日本の社会福祉の歴史をみると、明治の頃に現代のひな型を見つけることが出来る。
私が学生時代に手にした本の中に、明治維新を経てヒューマニズムに目覚め、『社会事業』(当時は社会福祉なんてことばはなかった)を興した人々の話がまとめられたものがあった。
孤児の保護に命を掛けた石井十次、同じく孤児の保護から知的障害の子どもを守り育てることへ発展していった石井亮一・筆子夫妻、監獄改良・少年感化事業の留岡幸助、貧困対策とセツルメント事業の賀川豊彦、さまざまな人がいて、苦闘の足跡が残されていた。
学生時代も終わりを迎え、たまたま御縁があって拾っていただいたのが、児童養護施設・東京家庭学校。…留岡幸助の作った施設だった。私自身がここの児童指導員として働いたのは3年間だけで、福祉施設現場の厳しさを学んだ。またこの3年間で、留岡幸助という人がどう生き、何を願って「家庭学校」を作ったのか、職員として働きながら学び調べることもできた。
児童養護の分野を離れ、福祉系とはいえ違う路線に乗り換えたのだが、留岡の精神は今でも私にとって規範のひとつになっている。
先週、ネットでニュース検索をしていたら、俳優の村上弘明さんが、故郷が地震と津波に遭い心を痛めている、という記事があった。それを読んでいたら、「留岡幸助」の文字。へ?…と思い、読み進めると、留岡幸助の人生が映画化されたというではないか。驚いた。
監督が、石井十次、石井亮一・筆子夫妻を映画にしてきた、山田火砂子さん。ああ、なるほど、と思った。岡山孤児院、滝乃川学園をとりあげたなら、家庭学校に向かわざるを得ないではないか。
公式サイト
で、その映画を観てきた。
留岡幸助の人生自体が波瀾万丈だったので、2時間の尺のなかに、いっぱいエピソードを詰め込んだ分、なんだか展開がやたら早いな、という印象は持った。この監督さんが、サクサクシャキシャキ物事を進めるタイプの方なのかな、と勝手に想像。とはいえエピソード全部を丁寧に拾っていったら5時間でも終わらなくなるだろう、とは思う。
また、留岡の前半生を蔭で支え、結果的に体調をそこなって若くして亡くなってしまった夏子夫人について、この作品では非常に大きく取り上げている。このあたりも脚本を書いた監督自身のこだわりであろう。夏子夫人は家庭学校開設の翌年に召天されているので、映画の構成も3分の2は家庭学校開設前の牧師・教誨師時代に割かれている。
その構成のためでもあろうが、教誨師時代のエピソードについては、大井上輝前、有馬四郎助、原胤昭、好地由太郎といった“知る人ぞ知る”名前(博物館・網走監獄や樺戸集治監の資料館等に行くと、この方々の功績がわかります)が次々に出てくる。またこの監督が以前取りあげた石井十次も登場する。特に大井上との関わりがその後の留岡の方向性に大きく影響した、との見方をとっている。また、これらの人々の描かれ方が、カッコいいのだ。市川笑也が演ずる好地由太郎なんて、実にカッコいい。
私個人の感想を言えば、留岡は有馬四郎助とは切っても切れない関係である。1ヶ月違いで生まれ、1日違いで召天されたこの二人の関係性をもっと描いてもよかったのではないかとも感じた。…とはいえ、この二人の歩みだけで大河ドラマ1年分が優に出来上がる。巣鴨教誨師事件のからみは一切描かれていなかった。某仏教宗派への配慮なのだろう。
また、後半生をともにするきく子夫人の描き方もさらっとしている。家庭学校のあゆみについてピンポイントでしか押さえることができなかったためでもあろうか。
一番痛いのは家庭学校とともに、留岡が精魂傾けていたオピニオン誌『人道』について、全く触れられていない。留岡イズムの結晶がこの雑誌なのだから、少しでも触れていてほしかった。
ちょっと煮え切らないな、という感じもあるが、留岡幸助の一生を追いかけていったらとんでもない長編になってしまうことは先述したとおり。家庭学校を開設してから留岡が千歳烏山で永眠するまでのストーリーになると、今度は家庭学校の教師と生徒の群像劇になっていくので、またカラーが違ってしまうのだろう。さしあたっては、「一路白頭に至る」ということばをつぶやきながら困難な道を敢えて選んだ牧師・教育者・事業家がいた、ということを大きく世の中に知らせることができるだけでも、映画化は歓迎されることになるのだと思った。