Train of thought

wish you were here

耐震偽装問題のニュース

2006-01-31 07:56:38 | ニュース

今回もまた、ニュースにツッコミを入れつつ。【】内は私のツッコミ。

耐震強度偽装事件で、姉歯秀次・元1級建築士(48)による偽装マンション約20件を販売した開発会社「ヒューザー」(東京都、小嶋進社長)が30日、「建築確認で偽装が見逃されたのは自治体の責任だ」などとして【…え?】、東京都や横浜市など首都圏の18自治体を相手取り、計約139億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした【ハァ?】。
 訴状などによると、ヒューザーは26件のマンション(未着工物件を含む)について、「18自治体は、建築確認や完了検査で、構造計算書の改ざんを見逃した」と主張【すごいね、この理屈。呆れてモノも言えん】。民間の指定確認検査機関が建築確認を行った物件についても、最高裁判例により、自治体が責任を負うとしている。
 請求額のうち計約109億円は、ヒューザーが瑕疵(かし)担保責任に基づき住民に支払い義務を負う補償金や、欠陥マンションの解体・補強工事費など。残り30億円は、ヒューザーが社会的信用低下などで受けた損害などとしている【国にたかる気だね?このオヤジ】。
 小嶋社長は提訴後の記者会見で、「被害者救済を一日も早く実現するため、提訴に踏み切った」と述べ【逆に引き伸ばしだろ、見え見えだっつーの】、訴訟で得た賠償金はすべて被害者救済に充てる方針を示した【そう言えば筋が通るとでも思ってるのか】。
 これに対し、欠陥マンション「グランドステージ東向島」の住民だった会社役員の男性(45)は「われわれは現時点で家賃やローンの負担を抱えて困っている。小嶋社長には、訴訟の結果に頼らずに、今やれることをやってほしい」と話している【マンション買った人にとっては、『今』どうするか、が問題なんだよね】。
 東京都都市整備局の話「訴状を見ていないので、コメントできない」【紋切り型…】
 横浜市の話「まだ訴状を見ていないのでコメントは難しいが、建築主であるヒューザーが依頼した建築士が構造計算書を偽装したのであり、自治体を相手に訴訟を起こすのは本末転倒だ」【よく言った!担当者さん、あんたは正しい!】

この記事を書いた記者の言いたいことがにじみ出ているのが、最後のコメントを借りているとこかな。

ともかく、この小嶋社長、何とか責任逃れしたいのが丸わかり。この間の証人喚問のときもそうだけど、自分で責任をとるといいながら、肝心な所はのらりくらり。追い詰められると逆ギレする。3歳児の言い訳とレベルが変わらん。

ライブドアの問題と根っこは同じところにあると思う。まず始めに、金儲けありき。目的のために手段を選ばない。モラルの欠如・または崩壊。ワンマン経営。なんかこういう経営者って、ガキの頃は頭が良くて、我儘に育てられているケースがままあるみたい。小嶋社長も、ホリエモンも、そうだったっていうじゃないですか。幼児的万能感そのまんまなんだよな。だから何したって誰かから叱られなきゃいいと思ってるし、叱られたら叱られたで訳のわかんねえ言い訳しやがる。精神構造がガキ。こんな連中に翻弄される人々・社会はたまったもんじゃねえって。

大金を持ってかれたマンション購入者の皆さんの悔しさは、想像するに余りある。コメントを読むと、よっぽど大人の対応をしている。ブチキレたいところでしょうに。キレたところで何にもならないことをよくわかっている。仮に金を返しても、あるいは代わりの住まいを提供されても、期待を裏切られ、夢を潰された心の痛手は残る。


幸せ

2006-01-28 01:44:04 | ブログ

幸せって、何だろう。

どういう状態が、幸せっていうんだろう。

お金や財産を殖やすこと?

…減ることやなくなること考えたら、不安になりそう。

恋人がいること?

…けんかやすれ違いが重なると、逆に苛立ったり悲しくなったりしたぞ。

仕事が充実してること?

…仕事一色になっちゃうと、それもどうかなー、と。

 

いろんなブログを読んでいると、いろんな人がいて、いろんな思いを綴っている。

バイクのブログでは、転んで骨折っちゃった人がいて、

恋愛のブログでは、不倫に悩む人や婚約解消で落ち込む人がいて、

日記のブログでは、日々の生活に煮詰まった人がいて、

みんな大変なんだなと思う。

 

私にとっての「幸せ」は、

「心穏やかに暮らせること」、と気付いたのは5年前。

そこそこ楽しめる仕事があって、食えるだけの収入もあって、

仕事以外のオフの時間もまあまあやることがあって、

家族が健康で、仲の良い友人もいて…

すべてがほどほどのところでバランスが取れている、

でも、

「心穏やかに暮らせて」いなければ、やっぱりあんまり幸せでない。

 

心のうねりや三角波を鎮めて、凪の状態、せめてさざ波の状態でありたい。

最近、とみにそう思う。


私が北海道マニアになった理由 その7

2006-01-27 20:58:53 | 北海道

朝食をいただくと、我々は礼を述べ、あゆみさんの家を後にした。あゆみさんのお父さんの運転で、あゆみさん・ひとみさんもついてきてくれた。

道路はところどころ崖崩れを起こしていたり、橋が流されていたりしたので、通れる道路を探しながら釧路を目指した。今までずっとおしゃべりし通しだった高校生4人も、この車中では口数が少なくなっていた。途中、何台ものオートバイとすれ違った。皆荷物を満載し、野宿したりキャンプしたり、一宿一飯の旅をしているライダーだった。当時北海道をツーリングするライダーを「みつばち族」と呼んでいた。そんな人たちをみて、「自分もこんな旅がしたい、いつかバイクで北海道を走りたい」と強く思った。

当時、東京⇔釧路・東京⇔苫小牧など、東京から北海道まで、いくつかのフェリー航路が運航していた。道路がよくなり、時代がスピードを求めるようになって、航路が短縮されたり、なくなったりしている。海路では房総半島の周りをぐるっと回るので、その分時間が掛かっていた。東京から常磐道で太平洋岸まで出られるようになって、水戸の大洗港にフェリーターミナルができてから、東京まで来ていた船が、大洗で打ち切られるようになった。東京から大洗までは船では300km、12時間かかる。陸路では120km、2時間もあれば到着する。東京発は、今では貨物のみの航路がひとつ残っているだけ。北海道でも、物流が釧路に直行しても、苫小牧経由でも、コストが大して変わらなくなったのだろう。釧路航路は数年前に廃止された。時代は変わっていく。

車は、昼前に釧路西港に着いた。東京行きのフェリーは、12:30の出航。乗船手続きを済ませ、船室に荷物を持ち込み、甲板に出た。岸壁で、ひとみさん、あゆみさん、あゆみさんのお父さんが見送ってくれていた。私の相方は、涙ぐんでいた。私は、この8日間が夢だったのか現実だったのか、頭がぐるぐる回るのは夏の陽射しのせいなんだろうかと思っていた。

帰りの船も、30時間以上の道のり。何だか燃え尽きてしまったみたいに、ぼんやりした時間だった。一晩眠って目覚めた時、船はまだ宮城県沖だった。空気が蒸し暑く感じて、それが北海道の旅が終わったことを知らせるもののように思えた。熱帯夜の有明埠頭に入港し、東京駅まで混雑するバスに揺られ、電車で地元へ戻り、相方とは「じゃ、また」と簡単な挨拶をして、帰宅した。

ひとみさんやあゆみさんとは、その後手紙のやり取りが少なくなり、やがてフェードアウトしていった。一緒に行った相方とも、高校卒業後進路が分かれ、連絡することもなくなった。彼女たちや彼がその後どうなったかは、今の私には知る術がない。幸せな家庭を築き、毎日をたくましく生きていっていることを祈るばかり。もし町のどこかで出会うことができたら…こんなに嬉しいことはない。

16歳の私には、北海道のすべてがカルチャーショックだった。その自然の大きさと厳しさ、その中で生活する人たちの逞しさと大らかさ、その情の篤さと優しさに感激した。その後何度も北海道を訪れたが、その度に感じることがあった。大学生の時は、釧路行きの特急列車で、隣の席のおばあさんから「兄さん、長旅だから、これおあがりなさい」と駅弁を買ってもらったことがあった。施設職員養成所の同窓会を北海道でした時は、やはり、これでもかというくらいの量の酒と食べ物を用意してもらっていた。「北海道じゃ、これが普通だ」と友人夫婦は笑う。

アイヌ・ウィルタ・ギリヤークなどの先住民文化、南から日本人が入り込み、同化と侵略を繰り返しながら「蝦夷地」が「北海道」になっていった歴史、明治の開拓と囚人の奴隷労働の歴史。知っていけばいくほど、「ここは日本じゃない、日本語が通じる別の国だ」と思う。ひとみさんやあゆみさんも、北海道の水と空気で育ってきたことを感じさせてくれた人たちだった。

初めて北海道を自分のバイクで走ったのは、ほんの数年前。長年の夢を、やっと実現にこぎつけた。何度も鉄道やバスなどで通ったところとは違う、今まで行った事のない町や村をいくつも訪ねることができた。

私は、まだこれから何度も北海道を訪ねるつもり。いままで知らなかった「北海道」をもっと知りたいと思っている。少年時代の憧れは、年を重ねるごと、訪れるごとに強くなっている。


Hyperactive

2006-01-26 05:15:15 | 健康・病気

「多動」…落ち着かない、ひとつのことに集中できない。

私は、心理的に「多動」なのだとしばしば感じる。

本業だって、それなりに忙しい。けれど、私の場合それで終わらない。仕事をしていれば、疑問も湧くし、不満も持つ。同じ場面の繰り返しだけでは、精神的に窒息する。なので、勉強会を探し、気分転換をする。また、趣味的に遊べる仲間を求め、時間を作る。

そうやって動き回っているうちに、「課題」が増えていく。

勉強会は、いつの間にか「世話人」のひとりになってしまった。労働組合でも、引き受け手がおらず、副会長みたいなことになっている。内部組織でみれば、部会長も。まだまだ欲しい資格もあるから、その勉強のための時間とお金も必要。バンドもやっているが、なぜかこちらも最近公演依頼がよく舞い込んで、毎月どこかの施設で「歌謡ショー」ボランティアをしている。その練習時間も必要。これらの合い間を縫って、ツーリングに行ってみたり、学生時代のサークル繋がりのちょこっとしたことをやってみたり。

これだけのエネルギーをお金儲けにつぎ込んでいたら、私もホリエモンになれていた?…いや、無理だな。金儲けに興味ないんだもん。逆に借金で首がまわらなくて、その返済で細々と働いているでしょ…って、結局今と同じじゃん(爆)

そんなこんなで、1日が24時間では足りない、1年が365日では足りない。自分のやりたいことに自分の処理能力が追いつかない。

疲労が溜まってくると、自分がなんでこんな毎日を送っているのか、そのこと自体に嫌気がさしてくる。この感覚が出てくると、要注意。「うつ」の兆しである。ペースダウンしないと、自分が壊れる。

数日間旅に出て、自分の日常を放り出して、違う環境に没頭してしまう。そんな風にして、自分の頭の中を切り替えていくことができるようになったのは、最近のこと。特にバイクでのツーリングは、走っている間は、次の目的地のことと「走ること」自体に気持ちを集中するので、全く他の事を考えなくなる。これが私にとってはいいリフレッシュになる。そのことに気付いてからは、10日以上の長めの夏休みを取れるような仕事配分にするように変わった。

今、また「時間が足りない」感覚に追われている。ブレイクスルーが必要なようだ。