長崎原爆の日:
【平和への誓い】全文
今、広島、長崎に原爆が投下された日を答えられない国民がなんと3割にもなっているそうです。
そういう私も広島への原爆投下時間は知っていても、
長崎への投下時間11時2分というのは知りませんでした。
風化というものは知らず知らずのうちに広がってゆくものなのですね。
原爆投下の日時を知らないひとは、
今、この国でこんなに危険な舵取りがなされていることにも感覚がマヒしているのではないでしょうか。
あんなに怖ろしく違憲な憲法解釈をして、戦争法案を押し付けようとする安倍総理大臣が、
こんなに真摯な【平和への誓い】の朗読の場で、
官僚に丸投げし、作成させたスピーチを読む、その恥知らずさ加減が怖ろしいです。
国会答弁のなかで、広島のスピーチで触れられなかった非核三原則のくだり、
長崎では原稿のなかに入っているものと承知しています、と大真面目な顔で答弁する様子、
世界中にその指導者としての恥知らずっぷりを披瀝してくれましたね。
こんな指導者を選出してしまう政府与党、そして小選挙区でこんな政党を与党第一党に選んでしまう、
わが国の国民も情けない、と今は言わずにおられない気がします。
(受け皿になれる大きな対抗勢力がないのが、それに先立って情けない)
【平和への誓い】を全文掲載します。
被爆者の様子をリアルに語られたのは、亡くなられた方々、苦しまれた、今も苦しみ続けておられる方々の、
おひとりおひとりのお気持ちを代弁されるためではないでしょうか。
【平和への誓い】
70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。
真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。
肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。
かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。
水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。
地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、
肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、
突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。
70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。
爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。
突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。
しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。
背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。
不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。
それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。
3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。
そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、
肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。
かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。
アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、
1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。
あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。
戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。
しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。
今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた
核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。
核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。
私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、
生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、
平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。
平成27年8月9日
被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20150809mog00m040002000c.html
と思いますでしょ?私もこのニュースを聞いた時はそう思いました。違うんです。
「答えられた国民」が「3割」なんです!
つまり、知らない方が7割という・・・(驚愕)
10年前、広島・長崎の小学生の5割が、正確に投下日時を答えられなかったというニュースがありましたが、それから10年経って、国民の7割が答えられないというこの現実。これが「平和ボケ」だと思います。「平和」であることに慣れて、過去の悲惨な体験を知らない、知ろうとしない。だから、「集団的自衛権に反対する若者は利己主義だ」とか言う変な発言をする政治家が出てくるのでしょう。
幸いにも、戦争を知らない私たちは、語る資格がないかもしれません。でも、この谷口さんの言葉を聞くことが出来たのですから、それを語り継ぐことはできます。「語り継ぐ」「戦争をしない国であり続ける」「核兵器廃絶を言い続ける」人間でありたいと思います。
そうか、こっちで3割の間違いを正してくださってたんですね、
すみません^^
最近、戦争体験の語り部たちへの講演依頼などが減っているそうです。
それってどういうことなんでしょう。
ゆとり教育の見直しでカリキュラムが削られたのか、
それとも他に何か理由があるのでしょうか。
こどもの頃の、柔軟な思考回路のうちに、
平和教育をするのは大切だと思うし、
だからこそ、広島や長崎が修学旅行先に選ばれてきたのだと思うのですが。
谷口さんのお話は聞いていて、正直しんどかったですが、
戦争はおぞましくて悲しくてつらいものですよね。
それを聞く機会を奪うからこそ、
【自他のいのちを守るために戦争はしたくない】が利己的、
などというとんでもない政治家が出てくるのですね。
>「語り継ぐ」「戦争をしない国であり続ける」「核兵器廃絶を言い続ける」人間でありたいと思います。
発信しつづけることは大切ですよね、あらゆる世代において。