Train of thought

wish you were here

調布駅 地上最後の日

2012-08-19 01:13:53 | 日記・エッセイ・コラム

調布駅  地上最後の日
たまたま職場の飲み会で、京王上りの最終電車、高幡不動発桜上水行き各駅停車に乗った。 そしたら、これが調布周辺の地上を走る最後の上り電車だった。車掌が、そのことを何度もアナウンスしていた。

 

調布市内の京王線のうち、国領・布田・調布の3駅が地下にもぐり、立体交差化されるのだ。地下化されるとともに、京王線(本線)と相模原線の平面交差も解消される。夕方の調布駅といえば、神業並みの列車さばきで、3方向に行きかう列車を動かしていた。30秒のすき間があれば電車を通す、みたいな感じで。当然、踏切は閉まりっぱなしの鳴りっぱなし。

 

18日の終電が通り過ぎたら作業開始。始発には間に合わないので、朝10時過ぎまで電車を止めて作業する。作業完了直後に試運転を行い、異常がないのを確認したら即開通。シミュレーションは何度もしているだろうが、そうであっても突貫かつち密な作業をしなければならない。

 

すごい数の作業員さんたちが、間もなく始まる仕事の打ち合わせをしていた。 それとともに、踏切やホームに待ち構えて撮影している人の数の多さに驚いた。撮り鉄はもちろん、この線路周辺に長くくらしていた方もいるだろう。そして、世田谷・川崎の花火大会帰りの客や、なんとなく浮かれている「にわか」も。その数、夏休みの土曜日の深夜とはいえ、普段の昼間と変わらないくらい。

 

多摩地域にとっては、歴史的なこと。そんな電車に乗ってしまった。


休息の日

2012-06-17 11:52:40 | 日記・エッセイ・コラム

仕事場が変わり、

仕事仲間もお客様も変わり、  

仕事の動きも変わって、

新しく覚えることが山ほどあって、  

休みなく働き続けた2週間。  

 

さすがに疲れた(-_-;)    

 

2ヶ月ばかり現場から離れていると、こうも違うものか(*_*)

 

 

昨日はひたすら眠った。

いくらでも眠れた。

少し起きてはまた眠り。

金曜夜からの36時間のうち、30時間は寝た。

 

収入はどんと下がり、 休みも減ったとは言えど、

とりあえず嫌いじゃない仕事にありつけ、

生きていけるのはまだ恵まれていると思うべきか。    


夏風邪

2011-08-31 21:09:23 | 日記・エッセイ・コラム

夏の大きな仕事が一段落したと思った途端、風邪をひいてしまった。

初めは喉の痛み、くしゃみ。そのあと鼻水。この時点では鼻風邪かな、と思い、小青龍湯を飲んでいた。一日仕事をしていて、鼻水は治まってきたが、嘔気が強くなり、気管支を引っ掻くような咳と喀痰、全身倦怠。食いしん坊の私が食欲全く無し。ああ、こりゃ拗れたな、と思い、柴胡桂枝湯にスイッチ。夜中に熱発、38度台。翌朝、出勤を諦め、同僚にメール。 有給休暇は、こんなタイミングでないと消化できない。虚弱な高齢者相手の仕事ゆえ、自分が媒介者になるわけにもいかず、2・3日休んでなさい、との配慮を貰う。本当は月末、私は仕事が立て込んでいるのだが…ま、ある意味自業自得、日曜出勤を覚悟して、今は休養に専念。

にしても、日中は暑くて、静養にならない。とはいえ、身体はだるくて動かすのも面倒。薬を飲むにしても何かお腹に入れなきゃならない。 で、ふと気づいた。ここ暫く暑い日続きだったせいもあって「身体を冷やす食べ物」中心の食生活をしてた。茄子とか胡瓜とか西瓜とか。多忙続きで気力が切れたら、そのしわ寄せが来たか?

スパイスと「身体を温める食べ物」を補填して、バランスを回復しようかと。人参やら葱やら生姜やら、割と根菜系に多いみたい。

「ひとつにはまり込む」ことがしばしばある私には、常に中庸を行くというのが難しい。 少し仕事から離れる機会を貰えたから、身体が求めるもの食べて、しばしの休息をしよう。


カメラ買い直し

2011-07-13 00:26:14 | 日記・エッセイ・コラム

5月の末に、外出先でカメラを紛失してしまった。いままで撮り溜めてきた写真のSDメモリーも入ったまま。…OMG!OMG!!OMG!!!

手を尽くして探してみたものの、未だにカメラは出てこない。

orz

 

カメラは正直、どうだっていい。SDカードが帰ってこないのが痛い。ほとんどはPCにバックアップしているから、それだけが慰めの材料だけど…

○| ̄|_

 

でも、今度から旅に出た時に、何で撮ろう。そう考えると、カメラは必要。やっぱり買うか。

カメラ買い直し

で、行ってまいりました、ヨド○シカメラ・吉祥寺店。昔は近鉄百貨店だったところ。


大地の詩 ~留岡幸助物語~

2011-04-13 22:25:06 | 日記・エッセイ・コラム

日本の社会福祉の歴史をみると、明治の頃に現代のひな型を見つけることが出来る。

私が学生時代に手にした本の中に、明治維新を経てヒューマニズムに目覚め、『社会事業』(当時は社会福祉なんてことばはなかった)を興した人々の話がまとめられたものがあった。

孤児の保護に命を掛けた石井十次、同じく孤児の保護から知的障害の子どもを守り育てることへ発展していった石井亮一・筆子夫妻、監獄改良・少年感化事業の留岡幸助、貧困対策とセツルメント事業の賀川豊彦、さまざまな人がいて、苦闘の足跡が残されていた。

学生時代も終わりを迎え、たまたま御縁があって拾っていただいたのが、児童養護施設・東京家庭学校。…留岡幸助の作った施設だった。私自身がここの児童指導員として働いたのは3年間だけで、福祉施設現場の厳しさを学んだ。またこの3年間で、留岡幸助という人がどう生き、何を願って「家庭学校」を作ったのか、職員として働きながら学び調べることもできた。

児童養護の分野を離れ、福祉系とはいえ違う路線に乗り換えたのだが、留岡の精神は今でも私にとって規範のひとつになっている。

先週、ネットでニュース検索をしていたら、俳優の村上弘明さんが、故郷が地震と津波に遭い心を痛めている、という記事があった。それを読んでいたら、「留岡幸助」の文字。へ?…と思い、読み進めると、留岡幸助の人生が映画化されたというではないか。驚いた。

監督が、石井十次、石井亮一・筆子夫妻を映画にしてきた、山田火砂子さん。ああ、なるほど、と思った。岡山孤児院、滝乃川学園をとりあげたなら、家庭学校に向かわざるを得ないではないか。

 

公式サイト

 

で、その映画を観てきた。

留岡幸助の人生自体が波瀾万丈だったので、2時間の尺のなかに、いっぱいエピソードを詰め込んだ分、なんだか展開がやたら早いな、という印象は持った。この監督さんが、サクサクシャキシャキ物事を進めるタイプの方なのかな、と勝手に想像。とはいえエピソード全部を丁寧に拾っていったら5時間でも終わらなくなるだろう、とは思う。

また、留岡の前半生を蔭で支え、結果的に体調をそこなって若くして亡くなってしまった夏子夫人について、この作品では非常に大きく取り上げている。このあたりも脚本を書いた監督自身のこだわりであろう。夏子夫人は家庭学校開設の翌年に召天されているので、映画の構成も3分の2は家庭学校開設前の牧師・教誨師時代に割かれている。

その構成のためでもあろうが、教誨師時代のエピソードについては、大井上輝前、有馬四郎助、原胤昭、好地由太郎といった“知る人ぞ知る”名前(博物館・網走監獄樺戸集治監の資料館等に行くと、この方々の功績がわかります)が次々に出てくる。またこの監督が以前取りあげた石井十次も登場する。特に大井上との関わりがその後の留岡の方向性に大きく影響した、との見方をとっている。また、これらの人々の描かれ方が、カッコいいのだ。市川笑也が演ずる好地由太郎なんて、実にカッコいい。

私個人の感想を言えば、留岡は有馬四郎助とは切っても切れない関係である。1ヶ月違いで生まれ、1日違いで召天されたこの二人の関係性をもっと描いてもよかったのではないかとも感じた。…とはいえ、この二人の歩みだけで大河ドラマ1年分が優に出来上がる。巣鴨教誨師事件のからみは一切描かれていなかった。某仏教宗派への配慮なのだろう。

また、後半生をともにするきく子夫人の描き方もさらっとしている。家庭学校のあゆみについてピンポイントでしか押さえることができなかったためでもあろうか。

一番痛いのは家庭学校とともに、留岡が精魂傾けていたオピニオン誌『人道』について、全く触れられていない。留岡イズムの結晶がこの雑誌なのだから、少しでも触れていてほしかった。

ちょっと煮え切らないな、という感じもあるが、留岡幸助の一生を追いかけていったらとんでもない長編になってしまうことは先述したとおり。家庭学校を開設してから留岡が千歳烏山で永眠するまでのストーリーになると、今度は家庭学校の教師と生徒の群像劇になっていくので、またカラーが違ってしまうのだろう。さしあたっては、「一路白頭に至る」ということばをつぶやきながら困難な道を敢えて選んだ牧師・教育者・事業家がいた、ということを大きく世の中に知らせることができるだけでも、映画化は歓迎されることになるのだと思った。