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わたし、教育ママ in Sapporo

自称○○ほど怪しいものはない。札幌在住、自称教育ママが綴る教育の真髄とは!

試験監督のお手伝い

2015-03-07 | 受験
私は大学入試の試験監督の手伝いをしたことがあります。

特にすごかったのが、某大学の医学部。一クラスに50人ほどの受験生が入るのですが、受験倍率は49倍。なんと、この教室の中で合格するのって一人だけという計算になります…。

試験監督補佐をしながら、しみじみと50人の人生について考えてしまいました。

これは医学部ではなかったと思うのですが、小論文がある学部の試験でのことです。試験が終わったのち、小論文の答案をなんと試験に関わった教授、助教授、講師などにふりわけているではありませんか!
「先生方、採点お願いします」

(えっ、先生方が採点していたの!)

衝撃でしたよ~。あの方々が採点しているなんて、とても信じられませんでした。でも、考えたら、そうですよね。ほかにだれが採点するというのでしょう。

あの個性のお強い大学の先生方が大学入試の小論文を採点していたと知り、予備校の小論文対策に大学院卒の人を起用している理由がよ~くわかりました。

夏期講習か冬期講習か何だったか忘れましたが、私は予備校で小論文の講座をとっていたことがありました。フランス文学を専攻していた大学院卒の先生の講座でしたが、大まかでもいいから人を惹きつける文章であることを評価する先生だったので、とても面白く文章を書くことができました。


大学受験

2015-03-07 | 受験
次に待っていたのは、大学受験…。私立か公立かという分かれ道で差が出るのは、大学に現役で入れるか、浪人するかというところでした。

当時から難関私立では、高校生までに教育課程を終わらせ、最後の一年間は受験勉強ということになっていました。それに比して、公立はというと、英語の授業数は多くはないし、当然、教育課程は高校3年生に終わる仕組みで授業は組まれるし、その中で私立の生徒と肩を並べて、現役合格を勝ち取るというのは、やはり大変に思われました。

しかし、そんな中、クラスメートのI君は東大にひょいっと入ってしまいました。中学から私立に行き、私立中の中でほぼトップを走り続けた小学校の友人と同じ学部でした。I君にはちょっとした秘密があり、お父様が塾の先生でした。

高校入学時も一番、そして一年海外留学をして、卒業時には東大にしっかり合格していた同級生は、お父様が国家公務員の叩き上げだそうです。その話を聞き、お父様の悔しさを背負っているような印象を受けました。

私から見てももうすでに十分優秀な人でしたが、「東大にはものすごいのがいるよ。勉強しなくてもできるって奴が」と同窓会で言っていました。きっとそういうモンスターのような頭脳の持ち主は私立にいるのでしょうね。

さて、私も大学受験をしました。第一志望は20倍位だったでしょうか。もう何が何だかわからないまま受験していたような気がします。

受験の前に予備校で模試などを受けますが、私がまだ全然問題を解き終えていないというのに、先に答案を出して退出する人がいました。あの人たちは、浪人生なのか?すでに受験勉強のみの体制に入っていた難関私立高校生なのか?いずれにせよ、私はうんうん唸りながら模試をやっていました。

そんな状態で迎えた受験ですが、これは時の運。中学の時には実力も運ももうどうにもなりませんでしたが、大学の時には運が向いてくれたようで、第一志望に合格。しかし、確実といわれた滑り止めは補欠、その中間のところもすべてダメというジェットコースターのような受験でした。

もう、受験はこりごりです。


高校受験

2015-03-02 | 受験
私は受験ばかりしています(;´・ω・)。中学受験でうまくいけば一回受験が減ったはずなのですが、何しろ、受験に失敗してしまったため、私は高校受験もしなければならなくなりました。

当時の神奈川県の公立高校受験のシステムは、2年の三学期のア・テストが25%、3年時の内申が50%、当日のテストが25%だったと記憶しています。ア・テストも内申も技術科目(音楽・美術・体育・技術家庭科)が含まれています。しかも、内申点の出し方は、勉強科目については×1.5なのに、技術科目は×2。そのせいか、学区トップ校には、その後、音大や体育大学へ行く、美術の道へ進むなど多彩な人々であふれていました。

また、本当によくできる人というのは、公立にいるとも言われていました。実際、うちの高校の実質お勉強分野ではトップと思われる人は、物理で学校で最高得点をとっていました。当然、理系かと思ったら、あっさり東大文Ⅰに進学しました。私なんて、理系科目ができないから、文系にいったのですが…。

内申を含めてトップという人は、スポーツの分野で全国へ行き、大学は六大学でしたが、その後、若くして司法試験(当時の合格率の低い司法試験です!)に合格していました。お金をかけず公立でもよくできるというお子さんは確かにいます。

そんな神奈川システムで高校受験をしたわたくしとしては、札幌のシステムにじつは全く違和感がありません。

自分としては、親の情報不足などが左右される中学受験よりも、高校受験の方がずっと自分の力で何とかなることが多く、しかも、技術科目まで評価して下さるなんて!技術科目って、今まで自分が生きてきて得たものが表現できる世界なので、そこを評価されたことは本当にうれしかったのを覚えています。

しかし、勉強一本で勝負してきた人にとっては、この公立システムは厳しいものだったに違いありません。中学で私立に抜けるお子さんというのは、勉強はできるけれど、技術科目が苦手というタイプが少なくありませんでした。

当時から塾に通っている人は多かったです。私は中学受験以来、塾には子どもながらに不信感を抱いており(勉強をわかりやすく教えてくれる場所とはとても思えなくなっていました)、中3まで頑固にも塾を拒絶していました。中3の時、ようやく両親の説得に応じ、入塾。そうしたら、学校のテストの点がこんなに簡単に取れるのかと驚きました。やはり、子どもが何とか知恵を絞ってテスト対策したつもりでも、プロの大人には叶わないなあと。

そんなわけで、例外もありますが、やはり塾に通うことはある程度必要でしたし、塾に行っていないのにできるという人は、親が塾の先生だったりしましたね。


ところで、私が私立中学を受験したころ、私立というのはミッション系が多く、土曜日はお休みでした。ゆとり教育前で、公立中学では土曜日も授業があったので、ああ、土曜日がお休みだなんて!とうらやましく思いました。


私立中学受験

2015-03-02 | 受験
私は子どもの頃、私立中学を受験しました。

6年になって塾に入って勉強しないと、私立中学受験は無理と担任の先生に言われ、親は慌てて入塾させ、5年生で学ぶべく勉強の内容の負債を抱えたまた、中学受験の勉強を始めました。

算数と理科は負債が大きすぎで、飽和状態。砂糖が融けずに、ビーカーの底に残っているというのに、どんどん砂糖を入れられ、底に砂糖がどんどんたまるという状況でした。

それなのに、塾や親は一生懸命溶かそうとかき混ぜるんですよ~。無理です。飽和状態なのですから。温度をあげるという方法~スーパー家庭教師を雇うとか?~であれば、多少は効果があったかもしれませんが。集団塾では無理でしたし、私の声なき悲鳴に誰も気づいてくれませんでした。

国語と社会で何とか挽回し、両親が許可する志望校(無謀にも地元で一番難しい学校でした(-_-;))に手が届くところまで偏差値をあげられたものの、それはあくまで6年の範囲のテストだからであって、5年の負債ものしかかる直前の模試や当日の受験では、残念なことに…。

一校しか受験させてもらえませんでしたから、地元公立中学へ通いました。金八先生のイメージのせいか、公立中学は何だか問題を多数抱えた灰色の世界に見え、あの管理主義的な教頭先生や冷たい数学教師のような人がいる場所なのかと、あまり希望を抱けずに進級をしました。

そうそう、中学受験など試験を受けた場合は進学、試験なしに普通に中学に行く場合は進級なんだそうです。というわけで私は進級したのでした。

いじめなどにあうこともなく、それなりに公立中学でも楽しく過ごし、公立高校へ進学したのですが、じつは中学受験の失敗を私は大人になってまで引っ張り続けていたんです。

何を引きずっていたかというと、負債を抱えた状態で受験をしたことです。わからないという状況が本当に辛かったのを覚えています。借金が雪だるま式に増えていくように、わからないの負債もどんどん増えていくんです~。

あの恐怖をじつは今でも忘れられません~。

札幌ではあまりメジャーではなかった中学受験ですが、開成中学の開校で人気が出てきました。合格することももちろん目的ですが、負債を抱えることなく、勉強を積み上げていくことも大事であると思います。

苦い経験から学んだ、唯一私が子どもにできるアドバイスは、「わからないところをそのままにしておくな!」ということでしょう。