昭和は遠くなりにけり

プログはいくつも作ってるのです。だけど本音愚痴を書くプログが欲しかった。

十字軍以前のユダヤ人

2019-12-21 16:37:17 | ユダヤ民族

ユダヤ人のローマ定住はBC2世紀。BC1世紀にはイタリア全土に5万人のユダヤ人が住み着いてたという。ローマだけで12のシナゴーグがあった。

イベリア半島へのユダヤ人の定住はソロモン王時代にさかのぼる。

8世紀から11世紀後半までの間は西方ユダヤ人共同体は平和と繁栄の時代だった。

カール大帝以後中央ヨーロッパでは寛容の時代だった。ユダヤ人が産業交易の発展に貢献したから。ヨーロッパのユダヤ人はイスラム世界を自由に動き回ることができ近東からの毛皮綿織物貿易、中国からの香辛料貿易はユダヤ人の手に握られていた。マルセイユから北海バルト海イギリスまで大交易路を支配していた。

ルートヴィッヒ一世はユダヤ人を庇護し北フランスとラインラントのタルムード学院でユダヤ人の知的生活は開花した。

フランスのユダヤ人はイギリスにも住み着く。



アイバンホーの話には1066年ころのイギリスのユダヤ村が出てきます。



ドイツにもポーランドにも紀元前頃から住み着いてたが

5世紀ころはケルン、その後モラビア、オーストリアボヘミアに住み定住地の中心はプラハ市だった。





十字軍開始によってユダヤ村の繁栄は終わりユダヤ人への敵意が始まる。

↓紀元前からギリシャに住んでたロマニオットユダヤ人







十字軍がイスラム軍の前線に突破口を開き東方交易路はジェノバとベネチアの富裕な商人に独占されユダヤ人は国際貿易から締め出された。

中央ヨーロッパではユダヤ人の活路は金貸し業だけに限定された。

君主たちにとってユダヤ人を金貸し業に従事させることは格別に利益が大きかった。



ユダヤ人は国庫に納入する普通税と特別税のほかに。金融活動に課せられる高額の税金を支払わされた。戦争や大建築物に融資する裕福なユダヤ人は君主や教会にとって不可欠な動産だった。



南欧では金貸し業が一般的でなくユダヤ人は医者、繊維業、染色、皮なめしなど伝統的な仕事についていた。

第一次十字軍以後ピレネー山脈以北のユダヤ人の暮らしは厳しくなりラビ学院も衰退した。

ポーランドは12世紀にユダヤ人を受け入れ始めその後の数世紀移民の数は増大した。
相次いで流入する移民によってドイツ系ユダヤ人の数は元元居たユダヤ人の数を上回りイデッシュ語がポーランドすべてのユダヤ人の共通語となった。
ポーランドユダヤ人は西ヨーロッパのように金貸し業や非戦極まる商売だけに限定されずにさまざまな 職業に従事した。金銀細工師紡績業鍛冶屋宿屋、収税業務。国王の領地管理岩塩、材木商、農産物輸出商などした。
クラクフ、ルブリンで高等ラビ学院が急激に増加する。
独、伊、モラビア、シレジアから沢山の学生が集まってきた。
16世紀の初めにはポーランドはユダヤ研究の世界最大の中心地となりシュロモ・ルリヤとか偉大なラビを輩出した。



さまよえるユダヤ人

最新の画像もっと見る

コメントを投稿