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リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 二十六 ・位を与える ・公卿に飲食と衣裳を与える ・食封を増やす



日本書紀 巻第三十 
高天原廣野姫天皇 二十六

・位を与える
・公卿に飲食と衣裳を与える
・食封を増やす



五年春正月一日、
親王、諸臣、內新王、女王、內命婦等に
位を賜りました。

七日、
公卿に飲食と衣裳を賜りました。

正廣肆の
百濟王の余禅広(よぜんこう)、

直大肆の
遠宝(おんほう)、
良虞(りょうぐ)と南典(なむてん)に、

優を賜りましたが、
各々差がありました。

十三日、
封を増やしました。

皇子高市は、二千戸。
前と通して三千戸。

淨廣貳の皇子穗積は、
五百戸。

淨大參の皇子川嶋は、百戸。
前と通して五百戸。

正廣參の右大臣の
丹比嶋真人(たじひのしまのまひと)は、
三百戸。前と通して五百戸。

正廣肆の百濟王の禪廣に、百戸。
前と通して二百戸。

直大壹の
布勢御主人朝臣
(ふせのみぬしのあそみ)と
大伴御行宿禰
(おおとものみゆきのすくね)に、八十戸。
前と通して三百戸。

それ餘にも、
封を増やしましたが、
各々差がありました。

十四日、
詔して、
「直廣肆の筑紫史益
(つくしのふびとまさる)は、
筑紫大宰府典に拝されて以來、
今にいたるまで二十九年。

淸白な忠誠をもって、
決して怠惰しなかった。

これ故、
食封(じきふ)・五十戸、
絁(ふとぎぬ)・十五匹、
綿・二十五屯、布・五十端、
稻・五千束を賜る」
といいました。

十六日、
天皇は吉野宮に幸しました。

二十三日、
天皇は吉野宮から帰りました。



・食封(じきふ)
律令制で、皇族・高位高官者・社寺などに禄として封戸(ふこ)を与えた制度



(感想)

持統天皇5年春1月1日、
親王、諸臣、内新王、女王、内命婦らに
位を与えました。

7日、
公卿に飲食と衣裳を与えました。

正広肆の
百済王の余禅広、

直大肆の遠宝、良虞と南典に、

優を与えましたが、
各々差がありました。

13日、
食封を増やしました。

高市皇子には、2000戸。
前と通算して3000戸。

淨広弐の穂積皇子には、500戸。

淨大参の川嶋皇子には、100戸。
前と通算して500戸。

正広参の
右大臣の丹比嶋真人には、300戸。
前と通算して500戸。

正広肆の百済王の禅広に、100戸。
前と通算して200戸。

直大壱の
布勢御主人朝臣と大伴御行宿禰には、
80戸。前と通算して300戸。

そのほかにも、
食封を増やしましたが、
各々差がありました。

14日、
詔して、
「直広肆の筑紫史益は、
筑紫大宰府典に拝命されてから、
今にいたるまで29年。

清く純白な、忠誠をもって、
決して怠惰しなかった。

こういうわけで、
食封・50戸、絁・15匹、綿・25屯、
布・50端、稲・5000束を与える」
といいました。

16日、
天皇は吉野宮に行幸しました。

二十三日、
天皇は吉野宮から帰りました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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