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リートリンの覚書

向島百花園


向島百花園

10月某日、向島散策をした際、向島百花園を訪れました。萩の花が美しいとの評判でしたので、楽しみにしていました。

向島百花園入口門


江戸の町民文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢(きくう)が、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草木観賞を中心とした花園として開園されました。百花園とは、一説では「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたとされています。開園当初は360本のウメが主体でした。その後、詩経や万葉集など中国・日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようになりました。唯一現代に残る江戸時代の花園です。
 昭和13(1938)年、永久保存のため所有者から東京市に寄付され、翌14(1939)年に東京市が有料で制限公開を開始。なお、昭和53(1978)年に文化財保護法により国の名勝・史跡に指定されました。
(引用・向島百花園パンフレット)


文人たちの足跡

入り口付近の蜀山人の扁額、門柱には士人・大窪誌仏が書いた「春夏秋冬花不断」「東西南北客争来」の聯がかかっています。

そのほか、芭蕉の句碑をふくめ、合計29の句碑・石柱が園内随処に建ち、庭造りに力を合わせた文人墨客たちの足跡をたどれます。


月岡芳年翁之碑
1898年(明治31年)5月、岡倉天心ら芳年の門人らによって建立されました。

門人によって建立されたとは、門下生に尊敬されていた証拠ですね。月岡芳年の大ファンですので、石碑を見られたのは嬉しいかぎりです。

ハギのトンネル
ハギを竹で編んだトンネルに沿わせて仕立てたもので、百花園の名物です。9月下旬には全長約30メートルにわたって花のトンネルになります。


私が訪れた際には、少し盛りがすぎていましたが、それでも十分美しいトンネルでした。管理されている方々の努力の賜物ですね。美しい風景をありがとうございます。

福禄寿尊堂
江戸時代から、谷中と並んで向島の隅田川七福神は有名でした。百花園には園創設者・佐原鞠塢が信仰していた「福禄寿」が祀られています。


御成座敷(おなりざしき)

身分の高い武家や僧侶の休憩所として、数寄屋造りの「御成座敷」がありました。創建当時の御成座敷は戦災で焼失してしまいましたが、1958年に集会施設として再建されました。


そのほか
売店







最後に
唯一現代に残る江戸時代の花園と聞き、前々から訪れたいと思っていたのですが、コロナ禍により中々思いが叶わず、10月にやっと訪れることができました。

萩の咲く季節に間に合って良かったです。
萩のトンネルも素晴らしかったのですが、私の一番心惹かれたのは、竹林。
東京でこのように緑豊かな竹林に会えるとは、嬉しい限りです。

1945年(昭和20年)3月の東京大空襲により全焼してしまった向島百花園。

戦後、跡地を少年向けの野球場にしようとの声もあったそうですが、「百花園」として復興されることになり、1949年(昭和24年)に再開されたそうです。

たった4年で復興させるとは、その情熱は、人々が百花園を愛していた証拠ではないかと思います。

今、江戸時代の庭園に触れることができるのも当時の方々のお陰ですね。ありがたいことです。


所在地
東京都墨田区東向島三丁目


アクセス
・東武スカイツリーライン「東向島駅」徒歩8分
・形成押上線「京成曳舟駅」徒歩13分
・都営バス 里22系統・錦40系統「百花園前」より徒歩2~3分

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