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リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 五十五 ・新羅、使者を遣わす ・新羅の使者、日本の扱いに忿恨する ・河内馬飼首押勝の欺き



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 五十五

・新羅、使者を遣わす
・新羅の使者、日本の扱いに忿恨する
・河内馬飼首押勝の欺き



二十二年、
新羅は、
久礼叱及伐干(くれしきゅうばつかん)を
遣わし、

調賦(みつき)を貢ぎました。

司賓(まらうとのつかさ)の
もてなしの饗の礼の数が、
常より減っていました。

及伐干は、
忿恨(ふんこん)し帰国しました。

この歳、
また奴氐大舍(ぬてださ)を遣わして、
前の調賦を献じました。

難波大郡(おおこおり)で、
諸蕃を次序(じじょ)したとき、

掌客(しょうきゃく)の
額田部連(ぬかたべのむらじ)
葛城直(かつらぎのあたい)等は、

百済の下の列に引き導きました。

大舍(ださ)は怒って還りました。

館舍(むろつみ)に入らず、
船に乗って、
穴門(あなと)に帰り至りました。

ここにおいて、
穴門館を修繕しました。

大舍は問うて、
「誰の客のために造るのか」
といいました。

工匠の
河内馬飼首押勝
(こうちのうまかいのおびとおしかつ)
あざむきいつわりて、
「西方の礼の無しを問う、
遣わされた使者の停泊する処です」
といいました。

大舍は、
国に還って、
その言ったことを告げました。

故に新羅は、
城(さし)を
阿羅波斯山(あらはしむれ)に築いて、
日本に備えました。



・司賓(まらうとのつかさ)
接待役
・忿恨(ふんこん)
いきどおり、うらむこと
・大郡(おおこおり)
外交庁舎
・次序(じじょ)
順序をつけること。順序。次第
・掌客(しょうきゃく)
奈良・平安時代、外国使節の接待にあたった臨時の職
・穴門(あなと)
長門、下関市



(感想)

欽明天皇22年、
新羅は久礼叱及伐干を派遣し、 

調賦(みつき)を献上しました。

接待役のもてなしの饗の礼の数が、
常より減っていました。

及伐干は、
憤り、恨み、帰国しました。


新羅は、
前回の朝貢で、
十七位階の第十一の役人、
弥至己知奈未を派遣しました。

日本は、
もてなしの礼をいつもより多く与えました。

そこで喜んだ弥至己知奈未は、

日本へ派遣する者は、
私のような下級役人ではなく
良家の子を使者にするべきです。

と意見しました。

そして今回、
派遣されたのは、
久礼叱及伐干。

彼は、
十七位階の第九。

前回の使者より位階が上です。

しかし、
日本はもてなしの礼を減らしました。

それは、何故?

疑問に思いましたが、
本文に理由は、
記述されていません。

この歳、
また奴氐大舍を派遣して、

前回の調賦を献上しました。

難波大郡で、
諸々の客人を順序をづける際、

外国使節の接待にあたった、
額田部連、葛城直らは、

奴氐大舍を百済の下の列にひきいて
導きました。

前回の使者は、
仕事を途中で放棄して
帰ってしまいました。

そこで新羅は、
別の使者・奴氐大舍を派遣しました。

奴氐大舍は、
十七位階の第十二です。

また、下級役人を送り込んだ新羅。

外国使節の接待にあたった、
額田部連、葛城直らは、

奴氐大舍を
百済の下の列に案内しました。

何故?

理由は、
また、記述されていません。

詳しく書いて欲しい。

まぁ、
経緯を見ると、

任務を途中で放棄した奴らですから、
態度悪かったんじゃね?

と、私は思いました。

大舍は怒って、
還りました。

館舍(むろつみ)には入らず、
そのまま船に乗って、
穴門(あなと)に帰り着きました。

ここにおいて、
日本は穴門館を修繕していました。

大舍は問うて、
「どの客のために造っているのか?」
といいました。

工匠の河内馬飼首押勝が欺き偽って、
「西方の礼無を問うために、
派遣された使者の停泊する処です」
といいました。

大舍は、
国に還って、
その押勝の言ったことを告げました。

故に新羅は、
城(さし)を阿羅の波斯山に築いて、
日本に備えました。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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