リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十一 ・日蝕 ・陵戸についての詔 ・禁漁区の設置 ・新益京での鎮祭



日本書紀 巻第三十 
高天原廣野姫天皇 三十一

・日蝕
・陵戸についての詔
・禁漁区の設置
・新益京での鎮祭



冬十月一日、
日蝕がありました。

八日、
詔して、
「凡そ、先皇の陵戸(りょうこ)は、
五戸以上置くように。

それ以外の王等で、
功のあった者は、
三戸、置くように。

もし陵戸が不足なら、
百姓を充て、
その徭役(ようえき)を免すように。
三年に一回、替るように」
といいました。

十三日、
畿內、及び諸国に、
長生地(ちょうせいち)を、
各々一千步、置きました。

この日、
天皇は吉野宮に幸しました。

二十日、
天皇は吉野から帰りました。

二十七日、
使者を遣わして、
新益京(あらましのみやこ)で
鎮祭(ちんさい)をしました。



・陵戸(りょうこ)
律令制下の賎民の一。天皇・皇族の陵墓を守ることを世襲的な任とした
・徭役(ようえき)
古代の律令制において,成年男子に課せられた強制労働
・長生地(ちょうせいち)
鳥獣などの殺生を禁止した地域
・新益京(あらましのみやこ、あらましきょう、しんやくのみやこ、しんやくきょう)
694年(持統8)から710年(和銅3)までおかれた,日本古代で中国的な条坊制を採用したことの明らかな最初の本格的な都城。藤原京のこと
・鎮祭(ちんさい)
諸神をまつり、その土地をしずめ固めるための祭儀。また、それを行なうこと



(感想)

(持統天皇5年)

冬10月1日、
日蝕がありました。

8日、
詔して、
「およそ、
先皇の陵を守る戸は、
5戸以上置くように。

それ以外の王たちで、
功績のあった者の陵は、
3戸、置くように。

もし陵戸が不足なら、
百姓を充てて、
その徭役を免除するように。

3年に1回、
交替させるように」
といいました。

13日、
畿内、および諸国に、
殺生を禁止した地域を、
各々1000步、置きました。

・一歩は、五尺四方、一坪弱

この日、
天皇は吉野宮に行幸しました。

20日、
天皇は吉野から帰りました。

27日、
使者を派遣して、
新益京で、
その土地を鎮め固めるための祭儀を
行いました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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