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リートリンの覚書

日本書紀 巻第三 その八

十二月四日、
皇軍はついに
長髓彦(ながすねひこ)を攻撃しました。

しかし、
幾度戦っても勝利を得ることは出来ません。

時に忽然として天が陰り
氷雨が降りました。

そこに
金色の霊妙な鵄(とび)が飛翔してきて、
天皇の弓弭(ゆはず)に止まりました。

その鵄は光輝き、
まさに稲妻のようでした。

これにより長髓彦の軍兵は皆、
目が眩み、
行く先も分からず戸惑い、
戦闘不能となりました。

長髓とは元々邑の名前でした。
それでそこの首長の名前としました。

皇軍が鵄の瑞兆を得るにおよんで、
時の人は鵄邑と名づけました。
今、鳥見(とみ)というのは、
訛ったからです。

以前、孔舎衛(くさえ)の戦いで、
五瀬命が矢にあたり亡くなりました。

天皇はそのことをずっと忘れずにいて、
常に怒り恨んでいました。

今度の戦役になり、
心中(長髓彦を)殺そうと
思っておりました。

そこで歌で、

威勢のいい来目の伴が
垣のもとに(植えた)
粟の畑に韮(にら)が一本(生えている)
その根元とその芽を一まとめにして
(抜くように)撃たずにおくものか

もう一首の歌、

威勢のいい来目の伴が
垣の根に植えた山椒(さんしょう)
口がひりひりする
俺は忘れないぞ
撃たずにおくものか

そこで再び隊列を組み急ぎ攻め込みました。

色々な歌の全ては
皆、来目歌といいます。
これは歌者を指し当て名付けたのです。

この時、
長髓彦は使者を派遣して、
天皇にいいました。
「以前、天神の子が
天の磐船(いわふね)に乗り、
天から降りてこの地に留まりました。

名を
櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひ)
申します。

私の妹・三炊屋媛(みかしきや・またの名を長髓媛、またの名鳥見屋媛)と結婚し、

可美真手命(うましまで)という
子どもを生みました。

私は饒速日命を君とし仕えています。
そもそも天神の子に、
どうして二種類があるのでしょうか。

どうして更に天神の子と称し、
他人の地を奪おうとするのでしょうか。
私が心に推量すると、
本当とは信じられません」
といいました。

天皇は、
「天神の子は多くいる。
お前が君とするものが、
本当に天神の子なら、
必ずその徴(しるし)があるはずだ。
それを提示しなさい」
といいました。

長髓彦はすぐに、
饒速日命の天の羽羽矢一組と
歩靫(かちゆき)を提示しました。

天皇はそれを見て、
「嘘ではなかった」
といい、

(天皇は、)戻って身に着けていた
天の羽羽矢一組と歩靫を、
長髓彦にお見せになられました。

長髓彦はその天の徴を見て、
心中畏まりました。

しかし、
長髓彦は既に軍備を整え、
その勢力を途中で止めることができず、
迷走した謀を無きこととはできず、
意志を変えることはありませんでした。

饒速日命は、
天神の懇ろな配慮を受けられるのは、
天孫だけであることを知っていました。

そしてまた、
長髓彦は素より性質が反抗的で、
天神と人との違いを
教えたとしても
理解しそうにないことを見てとり、

それゆえに長髓彦を殺しました。
そしてその軍勢を率いて帰順しました。

天皇は初めから、
饒速日命が
天から降った者だと聞いていました。

今、果たして忠誠を示しました。
そこで彼を誉めて労わりました。
これが物部氏の遠祖です。


・鳥見(とみ)
奈良市鳥見

・歩靫(かちゆき)
徒歩で射る弓矢の入れ物




続く

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。



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