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リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 四十五 ・磐金、倉下ら帰国する



日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 四十五

・磐金、倉下ら帰国する



冬十一月、
磐金(いわかね)、
倉下(くらじ)等が
新羅から至りました。

時に、
大臣はその状を問いました。

答えて、
「新羅は、
命を奉じて、
驚懼(きょうく)しました。

すなわち、
並びに専使(とうめづかい)を差しむけて、

よってもって、
両国の調(みつき)を
貢ぎしようとしていました。

然るに、
船師(ふないくさ)が至り、
朝貢の使人は更に還ってしまいました。

しかし、
調はなおも貢上(こうじょう)しました」
といいました。

ここに大臣は、
「悔しいなあ、
早まって師(いくさ)を遣わしてしまった」
といいました。

時の人は、
「この軍事は、
境部臣(さかいべのおみ)、
阿曇連(あずみのむらじ)が先立ち、

新羅の幣物(へいもつ)を
多く得たいがために。

また、
大臣に勧めた。

ここをもって、
使を旨をきくのを待たずに、
早まって征伐したのだ」
といいました。

初めて、
磐金等が、
新羅に渡った日に、
津(つ)につくころ、

壮船(かざりふね)が一艘、
海の浦で出迎えました。

磐金が問いかけ、
「この船は
どの国の迎船(むかえふね)か」
といいました。

答えて、
「新羅の船です」
といいました。

磐金はまた、
「どうして任那の迎船がこないのだ」
といいました。

そくざに、
更に任那のために一船を加えました。

新羅が迎船を二艘とするのは、
この時に始まったのです。

春から秋に至るまで、
霖雨(ながあめ)で大水となり、
五穀は実りませんでした。



・驚懼(きょうく)
おどろきおそれること。 また、驚いたり恐れたりすること
・専使(とうめづかい)
=せんし・臨時の任務のために特に派遣する使者。特使。
・師(いくさ)
軍隊
・幣物(へいもつ)
贈り物
・津(つ)



(感想)

前回のお話



(推古天皇31年)

冬11月、
磐金、倉下らが新羅から帰国しました。

時に、
大臣はその新羅の状況を問いました。

答えて、
「新羅は、
天皇の命を奉じて、
おどろきおそれました。

すなわち、
任那と並びに専用の使者を差しむけて、

よって、
両国の調(みつき)を
献上しようとしていました。

しかし、
水軍が到着し、

朝貢の使者は国に還ってしまいました。

しかし、
調はそれでもなお
貢上(こうじょう)しました」
といいました。

ここに大臣は、
「悔しいなあ、
早まって軍隊を遣わしてしまった」
といいました。

時の人は、
「この軍事は、
境部臣、阿曇連が先立ち、

新羅から贈り物を多く得たいがために、

また、
大臣に勧めた。

よって、
使者の主旨を聞くのを待たずに、
早まって征伐したのだ」
といいました。

どうやら、
多くの利益を得たいと思った輩が、
先走り

使者の報告を待たずに
軍隊を差し向けたようです。

しかし、
先走らず新羅との約束通りにしたとしても、

果たして、
いい結果になっていたかは、

過去の新羅とのやり取りを思い出すと

かなりの疑問です。

初めて、
磐金らが、
新羅に渡った日に、

新羅の港につくころ、
飾り船が一艘、
海の入江で出迎えました。

磐金が問いかけ、
「この船はどの国の迎え船か」
といいました。

答えて、
「新羅の船です」
といいました。

磐金はまた、
「どうして任那の迎え船がこないのだ」
といいました。

そくざに、
更に任那のために一船を加えました。

新羅が迎船を二艘とするのは、
この時に始まったのです。

春から秋に至るまで、
雨が降り続け大水となり、
五穀は実りませんでした。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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