古事記 上つ巻 現代語訳 四十一
古事記 上つ巻
小名毗古那神との国作り
書き下し文
故大国主神、出雲の御大の御前に坐す時に、波の穂より、天の羅摩の船に乗りて、鷦の皮を内剥に剥ぎ衣服に為て、帰り来る神有り。尓して其の名を問はせども答へず、また従へる諸神たちに問はせども、皆知らずと白す。尓して多邇具久白して言さく、「此は久延毘古かならず知りてあらむ」とまをす。久延毘古を召して問ひたまふ時に答へ曰さく、「此は神産巣日神の御子小名毗古那神なり」とまをす。故尓して神産巣日神に白し上げしかば、答へ告りたまはく、「此は実に我が子なり。子の中に、我が手俣より久岐斯子なり。故汝葦原色許男命と兄弟と為りて、其の国を作り堅めよ」とのりたまふ。故、尓より、大穴牟遅と小名毗古那神と二柱の神相並び、此の国を作り堅めたまふ。然ありて後は、其の小名毗古那神は、常世国に度ります。故其の小名毗古那神を顕し白しし、謂はゆる久延毗古は、今には山田の曽富騰ぞ。此の神は、足は行かねども、尽く天の下の事を知れる神なり。
現代語訳
故に、大国主神(おおくにぬし)が、出雲の御大之御前(みほのみさき)に坐す時に、波の穂(なみのほ)より、天之羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って、鷦(さざき)の皮を内剥に剥いで衣服にして、帰り来る神が有りました。しかして、その名を問いましたが答えず、また、従える諸神たちに問いましたが、皆、知らないと言いました。しかして、多邇具久(たにぐく)が申していうには、「これは、久延毘古(くえびこ)なら、かならず知っているでしょう」といいました。久延毘古を召して問いた時に、答えていうことには、「これは、神産巣日神(かみむすひのかみ)の御子・小名毗古那神(すくなびこなのかみ)です」といいました。故に、しかして神産巣日神に申し上げたところ、答え述べられて、「これは、実に我が子だ。子の中に、我が手俣(たなまた)より久岐斯(くきし)子だ。故に、汝、葦原色許男命(あしはらしこをのみこと)と兄弟となって、その国を作り堅めよ」とおっしゃられました。故に、それより、大穴牟遅(おほあなむぢ)と小名毗古那神と二柱の神は、相並んで、この国を作り堅めました。然ありて後は、その小名毗古那神は、常世国に度ります。故に、その小名毗古那神を顕しもうした、いわゆる久延毗古は、今には山田の曽富騰(そほど)です。この神は、足はあるきませんが、尽く天の下の事を知っている神です。
・御大之御前(みほのみさき)
美保の岬・島根県松江市美保関町の岬
・波の穂(なみのほ)
波の高く立った所。波のいただき。なみがしら。波の穂。波のすえ。なみほほ
・天之羅摩船(あめのかがみのふね)
ががいもの実を割って作った舟。ガガイモは長く伸びる多年生のつる草
・鷦(さざき)
ミソサザイ科の小鳥
・多邇具久(たにぐく)
ニホンヒキガエル
・久延毘古(くえびこ)
かかし
・手俣(たなまた)
手の指の間
・久岐斯(くきし)
もれ出る
・葦原色許男命(あしはらしこをのみこと)
大国主神の別名
現代語訳(ゆる~と訳)
その大国主神が、
出雲の美保岬にいらっしゃった時に、
波の高く立った所より、
ガガイモの実を割って作った舟、
天の羅摩船に乗って、
小鳥の羽毛を剥ぎ取って衣服にして、
近寄ってくる神がいました。
そこで、
その名を問いましたが答えませんでした。
また、
従える諸神たちにたずねましたが、皆、
「知らない」
と言いました。
そこに、
ニホンヒキガエルがいうには、
「これは、カカシの久延毘古なら、
きっと知っているでしょう」
といいました。
久延毘古を呼んで、
問いになった時に、
久延毘古が答えていうことには、
「これは、
神産巣日神の御子・小名毗古那神です」
といいました。
こういうわけで、
大国主神は神産巣日神に申し上げたところ、
答え述べられて、
「これは、実に我が子です。
子の中に、
私の手の指の間から、
もれ落ちた子です。
だから、お前は、葦原色許男命
と兄弟となって、
その国を作り堅めなさい」
とおっしゃられました。
こういうわけで、
それより、
大穴牟遅と小名毗古那神と二柱の神は、
協力して、
この国を作り堅めました。
こういうことがあって後、
その小名毗古那神は、
常世国に渡りました。
こういうわけで、
その小名毗古那神の名を明らかにした、
久延毗古は、
現在、
山田の曽富騰(そほど)のことです。
この神は、
歩くことが出来ませんが、
あまねく天の下の事を知っている神です。
続きます。
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ありがとうございました。