古事記 上つ巻 現代語訳 十五
古事記 上つ巻
伊邪那岐神
禊(身につけたものより出現した神)
読み下し文
(禊)是を以ち伊邪那岐大神詔りたまはく、「吾は伊那志許米志許米岐穢き国に到りて在りけり。故、吾は御身の禊為む」とのりたまひて、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到り坐して、禊ぎ祓ひたまふ。故投げ棄つる御杖に成れる神の名は、衝立船戸神。次に投げ棄つる御帯に成れる神の名は、道之長乳歯神。次に投げ棄つる御嚢に成れる神の名は、時量師神。次に投げ棄つる御衣に成れる神の名は、和豆良比能宇斯能神。次に投げ棄つる御褌に成れる神の名は、道俣神。次に投げ棄つる御冠に成れる神の名は、飽咋之宇斯能神。次に投げ棄つる左の御手の手纏に成れる神の名は、奥疎神。次に奥津那芸左毘古神。次に奥津甲斐弁羅神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成れる神の名は、辺疎神。次に辺津那芸左毘古神。次に辺津甲斐弁羅神。右の件の船戸神以下、辺津甲斐弁羅神より以前、十二神は、身に著ける物を脱ぎたまひしに因り、生せる神なり。
現代語訳
禊
(身につけたものより出現した神)
こういうわけで、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)は、「私は、伊那志許米志許米岐(いなしこめしこめき)穢(きたな)き国に到ってしまったのだろう。故に、私は御身の禊をしよう」と仰られ、
竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐原(あはきはら)に到りまして、禊祓(みそぎはらひ)をなされました。
故に、投げ棄てた御杖(みつえ)に成れる神の名は、衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)。
次に投げ棄てた御帯(みおび)に成れる神の名は、道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)。
次に投げ棄てた御嚢(みふくろ)に成れる神の名は、時量師神(ときはからしのかみ)。
次に投げ棄てた御衣(みけし)に成れる神の名は、和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)。
次に投げ棄てた御褌(みはかま)に成れる神の名は、道俣神(ちまたのかみ)。
次に投げ棄てた御冠(みかがふり)に成れる神の名は、飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)。
次に投げ棄てた左の御手(みて)の手纏(たまき)に成れる神の名は、奥疎神(おきざかるのかみ)。次に奥津那芸左毘古神(おきつなぎさびこのかみ)。次に奥津甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ)。
次に投げ棄てた右の御手の手纏に成れる神の名は、辺疎神(へざかるのかみ)。次に辺津那芸左毘古神(へつなぎさびこのかみ)。次に辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)。
以上の船戸神以下、辺津甲斐弁羅神より以前の、十二神は、身に着けた物をお脱ぎなられたことにより、生まれた神です。
・伊那志許米志許米岐(いなしこめしこめき)
非常に醜悪である。ひどく汚れている
・手纏(たまき)
上代の装身具のこと
・阿波岐原(あはきはら)
宮崎県宮崎市阿波岐原町の「一ツ葉浜」に比定する説があり
・禊祓(みそぎはらえ)
禊(みそぎ)と祓(はらえ)を合わせた用語。禊とは身体についた罪・穢 (けがれ) を水で払い除くこと
現代語訳(ゆる~っと)
禊
(身につけたものより出現した神)
こういうわけで、伊邪那岐大神は、
「私は、いやというほどの非常に醜悪な、汚い国に行ってしまった。
であるから、私は身体の禊をしよう」
と仰られ、
筑紫の日向の橘小門の阿波岐原に行き、身体についた穢 (けがれ) を水で払い除くことにしました。
こういうわけで、
投げ棄てた杖から出現した神の名は、
次に投げ棄てた帯から出現した神の名は、
次に投げ棄てた袋から出現した神の名は、
時量師神。
次に投げ棄てた衣から出現した神の名は、
次に投げ棄てた袴から出現した神の名は、
道俣神。
次に投げ棄てた冠から出現した神の名は、
以上の船戸神から辺津甲斐弁羅神にいたるまでの、十二神は、身に着けた物を脱ぎ棄てたことにより、生まれた神です。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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