今日は、重い話。
3日前、父親からメール。父親から連絡がある時は、何か大きなことがあったということ。開いてみたら、叔母が急逝したという。近く葬儀になるので、出てくるように、ということだった。
元気そうな様子だったし、私の両親よりずっと若いはずなのに…と驚いた。
一昨日の夜、仕事を早退し、通夜へ向かった。
いつもはひょうきんな叔父(父の6つ下の弟)が、さすがに意気消沈していた。努めて平静に挨拶などしていたが、ふとした時に見せる表情は、視線が下を向き、口を結び、肩を落としている。
叔母は、まだ60歳にもなっていなかった。病名は何だったのかは、聞いていない。急だったのは確かなようだ。
私が小学生だった頃に、叔父夫婦は結婚した。子どもの目にも、若い叔父夫婦のとぼけた会話の端々に、仲睦まじさを見ることができた。「旦那さん」「奥さん」と呼び合うのは、(私の両親ではとても考えられないことだったので)驚きもしたし、面白かった。その後2人の男の子に恵まれ、こじんまりと穏やかな家庭を築いていた。
誰にでも死はやってくる。死によって絶たれてしまう関係がある。冥界に旅立つ者の哀しみがある。この世に遺された者の哀しみがある。そのどちらも、耐え難い。それを想えば、やりきれない。
男所帯となった叔父一家。その喪失感はいかばかりか。けれども、遺された者たちは、生きていかねばならない。それが宿命。寂しいけれど、叔母の生きてきた証は、従弟たちよ、君たちの生命となって受け継がれた。そして、私たちのうちにある。
Rest in peace.