生からのからかいや「いじめ」の対象とされています。教員たちはそろって彼を厄介者としてとらえています。アパートの住人たちは彼の母親の異性関係をうわさしています。担任教師や隣室の学生も、まもる君のことが気になるものの、彼に対する周囲の人々の疎外あるいは嫌悪の空気には逆らえないでいます。こうした背景状況があって、ある日、まもる君が行方不明になる事件が起きます。警察が捜索を始め、周囲の人々も現場に集まってきます。そして、まもる君が自死(自殺)した可能性も浮かび上がってきます。人々はまもる君に無関心であったことに、かすかな心の痛みを感じつつも、その痛みから逃げるかのように、無関心を自分の内部でなんとかして正当化しようとします。このあたり、自己欺瞞ともいえる人間心理のありようが鋭くえぐりだされています。しかし、その中で、同級生の明子だけが、その「空気」から自らの意志で脱しなければならないことに気づきます。そこから希望という言葉がふさわしい最後の場面へと話は展開します。
 この作品が最初に発表されたのは1970年です。それから40年以上を経た今、学校や職場では「いじめ」が広がり、「私たち」とは「異質」とされる人たちへの社会的排除も目につきます。「空気」を読んで同調し、傍観者あるいは無関心であろうとする「空気」は今も私たちの内面を侵食しているように思われます。30頁くらいの短い漫画作品ですが、今あらためて読み直してみても深く胸に迫ってくるとともに、人間的連帯のあり方について深く考えさせてくれます。




絵本『ルリユールおじさん』

2012年03月26日 | 大切にしたい本
 大切にしていた植物図鑑が破損してしまいました。持ち主である少女が、修理してくれる人をさがしに出かけるところから、お話が始まります。
 彼女の本をていねいに修理してくれた職人さんはこう語ります。「本には大事な知識や物語や人生や歴史がいっぱいつまっている。それらをわすれないように、未来にむかって伝えていくのがルリユールの仕事なんだ。」人間にとっての書物の価値をあらためて思い起こさせる言葉ですね。
 ルリユールの仕事の意義は、古本屋の存在理由とも重なり合うところがあります。当店(さきわい書院)も「文化と記録を次の時代に引き継ぐ」という理念のために地道に力を尽くしていきたいと考えています。

*「ルリユール」とはフランスにおける手仕事による製本の技術のことです。

『ルリユールおじさん』 いせひでこ  理論社