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リートリンの覚書

日本書紀 巻第十五 億計天皇 四 ・皇太子を立てる ・百姓が曰く ・崩御



日本書紀 巻第十五 億計天皇 四

・皇太子を立てる
・百姓が曰く
・崩御



七年春正月三日、
小泊瀬稚鷦鷯尊
(おはつせのわかさざきのみこと)を立てて、
皇太子としました。

八年冬十月、
百姓が、
「この時、
国中が無事で、

吏(つかさ)は
その官(つかさ)にかなっていた。

海内(あめのした)は仁に帰し、
民はその業に安らかだった」
といいました。

この歳、
五穀が豊かに稔り、
蚕や麦の収穫が善でした。

遠くも近くも、
清く平で、

戸口(おおみたから)は、
滋(しげ)り、
殖(ふ)えました。

十一年秋八月八日、
天皇が、
正寝(おおとの)で崩じました。

冬十月五日、
埴生坂本陵
(はにゅうのさかもとのみささぎ)
に葬りました。



・吏(つかさ)
ここでは役人
・官(つかさ)
ここでは官職



(感想)

仁賢天皇7年春1月3日、
小泊瀬稚鷦鷯尊を立てて、
皇太子としました。

仁賢天皇8年冬10月、
百姓が、
「この時、

国中が無事で、
役人はその官職にかなう仕事をした。

天下は
他人に対する親愛の情、優しさに帰り、
民はその生業に安らかだった」
といいました。

この歳、
五穀が豊かに稔り、
蚕や麦の収穫が良好でした。

京に遠くも近くも、
清く太平で、

戸口(おおみたから)は、
ますます殖(ふ)えました。

仁賢天皇11年秋8月8日、
天皇が、正寝(おおとの)で崩じました。

冬10月5日、
埴生坂本陵に葬りました。

本日で、
日本書紀 巻第十五、終了です。

今日のお話から、
仁賢天皇の治世が

「仁」

他人に対する親愛の情、優しさに
溢れていたことが
うかがえますね。

さて、明日からは

日本書紀 巻第十六

小泊瀬稚鷦鷯天皇の条を
読んでいきたいと思います。

お付き合い頂けたら幸いです。

それでは、

読んで頂き
ありがとうございました。


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