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OSAMUの写真記録

花を中心に、時に旅先で写真を撮っています

台湾の記憶④

2024-01-13 17:55:36 | 旅行
撮影日:2023年10月21日

4日目の最終日、台湾には日本統治時代の建築が多く残っており、それらを垣間見ることにしました。
その前に朝食です。

1)四海豆漿大王
ここでは鹹豆漿(シェンドウジャン、Xián dòujiāng、しょっぱい豆乳)と飯糰(ファントゥアン、Fàntuán、もち米のおにぎり)を食べました。
注文票を見るだけでは何かわからなかったので、隣で食べている人に教えてもらいました。
後者は妻はあまり口に合わないようでしたが、私は美味しくほとんどを食べてしまいました。


2)MRT中山駅から四海豆漿大王に行く途中にあった看板


3)総統府
土曜日だったので中に入ることはできません。
赤レンガと白い花崗岩で造られたルネッサンス様式の風格ある建物。
設計はコンペによって競われ、日本銀行の本支店の設計を多く手掛けた長野宇平治の案が選ばれ、それに総督府営繕課の森山松之助が修正を加えて、1919年に完成したもの。
次回はぜひ中に入ってみたい!


4)二二八和平記念碑
1947年2月28日、中華民国による台湾統治に反抗して蜂起した台湾住民が園内の台湾ラジオ放送局(旧台湾放送協会本部)を占拠し、台湾全土に向けて台北での蜂起を告げた。
後には当時の台湾統治責任者であった台湾行政長官の陳儀がこの放送を通じて蜂起した台湾住民に対して投降を呼びかけた。
この事件で犠牲になった住民を追悼するために建立。


5)国立台湾博物館
日本統治時代の1915年に完成
いずれも今回は外からだけでしたが、次回はぜひ内部も。


6)MRT台大醫院駅構内


7)MRT忠孝新生駅から崋山1914に向かう途中で


8)崋山1914文化創意産業園区に着きました。
前身は日本統治時代の台湾に建てられた酒造工場で、1987年に操業停止してから廃墟状態となっていたが、2003年に文化省が管理を始め、2005年に華山1914文化創意産業園区としてオープン。


9)


10)廃墟状態であったことが偲べます。


11)日本の映画が上映されていました。


11)カラフルなグッズが売られていました。
日本語の表記も見られます。


13)タピオカミルクティーで有名な春水堂があったので、小休憩。


14)新生高架橋下滑板場
直ぐそばにスケボーができるところがありました。
その入り口の柱(上には高速道が走っています)は基盤で埋め尽くされていました。


15)この先の八徳路一段はどうやら電脳地区のようでした。


16)こんな看板も


17)国立台北科技大学
この辺りは電子技術を支える地域なんだと思います。


18)台北駅
広大な吹き抜け


19)MRT空港線西門駅
先進性を感じるデザインです。

エピソードその⑦
町中の飲食店で何度か食事をしたが、前払いのところと後払いのところがありました。
戸惑いますよね。
エピソードその⑧
ホテル最終日、真夜中に警報が鳴り響いて叩き起こされました。
避難を促されたが廊下に出てみると、フロントに確認した人が戻ってきて無事が確認できたので非難の必要は幸いにもありませんでした。
翌日フロントに確認したらシャワーの湯気が原因だったとのこと。日本人が多く宿泊しており、日本語が話せるスタッフがいるのだから安全が確保されたのならその旨連絡して欲しいですね。

台湾には日本統治時代の建物がたくさん残っています。
今回の旅の前にそれらをまとめた本にも目を通しました。
内部をゆっくり見る機会はありませんでしたが、日本以上に残されているのは当時の日本の統治が決して台湾の人たちにとって悪いものではなかったことを物語っているように思います。
こんなところも日本人に人気があるのだと感じました。

台湾の記憶③

2024-01-10 17:44:53 | 旅行
撮影日:2023年10月20日

3日目は中国4000年の歴史を彷彿させてくれる故宮博物院です。
これで確か4度目になるのですが、何度訪れても感動します。
移動はMRT士林駅からタクシーにしましたが、降ろされたのはタイトル画像のところでした。
まだ他に誰もいません。
というのも到着したのは開館45分ほど前だったのです。
実は前日ホテルで検索していたら、開館30分前からチケットが購入できるようになるとの記載を見つけたので、できるだけ早く入館できるよう早めに行ったのです。
しかし一向にチケットカウンターは開かず、結局購入できたのは開館5分ほど前でした。
あの記事は何だったのでしょうか。
でもその甲斐あって開館と同時に入館することができました。

1)タイトル画像の門をくぐって正面の本館に向かって真っすぐ進みます。


2)先ず目指すはこの「肉形石」です。
材質は筋目のような模様が幾層も重なっているジャスパー類の鉱物で、その天然の特徴を生かしつつ手が加えられています。表面に細かな点を打って毛穴を表現すると同時に、素材を軟らかくして染色しやすくし、上層を赤褐色に染め、醤油が染み込んだ肉の皮に見えるような加工がなされています。
本当に角煮みたいですよね。


3)次は同じホールにある、「翠玉白菜」です。
キリギリスが青い部分に止まっています。
実はこの裏にもう一匹イナゴがいるのです。
白菜と昆虫は吉祥の象徴であると共に、キリギリスとイナゴは多産の象徴であり、翠玉巧彫の最高傑作と言われています。
形といい、質感といい、ここまで表現できるとは驚きです。


4)これでもかと精緻を極めた象牙彫刻、「象牙多層球」


5)なんと21層になっていて、それぞれの球を回転させることができるとか。
いったいどうやって作ったのでしょうか。


6)清代「皇帝」の時代作品を世界で唯一のものにするため、完成したら殺されてしまうというプレッシャーのもと、職人たちが何代にもわたって彫ったといわれる象牙の彫刻たちは、命がけとあってとっても細かくてお見事。


7)透かし彫りは3代かかって完成されたのだそうです。
気の遠くなるような職人の根気が生み出した傑作ですね。


8)これも好きな作品、赤珊瑚の鬼


9)これも細密の極みです。


10)翡翠の屏風
両側の彫りがまったく同じなんだそうです。
また、これは昭和20年の終戦まで昭和天皇のもとにあったとか。


11)素晴らしい玉の数々


12)素晴らしい玉の数々


13)素晴らしい玉の数々と焼き物
「髄三蓮章」(左上)
ひとつのつなぎもなくひとつの石から掘り出したものなんて信じられません。
漢代に登場した雄雄しい霊獣「辟邪」(右上)
「辟邪」とは想像から出た神話的な動物で、人々は辟邪の法力によって災いを取り除くことを願いました。
「灰陶加彩仕女俑(はいとうかさいしじょよう)」(左下)
当時の美人です。今とは価値観がかなり違います。


14)素晴らしい焼き物のの数々
乾隆帝時代の花生け(左上)
今年最初のブログのタイトル画像にしました。
宜興胎画琺瑯五彩四季花卉方壺(左下)康熙帝時代


15)素晴らしい焼き物のの数々
青花穿蓮龍紋天球瓶(右下)明時代


16)素晴らしい焼き物のの数々
緑地魚龍図花式瓶(右下)光緒帝時代


17)素晴らしい焼き物のの数々
白瓷嬰兒枕(左上)宋時代
子孫繁栄を願って、また夏は陶磁器製の枕はひんやりして気持ちよく寝られたとか。
首が痛くなりそうですが。
太平有象磁尊(左下)
鞍の緞子の模様は長寿や招福、開運を象徴し、象と宝瓶は「太平有象」(天下泰平)を意味しており、官様の造形に属する。


18)素晴らしい焼き物のの数々
霽青描金游魚転心瓶(右上)内瓶と外瓶からなる転心瓶
外瓶の開光から内瓶に描かれた水草や金魚の模様が走馬灯のように回転し、金魚が悠々と泳いでいるように見えるため、「転心瓶」という名がある。
いったいどうやって作ったのかが想像できません。左上のものにしても焼いてから合わせようとしても嵌らない形です。
また、いずれも開口を設けてしまうと変形しやすくなってしまうのですが、それを感じさせない造形には恐れ入ります。


19)素晴らしい七宝焼の数々


20)仏像もちらっと見て回りました。
書画については自分にはその凄さがわからないので見ていません。


21)最後はトイレの洗面です。
何だか高級感があります。

エピソードその⑤
故宮博物院のショップにディズニー100周年コラボ商品がありました。
ここにもディズニー、恐るべし。
エピソードその⑥
エスカレーターの乗り方は日本と同じ。右側に立ち、左側を歩いていく(名古屋とは逆だけど)
故宮博物院を堪能したあと、台北101に移動して前日スルーした鼎泰豐(ディンタイフォン)で昼食。
なんとこの日も70分待ちでした。
順番の受付をしたら、アプリで注文ができることを教えられ、席に着くまでにメニューを決めておきました。
小籠包やチャーハンなど美味しくいただきました。
昼食後は雨が降っていたこともあり、101近くに行きたいところがあったのですが諦めることにして、買い物に費やすことにしました。

台湾の記憶②

2024-01-07 18:17:42 | 旅行
撮影日:2023年10月19日

2日目は龍山寺から西門、九份に行き、最後に台北101まで目いっぱい回りました。
先ず龍山寺近くの周記肉粥店で朝食です。
タイミングが良かったのか並ぶことなく席に着くことができたのですが、注文の仕方がわからず手間取ってしまいました。
ツアーでは味わえない地元の味です。
その後、通りを挟んで向かい側にある剝皮寮歴史街区を歩きます。

1)剝皮寮歴史街区
ここは日本統治時代に老松小学校の敷地の一部として区分されるが、敷地面積があまりにも大きくて、長い間学校として使われなかった部分に商店などが立ち並ぶようになったところ。
この通りの反対側に周記肉粥店はあります。


2)レンガ造りのレトロな街並みが続きます。


3)いよいよ龍山寺です。


4)清時代の乾隆3年(1738年)、大陸福建省泉州から渡ってきた漢民族の移民たちによって福建普江安海龍山寺の分霊を迎え入れ創建された、台北きってのパワースポット。


5)境内の至るところで熱心にお経を読む姿が見られました。


6)たくさんの神様が祀られていて、順に手を合わせて行きました。
記念にお守りを買って帰りました。


7)お昼近くになりMRTで西門駅へ。
昼食を天天利美食坊でとるために移動です。
ここでは魯肉飯(目玉焼きのせ)と大根餅とスープと牡蠣オムレツを注文。
お腹いっぱいです。


8)そして次の目的地の西門紅楼へ。
これは紅楼を背にして見た景色です。


9)紅楼内に嘉義市にある台湾花甎博物館の支店があると聞いていていたのですが、探しても見つけることができませんでした。
日本統治時代に作られた建物に使用された日本製のマジョリカタイルを丹念に集めた博物館なので、いつか現地に行って見たいと思います。


10)内部はリノベーションにより様々なショップが入っており、ここはコーヒーショップです。


11)計画より少し早かったのですが、バスで九份に向かいます。
バスには10人ほどしか乗り合わせておらず、もしかしたら九份も空いているのかもと期待しましたが、バスを降りて老街に足を踏み入れた途端にすごい人で期待は弾け飛んでしまいました。
超有名観光地だから仕方ないですね。


12)一回りしてお茶休憩です。
晴れていて見晴らしがいいです。


13)


14)賴阿婆芋圓
5年前にここでテイクアウトしました。


15)阿妹茶樓


16)


17)当初の計画ではここで夜景まで見る予定だったのですが、日没まで1時間以上あったので、帰ることに。
帰りのバスも行きと同様、10人くらいしか乗客はいませんでした。
皆どうやって九份に来ているのでしょう。
ちなみに帰りは行きとは異なるバスが早くきたので乗ってしまったが快適さでは行きのバスの方が上でした。
これは乗ってみないとわかりませんね。
1時間15分くらいで行けるし500円くらいと安いし、EasyPayで払えるし、便利なのでバスはお勧めです。


18)台北に戻ってきて、まだ時間があったので101へ
MRT台北101/世貿駅から101へ向かう地下道で。
沢山の笑顔が微笑ましい。


19)101に来たのは鼎泰豐(ディンタイフォン)で夕食を食べようと思ったからなのですが、着いてみてびっくり、何と80分待ちでした。
鼎泰豐恐るべし。
結局この日はあまりお腹も空いていないこともあり、何も食べずにホテルに帰ることにしました。

エピソードその③
台北にはコンビニがたくさん。セブンイレブンとファミリーマートは直ぐに見つけられます。
ここでも支払いはEasyPay。
エピソードその④
エスカレーターの乗り方は日本と同じ。右側に立ち、左側を歩いていく(名古屋とは逆だけど)。

台湾の記憶①

2024-01-04 17:27:37 | 旅行
撮影日:2023年10月18日

昨年の10月18日から21日までの4日間の日程で台湾に行ってきました。
前回は2018年1月でしたので、5年半ぶりになります。
前回はツアーでの行動でしたので、効率的に回れる半面、自由が利かないため、色々期待していたことができなく、いつかリベンジをと誓っていたことがようやく実現しました。
なので今回はエアーチケットやホテルの手配から現地の移動など完全フリーで行動しました。
いくつか戸惑うこともありましたが、概ね計画していたことをクリアすることができました。
たくさん写真を撮りましたので、今回から日ごとに4回に分けて、旅の思い出としてここに残したいと思います。

1)迪化街
空港からホテルへはMRTを使って移動します。
少しチェックインには早かったので荷物を預けて市内観光に出発です。
最初に行ったのは迪化街(てきかがい、ディーホアジエ)です。


2)MRT北駅から入りました。
迪化街は19世紀中頃の清朝末期、貿易や船荷を扱う商店が街を形成し始め、20世紀初頭の日本統治時代に台湾全土から乾物、漢方薬、お茶、布などを扱う商店が集結し、台湾の主要な商業エリアとなり、今も台湾一の漢方、乾物、布問屋街としてにぎわっています。


3)旧正月前ともなると台北中から買い物客が訪れるそうです。


4)干し貝柱が並んでいますが、瓶には北海道や青森の文字が見えます。
昨年8月に福島原発がALPS処理水を海洋放出したことに反発した中国がホタテの輸入を停止したことと関係があるのでしょうか。
それとも以前より輸入されていたのでしょうか。


5)交差する路地も南国を感じさせてくれます。


6)同じく路地です。


7)一つ一つ特徴ある古い建物が続いています。
庇に店名と番地なのか電話番号なのか示されています。


8)店の看板も発音はできませんが、漢字表記なので親近感を覚えます。
また時々日本語もありました。


9)迪化街を引き返さず北の端まで進み、MRT大橋頭駅に向かうべく通った涼州街の歩道のタイル。
パターンが特別感を出しています。

タイトル画像はあるカフェの様子です。
外の喧騒とは真逆な静かな時間が流れていました。

10)大稲埕慈聖宮天上聖母(道教寺院)


11)

MRTを乗り継いで士林夜市に向かいます。

12)MRT剣潭駅でのスナップ
まるで広告から飛び出てきたようでした。


13)苺とミニトマトを飴でくるんだスナック


14)少し時間が早かったせいか人通りは想像よりは少なかったように思います。
もう少しゆっくりしたかったのですが、腰を下ろすところが見つからず、一回りしてホテルに戻りました。


15)士林慈誠宮
中に入ればたくさんの提灯が見られたのかもしれません。

旅行中のエピソードその①
MRTのチケット売り場でEasyPayカードにチャージする方法がわからずにいたら、丁寧に教えてもらいました。
エピソードその②
MRTの乗り換えのために路線図を見ていたら、なんとホームまで案内してもらいました。
会話はスマホの翻訳機能を使ってです。
台湾の人は親切です。

年が明けて早々に能登地方で大地震が発生し大きな被害が出ています。
名古屋でも震度4でしたし、かなり長い時間揺れていました。
現地の揺れはとうてい想像できるものではなかったと思います。
少しでも早く余震が収まり、復興されることを祈っています。

謹賀新年

2024-01-01 00:00:00 | 旅行
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年は辰年ですね。
なので、昨年10月18日から21日まで3泊4日の日程で台湾に旅行した中から辰(龍)に関係した写真を投稿します。
中国では龍は帝の象徴ですからね。
先ずタイトル画像にしたのは、清の乾隆帝時代の花生けです。
故宮博物院には数え切れないほどの名品が収蔵されています。
色々な意味で二度と作れないものばかりと言っても過言ではないくらい素晴らしい逸品揃いです。

1)清の光緒帝時代(1874-1908)の花瓶
鱗や雲の立体感は途方もない時間がかかっているであろうと推察します。


2)明の永楽から宣徳時代(1403-1435)の青花雲龍紋天球瓶


3)清の乾隆帝時代(1736-1795)の帽子掛け(冠架)
透かしの複雑さ。


4)龍山寺
台北で最も歴史のあるお寺
多くの参拝者が熱心にお経を唱えていました。

その他の台湾で撮ってきた写真は何回かに分けて投稿したいと思います。

今年もいろいろな場所に行ってたくさん写真が撮れるといいなと思っています。