9月の夏休みの振り返りシリーズ。
イタリアのボローニャに滞在していた僕らは東側のイモラと言う町に行きました。
目的地はアウトドローモ・インターナショナル・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ。
通称イモラ・サーキットです。
F1ファンでは知らない人はいないであろうアイルトン・セナが94年に事故死したサーキット。
5年間も欧州に居ながらこれまで来れなかったことをF1ファンとして恥るべきって思う。
日本でF1人気全盛期の90年代前半、テレビでは毎週のレギュラー番組が放映されていた頃に、
ここイモラ・サーキットも特集されていました。
サーキットの中にも住居があると、僕の中にインプットされていて凄く興味があった。
実際サーキットは団地の様な住宅街付近にあります。
サーキットの中は公園があったり住宅街もあった。
決してサーキット建設の際に立ち退かなかったのではない。
僕らが訪れた日曜日はちょうどレースイベントがあった。
なのにグランドスタンドに無料で入れちゃう。
駐車場料金も発生しなかったし。イタリアの人達が日曜の午後をのんびり過ごすべく、
公園に遊びに来たついでにレースを観戦してるぐらいの緩い感じで集ってます。
犬の散歩ついでに来てるような人も…だいたいカメラを持ってる人が少ない。
イタリアはレースの触れ易さが違いますな。
東洋人が珍しいのか、かなりジロジロ見られました…
見知らぬ人がいるのは落ち着かないようで、皆さんの貴重なリラックスタイムを台無しにしないように、
そそくさとスタンドを後にしました。
セナが事故に遭った当時高速コーナーだったタンブレロの内側に像があります。
木々に囲まれた遊歩道に忽然と現れる感じ。歩道からだと背中を向けてうつむいてる姿がちょっと怖い。
今でもあの94年5月1日は忘れられない。あの事故映像を見るのは苦手なのですが、
イモラ・サーキットを訪れるのはそれほど抵抗が無かった。
もう18年も昔のことであるからなのかも知れないですが、正直な話セナの像があるから何なの?って感じ。
でも、イモラに行ったこと無いと言うのも寂しいので来てみたのです。
もちろん風化させたくない事故なので、今でも大切に思うことは意味を成してると思う。
たくさんの人が訪れてるようだし、花やメッセージもたくさんあった。
ただ、ここに来てセナの像を眺めることが僕のやるべきことでは無い気がする。
今でも気持ちの処理が出来ない悪夢のような出来事だ。
そんな悪夢からすると、ここは惨劇とは程遠いぐらいとても穏やかなところ。
タンブレロの外側にも回りました。タンブレロはあれ以来シケインが設けられている。
と言うのもタンブレロの外側には川が流れており、ランオフエリアを広げることが出来ない。
高速コーナーの割にはランオフエリアが狭いのが危険度を増していたのです。
89年にはフェラーリのベルガーもクラッシュして炎上もしてるわけで、
その観点からすると何の手を打つことも無く94年のセナの事故を迎えてしまったわけです。
サーキットとしては珍しい反時計回りであることやドライバーからは走行ラインが見えない下りコーナーの
リバッツァなどの名所があるので、是非ともF1レースに復帰して欲しいとも思う。
…難しいと思うけど…
イタリアのボローニャに滞在していた僕らは東側のイモラと言う町に行きました。
目的地はアウトドローモ・インターナショナル・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ。
通称イモラ・サーキットです。
F1ファンでは知らない人はいないであろうアイルトン・セナが94年に事故死したサーキット。
5年間も欧州に居ながらこれまで来れなかったことをF1ファンとして恥るべきって思う。
日本でF1人気全盛期の90年代前半、テレビでは毎週のレギュラー番組が放映されていた頃に、
ここイモラ・サーキットも特集されていました。
サーキットの中にも住居があると、僕の中にインプットされていて凄く興味があった。
実際サーキットは団地の様な住宅街付近にあります。
サーキットの中は公園があったり住宅街もあった。
決してサーキット建設の際に立ち退かなかったのではない。
僕らが訪れた日曜日はちょうどレースイベントがあった。
なのにグランドスタンドに無料で入れちゃう。
駐車場料金も発生しなかったし。イタリアの人達が日曜の午後をのんびり過ごすべく、
公園に遊びに来たついでにレースを観戦してるぐらいの緩い感じで集ってます。
犬の散歩ついでに来てるような人も…だいたいカメラを持ってる人が少ない。
イタリアはレースの触れ易さが違いますな。
東洋人が珍しいのか、かなりジロジロ見られました…
見知らぬ人がいるのは落ち着かないようで、皆さんの貴重なリラックスタイムを台無しにしないように、
そそくさとスタンドを後にしました。
セナが事故に遭った当時高速コーナーだったタンブレロの内側に像があります。
木々に囲まれた遊歩道に忽然と現れる感じ。歩道からだと背中を向けてうつむいてる姿がちょっと怖い。
今でもあの94年5月1日は忘れられない。あの事故映像を見るのは苦手なのですが、
イモラ・サーキットを訪れるのはそれほど抵抗が無かった。
もう18年も昔のことであるからなのかも知れないですが、正直な話セナの像があるから何なの?って感じ。
でも、イモラに行ったこと無いと言うのも寂しいので来てみたのです。
もちろん風化させたくない事故なので、今でも大切に思うことは意味を成してると思う。
たくさんの人が訪れてるようだし、花やメッセージもたくさんあった。
ただ、ここに来てセナの像を眺めることが僕のやるべきことでは無い気がする。
今でも気持ちの処理が出来ない悪夢のような出来事だ。
そんな悪夢からすると、ここは惨劇とは程遠いぐらいとても穏やかなところ。
タンブレロの外側にも回りました。タンブレロはあれ以来シケインが設けられている。
と言うのもタンブレロの外側には川が流れており、ランオフエリアを広げることが出来ない。
高速コーナーの割にはランオフエリアが狭いのが危険度を増していたのです。
89年にはフェラーリのベルガーもクラッシュして炎上もしてるわけで、
その観点からすると何の手を打つことも無く94年のセナの事故を迎えてしまったわけです。
サーキットとしては珍しい反時計回りであることやドライバーからは走行ラインが見えない下りコーナーの
リバッツァなどの名所があるので、是非ともF1レースに復帰して欲しいとも思う。
…難しいと思うけど…
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