goo blog サービス終了のお知らせ 

リートリンの覚書

天皇とは? 天皇の葬儀 大喪


天皇の葬儀 
大喪(たいそう)


昭和64年(1989)1月7日、
昭和天皇が崩御されました。

皇室典範には
「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」
とありますが、
葬式の詳細は定められていません。

昭和天皇の「大喪儀」は、
戦前の旧皇室服喪令(ふくもれい)
準ずる形で、
30近くの儀式が執り行われました。

特に、2月24日に行われた、
「大喪の礼」は、
実に13時間50分にもわたる
諸儀式が厳粛に進められました。


昭和天皇の大喪
2月24日

午前7時30分ごろ


・「斂葬(れんそう)当日殯宮(ひんきゅう)祭の儀」
御遺体が安置されていた
殯宮(宮殿・松の間)から
昭和天皇の棺が
一般の霊柩車にあたる
轜車(じしゃ)に乗せられました。

「轜車発引(はついん)の儀」


午前9時30分過ぎ


轜車が皇居を出発。
陸上自衛隊による
21発の弔砲が打ち鳴らされ、
葬場である新宿御苑にむかいました。


午前10時30分過ぎ


・「葬場殿の儀」
葬列が新宿御苑に到着すると、
「葬場殿の儀」が行われました。


午前11時過ぎ


天皇陛下が昭和天皇に
哀悼の意を捧げるおことば
「御誄(おんるい)を読み上げられました。


正午


・「大喪の礼」
国事行為として行われた「大喪の礼」は、
参列者全員の
黙禱(もくとう)から始められました。
三権の長が弔辞を述べ、拝礼しました。


午後1時すぎ


大喪の礼が終了すると
再び柩は轜車に乗せられ、
東京都八王子市の陵所(りょうしょ)
武蔵野陵(むさしののみささぎ)
へ向かいました。


午後3時~午後9時ごろまで


・「陵所の儀」
天皇皇后両陛下をはじめ皇族の方々は
午後3時過ぎから午後9時近くまで
「陵所の儀」をおこなわれました。


大喪に関する用語集


・崩御(ほうぎょ)
陛下の敬称を用いる方々、
つまり、天皇・皇后・太皇太后・皇太后が
逝去することをいいます。

・薨去(こうきょ)
天皇・皇后・太皇太后・皇太后以外の
皇族方が逝去することをいいます。

・大行(たいこう)天皇
天皇崩御から元号などがつけられた
「追号」が公示されるまでは、
大行天皇と呼ばれます。
「大行」とは、りっぱな行為、
大仕事という意味です。

・追号(ついごう)
諡(おくりな)ともいいます。
天皇・皇后・太皇太后・皇太后が
崩御した後におくられる呼び名です。
近代以降は、
天皇は元号が追号とされています。

・祗候(しこう)
一般でいう仮通夜のことをいいます。
昭和天皇の大喪のときには、
ご遺体がある皇居・吹上御所で行われ、
今上天皇をはじめ皇族や、
侍従、側近が夜を徹して、
交代でご遺体を見守りました。

・御舟入(おふねいり)
一般でいう納棺のことをいいます。

・殯宮(ひんきゅう)
一般の告別式にあたる
「斂葬(れんそう)の儀」が
執り行われるまでの間、
ご遺体を安置する仮の御殿のことをいいます。
昭和天皇のときは、
宮殿・松の間に造られました。
崩御後13日目に
「殯宮移御(いぎょ)の儀」が行われ、
それまで皇居・吹上御所内に
仮安置されていた柩が殯宮に移されました。
外陣と呼ばれる部屋と
内陣という小さな部屋がつくられ、
柩は内陣内の御座(ぎょざ・台)に
安置されました。

・斂葬(れんそう)
一般の告別式にあたる皇室の儀式。
「葬場殿(そうじょうでん)の儀」と
「陵所(りょうしょ)の儀」を指します。
国事行為である「大喪の礼」は含まれません。

・葱華輦(そうかれん)
屋根に葱(ねぎ)の花の形の飾りを冠した
輿のことをいいます。
大喪では、柩を移し安置します。
過去の大喪では、
八瀬童子(やせのどうじ)と呼ばれる
京都市八瀬地区の住民が
担ぎ役となっていました。
昭和天皇の大喪では、
皇宮(こうぐう)護衛官51人が
担ぎましたが、
八瀬の住民6人も
安置の際などを手伝いました。

出典:Wikipedia

・倚盧殿(いろでん)
天皇が喪中に籠る場所です。
天皇崩御の折、
新天皇はその山陵の側に
簡素な建物をつくり、
13か月間、籠ったという古例に由来します。
昭和天皇の大喪では崩御55日目に
上皇陛下が宮殿で
「倚盧殿の儀」に臨まれました。


感想

昭和天皇が亡くなられる前年。
陛下のお体の調子が
すぐれないとのことで、

社会全体が心配に心おちつかず、
暗い雰囲気に
包まれていたことを思い出します。

1月7日は、
崩御されたことを
テレビの速報で知りました。

ひとつの時代が終わったと寂しく思いました。

大喪の礼が行われた
平成元年、2月24日。

自分は、
何をしていただろう、
と思い出そうとしましたが…

失礼ながら
全く覚えていない。

その当時。
自分は、東京にある専門学校に入学し
その学校の寮に住んでいました。
寮では、テレビが1台のみ。

恐らくテレビを見ず、
部屋に引き篭もっていたのではないかと。

失礼極まりないですね。
すみません。

あの当時は、
偏向教育のせいか、
戦争は天皇が悪かったという
間違った考えを持っていました。

ですから、
大喪の礼を見なかったのだと思います。

今は、
歴史を勉強し直し、
昭和天皇が戦争に反対であったこと。
陛下が自らの命を引き換えにしても
国民を守ろうとしていたことを知りました。

また、
天皇陛下がどの様な
お仕事をなされているのか
正しく知ることで

自分が間違った考え方をしていたのだと
気づきました。

我ながら
アホだったと反省しています。

きちんと昭和天皇を
見送りして置けばよかったと後悔。

同じ誤ちが起こらないよう、
正しい教育をして欲しいものです。

さて、本日はこれで。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「皇室」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事