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リートリンの覚書

日本の神様83・武渟川別・丹波道主命


武渟川別
(たけぬなかわわけ)


四道将軍の一人

記紀等に伝わる古代日本の皇族。
父は孝元天皇の皇子の大彦命。
阿倍臣(阿倍氏)の祖。

・別名
武渟河別

建沼河別命
(たけぬなかわわけのみこと)


「日本書紀」では


日本書紀巻第五では、
このように登場しています。

”九月九日、大彦命(おおびこのみこと・孝元天皇皇子。開化天皇の兄)を北陸に派遣しました。武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海に派遣しました。吉備津彦を西道(山陽道)に派遣しました。丹波道主命(たにはのみちぬし)を丹波(山陰道)に派遣しました。”

四道将軍の一人です。
出雲振根討伐に派遣され、
出雲振根を誅殺しました。


そのほか


・伊佐須美神社(福島県)は、
北陸道を進んだ父・大彦命と
東海道を進んだ武渟川別とが
会津で行き会ったことに
由来するといわれています。


主な神社


伊佐須美神社(福島県)


丹波道主命
(たにはのみちぬしのみこと)


四道将軍の一人

・別名
丹波道主王

丹波比古多多須美知能宇斯王
(たんば(たには)ひこたたすみちのうしのみこ)


「日本書紀」では


日本書紀巻第五では、
このように登場しています。

”九月九日、大彦命(おおびこのみこと・孝元天皇皇子。開化天皇の兄)を北陸に派遣しました。武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海に派遣しました。吉備津彦を西道(山陽道)に派遣しました。丹波道主命(たにはのみちぬし)を丹波(山陰道)に派遣しました。”

日本書紀巻第五では、
名前のみの記載で詳しい活躍は
記されていません。

日本書紀巻第六では、
このように登場しています。
“道主王は、日本根子太日日天皇(開化)の子孫、彦坐王(ひこいます)の子です。一伝では、彦湯産隅王(ひこゆむすみ)の子であると伝えています”

垂仁天皇の条では、
崇神天皇の一番目の皇后・狭穂姫命が
亡くなり、娘、五女を後宮に入れました。

第一は日葉酢媛(ひはすひめ)、
第二は淳葉田瓊入媛(ぬはたにいりひめ)、
第三が真砥野媛(まとの)、
第四を薊瓊入媛(あざみにいり)、
第五は竹野媛(たかの)といいます。

垂仁天皇の二番目の皇后には、
姉、日葉酢媛。

妹の淳葉田瓊入媛、真砥野媛、薊瓊入媛は
妃となりました。


そのほか


・神谷太刀宮神社(式内社)では、
丹波道主命が祭神として祀られており、
丹波道主命が身につけていた
宝剣「国見の剣」を
祀ったと伝えられています。


主な神社


神谷太刀宮神社・式内社(京都府)


感想

勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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