リートリンの覚書

古事記 上つ巻 現代語訳 五十一 国譲り 建御名方神


古事記 上つ巻 現代語訳 五十一


古事記 上つ巻

国譲り
建御名方神


書き下し文


 故尓して其の大国主神に問ひたまはく、「今汝が子、事代主神、如此白しつ。また白すべき子有りや」ととひたまふ。是にまた白さく、「また我が子、建御名方神有り。此を除きては無し」と如此白す間に、其の建御名方神、千引の石を手末にささげて来、「誰ぞ我が国に来て、忍び忍び如此物言ふ。然あらば力競べ為む。故、我先に其の御手を取らむ」といふ。故、其の御手を取らしむれば、即ち立氷に取り成し、また劔刃に取り成しつ。故尓して懼りて退き居り。尓して其の建御名方神の手を取らむと乞ひ帰して取れば、若葦を取るが如く、つかみ批ぎて、投げ離てば、逃げ去く。故、追ひ往きて、科野国の州羽の海に迫め到り、殺さむとする時に、建御名方神白さく、「恐し、我をな殺しそ。此の地を除きては、他し処に行かじ。また我が父、大国主神の命に違はじ。八重事代主神の言に違はじ。此の葦原中国は天つ神の御子の命の隨に献らむ」とまをす。


現代語訳


 故に、しかして、その大国主神(おおくにぬしのかみ)に、問いて、「今、汝が子、事代主神は、このように言っている。また、申す子は有るか」といいました。ここに、またもうして、「また我が子、建御名方神(たけみなかたのかみ)有り。これを除いては無し」とそのようにもうす間に、その建御名方神が、千引の石(ちびきのいわ)を手末(たなすえ)にささげて来て、「誰ぞ、我が国に来て、忍び忍び(しのびしのび)そのように物言うのは。然あらば、力競べをしよう。故に、我先に、その御手を取ろう」といいました。故に、その御手を取ったところ、即ち、立氷(たちひ)に取りかわり、また劔刃に取りかわりました。故に、しかして、懼(おそ)れて、退きました。しかして、その建御名方神の手を取ろうと乞い帰して取れば、若葦を取るが如く、つかみ押しつぶして、投げ離したところ、逃げ去りました。故に、追い往きて、科野国(しなぬのくに)の州羽海(すわのうみ)に迫め到り、殺そうとした時に、建御名方神がいうことには、「恐(かしこ)し、我を殺さないでください。この地を除いて、他の処に行きません。また我が父、大国主神の命に違(たが)いません。八重事代主神(ことしろぬしのかみ)の言に違いません。この葦原中国は、天つ神の御子の命の隨(まにま)に献(たてまつ)ります」といいました。



・千引の石(ちびきのいわ)
千人の人の力でようやく引けるような大きな岩
・手末(たなすえ)
手の先。指の先
・忍び忍び(しのびしのび)
人目を忍んで
・立氷(たちひ)
下から立った氷
・科野国(しなぬのくに)
のちに信濃国となる地域
・州羽海(すわのうみ)
長野県の諏訪湖
・隨(まにま)に
他の意思や事態の成り行きに従うさま


現代語訳(ゆる~っと訳)


 こういうわけで、
建御雷神は、大国主神に、

「今、お前の子、事代主神は、
このように言っている。
また、申す子はいるか」
といいました。

すると大国主神は、
「もう一人、私の子、
建御名方神がいます。
この他にはいません」
とそのように申している間に、

その建御名方神が、
千人の人の力でようやく引けるような
大きな岩を
手の先で持ち上げて来て、

「誰だ、我が国に来て、
人目を忍んで
こそこそと物言う奴は。

それならば、力競べをしよう。

まずは、俺が先に、その御手を取ろう」
といいました。

こういうわけで、
建御雷神の手を握りました。

すると、
建御雷神は、
建御名方神の腕を
一瞬のうちに氷柱に変え、

また、
剣刃に変えました。

こういうわけで、
建御名方神は恐れをなして、
後退りしました。

今度は、
建御雷神が
建御名方神の手を握ろうと願い出て、
手を取ると、

若葦を摘むように、
つかみつぶして、
投げ放ちました。

建御名方神は、
逃げ去りました。

こういうわけで、
建御雷神は、
建御名方神を追って行き、

信濃国の諏訪湖まで迫め込んで、
殺そうとした時、

建御名方神は、
「恐れ入りました。
私を殺さないでください。

この地以外、
他の場所には行きません。

また私の父、
大国主神の命令に背きません。

八重事代主神の言葉に背きません。

この葦原中国は、
天つ神の御子の仰せの通りに
献上いたします」
といいました。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。







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