古事記 中つ巻 現代語訳 三十一
古事記 中つ巻
崇神天皇
書き下し文
御眞木入日子印恵命、師木水垣宮に坐して、天の下治らしめしき。此の天皇、木国造、名は荒河刀弁の女、遠津年魚目々微比売に娶ひて、生みませる御子、豊木入日子命、次に豊鉏入日売命。二柱。また尾張連の祖、意富阿麻比売に娶ひて、生みませる御子、大入杵命、次に八坂之入日子命、次に沼名木之入日売命、次に十市之入日売命。四柱。また大毘古命の女、御真津比売命に娶ひて、生みませる御子、伊玖米入日子伊沙知命、次に伊耶能真若命、次に国片比売命、次に千々都久和比売命、次に伊賀比売命、次に倭日子命。六柱。此の天皇の御子等、并せて十二柱。男王七、女王五なり。故伊久米伊理毘古伊佐知命は、天の下治らしめしき。次に豊木入日子命は、上毛野、下毛野君等の祖なり。妹豊鉏比売命は、伊勢の大神の宮を拝き祭りたまふ。次に大入杵命は、能登臣の祖なり。次に倭日子命は、此の王の時に、始めて陵に人垣を立つ。
現代語訳
御眞木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)は 、師木水垣宮(しきのみずかきのみや)に坐(いま)して、天の下を治(し)らしめました。この天皇は、木国造(きのくにのみやつこ)、名は荒河刀弁(あらかわとべ)の女(むすめ)、遠津年魚目々微比売(とおつあゆめまくわしひめ)を娶(めと)いて、お生まれになられた御子は、豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)、次に豊鉏入日売命(とよすきいりひめのみこと)。二柱。また尾張連(おわりのむらじ)の祖(おや)、意富阿麻比売(おおあまひめ)を娶いて、お生まれになられた御子は、大入杵命(おおいりのきのみこと)、次に八坂之入日子命(やさかのいりひこのみこと)、次に沼名木之入日売命(ぬなきのいりひめのみこと)、次に十市之入日売命(とおちのいりひめのみこと)。四柱。また大毘古命(おおびこのみこと)の女(むすめ)、御真津比売命(みまつひめのみこと)を娶いて、お生まれになられた御子は、伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりひこいさちのみこと)、次に伊耶能真若命 (いざのまわかのみこと)、次に国片比売命 (くにかたひめのみこと)、次に千々都久和比売命(ちちつくわひめのみこと)、次に伊賀比売命(いがひめのみこと)、次に倭日子命(やまとひこのみこと)。六柱。この天皇の御子等は、并(あわ)せて十二柱。男王七、女王五です。故、伊久米伊理毘古伊佐知命は、天の下を治(し)らしめました。次に豊木入日子命は、上毛野(かみつけの)、下毛野君(しもつけののきみ)等の祖です。妹(いも)の豊鉏比売命は、伊勢(いせ)の大神(おほかみ)の宮を拝(いつ)き祭りっていらっしゃります。次に大入杵命は、能登臣(のとのおみ)の祖です。次に倭日子命は、この王の時に、始めて陵に人垣(ひとがき)を立てました。
・師木水垣宮(しきのみずかきのみや)
奈良県桜井市にある志貴御県坐神社の境内に宮跡を伝える石碑がある
・人垣(ひとがき)
1・古く、儀式の際に、人を垣のように立ち並ばせたこと2・令制前、貴人の陵墓に、多くの人を垣のように立ち並べたこと。 これを生埋めにして殉死させた。
現代語訳(ゆる~っと訳)
御眞木入日子印恵命は、師木水垣宮においでになられ、天下を統治しました。
この天皇は、紀伊国の国造、名前は荒河刀弁の娘、遠津年魚目々微比売と結婚して、お生まれになられた御子は、豊木入日子命、次に豊鉏入日売命。2人です。
また尾張連の祖先、意富阿麻比売と結婚して、お生まれになられた御子は、大入杵命、次に八坂之入日子命、次に沼名木之入日売命、次に十市之入日売命。4人。
また、大毘古命の娘、御真津比売命と結婚して、お生まれになられた御子は、伊玖米入日子伊沙知命、次に伊耶能真若命、次に国片比売命、次に千々都久和比売命、次に伊賀比売命、次に倭日子命。6人。
この天皇の御子たちは、あわせて12人。男王は7人、女王は5人です。
そして、伊久米伊理毘古伊佐知命は、天下を統治しました。
次に豊木入日子命は、上毛野、下毛野君たちの祖先です。
妹の豊鉏比売命は、伊勢大神の宮で心身を清めて神に仕えし、お祭りしています。
次に大入杵命は、能登臣の祖先です。
次に倭日子命は、この王が亡くなったの時に、初めて陵に殉死者を並べて立てました。
続きます。
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ありがとうございました。