リートリンの覚書

麁服と繒服 6 絹王女の伝説 絹の歴史・ヨーロッパ編


絹王女の伝説    


蚕が外国に伝わった最初の記録は

唐の時代、

玄裝法師の「大唐西域記」の

瞿薩旦那国(クスタナ)巻第八に

次のようなお話が記されています。


その昔、

クスタナの国では
桑や蚕を知りませんでした。

クスタナの王は、
東方の国(中国)に蚕桑があることを聞き、
使いを遣わせてそれを求めさせました。

しかし、
東国の君主は蚕種を秘密にしており
厳しく管理し、
国外に出さないように命令していました。

そこでクスタナ王は、
低姿勢で東国に婚姻を求めました。

中国の王は遠くの国を
懐柔しようと思っていたので、
その請いを許しました。

そこで、
クスタナ王は婚約者に使いを出し、
「私の国には絹糸や桑蚕の種がありません。自ら持って来て衣服を作るようにしてください」と伝えました。

そこで王女は、
ひそかに桑と蚕の種を求め、
これを自らの帽子の綿の中に隠し入れました。

嫁入りの際、
関所につくと、
検査をされましたが、
王女の帽子は調べられませんでした。

こうして王女はクスタナ国に入り、
まず、麻射僧伽藍の地に止まり、
儀礼の準備を整え奉迎されて
王宮に入りました。

蚕桑の種は麻射僧伽藍の地に留め、
春がくるとその桑を植え、
蚕月(陰暦四月)になると
葉をとって蚕を養った―

とあります。

※クスタナ国は、
現在の新疆辺りにありました。


絹とヨーロッパ


シルクをつくり出す養蚕技術は
中国で生まれました。

しかし、
中国では蚕桑を秘密にしていました。
そのせいでしょう。

紀元前一世紀ころ、
ローマのプリニウスに二世の書いた
『博物全書』のなかに、

「絹糸は、とうもろこしの房のように林間の木の葉から生ずる」
と書かれています。

また、
詩人ヴェルギリウス(紀元前70~19年)

「セレス(絹糸)は繊細な羊毛を森の葉から梳き出す」
と歌っています。

ヨーロッパでは長い間、
絹は植物から作られると
認識されていたようです。

ようやく2世紀のパウサニアスが
蚕からとれると論じましたが、

この説は反論され、
絹は木の皮から取られるものと
長い間考えられていました。

伝説によりますと、
6世紀になってインドから蚕種が入り、

ローマ帝国の首都
コンスタンチノープルにもたらされたのが、

ヨーロッパに
蚕種が入った始まりとされています。

養蚕がヨーロッパで普及したのは
8世紀のアラビア帝国時代で、
東はペルシア、コーカサスから、
西はスペインまで
広く行われるようになっていきました。

その後中世ヨーロッパで養蚕は発達し、
19世紀の中ころには
イタリア、フランスを中心に
最盛期を迎えるにいたったのです。

19世紀後半、
ドイツの地理学者
フリードリッヒ・フォン・リヒトホーフェン
は、

シルクと養蚕技術が長い時間と多くの人々の手を経て伝わった道、
すなわち中国から中央アジアを経て
ヨーロッパに向かう交通路のことを
「ザイデン・シュトラーセン」
とよびました。

これが英訳され、
シルクロードとよばれるようになりました。


感想

玄裝法師の「大唐西域記」
読んだことがありませんでしたが、
クスタナ国のお話は、
面白いですね。

クスタナ国王は、
中々の策士ですね😏

また、
帽子のわたに蚕と桑の種を仕込むとは、
唐の姫君もナイスなお仕事。

危ない橋を渡ってでも、
絹の服を着たいという姫君。

絹が、
大切な物であったことが
よくわかりました。

また、
このお話から読み取れることは、

唐の国では、
養蚕技術を秘密にしていた事ですね。

国の主要産業ですから、
そのことはよくわかります。

所謂、企業秘密ですね。

ですから、
ヨーロッパでは長い間
絹の原材料は
植物であると思われていた。

つまり、
中国では、
唐以前の国も同じように
秘密にしてきた、
可能性があるということですね。

やっと
8世紀になって
初めて絹がヨーロッパに入ってきた。

しかし、
桑の木はヨーロッパで
自生しているにも関わらず、
8世紀まで蚕がいなかったのが、
驚きだし。

それ以上に、
8世紀まで、
中国が蚕の秘密を守っていたのが
これまた、驚きです。

さて、
19世紀になると、
ヨーロッパでは、
全盛期になりました。

って、
ヨーロッパでは、
絹を沢山使ったドレスを
着ていたイメージがあり、

チョー昔から
絹があったイメージがありましたが…
全盛期が19世紀とは意外でした。

さて、今日はこれで。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


参考にさせていただいた本

・シルクのはなし 
小林勝利 鳥山國士

・絹の文化誌 
篠原昭 嶋崎昭典 白倫 編著

・皇后さまとご養蚕 
扶桑社

・麁服(あらたえ)と繪服(にぎたえ)
天皇即位の秘儀 践祚大嘗祭と二つの布
(著)中谷 比佐子・安間 信裕 監修 門家 茂樹


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