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震災後の日本社会と若者 (小熊英二×古市憲寿)対談その3

2012-01-22 | 気になったニュース

シノドスジャーナルでの対談です。
興味深いところを引用しました。
是非全文をお読みいただければと思います。
まだ対談は続くそうです。


震災後の日本社会と若者 
    (小熊英二×古市憲寿)対談その3


以下、SYNODOS JOURNALより一部引用抜粋

古市 阪神大震災とオウム事件が起こった1995年には、日本における重大な転換点だった議論があります。著作などを読むかぎり、小熊さんはそれに対しては否定的ですよね。同じように「2011年」や「3.11」が時代の転換点だったという議論はすでに多くありますし、これからも多く生まれていくと思うのですが、小熊さんはどうお考えですか。

小熊 私は戦後史にかぎっていえば、1955年あたりと1990年あたりが区切りだろうと考えています。高度成長のはじまりとバブルの崩壊の時期なんだから、誰でも納得するでしょう。国際的に見ても、スターリンが死んで朝鮮戦争が終わって、冷戦の安定期、平和共存期に入ったのが1955年くらい。それから冷戦が終わったのが1991年ですから、ちょうどその時期が境目になります。

95年については、その頃から非正規雇用が増え、産業構造の転換で製造業が衰えたりしました。91年ごろから構造転換が、本当に効いてきたんです。それらの変化がいつからはじまったのかと人々が考えたとき、震災やオウムが境目だったと感じる人が多かったんでしょう。

実際に労働現場では、95年くらいから非正規雇用の労働条件や、新卒採用の状況が悪くなったという意見は多い。85年のプラザ合意による円高から日本の工業が国外に移転しはじめ、冷戦が終わったあたりでさらにバブルがはじけて、92年ぐらいが日本の製造業の雇用のピークだった。その頃は、短期的な不況だと思って雇用を持たせていたんだけれども、持たなくなって非正規雇用に切り替えはじめたのが95年ぐらいあたりだったのでしょう。日経連の「新時代の『日本的経営』」もその頃に出ました。就職協定がなくなったのは96年で、それから就職活動がやたらと早まりましたね。

だから95年に社会が激変したというより、社会の変化がその時期に意識されるようになったということです。今回も同じで、この20年間ぐらい大きく変化してきていることが、これを機に意識された。

その一つは原発です。これは60~80年代に建設のピークがあり、補助金漬けで成り立っていた「昭和の重厚長大産業」ですけれども、その問題と実態が改めて明らかになりました。

また、地方の厳しい状況と、東京との格差も浮き彫りになりました。その前から都会のワーキングプアや格差はよく語られていたけれども、地方の実態が突きつけられた。高齢者が多くてシャッター街ばかりで、雇用条件も悪い。2000年代に構造改革で公共事業が切られ、産業も成り立たず、原発を受け入れたところ以外は、かなり苦しくなくなっている。とはいえ原発も地方も、前からあった構造的な問題で、これを機に意識されたというだけです。

ただし、2011年が本当に世界的な転換期だったことになってしまう可能性もある。ヨーロッパとアメリカの経済不安が深刻になり、アラブの春やウォール街占拠もあった。そういうものの一環として、日本では原発事故があった、と位置づけられるようになるかもしれません。

当たってほしくないですが、万が一、来年ぐらいに日本が財政破綻すれば、本当に3.11が境目だったという話になるでしょう。そうなれば将来、2011年の大災厄が起きたあとでも、「不安だけど幸せ」とかいっていたんだなということで、『絶望の国の幸福な若者たち』がタイトルだけ残って「歴史的な本」になるかもしれませんね。

古市 やけに呑気なことをいっていた本があったということですね(笑)。

小熊 そう、まだこういう気分だったんだなと(笑)。


対談記事(その3)全文→http://synodos.livedoor.biz/archives/1885407.html

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今回は小熊さんの発言に、「マイバックページ」とか、
「カンボジアにボランティアに行く」だとか、
う、L図書と無縁ではないぞ的なものがあって慄然としたわけです(笑)

しかし、こうやって一日一日をそれなりに頑張って生きているのに、
なんでこんなに世の中のことをわかっていないんだろう、
ベタな先入観や擦り切れた願望を現実にあてはめようとしてきたんだろう、
などということを思い切り冷酷に知らしめされたような気がします。

多くは語れませんが、
というのも無知だからで、
無知だからこそ、知るべきは知る、というスタンスで
私は求めたいと思うのです。

同じように思われるかたは是非これからもこういう関連の記事に
お付き合いいただければ、と思います。

次回がいよいよ最終回です。
それにしても、シノドスジャーナルは面白いですね。
編集長・荻上チキさんのセンスがひかってるな。

蛇足ながら、その荻上さんも参加なさった、
元旦放映の座談会(Eテレ)が再々放送決定です。
とても面白いです。司会はあの堀潤さん。

朝まで生テレビ(テレ朝)の真裏の時間帯、
27日深夜に放送予定です。ご興味ある方は是非。
今回がおそらく最後の再放送になるかと思います。(長時間ゆえ)
覚醒されることまちがいなし!




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