Train of thought

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コメントへのお答えなど

2007-10-07 17:27:57 | ブログ

名無しのコメンターの方から、1年半以上も前の記事に対して、コメントをいただきました。これもひとつの機会かな、と思い、お返事の形式で、私の「ジェンダー観」や「現在の労働環境についての意見」を表明しておこうと思います。当然ながら私見ですし、違う考えの持ち主を否定するものではありません。

名無しさま(ここではそう呼ばさせていただきます)のおっしゃることは、「女性ばかり採用している」≒「男性を採用していない」から男性差別である、という趣旨かと受け取りました。

「東横イン!」の稿で私が何故「女性差別」と糾弾したか。
『男女雇用機会均等法』の施行以後、本来的に雇用においては男女の性差をもってこれを分けることが禁じられました。これは名無しさまもご了解のことと思います。では、この法が何故できたのか。法律の文をコピーしましょう。

(目的)
第一条  この法律は、法の下の平等を保障する日本国憲法 の理念にのつとり雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図るとともに、女性労働者の就業に関して妊娠中及び出産後の健康の確保を図る等の措置を推進することを目的とする。

(基本的理念)
第二条  この法律においては、労働者が性別により差別されることなく、また、女性労働者にあつては母性を尊重されつつ、充実した職業生活を営むことができるようにすることをその基本的理念とする。

そして、具体的に禁じられている事項などは、次の通りです。

(性別を理由とする差別の禁止)
第五条  事業主は、労働者の募集及び採用について、その性別にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。

第六条  事業主は、次に掲げる事項について、労働者の性別を理由として、差別的取扱いをしてはならない。
一  労働者の配置(業務の配分及び権限の付与を含む。)、昇進、降格及び教育訓練
二  住宅資金の貸付けその他これに準ずる福利厚生の措置であつて厚生労働省令で定めるもの
三  労働者の職種及び雇用形態の変更
四  退職の勧奨、定年及び解雇並びに労働契約の更新

(性別以外の事由を要件とする措置)
第七条  事業主は、募集及び採用並びに前条各号に掲げる事項に関する措置であつて労働者の性別以外の事由を要件とするもののうち、措置の要件を満たす男性及び女性の比率その他の事情を勘案して実質的に性別を理由とする差別となるおそれがある措置として厚生労働省令で定めるものについては、当該措置の対象となる業務の性質に照らして当該措置の実施が当該業務の遂行上特に必要である場合、事業の運営の状況に照らして当該措置の実施が雇用管理上特に必要である場合その他の合理的な理由がある場合でなければ、これを講じてはならない。

(女性労働者に係る措置に関する特例)
第八条  前三条の規定は、事業主が、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保の支障となつている事情を改善することを目的として女性労働者に関して行う措置を講ずることを妨げるものではない。

(婚姻、妊娠、出産等を理由とする不利益取扱いの禁止等)
第九条  事業主は、女性労働者が婚姻し、妊娠し、又は出産したことを退職理由として予定する定めをしてはならない。
2  事業主は、女性労働者が婚姻したことを理由として、解雇してはならない。
3  事業主は、その雇用する女性労働者が妊娠したこと、出産したこと、労働基準法 (昭和二十二年法律第四十九号)第六十五条第一項 の規定による休業を請求し、又は同項 若しくは同条第二項 の規定による休業をしたことその他の妊娠又は出産に関する事由であつて厚生労働省令で定めるものを理由として、当該女性労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。
4  妊娠中の女性労働者及び出産後一年を経過しない女性労働者に対してなされた解雇は、無効とする。ただし、事業主が当該解雇が前項に規定する事由を理由とする解雇でないことを証明したときは、この限りでない。

ところが、現実的にはこれらの行為は解消されていない職種・職場が横行しています。
私が働く「業界」などは典型例なのですが、前時代的な《感覚》が色濃く残されています。曰く、「こんなのは『女の仕事』」であり、「だから給料は安くてもかまわない」、何故なら「女はどうせ結婚や妊娠・出産までしか働かないし、雇うこっちもそのつもりだから」というものです。女性の結婚は『永久就職』と呼ばれ、「主婦」は家事労働と子どものお守りをするものだ、という《感覚》です。これに対比するのは、「男は外で仕事をするために生きる」という《感覚》であり、『終身雇用』を約束された企業社会の中で守られて働いていました。逆にいえば、世の中的にはそれで構わなかったわけです。私の子どもの頃はそんな社会でしたし、私の親はそういう社会観にどっぷり浸かっています。

昭和50年代後半になって、それまで『男の仕事』とされていた分野に女性も入っていこう、という試みが増えてきました。しかし、当時の就業規則には堂々と「女性お断り」を明記する事業所も多かったのです。「それって変じゃない?」と声を上げた人たち(男女問わず)が動き出し、結果前述の『男女雇用機会均等法』ができました。ただ、当時の声として、主に雇用主が「ウチの仕事は、女性じゃ務まらない。法律ができた以上は従わなけりゃならないけれど、実際にはこれからもあんまり変わらない」と発言されているケースが少なくなく、この法律にどれだけ実効性があるのか、というものがありました。実際数年間は「違反」とされる事例がいくつも出ました。

この法ができてもう20年以上たちました。
けれど、「女性に配慮された労働環境」は依然未整備のままです。未だに産前産後休暇・育児休業の取得が難しい企業は少なくありません。妊娠したら事実上退職勧告がされるのだそうです。一応制度としてはあっても、使えるものではない。仮に育児休業まで取得し、うまい具合に保育園に預けることができて、職場復帰できたとしても、幼児は急に熱を出したりすることがよくある。そうなると、即呼び出し。仕事を途中で切り上げて帰らねばならない。企業側は「予定がしょっちゅう変わるのは困る」と文句を言う。職場の中でも、肩代わりしなければならない仕事が突発的に増えるわけで、結果的に「子育て中は使い物にならない人」という扱いをされてしまう。その「空気」に耐えられず、退職をすることになる…というケースも多発しています。保育園のキャパがいっぱいで、入園希望がすべて受け入れられず、待機児が数十人、ということも起きています。子どもが預けられないことで、働きたくても働けない女性がいます。男性が育児休業をとることも法的にはできますが、取得率は0.1%にもなりません。相変わらず家事労働と育児は女性にかかる負担が高いままです。

私は、性差による待遇の差は最小限にとどめ、あとはより個別に考えていくのが筋だと考えますが、このような環境の中で、男性が普通にやっている仕事だから…という理由で、女性にも同じ条件の労働を課す、というのはあまりに配慮に欠けることと言わざるをえません。それは「平等」とも「均等」とも言いません。男性も女性も、同じ給料もらってるなら、同じように働かないと「平等」ではないという方がいますが、私はそれは単純すぎ・浅薄な論だと考えています。生理学的に男性と女性の比較を行うと、労働年齢(15歳~60歳)の中では女性の身体は年齢によって変化する幅が男性に比べて大きいのが特徴です。それぞれの年齢域によって労働の質や条件に配慮がなされてしかるべきであると考えますし、そのことによって労働報酬に極端な差を設けることは合理的とはいえないと考えます。

私の勤める法人の、他の職場で起きた事例。24時間介護の必要な高齢者をお預かりする施設があるので、そこでは当然24時間365日、交代で就労しています。男女関係なく。給料には個人差がありますが、20万円に届かない人も多いです。自力で食事が摂れない人に口の中まで食べ物を差し上げ、オムツの中に便や尿をしてしまっている方のオムツの処理と身体の衛生処理をし、感染症に罹ってしまった方の容態を看つつ他の方への二次感染を防ぐ手立てをし、40kgや50kg、なかにはそれ以上ある方の抱き起こしや移動をします。お風呂に入れ、着替えをし、話し相手にもなります。症状によっては暴力的な方もいますし、性的に接触を求めてくる方もいます。それらの方のお世話をするのが、「介護」という仕事です。
介護職員で、妊娠初期の女性がいました。本来妊娠初期は重労働は避けるのが鉄則なのですが、職場は人手不足。この方は「自分が働けなくなることで、同僚に迷惑をかけてしまっては申し訳ない」と考え、同じように働いていました。夜勤もし、抱き起こしや移動の介助もしていたそうです。そして、体調を崩し、流産してしまいました。その後、再び子を授かったこの職員さんは、2度も流産はしたくない、とのことで、早めに軽減業務に移してもらい、その後産休入りし、無事にお子さんを出産されたそうです。

東横インの話へ戻します。私が「女性差別」であると書いたのは、当時の経営者の発想及び手法に対してです。すなわち、①入職して間もない職員であれば初任給と大差ない給料で雇うことができる②女性であれば大して文句も言わずに働くであろうし、あまり長い間勤めてもらおうと思っていない(文句なんか言う奴は即刻クビ)③他のホテルであれば男性に課しているような条件の業務に対して殆んど女性を充て、しかも「女性職員への配慮」は何らなされていなかった、…これらのことに対して、『女性差別』である、という表現を使いました。なので、名無しさまが指摘する事柄が、「女性ばかり採用している」≒「男性を採用していない」から男性差別である、という趣旨であるとするならば、私には残念ながら的外れな批判としか受け取れないのです。ものごとはそんなに単純な構図では割り切れません。表面的・皮相的な一面だけを捉えて断じてしまうのは、ものごとを見誤るもとになります。まして差別・被差別などの「社会の歪みに対して語ることば」を使う場合には、より慎重かつ多面的に検討することが求められるのではないかと思います。

「東横イン!」の記事を書いたのは昨年の2月5日。1年8ヶ月前のことです。この1年8ヶ月で総理大臣は3人代わりました。世の中も激動しています。ワーキング・プアという言葉も生まれ、就職に苦労しているのは中高年ばかりではなくなりました。20代の若年層であっても、安定した仕事に就くのは容易ではありません。名無しさまがこういった世の中への苛立ちを私のブログを通じて表現されたのだとすれば、その焦燥感については私も大いに共感するものです。実際、生活できるだけの収入を求めて仕事を探していても、それに見合う仕事がありません。一方で、(介護の仕事は典型例なのですが)慢性的に深刻な人手不足が続いていて、いくら求人しても、応募がこない。大きな原因は、非常に安い賃金である上に、「契約職員」「非常勤職員」など、有期かつ不安定な雇用形態でしか募集をかけないこと。「正職員」では社会保険料や雇用保険料など、経営上の人件費コストがかさむ≒持ち出しになるから、そんなにハイコストな労働力は雇えない、同じお金をかけるなら、ローコストで多く雇える手法がいい、というのが経営側の考えになっているのが現実です。人手不足の労働現場では、その分仕事量が増え、長時間労働が常態化しています。疲れ切った労働者が、肉体と精神を病んで、リタイヤしていきます。ますます人手が減っていきます。リタイヤしてしまった人は、仮に治療がうまくいき、社会復帰しようとしても、今度はなかなか雇ってもらえない現実に直面します。一方で、さらに人が減った労働現場では、新たな労働力の補充もままならず、疲れ切ってリタイヤする人を再生産していきます。「食っていけない」「もうこれ以上働けない」「仕事が見つからず明日に希望が持てない」…1年で3万人も自殺する、ひとつの大きな原因になっています。

「終身雇用」とか、「永久就職」とか、「男は仕事・女は家庭」とか、そんなものは全て過去の御伽噺になってしまいました。これらは、「世の中まあだいたいこんな感じでずーっと行くだろうから、何十年後はきっといいことあるだろう」という、1960年代の高度経済成長期の幻想を引きずっていた中でできた観念でした。また、社会と個人(ひいては自分)との関係性も比較的見えやすく、シンプルなものでした。経済成長が頭打ちになり、社会構造が変わり、人口構成も変わり、過去のモデルは使えなくなってきても、人の意識はなかなか変わるものではありません。「終身雇用モデル」に代表される「日本流労働福祉」は、「成果主義的賃金・雇用体系」によって破壊されたにもかかわらず、社会のしくみは「終身雇用モデル」前提でつくられた当時のままになっていたことが、今日の混乱をもたらしています。「成果主義的賃金・雇用体系」は、その構造上の特徴から、労働力の流動化を促します。近年、派遣型労働者や「フリーター」などの非正規雇用形態の労働者が増えたのも、この流れに由来するものと言えます。ところが、年金や健康保険、雇用保険などの社会保障の制度は、日本の場合労働者の賃金から一定割合を拠出し、それを元手に運用する「保険制度」に多くを委ねています。(税金で徴収するという手段もありますが、日本の場合それは国民に非常に不人気のため、あまり積極的に整備されなかった経緯があります)この状況で、労働力が流動化するということは、「保険制度」の根幹である「保険料の徴収」が滞る原因になります。また、前述の通り労働力のローコスト化を図るために非正規雇用を増やすということは、「社会保険料を企業側が負担しなくてもいい労働者を雇う」ことでもあり、これもまた「保険料収入が減少する」原因にもなります。めぐりめぐって、「私たちの老後は、年金制度も健康保険制度も破綻して、生活に対する不安は非常に大きくなる」という方向に向かっている、ということになるのです。これもまた、現在の社会不安の大きな一因と言えるでしょう。

現行の制度を維持するのなら、という前提であれば、「全ての雇用主に対し、全て労働者(アルバイト・パートも含め)を雇用する際には雇用保険・健康保険への加入を義務付ける」ことが必要ではないかと私は考えます。義務化することで「安上がり労働力(非正規雇用)」の根拠を消滅させます。当然人件費は高くなりますが、高い人件費を払うのであれば長期的に勤務してもらうほうが長い目でみればコストダウンになることは自明です。これが正規雇用の創出につながります。また「最低賃金」も先日見直しがありましたが、あれではまだ低すぎます。都市部の家賃や物価を考えると、さらに引き上げる必要があります。これらが組み合わされれば、「食っていける」正規労働の雇用が行われる可能性が大きくなります。ワーキング・プアの解消、労働力の安定化にもつながります。

「社会と自分との関係性が見えにくくなってきている」ことは、労働という行為にも影響しているようです。高齢者と接していると、「私は世の中の役に立つために一生懸命働いてきた」と語る方が少なくありません。「働く」ことは「傍を楽にする」ことである、社会に対する貢献と奉仕である、ということなのだそうです。敗戦後の焦土から復興するために、また経済発展を実現し自分たちの生活を豊かにすることができるように、ということが大目標であり、自分はその一員である、という帰属意識がありました。NHKでやっていた『プロジェクトX』、あれが日本中のそこかしこにあったわけです。

今、自分が働くことが「社会に対する貢献と奉仕」であると言い切れる人はどれだけいるでしょうか。実際のところは、忌野清志郎が歌ったように「金が欲しくて、働いて、眠るだけ」(『いいことばかりはありゃしねえ』RCサクセション…だったと思ったが)かな、と思います。私もまたそのひとりです。毎日神経を削って働いて、くたくたになって、一応対価ということになっている賃金を受け取り、そのお金で生活費を賄い、気づいたらもうお金は消えてしまっている…そんな日々。時々はこのブログで記事にしているような道楽もするのが、せめてもの楽しみ。道楽ができるだけ、幸せなんだとも思います。私自身にもかつて無職だった時期があり、アルバイトのみの収入で生活をしていたこともあります。通算すると4年半くらいでしょうか。1ヶ月働いても賃金は10万円に満たず、家賃と光熱費を払ったらそれで終わり。食べ物も着る物も買えず、貯蓄は無職の時に食いつぶしてしまい残高は0。昔買ったものを切り売りしたり質に入れたり。なんとかしなきゃという焦りと、思うとおりにならない現実。履歴書は何十枚書いたかなあ…全部落とされました。介護の仕事なんてできればしたくないと思っていたのに、結局その世界に拾われることになり、約5年ぶりに「給与明細」をもらった時の安堵感。…そんな想いをしているためか、「仕事にありつけていることは、無為の日々を持て余すよりはるかに恵まれている」と感じるのです。勿論、あまりにも理不尽な仕事・職場環境であるならさっさと辞めているでしょうが、今はそういう思いをせずにすんでいるのもまた、恵まれていることのひとつでしょう。最近の労働事情をみると、ワーキングプア問題もそうだし、なかなか定職につけないために派遣労働や非正規雇用の元で働いている人が非常に多い。私の微力でも、何かできないかと思い、再就職が果たせて以来労働組合に籍を置き、この数年は執行役員という立場にもなり、細々と活動をしています。テレビにのこのこ出てみたり(0.5秒でしたが)、雑誌に記事を書いてみたりというのも、その辺の一環です。展開がすぐに打開できるわけでもなく、忸怩たる思いは常に抱えていますが、それでも「何もせずにただ眺めているだけ」では何も変わらない、問題意識を持った以上それは許されないと考え、自分なりのペースで関わることにしています。


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4 コメント

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forza3743さんにしては、長~い記事になりましたね... (ねこちゃん)
2007-10-07 17:54:47
forza3743さんにしては、長~い記事になりましたね(^^;


この問題は、難しいですね。

未だに大した理由も無く、"女性"、"男性"と募集項目に
書いてるところも見ますが・・。

でも、私の感想としては、やっぱり子持ちだったりして
穴を開けられてしまうのはキツイというか、採用される
確率が下がるのは仕方ないと思いますね。

それこそ同じ給料で、穴埋めが全部こっちにまわって
くるだけでなく、税金の優遇が向こうにはあって、
こっちは踏んだり蹴ったりになるわけで(汗

"子供がいなければ"っていう前提は大きいでしょうね・・。
社会の足手まといになってる感じがします。

土日は駄目だし、ゆとり教育のおかげか、休みが増え
授業参観やらPTAやらとイベントがやたら多いし。


学校側がもっと親達への負担を減らせば、この問題も
軽減できる気がしますね。

昔通りに学校の休みは週一で、PTAなど無くしたり
授業参観も回数を大幅に減らせば、仕事を休む回数も
減って、まわりへの迷惑、負担も減りますから。

個人的には、子供がいる人のおかげで、とばっちりを
受ける人への保証や手当が必要かと思います。
じゃないと、子供ができた人へに対してのマイナス
は消えないかと。
ねこちゃんさま (forza3743)
2007-10-07 21:41:25
ねこちゃんさま

>長~い記事になりましたね(^^;

だって「論理的に説明しろ」なんて書かれたものだから…論理的でしょ?(笑)

ねこちゃんへの返事は、本編からちょっと離れて「少子化問題」に入り込んでしまいますが、どうしてもそこを抜きにするわけにはいかないので、少し触れることにします。

>私の感想としては、やっぱり子持ちだったりして
穴を開けられてしまうのはキツイというか、採用される
確率が下がるのは仕方ないと思いますね

ねこちゃんの言うのは「実際、現実に起きていること」ですし、「キツイ」のもわかります。

>それこそ同じ給料で、穴埋めが全部こっちにまわって
くるだけでなく、税金の優遇が向こうにはあって、
こっちは踏んだり蹴ったりになるわけで(汗

その分、出費してますからねえ。出産だけで30万とか、育児には意外にお金がかかります。

>"子供がいなければ"っていう前提は大きいでしょうね・・。
社会の足手まといになってる感じがします。
>仕事を休む回数も
減って、まわりへの迷惑、負担も減りますから。

だから「少子化」してきたんです。子どもを生んで育てること自体が、社会の生産性にとって足手まとい、迷惑であるという認識ですから。結果的に、人口構造も変化し、日本はいまや子どもより高齢者が多い国になりました。目先のことばかり追いかけて、未来の労働力・生産力の育成をないがしろにしてきた結果です。これでは日本は先細りしてしまう、と騒ぎだしたのがやっと10年くらい前。10年たって、やっと世の中が実感しはじめたわけです。子どもを産んで育てても仕事をし続けられる、男性も休みを取って育児に関わることが普通に行われる、その辺のことが当たり前にできるようにならないと、日本は東アジアの近隣諸国に経済的に置いてきぼりを食らい、これまでプライドにしてきた「東アジアの先進国」の冠を奪われることになるでしょうね。そうなった時に巻き返そうと思っても、中高年と高齢者ばかりでは、生産性は外国の比較になりません。

>授業参観やらPTAやらとイベントがやたら多いし。
学校側がもっと親達への負担を減らせば、この問題も
軽減できる気がしますね。

「親の負担をどう減らすか」を考えることは、必要なことだと思います。実際、働く親にとっては、子どもの用事のために月に1日日程をあけるのがとても骨の折れることです。そのうえ職場で迷惑がられるのでは、踏んだり蹴ったりです。一方で、子どもが少なくなった割に学校は超多忙になりました。家庭が子育てを学校に押し付けてくることが多くなり、それを学校が背負ってしまったことが一因です。単に学校をいじくれば全てを解決できるとも思えません。学童保育や地域の子ども会(これが機能しているところは本当に少なくなりました)、塾などのサブシステムも含めて考えなければならないことかと思います。

>個人的には、子供がいる人のおかげで、とばっちりを
受ける人への保証や手当が必要かと思います。
じゃないと、子供ができた人へに対してのマイナス
は消えないかと。

ちょっと方向性が違いますが、私も近い考えは持っています。子どもを生み、育てている真っ最中の人(男女問いません)に対して、一定その保障を行う制度(例えば、妊娠中の人や育児のために業務軽減を申請した人のいる部署へひとり増員して配置するとか)と、その制度を積極的に導入・活用する企業などへの経済的支援(例えば上記の例なら、増員した分の人件費を法人税から差し引いてよい、とか)が必要ではないかと考えます。

昨夜、「幼子を抱える母親」である友人と話をしていました。彼女はいわゆるシングルマザーです。復職のこと、子育てのこと、様々な壁が立ちはだかっています。自分の身ひとつであれば、生活の場も仕事のことも、なんとかなるでしょう。けれども「育児中」であることが、仕事にしても住む場所にしても制約を生みます。行き詰った彼女は、今は実家に身を寄せています。社会的には、それしか選択肢が用意されていない状況です。もし実家が頼れないのであれば…子どもを施設に預けることになります。そんな子どもたちを、私は見てきました。親がひとりでも、親子2人(それ以上のこともよくある)が生活できるだけの収入と、親が仕事で不在の時に子どもをみてくれる場所があれば、十分生活できるのに…  この友人は、仕事では「同僚」でもあるので、「育休が終わったら、とりあえず戻っておいで。シングルマザーで子育てしながら仕事してきた人は、うちの職場にはいっぱいいるから、その人たちの知恵を借りることはできる。あとはあなたの勇気だよ」という話をしました。これでいいのかどうか、私自身にも迷いはありますが、一旦退職したあとの再就職の困難さを考えると、籍があるところに戻るのがリスクが少ないのでは、と思ったからです。
これもまた、もどかしい現実のひとつです。




せっかく趣味の記事を書いてもらったのに、また重たい (ねこちゃん)
2007-10-08 15:30:45
せっかく趣味の記事を書いてもらったのに、また重たい
コメントになってしまって、ごめんなさい(^^;


出産等にお金がかかるのは、わかるけど好きで子供を
作る訳で無理矢理作ってるわけじゃないですからね。
しかも普通の会社員なら補助は必要ないと思いますね。
いくらでも遊ぶお金はあるのに、子供の事は全部税金で
というのはどうかと。


まだ私みたいな低所得者を対象に補助されるなら、
ともかくね。
そういう制限って無いのでしょうか?


育児の事で問題にならなかった昔ってすごいですね。
ただ単に女性が働かなくてもよかったおかげなのかも
しれないですが。


それにしてもどうして働きたいのか不思議ですね。
働かないといけない場合もありますが・・。
私だったら家でノンビリがいいなあ(^^;


難しいですね。
学校も親も色々な問題を抱えているなんて・・。


どうして自分の子供なのに面倒をみない、ちゃんと躾け
しないのか理解できませんね。
無責任な。


企業への法的支援ですか。
この場合、まわされた方の人間はお金がもらえるの
でしょうか?


子育て中に採用されて、子供が大きくなったから
もう君はいらないよでは、これも問題ですよね・・。


シングルマザー・・。
個人的には好きではないですが、どうしてシングルに
なったのでしょうか?
様々なパターンがあると思いますが。


私の嫌いなシングルマザーですが、皮肉にも私も
シングルマザーになってます。
というより、シングルマザーより深刻です。


先月のツーリングで子猫を拾ったのはいいけど、
家では飼えないから、別の家で育ててます。
子猫の面倒を全てみないといけないから、新しい仕事
に支障というか制限ができちゃって困ってます。


人間と違って保証も一切無いし、保育園もありません
からね。
猫から見れば、人間なんてかなりの贅沢というか
いい環境だと思いますよ。


病気が多いけど保険ないし・・。
ねこちゃんさま (forza3743)
2007-10-28 14:29:28
ねこちゃんさま

>どうして自分の子供なのに面倒をみない、ちゃんと躾け
しないのか理解できませんね。
無責任な。

個人の・または夫婦の責任もありますが、そこにすべてを押し付けてしまえばそれで済むのか、という問題があります。社会の仕組みや、親をとりまく環境に因子がいっぱい見出せる場合もよくあります。とはいえ、子どもはすでにそこにいるんだし、日々成長していっているのです。目の前の子どもたちをどうにかしなければ。学校関係者のジレンマがここにあります。

>シングルマザー・・。
個人的には好きではないですが、どうしてシングルに
なったのでしょうか?
様々なパターンがあると思いますが。

彼女のプライバシーに関わることですから、ここで詳しく語ることはできません。ただ、好きで選んだわけではない、ということは確かです。人生、何が起きるかわかりませんから。

>それにしてもどうして働きたいのか不思議ですね。
働かないといけない場合もありますが・・。

実際、後者の場合も大変多いです。生活かかってますから。それはそれとして、自己実現の手段を「働くこと」に求めるのは、ごく普通にやっていることではないでしょうか。それが、「小さい子がいる母親だから」という理由で、能力や経験があっても働く機会が与えられないとすれば、それって『機会の不平等』って言えないか?と私は思っています。その上に「生活がかかっている」状況だとしたら、それはもはや『ハンディキャップ』です。


出産等にお金がかかるのは、わかるけど好きで子供を
作る訳で無理矢理作ってるわけじゃないですからね。
しかも普通の会社員なら補助は必要ないと思いますね。
いくらでも遊ぶお金はあるのに、子供の事は全部税金で
というのはどうかと。

ねこちゃんはお金の問題になるとヴィヴィッドに反応しますが(^^;)、そこが焦点ではありません。「普通の会社員」というけれど、それぞれ生活実態は違いますし、ねこちゃんのイメージする「普通」とは、どんなことなのでしょう。平均年収○○万円なんていうのは、18歳から60歳までの平均ですし。「いくらでも遊ぶお金はあるのに」というのは、いったい誰を見ていっているのかがわかりません。ねこちゃんのまわりではそういう余裕のある人が多いのかもしれませんが、私のまわりには「いくらでも」なんていう人はいないですね。みんな限られた蓄えの中から搾り出すようにして、生活の中のささやかな楽しみのためのお金を作っています。
付け加えていうと、子どもを育てるのは国の義務です。支える国民がいなくなったら国家は破綻しますから。国の義務に国の金(もとは税金)を使うのは、当然のことです。公務員の自己満足のような使い道は困りますが、子育ての援助のために一定の国の援助があるのは不自然なことではないと思います。30年前みたいに「子どもはそこいらじゅうにいる」時代ではなくなりました。30年後には、日本の国民が2割以上減り、1億人を割るという話もあります。そのうち4割程度は「高齢者」です。国を支える若年層がいなくなってしまうことは、国際情勢的にも不安定要素になることすらあります。だから、国はまた「生めよ殖やせよ」と言い出しているのです。

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